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WHEEL OF FORTUNE~仮初の境界線~  作者: 鴇天ユキ
第一章 盲目の異端者
5/14

異端との邂逅

「ふふ~ふ~ふふふ♪」


 黄色い作業服の男がトイレで鼻歌を歌いながら手を洗っていた。


 ジャリ……


 鉄と鉄を擦り合わせた様な音に、男は振り返る。


 その瞬間男は表情を青くし、息を詰まらせた。


「ま……待て――」


 しかし、男の声は通じず、無情の刃が振り降ろされる。鏡には赤い物が飛び散り、床にも広がる。


 ドッと重たい何かが床に落ちる鈍い音の後、男の体はその場に力無く倒れた。


 しかし無情な刃は止まる事を知らない。留まる事無く、連続して刃は振り降ろされる。何度、何度も、何度も、鈍い音と共にトイレを血に染めていった。


 そして……







「次、その本を取って。そう、あなたの足下にある赤表紙のそれよ」


 レンから指示されアルトは積んであった5冊の本を手に取り、番号の若いものから手渡していく。


 レンは非常に手際が良く、ニーナが僅かな本を移動している間に他全ての本の整備を終えていた。


「悪いな。何から何までやらせて」


 ニーナのせいではあるが、しっかり状況を把握していなかったアルトにも責任がある。そう思ったアルトだったが、レンは本を戻しながら答えた。


「気にしてないわ。私は本が好きでここの担当を請け負ったのもあるから。それに面白い人にも会えたみたいだし」


 本を戻しながらも微笑むレン。渡した5冊の本を戻し終えて前髪をかきあげる。その仕草に思わず引き込まれ、アルトは釘付けになってしまう。


「次、お願い出来る?」


「あ、ああ」


 アルトは足下にある先程の本の続きを手に取ろうとする。


 しかし、その時だった。


「ギャァァァァァァァァァァァ!!!」


 何者かの叫び声が、階段の上から聞こえて来る。


「何だ!?」


 アルトは手に取ろうとした本から手を引き、階段の方へと走り出す。悲鳴の後からは何の音もない。不穏な空気をアルトは感じ取っていた。


「どうするの?」


 気が付けばアルトの隣にレンはいた。レンはアルトに指示を仰ぐも、その表情には不安も焦りもない。先程までと打って変わったその人形のような表情に若干の違和感を感じながらも、アルトはレンに告げる。


