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WHEEL OF FORTUNE~仮初の境界線~  作者: 鴇天ユキ
第二章 仮初の境界線
9/14

追憶

「はぁ……」


 思わずため息をつきながらも、アルトは自室の机へと向かっていた。


 もう何度目かも分からないそのため息は、普段机につく事の無いアルトにとって苦痛から出る物に他ならない。


 だが、今の状況なら誰もがこんな風にため息をついてしまうだろうという程に彼は追いやられていた。


 というのも、先日あったブリテンでのクトゥルフの眷属襲撃事件の報告書を五日もかけて作成させられていたからである。しかも事件の翌日から休む間もなく。


 理由は多々あり、本来重傷であった筈のアルトがその翌日には殆ど回復してしまっていた事。またクトゥルフの眷属と、はたまた生還不能と言われているヴァルバロイと邂逅して生還した事による貴重な情報源である事。そして何より……


(クソ……何でこんな事が起きる時に限ってリーダーなんだ)


 今回率いていたパーティーのリーダーを務めていたという理由が一番大きく、結果として療養も儘ならないままに一人強制送還された訳である。


 因みに他三人は初日こそ一日中質問や命令を無視した事を譴責されていたものの、今は療養と称してブリテンの町を楽しんでいる。


 対するアルトは移動の馬車の中でも軍やら学園関係者やらに同じ問答を繰り返し続けていた。


 と、そこに二回ドアをノックする音が部屋に響く。「どうぞ!」と苛立ちを隠さず語勢を強めて返す。このやり取りもここ数日で何度目か分からない。


「入るぞー」


 そう言って入って来たのはアルトのクラスの担任教官であるラウドだった。


「お、良い感じに仕上がって来たな。どれどれ見せてみろ」


 そう告げられアルトはレポートを乱暴にラウドへと突き付ける。


 特に文句も言わずラウドはレポートに目を通して行く。そして


「おう。ちゃんと書けてるな。これにて事後処理は終わりだ」


「……? 良いんですか?」


 思わず呆気に取られてしまうアルト。というのも、アルトの纏めたレポートは苛立ちに強くなった筆圧で所々破け、更にはまだ完成していない。ダメ出し覚悟に投げ付けてやったつもりでいたアルトにとっては思いもよらない返答だった。


「ああ。要点は抑えてるし、何より何度も何度も同じ事言ってるの見てるからなあ。後は俺が纏めといてやる。むしろこんな待遇を受けて白紙で提出されなかっただけ御の字だ」


「お疲れさん。頑張ったな」と最後に告げてから、ラウドは部屋から出て行った。


「はぁ……」


 今度こそ安堵のため息をついてからアルトは椅子に項垂れる。ようやくこの拷問も終わったのだと思うと謎の達成感を感じてしまう程だった。


「…………………………」


 いや、まだ一つやり残している事がある。


 そう思い立ったアルトは早速ある場所へと向かった。












「もーーーーーーーー! もうもうもうもうもう!!」


 牛か? そう疑問を覚えずにはいられないアルト。


 ざっと20日ぶりに会う彼女は、顔を合わせるなり早速憤慨した。


「遅い! 遅すぎるよ嘘つき!」


「悪かったな」


 と答えつつ悪びれないアルト。当然である。嘘などついたつもりはない。


「悪かったって思ってないでしょ!」


「ああ。嘘なんかついてないからな」


「それ!」


 彼女はビシッとアルトの額を指差す。


 彼女の示した先には傷の処置をした証拠である包帯が巻かれていた。


「怪我しないでって言ったかな!」


「…………………………」


 アルトは何も答えられなかった。確かにそんな事を最後に言っていた。しかもその上でアルトの怪我はこんなものではなかった。


 内臓破裂に肋骨の骨折。並びに切創八ヶ所。何故一日で治ったのか分からない。だが対照的に殆ど手当ての必要ないような外傷が今回は残ってしまった。今まで軽い怪我は一日で治してきたアルトはそれを自分自身不可解に思うも、そもそも重傷が一日で完治した方が普通ではないのだ、体に多少無理が生じても仕方ないと納得するしかなかった。


 が、当然大怪我した事など彼女にこの上で言い出せないのが少々口惜しくアルトは感じていた。


「こんなのかすり傷だ。怪我の内に入らない」


 せめてもの抵抗にそう言い返すと。


「もー! 言い訳する!!」


 人魚が牛に化ける。ここでもか、とアルトは再びため息をついてしまうのだった。


 と、そこに


「え、アルト?」


「!?」


 本来しないであろう場所で、聞き覚えのある声にアルトは驚きながら振り返った。


 そのあまりの勢いに、声をかけたディオが思わず身構えていた。


「うお!? なんだ!」


「何でお前がここに!?」


 普段慌てる事の無いアルトが、何故その時こんなにも驚いたのか、そして一体何に対して驚いているのか分からない。とにかく普段から冷静を取り繕っていたアルトが何故だか分からない驚きに更に驚いてしまい、最早混乱していた。何故だか袖に手を入れてナイフを掴もうとしながら臨戦体勢をとってしまう。


「馬鹿馬鹿待て! 落ち着け!」


 両手を前にして逃げ腰になるディオ。混乱する自分より更に慌てるディオを見て、不思議とアルトは冷静さを取り戻していく。


 袖から手を抜き、臨戦体勢を解いてからアルトは再度尋ねた。


「……何でお前がここに居る。ここは立ち入り禁止区域だ」


 打って変わっていつも通りの無気力そうなアルトに戻ると、ホッと息をついてディオもまた元の姿勢に戻り答えを返す。


「そりゃお前も同じ事だろ? お前こそ何でここに居るんだ?」


「……俺は優等生じゃないからな。今更立ち入り禁止区域に入って減点される持ち点は無い」


「いや、そう言われるとな……。大体何であんなに慌てたんだよ。まるでなんか隠し事でも……」


「ねぇねぇ!」


 いつものやり取りをするアルトとディオだったが、そこにふと彼女が口を挟む。


「君たちもしかして友達なのかな?」


「違う」


 即答するアルト。不機嫌なのを隠さないアルトの相槌に、頬を膨らます彼女。対して何かを察したディオは下卑た笑みを浮かべる。そんな表情をアルトが見逃す訳もなく、「なんだ?」とディオに尋ねると。


「いいや、仲が良いんだなと思って」


「何だと……?」


 先程と打って変わり、その一言が本気で癇に障るアルト。一瞬で変わる雰囲気にディオは思わず背筋を凍らせるが……


「仲良くない! だって君全然私の言うこと聞いてくれないし、嘘だってつくし、いつも酷い事ばかり言ってくるし! 全然仲良くしてくれない!!」


 再びそう憤慨し出す彼女。頬を膨らませて指差すその姿が、アルトには酷く子供じみて見えていた。ディオの一言が気に入らないのは確かだが、そんな彼女を見ていると、ディオの一言で怒りを覚える自分を思わず滑稽に思ってしまう。


 そんな形で落ち着きを取り戻したアルトは、いつもの文言を告げる。


「悪かったな」


 呆れ気味に告げるアルト。


「全然悪いと思ってなぁぁぁぁい!!」


 そんなアルトにやはり納得が行かず、大声で憤慨する彼女。すると追うようにして二人の間に笑い声が割って入った。


「いやいや分かった。そうかそうか、二人の間柄は分かったよ。確かに仲が悪そうだ」


「ふん!」と鼻を鳴らして顔を反らす彼女。対してアルトも対応するように腕を組んで彼女に背を向ける。そんな二人を見て再び笑いを漏らしそうになりながらディオは告げた。


「けど、アルトが全然仲良くしてくれないってのは事実だな」


 そんなディオにアルトは鋭い視線を向ける。今度は怯む事なく「ホントの事だろ?」と軽い態度で応えてディオは続ける。


「俺はこいつと同じクラスなんだ。けどこいつ他の誰に対してもこんな態度でな? 全然仲良くしようとしないんだ」


 ディオがそう告げると、彼女は小首を傾げる。


「ん? じゃあ二人はどういう関係なの?」


「うーんそうだな……。友達って言う程仲が良い訳じゃないしな」


「ただの知り合いだろ」


 相も変わらず素っ気なく告げるアルトに、思わずディオは笑いを漏らしてしまう。それがアルトの苛立ちを誘うと知っていたディオはすぐに続けた。


「ただの知り合いなら、こんな所でバッタリ会ったり、こんな話したりしないだろ?」


「…………………………」


 黙り込むアルト。そんなアルトを見て、それが苛立ちに口を閉ざしたのではない事をディオは感じ取っていた。恐らくは自分たちの間柄について明確な答えを探しているのだろう。そう理解出来ることが、初めて自分達が出会ってから僅かながらもこの関係が進展している事を理解し、思わずディオはそれを喜ばしく思いながらも昔の記憶を思い起こしそうになる。


「ねぇねぇ!」


 ふと彼女が尋ねて来る。先程あれ程怒っていたというのに、今はその目を好奇心に輝かせていた。


「なら二人が初めて会った時の話聞かせて!」


「あー………」


 それを聞かれて思わずディオは口ごもる。そう。ディオとアルトの出会いは、簡単に口に出来てしまう程好ましいものとは到底言えなかった。


「……別に話す程度だろ」


 だがそれを察してかアルトがそうディオに告げる。


 そんなアルトに対して、僅かに微笑んで返してからディオは頷いて切り出す。


「最初こいつと会ったのは……」








 春先。それはまだ肌寒さの抜けない時期だった。


 当時のディオはここバーミリオン魔法戦技学園に入校し、少々浮かれていた。


 それはディオだけでなく、少なからず周りも同じだった。


 このローレシアにおける名門。幼い子供ですら一度は耳にするその名は、入学などそれこそお伽噺のような夢物語に等しかった。しかし幼き日より鍛え、学び、そして遂に子供ながらのそんな夢を叶えたのだ。


