神は俺だ
男は最近、寝不足がたたってイライラしていた。
原因は同じマンションに住む住人。
夜中になると決まってパタパタと歩き回ったり、ドアを大きな音を立てて閉めるなど、生活音が煩くて眠れやしない。
音の感じからして、犯人はおそらくすぐ上の階の人間。
一度文句を言おうと部屋に行ってみたが、インターフォンを鳴らしても反応はなし。
静かにしてくれと書いたメモをドアポストに入れるも、音が止む気配は一向にない。
寝不足のおかげで仕事に身が入らず、集中力にも欠ける状態に。ついに今日ポカミスをして、営業先から大クレームが入ったのだ。
会社的にはかなりの損失が見込まれる内容で、状況次第では解雇もあり得ると上司から遠回しに宣告されてしまった。
それもこれも全てあの騒音のせいだ……我慢の限界に達した男は、帰宅後すぐに上の階へと向かう。
文句の一つも言わねば気が済まなかった。
インターフォンを鳴らすと、初めて反応があった。部屋の住人は中年の女。
男はこれまでの苛立ちを全てぶつけて、攻撃的に詰り続けたのだが、女は「そんなことしていません」と言い張るばかり。
それにカッとした男はついつい女に手をかけて……。
気付いたら目の前に女の死体があった。
殺した記憶はないが、犯人はどう考えたって自分以外にあり得ない。
どうする? 自首するか?
しかしこんな女のせいで人生を棒に振るなんて真っ平ごめんだ。
ならば死体を隠してしまおう。
そう考えた男は車に死体を乗せて、人里離れた山の中に埋めた。
土に埋もれた死体が完全に見えなくなったとき、男の胸にようやく安堵の気持ちが芽生えた。
――これでようやく眠れる……。
その予感は的中し、その日から男はぐっすりと安眠できるようになったのだった。
数日後。
朝の情報番組を見ていると、『著名な作家、失踪か?』というニュースが流れた。
それは某賞を受賞した女性作家で、最近ではニュースのコメンテーターやバラエティーなどで引っ張りだこの人物だった。
『◯日に担当編集者と電話したのを最後に行方がわからなくなっており……』
『不審に思った親族がマンションを訪ねたところ、室内に争ったような形跡が……』
『警察は、女性作家が何らかの事件に巻き込まれたと見て捜査を……』
そしてテレビに映し出されたマンションの映像は、自分が住む所で間違いない。
モザイクはかかっていたが、男には一目で分かってしまった。
ならば自分が殺したあの女は……。
男の全身から血の気が引いていく。
――警察は捜査を開始したとニュースで言っていた。一体どこまで調べが進んでいるんだ?このままでは俺は逮捕されてしまうのか?
不安と恐怖で全身がガタガタ震えて止まらない。
とにかく情報を集めなければ。
男はすぐさまネットで情報収集を始めた。大したニュースはまだ上がっていない。
焦りながらどんどんと複数のサイトをチェックしていく。そんななか、数あるサイトの中にあった某巨大掲示板の書き込みを見て、男の手が止まった。
【事件性ありっぽいって、誘拐?】
【コロされたんじゃね?】
【最近ウザかったもんな】
【調子乗りすぎ】
【ヤったやつ、神】
それは女性作家のアンチが集う掲示板だった。
内容はほとんどが、女性作家の失踪を喜ぶもの。
書き込みを見ているうちに、男の心に一つの感情が芽生え始めていた。
そうだよ、あれはあの女が全部悪かったんだ。
こいつらが言うように、あの女は夜中に騒音を垂れ流すくせに、認めも反省もしない最悪の人間だった。
俺はそれを罰しただけ。みんなから嫌われている人間を害して何が悪い。
むしろみんなのストレスを解消してやった善人である。
書き込みにあったように、俺は神だ。
神のやったことは罪に問われないのだ!!