「俺が様子を見に行く。お前は先に避難して見掛けた生徒や作業員に声をかけてくれ」


「分かったわ」


 頷いてアルトは階段を駆け上がろうとする。だが、不意にレンに手を取られてアルトはたち止まって振り返る。


「この先に進んだらあなたはもう戻れなくなる。それでも、あなたは行くの?」


 レンの目が訴えかける。先程の目とは違う。美しく引き込まれるような目ではなく全てを見透かすような目で、これは脅しではないのだと、選択なのだと語りかけている。


 先程とは打って変わるレンの姿に戸惑いを隠せないアルト。だがそこに……


「うわぁぁぁぁぁぁ!!」


 今度は知った悲鳴が聞こえてくる。


「先輩!?」


 聞き間違えない。それはルイスの声だとアルトは確信出来た。


「悪いが俺は行かせてもらう。戻れなかろうとなんでも構わない、今行かなきゃ駄目なんだ!」


 そう告げると、レンはアルトの手を離す。すると僅かに口元で微笑みながら口を開いた。


「きっとあなたは後悔する、その道を選んだ事を。でもきっとあなたならそれも乗り越えられるはずよ」


 何を言っているのか分からない。それどころではないのだとアルトは踵を返して階段を駆け上がる。


「また会いましょう!」


 レンの言葉を背に受けながら、アルトは階段の先の通路を走った。


 嫌な予感がする、それもとてつもなく。


 進めば進むほど少しずつ空気が重くなる感じがした。


 同時にアルトの呼吸も荒くなっていく。心臓が脈打つ速度もだんだん早くなって行く。


 自分の心音が早くなるにつれ、アルトの走る速度も早くなって行く。


 さっき通ったとは思えない程に場の雰囲気が違う。


 やがてアルトは足を止めた。


 目の前では、ルイスがトイレから入ってすぐの所で尻餅をつきながら目を丸くしている。


 その顔からは血が引けていて、まるで死人の様な顔色をしていた。


「先輩!!」


 叫びながら、アルトはルイスへと近付く。


「……アルト」


 ガタガタと震えながら先輩はその青ざめた顔をアルトに向けた。そして、震える指先でルイスはトイレの奥を指差す。


 しかしアルトはトイレに近付いた瞬間から嫌な臭いを鼻にしていた。


 それは男子トイレ特有の尿素の臭いではなく、強い鉄の臭いと、浜に打ち上げられた魚の様な臭いだ。


 頭ではそこに何があるかなんてハッキリしている。しかし、体が先輩の指差す先を見ようともう動いてしまった。


 見てはいけない。本能がそう告げる。だがもう間に合わない。


 アルトは見てしまった。


 トイレの個室は血で染まり、ガラスや床は真っ赤に染め上がっていた。まさに血の海と言うに相応しいそこには、“何か”が転がっている。


 その二つの肉塊になった“何か”は肉片を辺りに撒き散らし、中からどろどろとした赤黒い物体を垂れ流していた。


「うっ……」


 胃が口から出そうな気分だった。アルトは目を逸らし、トイレから出て壁に手を添えながら片膝をついた。


 必死に口を抑え戻しそうになるのを堪える。


と、


「ふふふ……」


 不気味な笑い声がトイレから聞こえた。


「ふふっ……ふはは、はっはっはっはっは!!」


 ルイスが突然笑い出しながら便所から飛び出して来た。


「ははは……なあ、アルト聞いてくれよ」


ルイスはアルトの目の前に来て、同じ様に片膝をついて肩を掴む。ルイスの目からは涙が溢れ返り、焦点が合ってなかった。


「死体が……死体の頭と右足が無いんだよ!」


 それを口にした瞬間、ルイスはアルトのすぐ目の前で嘔吐した。アルトは反射的に肩に掛けられた手を払い、ルイスから離れる。ルイスは胃液を口や鼻から垂らしながら、狂った様に笑っていた。初めて見る惨殺された死体を見て、ルイスは錯乱してしまっていた。


「何事かね!?」


 後ろでした声にアルトは振り返った。


 そこには、館長が何人かの警備員と共にこちらに駆けて来ていた。


「人が死んでます!!」


 アルトはトイレを指差す。自分でも混乱しそうで、それが今のアルトに出来る精一杯だった。


「これは……!」


 館長はその惨状を見て絶句していた。


「何だこれは……」


「……これが人なのか?」


 その後ろに居た警備員も腕で鼻を被いながら呟いた。


「しっかりしろ!おい!」


 横では、ルイスを正気に戻そうと他の警備員が彼の肩を揺さぶっていた。ルイスは笑わなくなったが、今度はまるで魂が抜け出した様に、口を開いたまま何の反応もなかった。


(……なんなんだこれは)