 同じクラスの皆でそんな喜びを分かち合いながらディオは交友の輪を広げて行った。出身や得意な事や好きなこと、将来の夢。そんな事を語り合いつつもディオはその違和感にすぐ気付く。


 皆が喜ぶ中、教室のほんの一つの一角が冷えきっていた。声を上げる皆に一切振り返る事なく、机に突っ伏している。その背中は声をかける前から話し掛けるなと告げていた。


「ああ、あいつ」


 仲良くなったクラスメイトの一人が言う。


「あいつ話し掛けても返事しないんだよ。暗い奴でさ、関わらない方が良いよ」


 そんな事実確証の無い今出来た友人の言葉だが、何故だか妙な説得力を感じさせた。それはこの友人が謎の説得力を持っている訳ではなく、逆に協調性もなく突っ伏す彼の姿がわざわざ誰に言われるでもなくその事実を証明しているからに他ならない。


 そして同時にそんな彼の姿は、長年自分が抱いていた夢に水を差すようであり、ディオはそこに明確な嫌悪感を感じ取っていた。


 気に入らない奴。それが当時、まだアルトと呼ばれてはいなかった彼に、ディオが最初に抱いた感情だった。







 そこから1ヶ月が経つ。その頃になると、最初は浮かれていたディオ達もここが戦技術を鍛え上げ、磨き上げる為の場所だと考えを改めさせられていた。午前は座学、そして午後には体力錬成と戦闘訓練の毎日だった。


 座学に関しては大したものでなかったが、最初の1週間から毎日筋肉痛になる程にまで追い込まれる。


 それまで鍛練を怠って来なかったディオでさえもそんな有り様だというのに、他の生徒が着いてこれる訳もなく、最初の1ヶ月で多くの脱落者が出た。


 しかしディオ含めそれまで必死に耐えて来た生徒達も、1ヶ月を越えてから僅かにそんな日々に慣れて徐々に苦痛を感じなくなって行くのを実感する。それに気が付く頃には生徒達の団結も強くなり、まただからこそ生徒の誰もがある共通認識を持っていた。


 これまで生徒の誰もが、その日々を顔を苦痛に歪めながら過ごして来た。ただ一人を除いて。


 血反吐を吐く様な訓練の日々を、アルトは表情一つ変えずに過ごしていた。クラスでアルトを好ましく思う者は居ない。だからこそ余裕な態度を晒すかのように振る舞うアルトに誰もが苛立ちを覚える。皆自分の事に必死で周りに目を向ける余裕など無い。だからこそ何時しかアルトは手を抜いているのだろうというのが生徒達の間で通説になり、より嫌悪感に晒される。


 だが、そんな中ディオだけは他に目を向けるだけの余裕があり、そして知っていた。アルトは決して手を抜いてなど居ない。余裕な態度で黙々と皆と同じノルマをこなしているのだ。そしてだからこそ、ディオのアルトに対する対抗心は強かった。ここまで人一倍の努力を積み重ねて来たのに、それを否定されているようで気に入らなかった。


 そして二ヶ月が経つと教官であるラウドの立ち会いの下、生徒同士の組手が行えるようになった。


 そうなればこの先どうなるかなど、想像するまでもなかった。



「おい」


 黒髪の生徒の一人が、アルトに声をかける。


「お前俺と組手やれよ」


 アルトはいつも通り何も言わないが、その視線は黒髪の生徒から反らさなかった。


 それを同意と取ったのか、黒髪の生徒はラウドへと立ち会いを願いに行く。


 そんな様子を、ディオ含め他の生徒も見ていた。次第に皆手を止めて視線をそちらに向ける。


 やがてラウドがやって来る。


「あーじゃあさっさとやるぞ。両者抜刀。構え」


 アルトも、黒髪の生徒も剣を抜き、十歩程の距離を取って向き合う。


 すると黒髪の生徒や周りの生徒が怪訝に思う。


 それはディオも同様だった。黒髪の生徒は腰程の高さで剣の切っ先を相手に向けて構えていた。それはこれまでの教務でずっと叩き込まれたもので、剣術の基本であり、基礎中の基礎である。


 だが対するアルトは体を低く保って剣の切っ先を伏せていた。


 まるで素人のそれだ。教務で習った事など何も活かそうとしていない。よもや本当に訓練をサボっていたのかとディオでさえ疑問に思う。


 しかしきっと同様の事を思ったのだろうラウドが、それでも何か別の事を思ったようでそのまま手を挙げる。


「始め!」


 そして躊躇わずにラウドは手を降ろした。


 眠た気だったアルトの目が鋭く変わる。それに黒髪の生徒は目を見開く。


 そして次の瞬間風の様な速さでアルトが距離を縮めていた。


 呆気を取るようなその速度に黒髪の生徒の反応は遅れる。次の瞬間高い金属音と共に黒髪の生徒の剣が宙を舞っていた。


 下段から振られたアルトの剣が、下から生徒の剣を弾き飛ばしたのだ。


 そしてそこからアルトは残った左手の拳を黒髪の生徒の腹部に打ち込む。


 パンッと破裂音がする程の鋭い一撃に、黒髪の生徒は崩れ落ちようとする。だがそこに、アルトは更に追撃を加えようと拳を固めていた。


「馬鹿止めろ!!」


 だがそれをラウドが取り押さえてアルトは止まる。その鋭い目をアルトはラウドへと向ける。


「組手は寸止めしろって教えただろ! 相手を叩きのめせなんて誰が教えた!」


 だがラウドの気迫もそんなアルトに迫るものがあった。それでも気が収まらない様子のアルトは拳を納めない。


「おい大丈夫か!?」


 当然これはただの訓練なのだから、相手に怪我などさせる訳に行かない。それをより理解していたディオの行動は誰より早く、腹部を抱えて倒れる生徒へと駆け寄った。


 それを見て漸く状況を理解したのか、アルトは拳を解く。それを確認してラウドは拘束を解いてアルトに告げた。


「今後お前は組手禁止だ。当然それによる単位は取れなくなる。在学したければ今後他の科目で埋め合わせするんだな。お前はずっと体力錬成していろ!!」


 最後にそう怒鳴り付けられたアルトはいつもの表情に戻る。そして他の生徒達から離れて体力錬成へと向かうのだった。


 そんなアルトを見送っていると、黒髪の生徒が呻き声と共に声を上げた。


「あいつ……不意打ちしやがった……!」


 悔しそうに告げる生徒。


「肋骨が折れてるかもしれん。お前ら、悪いが今日の教務はここまでだ。以後別科として自主トレに当ててくれ。ディオ、お前ももう良いぞ」


 そう告げてラウドはディオと代わって生徒の容態を見る。


 ディオは素直にラウドの言葉を受けて黒髪の生徒から離れた。


「何なんだよアイツ……!」


 そう他の生徒が口々に漏らし、アルトへの憤りを顕にしていた。


「汚い野郎だよな?」


 生徒の一人にそう持ちかけられるディオ。


「……お前もあれが不意打ちに見えたか?」


 と思わずディオは返してしまう。


 黒髪の生徒も、他の生徒も、あれが油断を誘ったアルトの不意打ちだと思っていたがディオは違った。


 油断、と言ってしまえばそれまでだが、いくら初回の組手だったにせよ黒髪の生徒は覚悟が足りていないようにディオには見えていた。まして面と向かって開始の合図まであるのだからそれが実戦だと認識出来ていたのなら、そもそも不意など突かれない。


 そして何よりアルトの踏み込みは目を見張るものがあった。あの黒髪の生徒は決して弱くなどない。それどころかディオの見立てでもその剣腕はクラスでも上位だと認識していた。だがそもそもここまでの訓練を乗り越えて来た生徒なら、例え末席であろうとも決して弱くなどないのだ。そんな相手に反応仕切れないアルトの速度は純粋に頭一つ抜けていたという話だ。


 だが……


「お前あいつの味方すんのか?」


「いいや。俺もあいつが気に入らない。不意を突かれたのはあいつの認識不足だったとしても、何でたかが組手にあんな必死になるんだ?」


 そう、その実力をある程度認めているディオでもそれが看過出来なかった。


 評価されるといってもたかが組手に必死過ぎる。全力でやる事は決して悪い事ではないが、アルトのそれは全力を越えていた。相手に怪我をさせ、更に追撃を加えようとしていたのだ。全く加減する様子がなかった。


 そのたかが組手に、絶対に負けたくないという必死さを感じたディオはそんなアルトが醜く見えて仕方がない。


 今回の一件でディオはアルトへの嫌悪を更に募らせた。





 そしてまた一月の時が経つ。その頃になると、魔術を扱う訓練が新たに追加されるようになった。魔術の精度向上と、再使用の間隔を短縮及び使用可能数を向上させる為の訓練だ。


 体力錬成や組手と違いこちらは男女混合で行われる教務で、今までは剣術や体力錬成こそしてきたが、初めて体験するこの訓練はディオでもキツさを感じていた。それこそ再び最初の一ヶ月に戻されたような感覚である。


 しかし最初と全く違う点一つあった。


 アルトが居ないのだ。


 アルトはあの組手以降、皆と同じ訓練が出来なくなった為にクラスメイトとの距離を更に広げる事になった。それはこの訓練も同じであり、一度たりとも訓練で皆と顔を合わせる事がなくなった。


