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WHEEL OF FORTUNE~仮初の境界線~  作者: 鴇天ユキ
ギルドトーナメント
14/14

今出来ること

「そうか、まあ確かに期首実技試験と時期が被るから試験は受けられないね」


 セレが去った後、食堂で食事を済ませた後にしばらくしてルイス、アル、ニーナの三人が先日のように部屋に訪れていた。


 その際アルトは、現在の自分の境遇を三人に打ち明ける。


「そもそも最初の約束じゃ依頼を達成したら在学って条件だったんですよ?」


「うーん」


 アルトの問いに僅かに悩む仕草を挟んでからルイスは答える。


「でもあの依頼は一応失敗扱いになってるから筋は通るのかも。それに対してヴァルバロイに対抗して見せたから、君は再試験の機会を得たんだろう? 僕らも報奨を貰ったし」


「その試験にはしっかり合格しましたよ」


「うん。という事は前期の期末実技試験を合格したって事になるから、今期の期首実技試験とは別って事なんじゃないかい?」


 それを聞いてアルトは愕然としてしまう。それだと確かに話の筋が通る。あれだけの思いをして自分は過去の試験の埋め合わせしか出来ていなかったのかとアルトは項垂れる。


 が、ふと一つアルトは気になる単語が耳に残っていて再び顔を上げる。


「報奨って何ですか?」


「民間人や負傷者の誘導を指揮したりしたのを表彰されて、ブリテンの軍隊や館長から……」


「あっ!」


 そこまでルイスが説明し、突然ニーナが口に手を当てて目を見開く。


「そっか、だからあんなに貰ったんだ」


「?」


 ニーナが何に気付いたのか分からないアルト。


 すると同じく何かを察したらしいアルが「あー」と声を上げてから続ける。


「あれ、四人分の報償金だったんだな」


 そんな事をごちるアルの口をニーナが塞ぐがもう遅い。


「先輩、その報償金ってどうなったんですか?」


 バツの悪そうな顔でルイスは壁の脇を指差す。


 その指差す先にはおおよそ人に扱えるとは思えない鉄塊、もとえ先日貰った大剣があった。


「三人で分けきれなかったお金全部あれに使っちゃった。てっきり君も貰ったものだと思ってて」


 ははは、と乾いた笑いを漏らすルイス。


 最早何も言えずにアルトは頭を抱えてしまう。


 つまり自分への報奨はあの大剣だけという事になってしまう。


 今から売ったら幾らか戻って来ないかと一瞬考えるが、あんな物を買う馬鹿はもう二度と居ないだろう。そもそも一度バラバラになっているのだから尚の事だ。


「そんな事よりよ」


 とアルが切り出す。


 これ以上重要な話があるのかと話を聞き逃そうとアルトはするが……


「そろそろギルドトーナメントだろ? 今年も出ないのか?」


 それを耳にして正気か? と尋ねたくなってしまうアルト。アルが切り出した話はそんな次元の話だった。


「ギルドトーナメントって何ですか?」


 今年の新入生であるニーナはその存在を知らないのは無理もなかった。


 そんなニーナにルイスが説明を切り出す。


「期首実技試験の後、ギルドの班単位で闘技大会をやるんだ。ちょうど今日からエントリーが始まるはずだよ」


 つまりこのメンバーで他のギルドの班と戦うのだ。


「俺はこんななりなんだぞ」


「治るだろお前なら?」


「治るなら1ヶ月も静養にはならないだろ」


 そもそもアルトは、何故アルがこんなエントリーしたいのか分からなかった。


 去年は最高学生が参加を拒否したため、面子が足りずに参加出来なかった。しかし仮に出たとて良い笑い者にされるオチがアルトには見えていた。


 加えて、普段から落ちこぼれと揶揄されているのにそんな所に出ていくだけで馬鹿にされる。


「でもアルト、これはチャンスなんじゃないかい? ほら、ギルドトーナメントって成績が良ければ単位の加点を得られたはずだよ。もしかしたら、ギルドトーナメントに出て成績を残せって事なんだと思うよ?」


「つまりこの状態でも出ざるを得ないって事ですか?」


 アルトの言葉にルイスは首を縦に振って答える。また無理難題が出てきたとアルトは思わず頭を抱えてしまった。


 そもそも自分の成績が足りないのが悪いとはいえ、あまりに理不尽過ぎる。そうまでして退学にしたいのか。


「よし、じゃあ決まりだな!」


 そう意気込むアル。そのまま一人納得して部屋を出て行く。そんなアルを追いかけてニーナも部屋を後にした。


「まだ他にも問題あるだろ……。そもそも本気でこんな状態の俺を大会に出すのか?」


「あの様子だとアルは止まらないだろうし、諦めた方が良いんじゃない?」


 そう苦笑いを浮かべるルイスに続けてアルトは告げる。


「まさか訓練も無しに挑む訳無いですよね? そもそも、闘技場なんて夏期休暇中に全部抑えられてるのにどこで訓練する気なんですか?」


「あるじゃないか。君が良く知る場所が」


 そんな意味深な言葉を残し、ルイスは「じゃあ始業式行って来るね」と部屋を後にする。


(どこの事言ってるんだ?)


 パッとアルトに浮かんだのは展望台だった

。まさか、あんな狭い所で訓練をするのだろうかと考える。そもそも落ちたら絶対助からない。


 それ以上に、本気でこんな状態で戦って勝てると思っているのだろうか?


