PHASE3 甘い日常のおわり
「ねえねえ。さっき校門で話してたのって拓殖先輩だよね」
クラスメイトの女子(さほど喋ったことはない)が声をかけてきた。
そうだと答えると、わぁー、と甲高い声で周りの友達と騒ぎ始めた。
彼女たちの会話の着火剤として、もう既に僕の役目は終わったみたい。
その方が助かるけど。
サスペンスマンガの掴みみたいなやり取りをしてたなんて言いづらいもんな。
先輩の話は気にならないといえば嘘になるけど、そもそも渋谷からこの街まで500キロはある。
対岸の火事というか実感が湧かない。
ぼんやり天井の蛍光灯なんかを眺めていると天を覆うように女子の顔が現れた。
「あはは、失礼しちゃうよねえ。
拓殖先輩がカッコいいのは確かだけど、修哉くんもそこはかとなくいい感じなのにね」
イタズラ大好きです、と言わんばかりの表情を携えて有村珠紀は僕の顔を覗き込む。とても近い。
「そんなこと言ってくれるのは有村だけだよ。
自己肯定感が満たされるわぁ、オイオイ」
照れくさいのでおどけてごまかす。
ていうか女の子の扱いなんてよくわからない。
「フフ、泣かないで。
みんなの味方の有村さんが放課後イイところ連れて行ってあげるから」
「いいところ?」
僕が聞き返すと、にまーっと有村は笑みを浮かべて、
「ハイ、食いついた。
これで今日一日は私との放課後デートを期待して楽しく過ごせるね。
眉間にシワ寄せるのおしまい!
幸せ逃げちゃうんだよ」
と言ってデコピンを僕のおでこにぶつけて彼女はヒラヒラと僕の席を離れていった。
有村珠紀はこの学校で一番仲のいい女子だ。
僕にとっての世界はこの学校がほとんどを占めているので、有村は世界一仲の良い女子と言い換える事もできる。
まあ、彼女は誰とでも距離が近いし、カバディ選手かってくらいボディタッチしてくるからなるべく勘違いしないように心がけてはいるけど。
……でも、いいところかぁ。楽しみだなぁ。
有村の思惑どおり僕の頭の中にいた拓殖先輩の存在感はあっという間に薄れていった。
放課後。僕は有村に連れられて普段は使わない路線の駅ビルに連れて行かれた。
その建物の11階はアートスペースとなっており、絵画展らしいものが開かれていた。
「なんで絵画鑑賞?」
僕が問うと有村はあれ? という顔をして、
「絵好きじゃなかったの?
ほら前にデパートに飾ってあった絵を解説してくれたりしたじゃん」
そんなこと…………あったな。
夏休み中の登校日のあと、クラスメイトが集まってここに遊びに来た。
レストランの待ち時間を潰そうとフラリとここに着て軽く知識を披露させてもらった。
爺ちゃんの影響である程度、美術に対する造詣は深いと思う。
だけど、別に美術館に進んで足を運ぶようなのではないし、むしろマンガの原画展とかの方が楽しめるタチなんだけど。
「僕のためにこういうところ連れてきてくれたの?」
「ううん。ただ私が修哉くんの解説聴きたかっただけ」
「絵、好きなの?」
僕がそう言うと、分かってないなあ、と言わんばかりの表情で僕の背を叩く。
「細かいことはいいの。
さ、見て回ろう」
有村に連れ回されるようにして僕は展示された絵画を見ていく。
そう言えば、僕も爺ちゃんに美術館に連れていってもらうのは好きだったかな。
爺ちゃんは物知りで一枚の絵から作者の狙いや影響を受けたもの、モチーフに秘められたテーマやメッセージ、古い物についてはその時代の出来事や思想に絡めて、最新のものについては現代の雑学めいた知識に絡めて上手く解説してくれた。
別に絵画が好きになることはなかった。
描くのも下手だったし。
だけど、爺ちゃんのことは好きになった。
ここ数年は会う機会もめっきり減って、美術館に一緒に行くこともなかったけど、もっと一緒に過ごせばよかったかな。
「修哉くん。大丈夫?」
「えっ」
有村がハンカチを僕に差し出しているのを見て、ようやく僕は頬を伝う水分の正体に気づいた。
そして、爺ちゃんがもう死んでこの世にいないことをようやく実感したことも。
アートスペースの上は屋上階であり、出店が賑やかに出店されていて小さなお祭りのようだった。
僕と有村はその片隅のベンチに腰を掛けてペットボトルのジュースに口を付けていた。
「落ち着いた?」
「うん。スマンね。
情緒不安定で気持ち悪いところ見せて」
「キモくない、キモくない。
むしろカワイイよ。
メンヘラ女に振り回される男の気持ちが分かった気がする」
それって追い打ちだっていう自覚あるのかな?