 よもや本当に訓練をサボるようになるとは、とディオも他のクラスメイト達同様、苦しみを共有しようとしないアルトの協調性の無さに嫌気が差すのを実感する。


 そしてそんなクラス全体の苛立ちがこの過酷な訓練によって最高潮に達した頃、ある事件が起きるのだった。







「何なんだよお前!!」


 夜の森の中でこだます生徒の怒号。


 ここは学園から外に出る事の出来る山中。山に添うように建てられたこの学園は、裏はそのまま山の森林に繋がっており男子寮の奥から出る事が出来た。


 そこは湖へと繋がる道以外は本当にただの森林であり、整備など当然されていない。だからそこに立ち入った場合、野犬何かに出会っても学園は関与しない事になっていた。何より仮にも寮生活の学生が許可もなく学園から抜け出すことになるため、そこに立ち入るのはそれ自体が減点行為で、特別用がなければ誰も立ち入る事の無い場所だ。


 だからこそ、ディオ達はこの場所を選んだ。ここなら先程の生徒の怒号が他の生徒達や教官に届くこともなく、また何が起ころうと誰も止められない。


 それを理解してアルトは呼び出しには応じないと思っていたディオだったが、八人ばかりの生徒を連れて行った事でアルトも怖じ気付いたのか断らなかった。最も、断ったとて強引に連れていくつもりではいたのだが、怖じ気付いている割にいつもの表情を崩さないものだとディオはそれを気掛かりに感じていた。


「…………………………」


 そしてアルトはいつも通りの無言を通す。


「何とか言えよ! てめえみたいな根暗がこんな所に来てんじゃねえ!」


「…………………………」


 相も変わらず口を開こうとしないアルト。すると先に耐えきれなくなったのは怒号を上げていた生徒で、固く握った拳を振り被る。


 だが次の瞬間その顔面が跳ね上がったのは拳を握った生徒の方だ。後から動いたにも関わらず、アルトの拳の方が速かった。剣術よりも、そういうやり方の方が遥かに得意なのだという慣れを感じさせた。


 だがそんな事に感心する者は誰一人そこにはいなかった。


「この野郎!」


 残った七人の生徒達が一斉に剣を抜く。


 この学園では試験や外征でもない限り真剣を帯びる事は禁止されていた。当然といえば当然の処置だが、代わりに皆が手にしているのは刃引きの施された訓練用の剣だ。しかし訓練用と言えど鉄製のそれは、当たれば痛いだけで済まない。まして訓練を積んだ人間が持つのだから、殺傷能力を極限していようとそれは人を殺すには充分な威力を持っている。


 だがディオ達はそんな事はお構い無しに皆剣を構える。それほどにまで皆のアルトに対する憎悪というものは大きかった。


 そして最初に動き出したのは、アルトと組手をした黒髪の生徒だった。あの時のお返しと言わんばかりに、その背後から剣を構える。誰よりもアルトを恨む彼は、それまでずっとアルトの背後に潜んでいるのにディオは気が付いていた。


 だが次の瞬間、アルトは徐に後ろへ左肘を放つ。その肘鉄は後ろで剣を構えていた生徒の顔面に命中し、黒髪の生徒は鮮血を撒き散らしながら後ろへ吹き飛ぶ。


 背を見る事なく、最初から分かってましたと言わんばかりの芸当にディオは思わず冷静さを取り戻した。


「よせお前ら!」


 ディオの発言に皆が剣を構えたままそちらを見る。


 アルトもまた、鋭い視線をディオに向けたまま動かなかった。


「何だよ! ここまでやられて今更止めんのかよ!」


 生徒の一人が言う。頭に登った血が治まることなく興奮した様子の生徒を横目にディオは前に出た。


「お前らじゃ束になったってこいつには勝てない」


 それが冷静になったディオの判断だった。そこに集まった生徒達は日々の訓練を乗り越えて鍛えられている。当然弱いなんて事はなく、それがアルトに負けるはずないという自信になっていた。だが実際はアルトの方が何枚も上手だ。重ねるがそれは他の生徒達が弱い訳ではない、アルトが異常なのだ。


「俺がやる」


 そんな中ディオは剣を構えて告げた。


 その瞬間、他の生徒達は一人として文句を言うことなく剣を引く。これ程にまで募らせた憎悪を治めたそれが、ディオの実力を物語っていた。


「剣を抜け」


 ディオがそう告げると、アルトはゆっくりと腰にした剣を抜く。それまで無視を通していたアルトが素直にその言葉に従った。


 そしてやはりアルトは体を低く保ち、剣をだらりと下げて構える。


「来い!」


 気迫を込めて告げるディオ。するとアルトはすぐさまディオへと飛び込んだ。


 速い。相対して改めて実感するアルトの踏み込みに、一瞬下がりそうになるディオ。だがそれはいつか見た時程のキレが無い。


 それもそのはず。ディオは何も無人だからというだけでこの場所を選んだ訳ではない。ここは山の斜面で、腐葉土の地面は訓練で使う闘技場のようなしっかりした地面ではなかった。流石のアルトも、柔らかい地面に踏み込みが鈍る。それに気が付いたのか、アルトは若干唖然とした表情を覗かせるのをディオは見逃さなかった。しかし構う事かと言わんばかりにアルトは突進して来る。


 ディオの懐まで潜り込んだアルトが下から剣を振り上げる。ディオもそれに合わせて剣を交える……かと思えた。


 ディオはアルトの剣が当たる寸前で剣を振り上げてアルトの剣を空振りさせた。


 剣を振り抜いた形になるアルトに対し、ディオは上へと引いた剣を上段の構えへと派生させる。


 そのまま剃刀のように鋭い一撃をディオは振り下ろした。


 次の瞬間、高い金属音が森に響く。振り抜いた剣を強引に引き戻してアルトはディオの一撃を凌いでいた。


(反応が速い……。だがな!)


 そんな物は最初から想定していた。ディオはがら空きになったアルトの腹部に垂直蹴りを浴びせる。


 堪らずアルトは後ろへと吹き飛び、腹部を抑えて片膝をついた。


 ディオは今の一合でアルトはやはり剣術の腕自体は大したものでないのを確信する。


 そもそも最初の一撃が相手ではなく武器を狙ったものである時点で踏み込みが浅くなるのをディオは事前に予測していたのだ。そうであればわざわざ相手に合わせて防御に回る必要などない。空振りさせれば簡単に攻勢に転ずる事が出来る。それを理解出来ていないのがアルトの剣術に対する練度の浅さを物語っていた。


「ほらどうした。もう終わりかよ?」


 ディオはそうアルトを煽る。決してディオから攻勢に転ずる事はない。


 攻めとは必ず隙を生む。攻防一体などという都合のいいものなど剣術において存在しないのも、またディオは知っていた。


 剣術において、いやあらゆる戦闘に関して、相手を圧倒するのに速さや威力を追及するのは三流以下のする事だ。相手の動きを読めて初めて三流、相手の行動を御せて二流、そして後の先を取れて初めて一流になる。つまり相手と威力と速度、そして技量で拮抗、もしくは劣った時に、勝敗を決するのは一流の技術に加えた、それぞれの持つ得意分野だ。


 それすら持たない、ましてや三流の域にも満たないアルトの剣術がディオに通用などする筈がなかった。更には唯一驚異的な踏み込みも封じてしまえば尚の事。


 それに気が付けないアルトは、再び剣を構えて飛び込む。


 先程と違い今度は剣を横に構えて突っ込んで来るが、モロに受けた垂直蹴りが効いたかあの鋭い踏み込みが見る影もない。


 アルトの動きに合わせてディオも剣を横に構える。


 アルトは先程よりも更に踏み込んで来る。今度こそ相手を狙った攻撃だ。だが


「遅い!」


 深く踏み込んだ為にアルトの剣はワンテンポ遅れ、その隙を突いたディオの剣がアルトの横っ腹に食い込んだ。立て続けに呻く暇すら与えずにディオは剣を上段に構えてアルトの首筋に一撃を見舞う。


 ドッと鈍い音がした後、アルトは遂に剣を落として踞るように崩れ落ちた。


「流石だぜディオ!」


 そう嬉々として声を上げ、他の生徒がディオの脇を通り過ぎる。


 すると皆が罵声を上げながら身動きの取れなくなったアルトを囲み、蹴飛ばし始める。


「てめえなんて不意打ち出来なきゃこんなもんなんだよ!」


「俺らより上の気でいたか、あ!? 根暗が調子に乗るからこうなんだよ!!」


「ここはお前みたいな雑魚の居ていい場所じゃねぇんだよ!!」


 囲み込まれ、四方八方から蹴られるアルトはなす術なく暴力に晒されていた。顔だろうとお構い無しに蹴られるアルトは、青アザだらけになり、口や鼻から血を流していた。


(こんなもんだろ……)


 一足先に鬱憤を晴らし、皆より冷静だったディオは、いい加減自分の立場をアルトが理解したであろうと思い声を上げた。


「おいレン……」


 これに懲りたらもう舐めた態度取るなよ。そう続けようとしたディオの言葉は突如として遮られる。


 アルトの本当の名を告げた瞬間、その場に居た全員が戦慄した。


 血とアザにまみれた目が、先程よりもずっと鋭くディオを睨み付けていた。


 その気迫たるや、到底人間のそれではなかった。歪められて皺の寄った眉間、射殺す程に鋭く尖った目、ギチギチと音が聞こえて来そうな程に噛みしめ剥き出しになった歯。


「あ"ァァァァァァァァ!!!」


 そして初めて耳にする彼の唸り声は獣を連想させた。


 血塗れになりながらアルトは落とした剣を拾い上げて立ち上がる。


 そしてディオとアルトを隔てて立っていた生徒を裏拳で吹き飛ばした。


 文字通り軽く吹き飛んだ生徒は、ぼろ雑巾のように宙を舞って木に激突して意識を手放す。


 そんな事は一切気にも止めず、次の瞬間にはアルトはディオの目の前に迫っていた。満身創痍な筈の彼だったが、その踏み込みはいつぞや見たそれよりも速かった。


(しまーー)