頭をそう切り替えると、先ほどまでの不安や恐怖がすっかりと消え失せていった。
男は自分が正しい行いをしているのだと安心して、掲示板を閉じたのだった。
男はその後も毎日のように、掲示板を覗くようになった。
自分がどう評価されているのか、気になって仕方がなくなってしまったのだ。
最初は【神】への賞賛が続いていた。
しかしそれは次第に方向性を変えていった。
【ニュースの連日報道ウゼェ】
【テレビであの顔見ない日がなくてムカつく】
【本当は狂言失踪とかじゃねーの?】
【神なんていなかったんだよ】
掲示板では狂言失踪で確定といったような方向に話が進み、誰も神……つまり男を褒め称えなくなった。
男はそれが面白くなくて仕方ない。
なんだよ、あの女が消えた時は散々持ち上げておいて、今になって狂言とか言い出しやがって。なぜ俺をもっと褒めない。讃えろよ、馬鹿野郎どもが。
男は徐にキーボードに手を伸ばした。
【あの女は死んだ。ヤったのは俺だ】
その書き込みが投稿されると、掲示板は大いに賑わった。
神の降臨を喜ぶ人たちが、男から詳細を聞こうと囃し立てる。
しかし中には懐疑的な人間もいて、証拠を出せと詰め寄ったのだ。
証拠があれば納得するんだな、よしいいだろう、証拠をだしてやるよ。
そう思った男は、真夜中に女の死体を遺棄した山に入った。そして土を掘り返し、遺体を掘り起こした。
もう何日も経っていたため、グズグズに腐って顔の判別などはできない。けれど遺体写真があれば、みんなも納得するだろう。
そう考えて、あらゆる角度から写真を撮影し、ネットにアップした。
その甲斐あって、男は再び掲示板で祭り上げられた。
【神降臨!】
【お前は英雄だwww】
賛辞の言葉に気をよくする男。
【そうだ、お前らが嫌いなあの女性作家を排除した俺は神だ! 英雄だ!! 俺のことは英雄と崇め奉れ!!】
ネット上とはいえ、自分は英雄になれたのだ!
男はまるでこの世の栄華を極めたかのような、最高の気分を味わっていた。
ところが翌日。
朝の情報番組に、件の女性作家が登場していた。
謝罪会見を開いていたのだ。
作品作りが上手くいかないのに、テレビやイベントには引っ張りだこ。日に日に過剰な期待とプレッシャーを掛けられて、発作的に海外へ逃げ出してしまったのだと涙ながらに語る作家。
部屋が荒らされていたように思われたのは、ストレスで片付けられなくなっていたため。
事件でもなんでもなかった。
ネットで自分が殺されたというデマが拡散されていたので、慌てて帰国してこの会見を開いたのだという。
男の全身から、血の気が引いた。
ちょっと待て。その話が本当ならば、俺が殺した女は一体……?
それに俺は、自分が人を殺したとネットで宣言し、しかも遺体に写真までアップしてしまったぞ。
あれが警察にバレたら、俺は一巻の終わりだ。
逃げなくては。
警察の捜査の手が届く前に、即刻逃げるんだ。あぁその前に掲示板の書き込みは削除しよう。
万一にもあれが証拠になったらまずいことになる。
削除……削除はどうしたらいいんだ?
ピンポーン。
一人焦る男の部屋に、インターフォンの音が響いた。
ドクリと心臓が跳ねる。嫌な予感がした。
ピンポーン。
再びインターフォンが鳴る。
立て続けに何度も何度も鳴り続ける。
「警察署の者ですが、ちょっとお話聞かせていただけませんかー」
ドンドンと激しくドアをノックしながら、開けろと叫ぶ警察官。
そのとき不意に男の目に、掲示板の最新の書き込みが目に入った。
【結局、神なんてどこにもいなかったってわけか】
<補足>
・夜中に騒音を出していたのは、すぐ上の階の女性ではなかった。マンションにありがちな、音の反響問題。
・女性作家と男、被害女性が同じマンションに住んでいたのはほんの偶然。
・男は逮捕。女性作家は程なくテレビやイベントから姿を消して、その後結局筆を折った。