でも、まあ……
「スッキリしたなあ」
空を見上げる。
もう夕暮れは終わり夜のとばりが落ちかかっている。
夕焼けのオレンジ色が群青に変わっていく時間帯が好きだ。
薄暗い光とネオンに照らされる街はどこか懐かしい気持ちにさせてくれる。
僕の気持ちは青空を見上げているかのように晴れ晴れしていた。
悲しいことや泣いてしまうことがあっても僕は今を生きている。
隣に気立てが良くて可愛い女の子までいる。
それだけで僕の目に映る世界はすばらしい。
「有村さ、僕に気を遣って連れ出してくれたの?」
僕の問いかけに有村はぽりぽりと頭をかく。
「人の心をどうにかしようだなんておこがましいとは思ったけどね、でも修哉くんのことに関しては私が出しゃばって良いのかなと思って。
他の人にこの役目を取られたくないというか」
遠まわしな物言いだけれど、言わんとしていることは分かった。
だから僕は彼女に気持ちが通じていることを伝える。
「どうにかされたよ。
だって今、すごく嬉しくてドキドキする。
僕をこんな風にするの、有村じゃないと無理だ」
ランプに火が灯るように彼女の表情がじんわりと輝き始める。
みんなに愛想を振り撒いているから、僕だけじゃないだろうから、そんな後ろ向きな気持ちで誤魔化しちゃいけない。
他の誰かや彼女自身がどうであろうと、僕の気持ちは決まっている。
「ありがとう。有村。
また一緒に遊びに行こうよ。
今度は――――」
恋人として――――と言いかけた。
その時だった。
「ウワアアアアアアアアアアッ!!」
体内の空気を全て吐き出すかのような絶叫が聞こえると、爆弾が誘爆するように声の方角から悲鳴がいくつも上がり止むことなく増え続ける。
瞬時に拡がった物々しい気配を受けて、有村が僕の手首を掴んだ。
「なに!? 何が起こってるの!?」
上ずった声で有村が僕に聞く。
僕が知るはずもない……のに、何故だろうか。
既視感が頭をよぎる。
人混み、突然の悲鳴。
そしていつの間にか黒く染まりきった空。
まるで僕の運命は今日、この場所にいることを定められて回っていたかのように思える。
爺ちゃんの死も拓殖先輩の不審な行動も有村の心遣いも全部がこのシーンを作る為の舞台装置だったのかもしれない。
悲鳴が増える。
逃げ出す人々の波が押し寄せている。
もうすぐその原因が見えるだろうという予感がした瞬間ーーーー
バァン!!!
とんでもなくデカい破裂音がして思わず身体が強張る。
爆発が起こり、前方にあった屋台が数件、火に包まれている。
負傷した人々が痛みのあまり地面にうずくまってしまっている。
目の前で行われているのはフィクションじゃないリアルの出来事だ。
それなのに炎の向こうから聞こえて来る話し声は呑気で楽しげだった。
「イエーイ! まとめて殺せた!
気持ちイイ!!」
「なるほど、【現代兵器】は使えないけどこういう【オブジェクト攻撃】はアリなんだな」
「おう。俺の【現代兵器耐性】が働いてないからな。
次は【地形効果耐性】ある奴が食らってみてよ」
「検証は帰還後に【シミュレーター】でやろうぜ。
【制圧ポイントの設置】をしないと落ち着かねえよ」
「今は狩りだ! 狩りの時間だ!!」
「ヒャッハーーー!!」
恐ろしいまでに臨場感の欠落した声音に意味の分からない言葉の羅列。
炎の向こうから現れて死体を踏みつけにする鎧姿の騎士隊。
僕には彼らがこの世のものとは思えなかった。
呆然と彼らを見つめていた僕の意識を引き戻してくれたのは有村だった。
「や、ヤバイよ!
よく分からないけど、ヤバ過ぎる!!」
僕の腕を掴んで訴えかける有村。
呆けている場合じゃない!
考えろ!
たたかう?
無理だ。
相手は武器を持っているし拓殖先輩の言ってることがたしかならたった20人で200人以上の人間を斬り殺している。
今炎の中から出てきたのは10人程度だけどこの状況下で一致団結して武器持ちの相手と戦うのは無理だ。
「有村! 逃げるぞ!」
僕は有村の手を引いて走り出した。
目指すのは下の階に降りる階段。
僕らのいる場所から30メートル離れた場所に建物内に戻る降り口がある。
だが、みんな考えるのは同じことで既に降り口には逃げた人が流れ込んでおり、扉まわりには黒山の人だかりができている。
今から行っても奴らに背中を見せるだけだ。
だったら!
僕は逃げる人波を横切って走る。
有村は泣きそうな声を上げる。
「ど、どこに行くの!? こっちじゃ」
「あんなとこに行っても逃げきれない!
奴らの目的は一人でも多くの人を殺すことだ!」
動画と拓殖先輩の話。
そして、さっき奴らが口走っていた言葉。
この異常な状況を何かに喩えるなら僕は間違いなくこう言う。
ゲームの討伐クエスト。
討伐対象は僕たち人間だ。