 そこから一瞬で剣を降ろすアルトの一撃は、油断した後悔の念を抱くよりも速い。だがそれまで積み重ねた剣術の賜物か、ディオは無意識下でも咄嗟に剣を構えて防御の姿勢を取る。


 次の瞬間、離れた寮まで届くのではないかという落雷のような轟音が森中に広がった。


「ぐっ!」


 思わず苦痛の声を漏らしてしまう。受けた両手が痺れ、両腕の感覚を一瞬で持ってかれた。


 だがアルトの豪腕はそこまでには留まらず、自身よりも身長の高いディオを剣ごと地面へと押し付け、一切の抵抗を許さずその膝を地に伏す。


「その名を呼ぶなぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 ディオの眼前で叫び声を上げるアルト。しかし次の瞬間ディオの頬に鮮血が散る。


 駆け付けた生徒が無防備なアルトの横っ面に剣を放った。


 その衝撃にアルトは地面に投げ出される。


 満身創痍な上に無防備な顔面への金属による殴打。それでもアルトはすぐに立ち上がってディオへと向かおうとする。


「いい加減にしろ!」


 だがそう声を上げて他の生徒がアルトの背中に剣による一撃を見舞う。再び地に伏せたアルトは再び生徒達に囲まれ、今度は剣による応酬を受けた。


 しかしそれでもアルトは事ある毎に立ち上がってディオへと向かおうとする。


(何なんだ……こいつは)


 ディオの心は恐怖に支配された。これだけ痛めつけられたら、もはや死んでもおかしくない。あまりに自分の命を軽く扱うアルトに、ディオは恐怖するしかなかった。


「我命ずる……」


 いつの間にかディオは口にしていた。


 それは禁忌。一線を越える行為だったが、ディオの心は恐怖に麻痺していた。


「紫電よ……来たれ!」


 ディオは駆け出す。その行為に生徒達は顔を青く染めた。


 無抵抗なアルトにディオの剣が命中した瞬間、森が青く染まる。本当に一瞬だったそれはその場の全員の視界を奪う。そして色が戻ったその先には、痙攣して倒れ伏すアルトの姿があった。


「おい!」


 生徒の一人に肩を叩かれ、ようやくディオは正気を取り戻す。そして遅れてやって来る後悔がディオを支配した。


「流石にそれはやりすぎだろ!」


「これ……不味くないか?」


 生徒達も不安を口々にしていた。だが……


「くっ……!」


 アルトが意識を取り戻す。再び動き出したアルトに安心し、我ながら勝手だと感じてしまうディオ。だが、そこから再び覗くアルトの鋭い視線が平静に戻るのを許そうとはしない。


 アルトは痺れて麻痺する体を無理やり起こそうと手をついて起き上がろうとする。しかしどんなに意識があろうと、痙攣した体は言うことを聞かず、アルトは突いた手を斜面に滑らせて仰向けになる。それでも体を大きく揺すっては強引にうつ伏せに戻って立ち上がろうとするを繰り返していた。


 魔術をモロに受けて尚、ここまで痛めつけられてまだ、アルトは戦う事を諦めていなかった。


「お、おいもう良いだろ?」


 震える口調で生徒はディオに訊く。


「こいつおかしいぜ……。もう帰らないか?」


 他の生徒もまた、怯えたようにそう告げた。


 そしてディオ自身も震えを禁じ得ず「あ、ああ」と返す。


 そしてディオ達はアルトにやられてしまった他の生徒を連れて、まともに動けないアルトを他所にその場を後にするのだった。


 そして向かえた次の日の朝が、後悔と恐怖に支配されるディオ達に昨晩よりも強烈な印象を与えた。


 あれだけ痛め付けたアルトが、次の日には無傷に戻っていた。しかも泥だらけで駄目になった制服を新しいものに一新したアルトは、それこそ新品になって戻って来たようだった。


 昨晩のあれは夢だったのか? と錯覚しそうになるが、こちら側の怪我は当然残ったままでそれが現実であることを物語る。


「お前ら、その怪我どうした?」


 ふとアルトに怪我を負わされた生徒達がラウドに問われる。


 昨日集まった八人の目がアルトへと向けられる。だがアルトは我関せずといったいつもの様子を崩さなかった。


「ちょっとみんなで口論して喧嘩に発展しまして……」


 怪我をした内の一人がそんな事を告げる。嘘は言っていないが、ディオを含めた八人全員がその言葉に後ろめたさを感じていた。


「それでそんな怪我を? 偉く派手に喧嘩したんだな」


 それを感じ取ったのかラウドは怪訝を隠す事なく生徒達に尋ねる。だが、また何か別の物を感じ取ったらしいラウドは改めて告げた。


「まあいいか。仲が良いのは結構だが、怪我するような真似するな。今回は見逃すが次からは減点する。他の奴らもよく覚えておけ?」


 そう告げるラウドは生徒全体にそう告げるが、最後にアルトを真っ直ぐ見つめる。


 そんな視線に気が付き、一瞬目を合わせたアルトだったが、すぐにその視線を外した。


 それに対してため息をつくラウドだったが、じゃあ座学始めるぞー、と気を取り戻しす。


(何で言わなかった……?)


 ディオには疑問で仕方なかった。アルトは昨日起きた事をありのまま打ち明ければ良かったのだ。それこそ言い逃れなど出来る状況ではない。自分たちを陥れるならまたとない好機だというのに。


 理解出来ない、と同時にディオはアルトへ興味を持ち始めた。解き明かさなければ気分が悪い、というものではなくそれは単純な好奇心であり、知らずの間にディオはアルトに対する考えを改めていた。


 だが対称的に他の生徒達は常軌を逸したアルトの体や行動により距離を置く。それはディオの興味が関心に変わったように、皆の気持ちは嫌悪から恐怖へと変わり、だからこそ他の生徒から避けられるようになったアルトとクラスメイト達との溝は二度と埋まる事はなかった。


 そして衝撃が連続的に起こるように、その日の内に再びディオは驚かされる事になる。








「おい」


 魔術訓練の中、ふと声を掛けられ何かと振り向く。


 するとそこに居たのはまさかのアルトだった。


 こいつはいつも人の不意を突くなと思いながら「何だ?」とディオは返す。


「組手の相手を頼みたい」


 そう告げるアルトの脇にはラウドが控えていた。その顔には複雑そうな笑みを浮かべていて、含みがあるのは隠しようがないといった様子である。


「いやな、こいつが珍しく頼みごとをするもんだから断るのも申し訳なくてな? とはいえ、こいつがやりすぎて組手を禁止した手前、普通の生徒には頼めなくてな。相手に出来るのはクラスで一番強いお前さんしか居ないと思ったわけだ」


 成る程とディオはラウドの心境を察する。恐らくは駄目でもともとといった感じで来たのだろう。本当は断って欲しいが、アルトの頼みも断れないといった所か。


「いいぜ」


 そう応えてディオはアルトへと向き直る。アルトもディオから距離を置いて腰にした剣を抜いた。


 そんな二人の様子を見て「やっぱりそうなるよな……」と漏らすラウド。


「いいか二人とも。絶対怪我をさせず、怪我をするな。誓えるな?」


 ディオは無言で頷いて返す。対するアルトは微動だにせず無反応だった。


「良いな?」


 語気を強くして再度アルトに尋ねるラウド。一瞬目だけをラウドに向けてから、アルトは僅かに頷いて返した。


 早く始めたくて仕方ない。アルトはそんな様相を露にしていた。だからこそディオもまたアルトへと集中し、意識を一瞬たりとも他へと向けようとしない。


「じゃあ行くぞ。両者構え!」


 ラウドが手を上げる。アルトは体制を低く、そしてディオは腰の高さ程で剣を構えた。


「始め!!」


 溜める事なくラウドの手は降ろされる。


 次の瞬間、十歩程開いた両者の距離が一瞬で埋まる。瞬間移動したのかと思わせる踏み込み。


 アルトの持つ本来の踏み込みの速度に些か驚くディオだが、それは通用しなかった手だ。何度も懲りずに、と思わず胸の内で呟くディオだが馬鹿にはしない。


 馬鹿の一つ覚えのようだが、これだけ速い踏み込みは確かに相手に取れる手段を限定出来る程の脅威だ。だがだとしてもだ


(それだけじゃ俺には勝てないぜ?)


 胸の内でアルトに語り掛けるディオ。


 アルトは一番最初と同じように、下に構えた剣を振り上げてディオの剣を弾き飛ばそうとする。


 その一撃も昨日よりずっと鋭い。足場だけでこうも変わるかと再び驚かされるディオだが、それが動揺を誘う事はなかった。


 それは昨晩と全く同じ道を辿る。ディオが剣を上へと反らしてアルトを空振りさせる。そして上段に構えたディオがアルトに一撃を加える。かに思えた


(なに!?)