 大分落ち着いて来たアルトは今の自分が置かれている状況を把握し始める。


 作業員の一人が惨殺されていた。それも恐らくこの作業員を殺したのは人ではない筈だ。人にこんな殺し方出来る訳が無い。


 更に、それは恐らくまだこの館内に残っている。一刻も早くここから出なければならない。


 ただの掃除だった筈なのに。


「君!」


 アルトは横からした声の方を向いた。


「早くここから逃げた方が良い!」


 警備員の男はアルトにそう言った。それを言われた瞬間、アルトはハッとある事を思い出す。


「アル達は!?」


 考えてみたら絵画展示室に居たままだ。


「仲間を置いたままなんだ!」


 行かなければならない。そう思ってアルトは警備員に背を向けた。


「ま、待て!」


 警備員は手を伸ばすがその手は届かず、アルトはそのまま展示室へと走って行った。


 胸が熱い。


 息が苦しい。


 しかし足は止まらない。


 何でこんなに必死なのか分からない。だが考えたくない。考えれば何もかも失う気がした。


 立ち止まってしまう気がした。


 しかし、胸のどこかではそれが何故なのか分かっている気がする。


 答えを探す必要など無い気がする。


 今自分が思うままに、今の行動に意味のある気がした。


 しかし……


「!?」


アルトは立ち止まってしまう。


 赤い絨毯を更に赤くするように、血が点々と道筋を作っていた。


 その道筋を辿ったその先には、靴を履いたまま切り刻まれた人間の片足が落ちていた。


 そしてアルトは気が付く。


 アルトの息遣いとは別に、メキメキと……まるで木の枝を強引にへし折る時の様な音がしていた。


 ゆっくりと、落ちた片足の先に目をやる。それを見た瞬間アルトは全身から嫌な汗が吹き出す様に出た。


 窒息しそうな程に息が止まる。


 その姿はそれ程に強烈だった。


 全身の皮の色が所々黒く、上半身は肩に駆けて大きく膨らんで行き、首を大きく傾げた様な顔は、右肩にくっつく様になって同化していた。


 下半身にはボロボロなズボンを履いていて、靴は履いていない。


 そして右手で、錆びてはいるが見覚えのあるロングソードを手にし、左手では人の首を小脇に抱えていた。


「……くそ」


 小さくアルトは呟いた。脳裏にあの切り刻まれた死体が浮かぶ。


 そして化け物が小脇に抱えるは生首と目が合ってしまう。


 恐怖でどうにかなってしまいそうだった。


 ア"アゥ


 目の前の怪物が濁った声を発する。


 すると怪物は生首を落とし、ロングソードを引きずりながらアルトにゆっくり近付いて行く。


 人間の顔の面影を残したその顔は、新しい玩具を見つけて喜ぶ子供の様にも見えた。


 アルトは顔が強張り、脳裏にはあの惨殺死体が浮かび上がり頭の中が滅茶苦茶になった。思考が掻き乱され口元が引きつり、今にも笑い出しそうになる。


 頭の中を幾億もの言葉が、場面が、流れ込んでくる。


 頭が……心が壊れる……。


 しかし


【待ってるから!】


 ハッとした。


 通り過ぎる場面の中一つの光景がアルトの目に止まる。


 と、同時に


「クッ!」


 アルトは後ろに飛ぶ。


 その瞬間目の前をロングソードの切っ先が通り過ぎる。


 危なかった。相手の攻撃もだが、もう少しでさっきのルイスの様になる所だった。


 はぁ、と短く息を吐き、アルトは怪物と正面から向き合った。


(落ち着け……勝てない相手じゃなさそうだ)


 自らに言い聞かせて冷静になり、アルトは相手をよく見た。


 肥大化した上半身が重いのか、それとも知性が低いのかあの怪物は攻撃速度が遅い。そのため先程もギリギリで避ける事が出来た。


 それに今もこちらに歩み寄る怪物だが、やはり体が重いのか飛びかかって来る気配は無い。ゆっくりとこちらに近付き剣を振り上げるだけだ。


 縦に剣が振り下ろされる。


 しかしアルトはそれを半身反らすだけで避けた。


(動きが遅い。これなら!)


 アルトはその隙を見て袖からナイフを出した。


 そして零距離でそのナイフを怪物の顔面目掛けて一閃した。怪物の顔からは黒い体液が流れ出る。しかし、怪物は第二撃を繰り出そうと剣を横に構えた。


 人間なら致命傷の筈だが攻撃が浅い。


(だったら!)


 アルトはナイフを逆手に持ち替える。そしてそのナイフの切っ先を怪物の顔面目掛けて突き刺した。


 更にナイフから手を離し、左足を残して右足を下げる。


 そして、右足に一瞬乗せた体重を抜き放ち、腰を捻り、全体重を込めた右拳を突き出す。


 アルトの右ストレートは突き刺さったナイフを貫通させながら、怪物をそのまま後ろに殴り飛ばした。


(どうだ……!)