 アルトは空振りした剣を強引に引き戻して返す刀にし、上段から続けざまに一撃を繰り出す。


 思わずそれを受けそうになるディオ。だが脳裏に昨晩受けたアルトの一撃を思い出す。まともに受けてはダメだ。


 ディオは上段に構えていた剣を正面に戻しつつ、振り下ろされるアルトの打ち込みに対して側面から剣の腹をぶつける。


 軌道を反らされたアルトの剣は地面へ真っ直ぐ向かう。だがアルトの剣は地に着く事なく再び横に振り抜かれる。


 しかしアルトが剣を振り抜いた先にはディオの姿はもうなかった。


 ディオはアルトの剣を弾くと同時に後ろに下がり、間合いの外へと逃げていた。


(無茶苦茶しやがる。形も何もあったもんじゃないな)


 片手で振られるアルトの剣は到底剣術と呼べる代物ではなかった。ただ強引に、そのフィジカルに任せて刃引きされた棒を振り回しているだけだ。だが常識から外れたそれは同時に、まともに相対する事など出来ない事を意味した。


 三流にも届かないその素人剣技を埋め合わせているのは、一流の更に先の技術だとディオは察する。


 アルトのそれが何なのかまだディオには見抜けないが、ディオにとってのそれは相手との間合いだった。


 ディオは一流の剣を持ちながら、更に間合いを見切る事において誰よりも優れている事を自信としていた。アルトの一撃を凌いだのも、先程の不意に放たれた攻撃をいなしたのも、間合いを完璧に把握出来るディオだから出来る芸当だ。だからこそディオは攻めずに相手が一番戦い辛く、そして自分が一番戦い易く有利な場所で剣を振るうのだった。


 しかしアルトの攻撃はそんなディオの間合いのアドバンテージを帳消しにして来る。攻撃とは隙を生じるもの。だが同時に、攻撃とは相手に隙を生じさせる為にするもの。その隙をいかに隠すのかが、そして霞のようなそれを鋭く捉えるのが達人と呼ばれる領域なのだ。つまり勝敗を分けるのが一流を越えた技術だとしたら、勝負を決するのはそこになる。


 再びアルトがディオへ踏み込む。今度は横に構えられた剣が、ディオの構えた剣目掛けて振られる。縦で駄目なら横、とアルトが出した答えは酷く単純だったがそれ故合理的な回答だ。


 ディオは剣を下げてアルトの一撃を空振りさせるが、先程と同じく返す刀が直ぐ様振られる。


 だがもともと剣を狙った浅い踏み込みでは、その返す刀はディオへと届かない。僅かに後ろに下がる事で、ディオは鼻先でその一撃を見切る。


 再び攻撃をいなされるアルト。しかし立て続けにまた一撃を放たんとする。


 本当にこいつには底が無いとディオは思い知らされる。駄目ならその場で直ぐ様修正してくる。一合毎にアルトが進化していくのをディオは感じ取っていた。


 再び隙を探るべく後ろに飛んで仕切り直そうとする。アルトがそうであるように、ディオもまたアルトの攻撃に対する回答を得ていた。


 次で決める。そう自分に強く言い聞かせるディオ。だが次の瞬間だった。


「!?」


 後ろに飛ぶディオに対してアルトも前進する。二人の距離は離れない。いや、むしろずっと近くなった。


 縮まない距離をアルトは無理やりに埋めて来た。それもこんな力業の強引な手段で。


 だが間合いの把握に強いディオは、目と鼻の先程のこの距離では剣など振れない事を本能的に理解する。そこに僅かながら安心を見いだして冷静に状況把握に専念する。


 この距離で剣を振るなど不可能だ、いや仮に出来たとして振り回しの効かないこんな間合いでの一合などただ相手に隙を与えるだけ。そしてそれはアルトも同じ。つまりここから先に自分の距離で攻撃した方の勝利となる。


(いや……待て!)


 だがそこに何か引っ掛かりを感じたディオ。何かおかしい。そう、この距離でアルトは体制を低くして構えていた。この距離で剣を振るなど愚の骨頂、次の瞬間に勝負が決する。これだけの勝負勘を持つアルトがそれを察せない訳がない。だが一瞬ディオはそれを視界に入れて確信する。


(そういう事かよ!)


 胸の内で叫びながらディオは剣を体の前に戻してアルトに押し付ける。そして剣擊ではない体当たりでアルトの体を強引に後ろへと追いやった。


 何とか危機を脱するディオ。しかし下げられて尚、アルトは直ぐ様踏み込んだ。


 上段に構えた剣をディオは放つ。対してアルトも下から剣を振り上げた。


 攻守が先程と一転する。しかしディオはアルトとまともに打ち合おうとはしなかった。先に手を出したにも関わらず、ディオの振り下ろした一撃は上空に打ち上げられるアルトの剣の側面を添うように落下し、二人の剣は空を斬る。


 再び返す刀を放とうとする二人。しかし剣術においてはディオの方が何枚も上手だ。踏み込みながら振られるディオの一撃はアルトに返す刀を許さない。剣を戻して防御の姿勢を取るアルト。


 甲高い金属音と共に、二人は鍔迫り合いへと縺れ込む。


 ディオは今までと打って代わり、アルトに一切の反撃を許さない。


 それはアルトの強さの正体に気付いたからだ。


 アルトは最初から剣の腕など競ってはいなかった。思い返して見ればアルトは一度たりとも相手を狙って剣を振っていないのだから当然だ。


 ならアルトの狙いは何なのか。それは相手に拳を放つ事だ。過去見てきた全員が、アルトの豪腕から来る一撃で倒されて来ていた。


 それが彼の一番利に叶った攻撃なのだろう。そしてそれは剣術などという上品な競技ではない。喧嘩という暴力そのものでアルトは相対していたのだ。


 先程零距離でディオが見たのは固められたアルトの拳だった。殺気にも似たそれを感じ取る事で気が付く事が出来たディオだったが、先程のは本当に危なかったと冷や汗を流す。遅れて気付いた事で偶然反撃が不意打ちとなったのが幸運だったと自ら思う。


 だが次はない。一度懐に入られたらもう二度とあの踏み込みからは逃れられない。だからこそディオは攻めてアルトに攻撃させない他に選択肢はなかった。


 いいや……あるいはあともう一つだけ手段はある。


 鍔迫り合いの均衡が、アルトの豪腕によって一瞬で崩される。


 だがディオは押される寸前で剣を引いた。アルトの体が前に押し出され、ディオも体を引くと同時に側面へと移動した。


 無防備に体制を崩したアルトにディオは上段に構えた剣を振り下ろす。だが崩れる体制のままアルトは強引に体を捻って剣を構える。


 アルトはそのままディオの剣をまともに受けて背中から地面に転げ落ちる。


 だがすぐ立ち上がって再び体を低く保った。


 やはり仕留めきれない。ディオはそれを察していた。今の自分の剣術を総合しても、アルトの喧嘩を仕留めきれるモノは出てこないということを。


 だからといって勝負は捨てない、むしろこの仕切り直しこそが最後のチャンスであり、アルトを仕留めるタイミングだとディオは直感した。


「我命ずる……」


 詠唱。それを耳にしてアルトが表情を僅かに変えて突っ込んで来た。それが焦りと直感出来たディオは、やはり決め手はこれしかないのだと確信する。


 そう。剣術に決め手が無いなら他から求めればいい。


 それは剣術の他に唯一ディオが持つものであり、それ故にディオの持つどれよりも強力だった。


 だがアルトもそれを容易に許す程甘くない。激昂した時のような、目にも映らぬ速度の踏み込みでアルトは飛び込む。そのまま詠唱を阻止せんとアルトはディオの構えた剣を横に払った。今度は利き腕と逆の左腕に剣を持って外に振られた勢いをそのままに、残った利き腕の右を叩き込まんと構える。向こうも仕留めに来ていた。だが


(掛かったな!)


 ディオはそれすら予期していた。隙を生まず、見えないならば誘い出せばいい。


 魔術の詠唱すらも餌に、ディオはアルトが決めに来るのを待っていた。そして……


「紫電よ来たれ!」


 弾かれた剣を両手に持ち替え、そのまま青白い火花が散る剣を振り抜きにかかる。


 攻撃が先に当たった方の勝ち。だが魔術が発動した時点でディオは勝利を確信していた。


(貰った!)


 とディオが思った直後だった。


 突然目の前に黒いモノが飛び込んでくる。


「ストオォォォォォォォップ!!」


 声を上げてラウドが両者の間に入り、二人を手の平で突き飛ばす。


 不意を突かれた二人だが、アルトは後退り、ディオはその場に尻餅をついた。


「怪我させるなって言っただろ! 何マジになってんだ!」


 唖然としていた二人だがラウドの言葉で正気に戻る。


 しかしアルトは不満そうな顔のまま、剣を納めて何も言わず立ち去って行った。


「たく、手合わせしたいって言ったのはあいつの方なのに、礼も無しか」


 そう悪態をつくラウドを見ながらにディオも剣を鞘に納めた。


「どうだ、強かっただろ?」


 突然打って代わってラウドが尋ねて来る。その顔たるや、先程の剣幕が別人だったのではと思わせる程の笑顔で思わず驚きながらディオは答える。


「え、ええ。魔術まで使わされるとは……つい本気になってすみませんでした」


「いいや、いいさ。そうなるの分かってたからお前と戦わせたんだしな」


「え?」


「最初にディオとやりたいとあいつに言われた時、俺は駄目だと断ったんだ。そしたら代わりに俺とやりたいとか言い出してな……。俺も魔術がなかったら危なかった。これ以上やられたら俺も本気になると思ったし、何よりこの先また試験で戦うのに変に対策される訳にも行かないからな、悪いと思ったがお前さんに代わって貰った」


 成る程とディオは思った。つまり最初の表情の正体はそれだった訳だ。


「あれで魔術がありゃホントに最強なんだが……」


 その言葉をディオは聞き逃さなかった。


「あいつ魔術が使えないんですか!?」


 あ、しまったとラウドは横目で視線を反らす。


「ほら、組手が済んだんだからお前はさっさと訓練に戻れ。減点するぞ」


 と強引にラウドは切り返し、ディオは従うしかなかった。だがその一言でディオの感じていた違和感の全ての答えが埋まり、その考えが本物であることを確信する。


 アルトが魔術の教務に出ないのはそもそも魔術が使えないからであり、それがラウドの漏らした言葉の真実を裏付けていた。その上で、組手が禁止されてしまったアルトは二つの科目で単位が取れない事になってしまう。


 組手はともかくとして、魔術が使えないのが最初から分かっていたアルトは体力錬成で他と差を着ける以外に皆に追い付く手段を見出だせなかったのだろう。体力錬成で余裕だったのは裏で自身でのトレーニングを行っていたからという予想も出来た。それも、相当な努力に違いない。


 そう思うとディオは今までアルトにしてきた仕打ちに酷い後悔を感じた。だが同時に、何故そこまでして強くなりたいのかを知りたいとディオは思った。


 そんなアルトへの関心を寄せながらも、ディオはしばらくアルトと顔を合わせる事がなかった。理由は単純で、アルトが全く教務に出なくなったからである。


 興味を持ったとたんに会えなくなるのだから、世の中上手く回らないものだと感じながらもディオは他の生徒からあることを聞き出す。


 それは、学園の展望台にアルトの姿を見たという話だった。










 長く、長く階段が続く。


 山に添うように建てられているこの学園は、当然移動の度に登り降りの階段が多くなる。


 学舎としてはあまりに不便に感じるが、そもそもこの不自由さは元々この建物が学園ではなく砦として使われていた事の名残だった。


 そして展望台とは名ばかりのそれは元々は監視の為の見張り台であり、ここが砦だった頃から手が加えられていない場所の一つだ。


 よくもまあこんな場所に通うものだ、とまた別の意味でアルトに感心しながらも、ディオはその頂きに着く。


 薄暗い階段を抜けて辿り着いたそこは二十メートル四方程の空間があり、見張り台と呼ぶには広い気がした。


 そんな空間にポツリと一人、彼は手摺に身を預けながら街と湖を見下ろしていた。


 だが足音に気付いたのだろう。ゆっくりと首だけ振り返り、その目はディオの姿を捉えた。


 最初はまさかディオだとは思わなかったのだろう、その視線は驚きに一瞬見開く。


 だがその目はすぐにいつもの無気力さを表し、そして同時に何をしに来たと告げていた。


「よう、久しぶりだな」


 だがディオも噂の確認程度でまさか本物居るとは思っていなかったので、気の利いた言葉など用意していなかった。


「何しに来た」


 と、言葉を探していたディオに珍しくアルトが口を開く。意外に思いながらも、釣られるようにディオもアルトに続いた。


「ここに居るって聞いてな、本当に居るのか見に来たんだ。ここ、良い眺めだな?」


「…………………………」


 少しは気の利いた言葉を言ったつもりのディオだったが、アルトはいつも通りの無言へと戻ってしまう。


 だが同時に、それはアルトは自分が何をしにここに来たのか察して居るようにも見えた。


 なのでディオは遠回りする事なくアルトに尋ねる。


「この前の組手の決着を着けたくてな。お前も、あんな結果に納得行かないだろ?」


 そう告げると、アルトは手摺に預けた体を持ち上げてディオの方へと向き直す。


「ここなら邪魔も入らない。そろそろ決着着けようぜ」


 ディオは腰から剣を抜く。それに応えるようにアルトも剣を抜いた。


 誰かに見付かり、教官に密告されようものなら退学は免れない状況だ。だがディオもアルトも、最早そんな事は関係なかった。


 それ程にこの勝負は大事なのだと、この先の学園生活と秤に掛けるだけの価値のあるものだとディオは確信していた。


「来いよ!」


 ディオが声を上げる。するとアルトは体を低くし、剣先を下げる。


 そこに一つ、強い風が通り過ぎる。それと同時だった。


 湖から吹く強い風よりもずっと速く、アルトはディオへと踏み込む。


 更に鋭くなった踏み込み。そのあまりの速さに、ディオは直感する。瞬き一つ、タイミングを誤っただけで負ける。最早アルトはその域にまで仕上がっていた。


 だからと言ってディオのこれまで積み上げて来たその技術が通用しない訳ではない。それ程にまで自分も努力してきたのだ。気後れなどしない。


 いつもと同じようにディオはアルトが剣を狙って来るのを待つ。


「!」


 だがアルトの踏み込みは僅かだがディオの想定を越えた。


 アルトはディオの剣を弾かずその懐まで踏み込んでいた。剣を振れば相手に届く間合い。手合わせする度により最適解へと近付くアルトにディオはただ驚く他なかった。が、それは多少の想定外。自分から手を出さないのだから、何度も手合わせする相手ならいつか攻撃の間合いを詰めて来る事などディオは思い付いていた。


 本来なら間合いを詰める分攻撃を溜めなければならない。そうなれば当然間合いを詰める分だけ攻撃出来ないその時間が隙として生じ、そこを突くのがディオのやり方だ。しかしラウドやアルトの様に、その隙を突けない程の格上の相手となるとそれが通用しない場合というのは当然ある。だがだからこそ、技量の上の相手を想定してこそ中段での剣の構えというのは意味があるのだ。


 ディオは構えから僅かに剣を上げてそこからアルトへの一撃を見舞にかかる。その一撃は踏み込んでから構えて攻撃するアルトよりも、最初から構えている分行程の少ないディオの攻撃の方が速くなるのは自明の理だった。


 アルトが相手の意表を突く最適解を求めるのと同様、ディオにも間合いという最適解があり、それは簡単に覆せるものではない。


 しかしそれでも、アルトはギリギリで反応してみせ、攻撃を中断して後ろへと飛び退く。


(あれで間に合うのかよ……)


 ディオは正直決まったと思っていた。悉く人を驚かせて来ると思わず苦笑を浮かべてしまう。


 勘が鋭い、なんて言ってしまえば運が良いだけに感じてしまうが、勘と言うのは本人が自覚していないだけで実際にはそれを裏付ける何かがある。


 ディオはアルトのその正体は驚異的な動体視力と集中力、それに反応してみせる反射神経に身体能力の成せる技だと考えていた。そしてその上で、攻撃が当たろうと相手から目を反らさないその胆力が何よりもアルトの武器になっているのだと分析する。ラウドの言う通り、ここに魔術が加わろうものなら本当に手に負えない。


 しかしこれ程の相手を打倒するのならそこを攻める他なかった。そしてその才能の差を卑怯などという甘さも、余裕も、ディオにはない。


「我命ずる……」


 長期戦になってこれ以上対応されたら本当に手に負えない。ディオは開始早々に勝負を決めに行った。


 だがそれを黙って見送るアルトでは当然ない。再び鋭く踏み込み、ディオの詠唱を阻止せんと動き出す。


「なっ!」


 と思わずディオは詠唱を中断してしまう。踏み込んで間に合わないと読んだアルトはディオへと剣を投げ放った。


 堪らずディオは勢い良く投擲されたそれを払い落とす。


 だが払い落とした剣が地に落ちる事はなく、アルトはその踏み込みで接的しながら弾かれた剣を掴んで上段に構える。


 回避は間に合わない。いなすにも払った体勢からは無理だ。


(くそ!!)


 胸の内で叫びながらディオは防御の姿勢に入る。そしていつか受けた強烈な衝撃に備えて身を固めた。あの時より成長したアルトの一撃など想像もつかない。


 そのままアルトは躊躇う事なく剣を振り下ろす。


 次の瞬間轟音と共に剣諸ともディオは打ち伏せられる……かに見えた。


 か細いような高い金属音。想定していたよりずっと軽い手応えをディオは感じた。そしてそれを瞬時に理解した瞬間ディオは再び口にした。


「我命ずる!」


 アルトを突く穴は、魔術の他にもう一つある事にここになってディオは気付かされた。


 素人剣技はどこまでいっても素人剣技。通常生じる隙を強引にフィジカルで補うそこに無理が生じぬ訳が無い。


 二人の頭上には、刃引きされた剣先が舞っていた。


「くっ!」


 アルトは苦し紛れに折れて柄だけになったそれをディオに投げ付けながら大きく飛び退く。


 それを払いながらディオは集中する。もう詠唱を途絶えさせる事はない。


 そう。アルトの攻撃は一撃こそ重いものの、人間を打ち倒すには余分に力が過ぎる。つまりは彼の豪腕に剣が持たなかったのだ。限界など考えず相手に振るうその力は、余分な分は自分に返ってくるものなのだ。それが強大であればあるほどに。


「紫電よ来たれ!!」


 叫びながら詠唱を完了するディオ。剣には青い光が宿る。


 勝利を確信しながらディオは剣を上段に構えてアルトへと踏み込む。アルト程鋭くはないものの、間合いの把握に長けるディオのその踏み込みは、勝利を確信した時の正しく必殺のものである。


 ディオは自身の心が喜びに満ちるのを感じた。


 今自分の前に居る人物は強い。この上なく、一合毎に進化するそれは畏怖する程に強大であった。だからこそ自分が今まで積み上げて行ったものを実感出来た。対応されようとも、それが通用する事が証明される毎にここまで積み重ねて来た日々が無駄ではなかったのだと。


 そしてそれが今、相手を凌駕する。それを喜ばずして何で喜ぶというのか。


 だがディオの喜びに反して再びアルトは体勢を低くする。勝利を確信し、喜びに満ちていたディオは、その時点で思考が停止していた。だからこそ、ディオは気が付く事が出来なかった。アルトの武器もまだ残っていて、その奥底にまだ必殺の一撃を残している事に。