 怪物は倒れたまま起き上がる気配はなかった。


 ナイフが貫通した怪物の顔から黒い体液が流れ、赤い絨毯の上を染め上げる。


 怪物が完全に絶命したのを確認するとアルトはその亡骸を飛び越えて再び走り出した。


 アル達が今どうなっているのか、まさかコイツに殺されたのではないか、とにかく心配で仕方なかった。


 赤い絨毯の上を絵画展示室まで真っ直ぐ走る。


(……無事で居てくれ)


 不安を抱きつつ、アルトは絵画展示室についてすぐ辺りを見渡した。


 展示室のガラスはその殆どが割られている。床にはガラスが広がり机や花瓶は倒され、部屋中が荒らされていた。


「アル!! ニーナ!!」


 叫んで辺りを見渡すが返事がない。


(そんな……まさか)


 嫌な予感が脳裏を過る。だがその時だった。耳を澄ますと、カタカタと何かが震える音がする事にアルトは気が付く。


 その音が何なのか、アルトは恐る恐る近付いて行く。震える音は絵画展示室の更に奥、ホールへと続く通路からしていた。


 袖からナイフを用意し、通路に躍り出るアルト。すると、


「アル!?」


 窓から陽の射す通路の先では尻餅をつき、震えながらも剣を構えるアルの姿があった。アルトはナイフを納めてアルへと近付く。


「おい、アル!」


 アルトはアルの肩を揺さぶる。


「……アルト?」


 目に涙を浮かべ、震えていたアルが呟くように答える。


「怪我は!?」


 語気の強いまま尋ねるアルト。しかしそれが気に入らなかったのか、それとも先程のやり取りを思い出したからか、アルは我に帰ってアルトを突き飛ばす。


「怪我なんてねぇよ!馬鹿にすんな!!」


 いつもの調子で怒鳴り散らすアル。その姿を見たアルトは、いつもなら苛立ちを覚えるその騒ぎ声に安心感を覚える。この調子なら何ともないだろう。


「……よかった」


「は?」


 思わず口にしてしまうアルト。それをアルが聞き漏らす事はなかったが、アルトはそれに気付かずアルに問い掛ける。


「ニーナは?」


「ニーナ?」


「ニーナがここに向かっていたはずだ。ニーナは来てないのか?」


 アルはその問いに困惑しているのか何も答える事が出来ずにいた。


 アルトはそれで察してしまう。ニーナは恐らくもう……


「おい」


 思わず俯いてしまっていたアルトに、アルが声をかける。


「ニーナがどうかしたのかよ?」


 何かを察したアル。しばらくアルトはアルに答えを返す事が出来ない。だがそこに……


「お、おい!!」


 突如アルの顔に焦燥が浮かぶ。釣られてアルトも背後に目を向けた。


 するとそこには、5体のあの怪物がいた。怪物達は先程の個体と若干の差異はあれど、どれも同じ存在なのだと分かる程禍々しく歪んでいる。


 もう迷ってはいれないとアルトは決意し、アルに告げる。


「とにかくホールに行くぞ」


「ニーナは!?」


「こうなる前に、他校の生徒に避難勧告を頼んである。ニーナがここに居ないって事は先に避難勧告を聞いてホールに向かってる可能性が高い」


「ならルイス先輩は!?」


「先輩は館長に保護された。残るは俺達だけだ。早く行くぞ!」


 そう告げてアルトは走り出す。


「ま、待てよ!」


 アルは納得行かない様子だが、他にどうする事も出来ないのを察したのかアルトの後を追う。


 しばらく無言で2人は展示室を抜けた。


 今の所敵は居ないがここから先は3つ部屋が連なっている為どこに敵が居るのか分からない。


 飛んでくるナイフを避けない辺り隠れるなんて知能は無さそうだが、すぐ横に居て気付かなかったなんて事があったら洒落にならない。そのためアルトはゆっくりと進みながら辺りに気を配り、アルと話す余裕などなかった。


 この場の空気に慣れてか、アルトは先程よりそういった判断が出来るようになった。


 冷静に判断し、冷静に行動出来る。いつも通りの自分だ。


「………………」


 だが後ろのアルはそうでも無い。いつもと違い、黙り込んでしまっている。それも何か物言いたげな眼差しで。


 しかし気にかけてなど居られない。そんな余裕はどこにも無い。


 そのまま2人は黙って進んで行った。するとこちらからは怪物は来ていないらしく、簡単にホールまで出てしまった。


「奥からクトゥルフのけん族が出てきてるらしいぞ!」


「負傷した者から運び出せ!」


「死体なんて後回しにしろ!」


 下のホールからこの館内の混乱が見て取れた。


 出入りでは担架に乗せられる人と事態を知った近くの自警団が何人も出入りしている。


「一体どうなってんだよ……」


「見ての通りだよ」


 アルにそう答えたのは、横から現れたロンド館長だった。


 手すりに手を掛けたアルと、その後ろにいたアルトは同時に館長の方を見た。


「どうやら、クトゥルフの眷属がここに攻め込んで来たらしい……」


 ロンド館長はアルと同じ様に手すりに手を置いて、ロビーを見渡す。


「突然の出来事に何人もの犠牲者が出た。……私と、君の仲間は無事だが、私は秘書を一人殺されてしまったよ」


 眉を顰め、館長は手すりを強く握った。


「……バーミリオンの生徒で保護したのは先輩一人ですか?」


 それを館長に聞くと何かを感じ取ったのか、アルがアルトを見た。アルトもそれを察知する。鈍感に見えて意外に鋭い。今言った意味を理解しているらしい。


「ああ。彼ならあそこに……」


 館長はホールの端を指差した。そこには、皆の邪魔にならない様に椅子に座ってじっとしているルイスの姿があった。


「先程は混乱していたが、今は落ち着いて来ている。君達も行ってあげると良い」


「……失礼します」


 そう一声掛け、アルトは階段を降りて行った。突き刺さる様な視線を背にしながら。


「先輩……」


 アルトが声を掛けると、椅子に座りながら俯いていたルイスは顔を上げた。


「……ああ、アルト」


 それは霞む様に小さな声だった。後ろの騒ぎで掻き消されそうな声だったが、何とか聞き取れた。


「……大丈夫ですか?」


「……ああ」


再び俯きながらルイスは答える。


(大丈夫な訳ないだろ……)


 ルイスの様態を見ればそれは明らかだった。顔は青ざめ、まだ微かに足が震えている。聞くだけ聞いてみたが、この手の人間は大概が『大丈夫だ』と答える。気を使ってなのか、強がりなのか。どちらにしてもアルトは気に入らなかった。


「ふふっ……」


ルイスはまた短く笑う。もしやまた錯乱したのだろうか?と、そう思っていると……


「これじゃ嘘丸出しだ……」


 ルイスは片手を顔にかざした。


「嘘すらまともに吐けないなんて……。僕が今回リーダーになれない訳だよ」


(何の話だ?)