「アインス」


 その言葉が耳に入った瞬間だった。


 ディオの目の前からアルトが消える。比喩ではなく、本当にその瞬間その姿が視界から消えた。


 詠唱をしたアルトは、刹那の間にディオの腹部へと一撃を放っていた。


 アルトの姿を探すディオ。だがその視線は、何故か青い空を見上げていた。


 遅れて来る腹部への激痛。呼吸すら出来ないその痛みに反射的にディオは腹部を抱え、呻く事も出来ずにのたうち回る。


「くっ……」


 そんな脇で、アルトは魔術の反動から膝から折れて四つん這いになっていた。


 苦痛の中、到底決着の一撃を見舞った側には見えないそんなアルトの姿を捉えて漸くディオは実感した。


(ああ……俺負けたんだな)


 意外にもすんなりと受け入れられたのはアルトの実力を認めているからであり、そして最初から勝てると思ってはいなかった事の裏付けでもあった。


 それでも、あんな奥の手を残しているとは流石にディオも思ってはいなかった。


 旧式強化魔術。それは誰でも魔術が使えるように、なんてものを実現する為に遥か昔に研究されていたものだった。


 だがその魔術は簡易で実用にまで漕ぎ着けたものの、いざ使ってみれば実戦で使うには問題が多すぎた。


 まず同じ詠唱で発動するのだから、その魔術を施した者全員が意図しないタイミングで魔術を発動する事になる。隊列を組んで扱うならこの問題は看過出来ず、また相手側が詠唱しても発動するのだからまるで役に立たない。その上更に、今のアルトのように決して軽いとはいえない反動が発動毎に襲い掛かる。そして何よりも、この魔術が出来る頃には人は争わなくなってしまった。


 そんな理由があって古くから使われなくなった年代物である。ディオ自身偶然で知り得たその情報は、今や殆ど誰も知らない魔術だ。


 だからこそ、よりディオは実感出来た。ここまでして強さを追い求めた彼に、勝てる訳がなかったという事を。


「はぁ……」


 ため息をつきながらディオは大の字になって寝転び空を見上げる。


 対するアルトは這いながらも先程の手摺へと戻り、また街を見下ろすのだった。


「何でそんなに強いんだよ……?」


 ディオの口をふと突いたのはそんな言葉だった。


「………………………………」


 しかし相変わらずアルトは何も答えない。


「何とか言ってくれよ、やりきれねぇだろ? これでも今まで誰にも負けた事なかったんだ。ガキの頃からずっと棒キレ振り回して、必死に努力してきた。それこそクラスじゃ一番強いなんて言われてたのに、何も無い奴に負けましたじゃ納得出来ねぇよ」


「……別にお前が弱い訳じゃないだろ」


 漸く帰って来た応えが意図したものではなく、思わずため息を漏らしてしまうディオ。


「だからって負けちゃ意味ねぇよ」


「俺はお前に二度負けた」


 ふと思いもしないアルトの返答。ハッさせられながらもアルトは更に続けた。


「俺の二回の敗北は無意味なのか?」


 それは、ディオの言葉を否定するのではなく、アルト自身の抱く疑問を訊かれているのだとディオは直感出来た。


「無意味じゃなかったのかもな」


 アルトのその疑問は、何となくディオに彼が強い理由の答えを告げていた。


 あの二回を負けと捉えたなら彼は恐らくは、勝ちたい、と強く願っただけでここまで強くなったのだろう。だとしたら未だ自分の強さを認識出来ていないアルトの底が知れないと同時にディオは思った。


 そして、ここで負けを認識したら、きっと自分は彼のように強くはなれないと思う。それでも敗北して悔しさを感じないのは、途方もなく強さに貪欲な彼にはもう届かないかもしれない事を自分が理解してしまっている事に他ならなかった。


(弱い訳じゃない……か)


 だがそんな彼が認めてくれている自分の実力も、決して捨てたものではない事を改めて知り、そこに不思議な居心地の良さをディオは感じていた。


 そんなディオはふとある事を思い出した。


「そういえばお前、何で俺達がお前をシメた事言わなかったんだ?」


「負けたままで終わりたくなかったからだ」


 即答で答えが帰って来る。その返答から、彼が本当にあれを敗北と捉えている事が伺えた。


「今更だけど悪い事したな。すまんかった」


「……別に謝られるような事じゃない。こっちも手を出したし、今まで態度が良かったと言う気もない」


 人当たりが悪いのを彼が自覚している事を意外に思うディオ。意外といえば、話してみると案外話す奴だなと同時にディオは感じる。


 何にしても本当に人の意表ばかり突いてくる奴だと思いつつ、ディオは半身を起こして彼に尋ねようとした。


「なあレ……」


 たがその名を告げようとした瞬間アルトは再び鋭い目付きでディオを射殺しにかかる。


「その名で二度と呼ぶな」


 今にも食ってかかりそうな勢いで彼は告げる。


「じゃあ何て呼べば良いんだよ」


「呼びたいように呼べ。ただ名前でだけは絶対に呼ぶな」


 はぁ……と再びため息をついてしまうディオ。やはりコミュニケーションを取るには一癖も二癖もある奴だと再認識させられながらも、ディオはちょうど良い呼び名をすぐに思い付いた。


「アルト……」


「?」


 アルトの目が鋭いものからいつもの様相に変わって行く。その顔はその単語の意味を求めていた。


「エルフ語で古いって意味だよ。お前の使ってたあの魔術、大昔に廃れたもんだろ?」


「……まあ何とでも好きに呼んでくれ」


 そう告げて再びアルトは街を見下ろすのだった。


「これからよろしくなアルト。俺ディオって言うんだ」


「……知ってる」とぶっきらぼうに返すアルト。


 そしてそこから彼はアルトと呼ばれるようになったのだった。何となくだが、そこから彼が変わって行ったようにディオは感じていた。


「早速なんだが、お前今よりもっと強くなりたいんじゃないか?」


 ディオのそんな言葉にアルトは興味を示した。そうして人を避けるようにしていたアルトが、初めて他人に関わろうとしていた。


 ディオはアルトの戦闘スタイルを提案した。そして中距離の牽制にも、またアルトの間合いで闘い安いよう武器にナイフを勧めた。ついでに、通常の剣では簡単に折ってしまうアルトに肉厚な片刃の剣も推奨した。そうしてナイフはディオが注文したものをアルトが使う運びになった。


 最初は見返りを警戒して素直に受け取らなかったアルトだったが、単位不足の彼に実力試験の事をちらつかせると否応なしにそれを受け取った。もっとも、ディオはもともと見返りなど求める気はなかったのだが。


 ただディオは見たかった。自分を打倒した人間が一体どれ程にまで強いのかを。そしてその強さは、ついには試験でラウドから一本を取る程にまで登り詰めていた。


 そんなアルトの強さにディオは惹かれたのだった。







「へぇー。じゃあ今はディオ君の方が勝ち越してるって事かな?」


「まあ、未だコイツがあれを負けとみなしてるならな」


「……覚えてない」


 そう無表情で応えるアルト。一瞬過去を振り返って何だか腹が立つような事があった気のするアルトだが、本当にその事を忘れてしまっていた。


 だがそれを強がりと取ったディオは僅かに微笑み、そんな傍らで何故か彼女が膨れていた。


「たった一年前の事なのに何ですぐ忘れるかな?」


「印象にないだけだろ。お前はこの一年で何匹の魚を食べたか覚えてるのか?」


「すぐそういう事言う! 君単に記憶力無さすぎるだけなの棚に上げ過ぎじゃないかな?」


 そう指を立てる彼女。「あ?」とアルトも声を上げる。


「あー。じゃあアルト、お前はどうやってこの子と会ったんだ?」


 割って入るディオの言葉にすぐ応える事が出来ないアルト。やはり思い出すには少し時間が必要だった。


 というのも、今のアルトは最近の出来事があまりに印象的過ぎてそれより過去に遡れずにいた。未だに振り返ろうとすれば、目の前に突き付けられたヴァルバロイの牙の前に何度となく立たされる。それほど強い記憶だったにも関わらず、事情聴取だと何度も思い出させればアルトがそうなってしまうのも無理はなかった。


「やっぱり思い出せないんだ」


 と、挑発してくる彼女。こうなれば黙っているアルトではない。怒りに任せて無理にでも過去を辿った。







 そう、その時は確か今と同じように怒りを胸に抱いていた。そんな怒りを抱いたまま、今と同じく湖に居たのだ。


 今と違うのはその時は一人だった。一体何に怒っていたのか。段々とディオの記憶と照らし合わせてアルトも昔の記憶を思い出す。


 そしてそういえばあの時やはり自分はディオに負けたという事実を再認識させられる。


 だがアルトの怒りは決してディオに向けたものでも、束になって暴行を加えて来たクラスメイトへのものでもない。


 その怒りは自分へ向けたものだった。どんな状況、どんな理由があろうと勝たなくてはならないのだ。そうでなければ自分という存在を証明出来ない。今もこうして、世界から片隅で小石の如く湖の縁にいる。それでは意味が無いのだ、もっともっと今の自分を証明出来るように強くならなければならない。


 しかし弱くて仕方ない、何も出来なかった自分に怒りが沸いて仕方がなかった。


「クソ!!」


 怒りに任せてアルトは手の平だいの石を掴んで湖に投げた。やり場の無い怒りをただ何処かへと向けたかったのだ。


 だがそんな時だった。一直線に投げたアルトの石の直線上に、突如少女の顔が現われた。


 声を上げる間もないままに、アルトの投げた石が少女の顔に命中する。大岩でもぶつかったかのような乾いた衝撃音を響かせて少女の顔が後ろに弾けとんだ。


 やってしまったとアルトは冷や汗が全身から吹き出すのを感じた。


 アルトの投げたのは握りこぶし大の巨大なもので、しかも一直線の弾道はそれこそ人間の顔面に当たろうものなら即死する勢いで彼女に命中した。確実に人を殺した手応えを嫌が負うにも感じたアルトだったが。


「いったぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 声を上げて少女は仰け反った顔を再びアルトへと向ける。そしてアルトは驚愕した。石が命中した少女の顔は、傷はおろか赤みすら帯びていない。自分は夢でも見てるのかと錯覚するアルトだが……。


「ひじょーしき! ひじょーしき!! 非常識!!!」


 ビシッと指差す彼女が三度叫ぶ。それによってアルトはこれが現実だと認識出来た。


「普通人に石投げるかな!? 私初対面のはずだけど君に何かしたかな!?」


「……湖が面していてもここは学園の敷地内だ。そんな所で泳いでるお前も大概非常識だろ」


「くぅぅぅぅー!!!」


 堪らないといった様子で唸る彼女。顔立ちから推測出来る年齢は自分と差程変わらないが、内面は子供とさして変わらないと感じたアルト。そしてアルトは子供が嫌いだった。


 すると少女は泳いでアルトに近付いて行く。そしてその時初めて、アルトは彼女の正体に気が付いた。


 彼女の下半身は人のそれではなかった。緑色の鱗に覆われたそれは魚の尾ひれであり、それは彼女が世にも珍しいマーメイドだという事を示している。それは俗に魔族と呼ばれる種であり、戦うために産み出された強靭な生物だと世に知られていた。


「謝って!」


 が、そんな強靭な魔族は外面と内面が釣り合っていなかった。


 謝罪を求めるのは当然ではあるのだが、人を指差す仕草といい、口を尖らせ頬を膨らませる表情といい、まるでやり口が子供なのだ。そしてアルトは子供が嫌いだ。


「謝って!!」


 何も応えないアルトに語勢を強くする彼女。悪いのが自分である事を認識していたアルトだったが、自分には言い分があるし相手は実際怪我はしてない。何より子供っぽい態度が気に入らないので絶対に謝りたくなかった。


 すると彼女は水底に指先を使って魔方陣を描き始める。本当に何から何まで子供のやり口だと嫌悪感を募らせながら、彼女が何をする気なのかとその行動を見送った。


「これが最後だから。謝らないと酷い目に遭うよ!」


 一体何が出来るんだと胸の内で彼女に吐き捨てるアルト。すると何も言わないアルトに反して彼女は再び口を開く。


「我は示す……」


 いやまさかなと思うアルト。彼女が詠唱を開始する。そもそも触媒も無いのに魔術など発動できる訳がないのだ。だが


「水陣よ、全てを貫く槍となれ!」


 彼女が詠唱を完了した途端。水面から巨大な水球がアルトへと射出される。


 矢の様に放たれたそれにアルトは反応出来ず、それを顔面に受けて後ろに吹き飛ばされた。


「ごほっごほ!」


 不意に顔面に受けた水球にアルトは噎せながら転がりながら体を起こして下を向く。


「どう! 謝る気になったかな!?」


「誰が!!」


 声を上げ、石を手にしてアルトは勢い良く振り返る。


 だがアルトの振り返った先には再び水球があった。


 再び顔面に水球を受けて噎せ込むアルト。


「ふん! 君が謝るまで何度でもするか──!!」


 最後まで言い切れずに彼女は再び顔面に石を受ける。


「いったぁぁぁぁぁぁぁい!!!」


 今度こそ反撃しながらアルトは(ざまあみろ)と胸の内で呟く。しかし痛がる彼女と対照的にその肌にはやはり傷ひとつなかった。


「もう絶対許さないかな!!」


「!?」


 すると次の瞬間視界を埋め尽くす程無数の水球がアルトへと襲い掛かる。流石のアルトも絶対絶命のその光景に顔色を変えた。


 そしてその水球は全てアルトへと襲い掛かる。その猛攻が終わる頃にはその全身は水浸しになり、アルトは巨大な水溜まりの中でも倒れ付していた。


「私君の事嫌いだから! 二度とここに顔見せないで欲しいかな!!」


 そう残して彼女は水面の底へと返って行く。


 倒れ伏しながらもその言葉をしっかりと聞いていたアルトはその時強く誓った。絶対に毎日ここに通い詰めてやると。










 記憶を振り返っていてアルトは気が付いた。


「お前二度とここに来るなと言ってなかったか?」


「そ、その時と今は違くないかな?」


 都合のいい奴だなとアルトは思ってしまう。


(そもそもお前も全然覚えてないじゃねえか)


 そう思わずには居られないアルト。あれ程毎日来いと言っていたのに。というより、いつからもう顔を見せるなが、毎日顔を見せろに変わったのか。


「お前初対面で魔族相手に喧嘩売ってたのか?」


 恐る恐るといった様子でディオが尋ねる。


「喧嘩を売って来たのはコイツだ」


 対して軽々とアルトは応えてみせた。


「いや、お前エルフの軍隊相手でも勝てない相手に喧嘩売ってたんだぞ? 座学で学んだんだからそれくらい分かってただろ。そんな“化物”に勝てる気で居たのか? 死ぬかもしれないとか思わなかったのか?」


「勝てるかどうかはどうでも良いだろ。一方的に負けたのが気に入らなかっただけだ」


 強がっている訳でも、格好つける訳でもなく、ただ純粋にそう言ってのけるアルト。そんなアルトに思わずディオは頭を抱えて見せる。


 規模が違い過ぎるとディオは実感させられていた。当時自分が嫌っていて匹敵すると思っていた相手が、その傍らで世界のパワーバランスを変えてしまうような存在を相手にしていたのだ。道理で勝てない訳だと悟ってしまう。


 そう思うディオの仕草に、その考えまでは見通せず理解出来ないアルトはまたそこに不快感を示して首を傾げる。だがその時だった。


「やめて」


 ふと、それまでと違った様子で彼女が告げた。


「人の事化け物呼ばわりしないで」


 それまでと違い子供っぽく騒ぎ立てず、今までに無い憤りを見せる彼女。だが気が立っていたアルトはそんな彼女の様子に気が付く事なく冷たく言い放つ。


「化け物だろ。お前は人間じゃないんだ」


「私は化け物じゃない!!」


 突如声を上げる彼女。それは今までアルトには見せた事の無い。本当の彼女の怒りだった。


 だがその純粋な怒りと叫びは、アルトを驚かせると同時に更に不快感を煽ってしまった。


「ならお前は何なんだ。今更人間のつもりなのか? あれだけ人に人外の強さを見せ付けておいて、都合のいい時だけ人間呼ばわりされたいのか」


「おい二人とも……」


 とディオは止めに入るが。もう彼女もアルトも止まる事はなかった。


「君だって都合が良すぎないかな!? 嫌われるような態度取っておきながら、頼りたい時だけ頼って、甘えて、人にすがり付いて。君に他人の都合を語る権利があるのかな?」


 それを告げられた瞬間アルトは拳を握り締める。そして昔に押し込めた負の感情が再び込み上げるのを感じた。


 それを知ってか知らずか彼女はその場から大きく飛んで湖へと飛び込む。


 いつかの様に水は高く上がるが、アルトには届かない。だがその場を引くのにそれだけでは納まらない彼女は、それもまたいつかと同じく湖の中で身を翻し、尾ひれを使ってアルトに水を浴びせにかかる。


 だがその直前にパンッ! と破裂音がして彼女の額に石が炸裂する。命中した石は彼女の額に直撃するなり粉々に砕け散る程の勢いで放られていた。


 そして、石を投擲してからアルトはハッとする。かつてとは比較にならない程の勢いで放られていたそれは、投げたアルト自身がそんな勢いになるとは思っていなかった。


 前には痛みに声を上げる彼女が声も上げずにそれを額に受け、そしてその額からは確かに赤い物が流れている。


 途轍もない後悔が押し寄せ、アルトは指先に震えを感じていた。彼女はそこから一言も告げず、赤い尾を引きながら湖の底へと消えて行った。


「おいお前あれはいくら何でもやり過ぎだろ!」


 声を上げてディオはアルトの襟を掴む。


 その瞬間アルトがそれまで溜め込んでいたものが、彼女を心身共に傷付けてしまった事で遂に溢れだす。勢い良くディオの手を払い、襟を掴み返してその体を持ち上げながら声を上げた。


「化け物と言い出したのはお前だろうが!!」


 アルトは持ち上げたディオの体を前へと放る。


 そして地面に背中から倒れるディオに更に続けた。


「大体お前は何だ! 俺のやる事にいちいち指図して、付きまとって! いい加減鬱陶しいんだよ!!」


「てめぇ!!」


 声を上げて立ち上がるディオ。


 だがそんなディオにアルトは背を向けた。


「二度と俺に近付くな」


 そう吐き捨てアルトは寮へと歩を進める。


「調子に乗るなよアルト! 付きまとわれてるなんて思い上がってんじゃねえよ! お前はそもそも独りだったじゃねえか!!」


 そんな背中にディオはそう罵声を浴びせる。しかしアルトはその罵声に振り返ることも、足を止めることも、返事をすることすらも無かった。


 言われるまでもない。自分はずっと独りだ。今も、そしてこれからも。


 そう自分に言い聞かせながらアルトはその足を寮から反らす事はなく進めた。








[解説]試験


 バーミリオン魔術戦技学園では年に二回の実力試験が存在する。内容は教官相手の真剣を用いた組み手であり、その時点でのその生徒の実力を採点するというもの。因みに学園の生徒は、座学1点、剣術1点、魔術1点、組手2点、そして実技試験で最大5点で計10点までの単位を上限として持っていて、その単位が5点以下になった生徒はその時点で在席出来ずに退学となる。

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