 嘘を吐けないのと今回リーダーになれなかったのがなにか関連しているのだろうか? それとも遠回しの皮肉だろうか? そう疑問が込み上げる中、ルイスは続けた。


「僕はいつだってそうだ……。普段は何事も無い様に振る舞ってるけど、いざって時に失敗ばかりする」


 顔を覆ったルイスの指の間から、一粒の水滴が零れ落ちる。


「本当に駄目な奴だよ僕は……」


「……………………」


 何故だか聞いてて苛ついて来る。なる程、他人の愚痴を聞かされるのはこんな気分なんだ、と思いながら、アルトはもう一つこの苛立ちの原因を分かっていた。


 僅かに後ろを向き、アルトはその姿を確認した。人々が行き交うなか、それはそこで立ち止まりながらアルトを睨んでいた。


 溜め息ではなく、舌打ちをしながらアルトは先輩の方を向き直した。


「話は終わりですか」


「……………………」


「なら俺は先にここを出させてもらいますよ?」


 立ち上がりながらアルトはルイスに告げる。


「他人の愚痴なんて俺は聞く気になれませんから」


 吐き捨てるように言い捨ててから、アルトは自分を睨むアルへと歩み出した。


「お前……最初からニーナを助けるつもりなんてなかったんだろ……」


 拳を握り、今にもに殴りかかりそうな程の剣幕でアルはアルトを睨み付ける。


「ああ、それがどうした」


 しかしそんなアルにアルトは悪びれず強気で返した。


「ふざけんなよっ!!!」


 ホールの騒ぎを掻き消す程の大声でアルは叫んぶ。静かになったホールで、続けてアルは叫んだ。


「まだ生きてるかもしれないだろ!!なんで見捨てたんだよ!!」


「見捨てた?」


 睨み返してアルトは答えた。


「お前が生きてるかもしれないと言うように、ニーナが死んでる可能性だってあるだろ。むしろこんな状況下ならそっちの可能性の方が大きい」


「何が可能性だ!仲間だったら、普通は助けに行くだろ!!」


「だからお前だけでもここに連れてきたんだろ!!」


 大声で返すと、アルは一瞬だけ怯んだ。追い討ちをかける様にアルトは続けて叫ぶ。


「あの状況で、2人でニーナを助けに行ったらどうなった!もしニーナを見つけられたとして、死んでたらどうなった!ニーナの場所まで行ける保証なんて無いだろ。ニーナが生きてる保証なんてのも無いだろ。ニーナを助けても、帰って来れる保証無いだろ。だからこの道を選んだ!俺とお前だけなら、生きて帰れる可能性があったんだ!」


「そんなの俺は望んじゃねぇよ!!」


「だったらお前なら出来たのか!?」


 その言葉にアルは詰まる。尚もアルトは続ける。


「立ってることさえ出来なかったお前に、誰かを助ける事なんて出来たのか!?」


 言い切った瞬間、アルは涙を浮かべて膝をつく。それはまるで先程見た姿に酷似していた。そんな無様な様は見てられない、とアルトは踵を返して歩こうとする。だが……


「……お前なら出来たんじゃねぇのかよ」


 俯き気味で語るアルの言葉にアルトは足を止める。


「……お前はそういう奴じゃないって思ってた。ムカつくし、人の話を聞かない奴だけど、どこかで仲間の事を思ってるって、そう信じてた」


「ふざけるな!!!」


 アルトは振り返ってアルへと駆け寄る。


「誰が仲間だ!誰がそういう奴だ!俺を知った気になるな!!俺を勝手に決め付けるな!!」


「……ニーナの事何も思わないのかよ?」


 アルトの脳裏に、先程涙を流していたニーナが過る。今も泣いているのだろうか。それとも必死に足掻いているのだろうか。それとも、もう亡骸になっているのだろうか。一瞬でありとあらゆる感情が吹き出すのをアルトは感じた。


 だがアルトは知っていた。その全てが自分が今まで否定し続けたものであり、今も否定しなければならないものという事を。


「仲間が死んでもお前は……」


 これ以上言わせてはならない。アルトはそう判断してアルの胸倉を掴んで引き寄せ、拳を固めた。


 だが、構えたアルトの拳が振り抜かれる事はなかった。


 こんなのは間違ってる。そんな気持ちが自分の中に浮かび、アルトは拳を納めてアルを投げ捨てる。


「お前がやらないなら俺がやる」


 俯くアルトに対し、アルは告げる。


「やめろ……死ぬぞ」


「俺はあの時仲間を助けてたらなんて後悔したくない。俺はニーナを諦めたくない。ここで仲間を失うなら俺は死んだっていい」


「やめろ……やめろ……やめろ」


 アルトは首を振ってアルの言葉を否定しようとする。


「お前に助けられたのには感謝してる。けど、悪いが俺は信じてるんだ。ニーナはきっと生きてる。だから、俺は行く!」


 そう告げてアルは走り出す。正面の入り口から衛兵の静止を無視し、アルは館内へと再び戻って行った。


「?」


 アルトは自分が無意識に右手をアルに伸ばしていたのに気が付く。しかし今更もう遅いとアルトは手を降ろした。


「……アルト」


 後ろの声に反応し、アルトは振り返る。ルイスは辛いのを隠す様なぎこちない笑顔をアルトに向けていた。


「君らしく無いね……怒鳴り散らすなんて」


(確かにな……)


 冷静になって今考えてみれば、我ながら情けない行為だと思える。俺も馬鹿だな、そう思いアルトは再び俯いた。


「……アルの事、追わなくて良いのかい?」


「……アイツには好きにやらせれば良い」


 俯きながらも、アルトははっきりと言い返した。


「それが、君の本心なのかい?」


「………………」


 顔を上げ、アルトはルイスの方を見た。


「何が言いたいんです?」


 ルイスは一度目を瞑る。そしてもう一度目を開いた時、そこには先程まで弱々しい先輩は居なかった。強く真っ直ぐな目をしたその目は、一直線にこちらを見据える。


「君は本当は迷っているんじゃないのかい?」


「………………………………」


 アルトには答える術がなかった。自分がどうしたいのか、何が正解なのか分からなかった。


「アルト、君はきっと失うのを恐れているんだ」


「……恐れてる?」


 その言葉に引っ掛かりを感じながら、アルトはルイスに聞き直す。ルイスは言葉を変えて再度告げた。


「君は人との繋がりを失うのを恐れているんだ」


 それを告げられた瞬間、アルトの脳裏に一瞬だけ思い出したくない、深く深く閉じ込めた記憶が過る。その時の記憶が甦るように、アルトの思考は負の感情に塗り替えられた。


「何故分かったような口を利くんだ!!あんたもアルも、俺の何が分かるって言うんだ!!」


 叫ぶアルトに対して冷静なままルイスは返す。


「分かるさ。一年君を見てきたんだから」


「たった一年程度で……」


「分かるさ。君は、失うのが怖かったから人との繋がりを作ろうとしないんだろ?」


 その言葉にアルトはハッとさせられる。留まる事なくルイスは続ける。


「だから君は人を寄せ付けようとせず、他人を理解しないように努めてる。……アルも僕も、君に憧れてたから分かるんだ」


「勝手な妄想を……」


 そう告げながらもアルトはルイスから目を反らしてしまう。そんなのは他人の描いた幻想に過ぎない。誰も他人を理解する事など出来ない、自分の事など自分にしか分からないし、理解されることもない。アルトはそう思っていた。そう思い続けていた。しかし今のアルトには自分の葛藤が理解出来ない。自分がどうしたいのか、何故こんなにも気持ちを乱されるのか。


「アルト。人は自分を描く事は出来ても、それを見る誰かが居なければ存在出来ないんだ。今の君を形作っているのは、君の周りに居る人達なんだよ」


 違う。そう告げようとしたアルトだった。しかしアルトの脳裏にディオと、そして“彼女”の姿が浮かぶ。自分は一人だと、そう告げようとした言葉は脳裏に浮かぶ二人によって遮られてしまう。


「君は人を寄せようとしなくても、君はいくら認めなくても、それでも君が描いて来た君は、どこかで人の繋がりを求めているのを、その繋がりを守ろうとしているのを僕らは知っている。だから僕らは君に引かれたんだ」


「分からない……。俺は……」


 アルトはルイスの言葉に答えを出せない。それでも自分は一人だと、突き付けようにも、理由付けられるものが何一つない。


「分からないなら、君に僕から理由付けてあげるよ」


 そう言ってルイスはアルトの両肩を掴み、アルトは顔をあげる。そして真っ直ぐにアルトの目を見てルイスは告げた。


「アルを、そしてニーナを助けてくれ」


「そんな事……」


「出来るさ、君なら。これこそただの妄想かもしれない。けれど僕やアルが憧れた君はそういう君なんだ。どんな状況だろうと決して諦めない、それが君だ」


 アルトはしばらく何も言わなかった。しかし、自分の中で何かが吹っ切れるのを感じる。


 長い沈黙の後ルイスはアルトの肩から手を引く。


「……分かりました」


 アルトの言葉にルイスは顔を明るくさせる。


「なら、二人でーー」


 刹那、アルトはルイスの鳩尾に拳を打ち放つ。ルイスはその衝撃と窒息により意識を失い、前のめりに倒れようとする。しかしアルトがそれを途中で止め、ルイスを壁に凭れさせる。


「言いたいように言いやがって……」


 意識のないルイスに一言告げてからアルトは立ち上がる。


 そしてその足は美術館の外へと向けて歩み出していた。

[解説]クトゥルフの眷属


 南の大陸ルルイエに突如出現した生物、クトゥルフの影響を受けた生物。死骸、もしくは生きている状態でクトゥルフの血を取り込む事によって変異する。

 殆どのものが死んでからその血を受けており、そういった個体は知能が殆ど残らない。対して生きたまま血を受けてしまったものは肉体が大きく変貌し、“ヴァルバロイ”と呼ばれる個体となる。

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