 アルトは再びその目を壁に向ける。


 立て掛けられた大剣は先日と変わらずそこにあった。


 徐にアルトは大剣へと歩み出す。


「くっ……!」


 苦悶を漏らしながら柄を握る腕に力を込める。だが、大剣は僅かに持ち上がるだけだった。


(こんな状態で……)


 戦える訳が無い。そう思いかけた時、ふと三人の顔がちらつく。


「クソっ……」


 一人部屋の中で声を漏らしながら、アルトは制服の上着を着る。吊っている左腕は通せないので、半分羽織るような形になりながら再び大剣の柄を握る。


 今度はそのまま大剣に背を向ける形でかがんで、鞘から伸びるベルトに肩を通す。


「ふん!」


 そのまま全身の痛みを無視して立ち上がり、アルトは部屋を後にした。










「はぁ……はぁ……」


 湖に行く道中、森へと続く階段でアルトは何度も膝を折っていた。


 全身に力を入れる毎に痛みが増し、最後には這いながらアルトは湖にたどり着く。


 いつもと違い早朝からこの場所に来たので彼女の姿は無い。


 これ幸いと、無茶をしたのをバレないのに安心しながらアルトは大剣を地面に降ろすと、そのまま地面に倒れ伏す。


 同時に地面に数摘の血が落ち、口から血が漏れているのに気が付く。


(こんな程度で……)


 今の自分の無力さを改めて実感させられる。たかが移動だけでこんな状態なのに、戦える訳が無い。


 まして今や大剣を構えるとごろか、持ち上げる事すらも叶わない。


 こんな事では実戦で足を引っ張る事など目に見えていた。


「…………?」


 しばらくして息が整って来ると、どこから何かが聞こえるのにアルトは気が付く。


 普段聞き慣れないその音にアルトは耳を澄まして行く。


 高く響くその音は、岸壁から森の木々に反響して聞こえて来ている事に気が付いたアルトは、普段行かない奥側の岸へと歩みを進めて行く。


 普段足を踏み入れない為に、生い茂った藪を掻き分けて行くと、だんだんと音が大きくなって行った。


(…………歌?)


 藪をかく音の中に微かに聞こえるそれは人の歌声である事に気が付き、アルトは藪こぎをやめて足を止める。


 すると何を歌っているか分からないが、その歌声は聞き覚えのあるものであるのに気が付いた。


 そもそもこんな所に居るのは他に居ないので、必然的にその歌声は彼女のものという事になる。


 が、まだ幼くあどけなさを感じさせる彼女の普段の声と裏腹に、高く澄んだその歌声は、その繊細さと裏腹に湖に響き渡りそうな程に力強い。


 しばらく聞き入ってしまいそうになるアルトだったが、ただでさえ無理をした体での藪漕ぎは流石に辛く、来た道を戻って行った。


「はぁ……はぁ……」


 再び肩で息をしながら大剣の脇に腰を降ろす。先程と違いすぐに息は整うが、予想以上に体が衰弱しているのを感じてアルトは天を仰いでしまう。


「!」


 しかし、何気なく天を仰いだまま腕の力が抜けてそのまま背中から地面に倒れてしまった。


(何やってんだ俺は……)


 何もかもが空回りしている気分だった。


 必死になった再試験も無駄に終わり、ブリテンで地獄を抜けてもまた殺されかけ、生死を彷徨うような大怪我が治っても、再びこうして大怪我を負っている。


 何もかもが、自身の力量不足であるが故に引き起こした事であるが故にやるせ無さが溢れてたまらない。


 ようやく色々な事に気が付き、変われそうな気でいたにも関わらず、その一歩を踏み出す機会がいつも何かに奪われて行く。


 自分の不甲斐なさにアルトは手の甲で目を被う。こうしていても何が変わる訳ではないが、自分の現状から目を背けられるような気になれた。


「また無理してるかな」


 覆った暗がりの向こうで声がする。


「してない」


 そんな声にすぐさま応えてアルトは手の覆いを払う。


 すると頬を膨らませた彼女の顔がそこにあった。


「じゃあ何で倒れてるのかな?」


「寝てただけだ」


「ん」と彼女がアルトの口元を指差す。


 そこでアルトは初めて口から血が垂れているのに気付き、手の甲でそれを拭う。


「無理しちゃ駄目って昨日言ったばかりなのに」


「無理しなきゃならない状況にまたなったんだよ……」


 再び手の甲を額に乗せるアルト。


 そんなアルトの脇に彼女はヒレを伸ばし、そのまま膝枕のようにアルトの頭を乗せる。


「なんだ?」


「この方が頭痛くないと思ったかな」


「魚臭い」


「もう!」


 彼女は再び膨れてアルトを睨む。そんな彼女から目を反らすようにアルトは手の甲で再び目を覆う。苛立ちを彼女にぶつけても仕方ないというのに、自分は何をしているんだと思わず目を反らしてしまった。


「よくこんな朝早くから居たな」


 仕切り直すようにアルトは再び切り出す。


「最近はこの辺りの水辺に居るから、君が来れば分かるかな。さっきそこまで来たの君だよね?」


 気付かれていたのかとアルトは少し気恥ずかしくなる。が、同時にアルトには気になる事があり、再び手を額に移して彼女に尋ねる。


「ならさっき歌ってたのはやっぱりお前だったのか?」


「聞こえてたの!?」


 驚き彼女が仰け反る。するとアルトの頭が僅かに跳ね、痛みにアルトは呻き声を漏らす。


「ごめん、大丈夫?」


「大丈夫だ。それよりあんな歌えたんだな」


 とても普段からは想像出来ない、という言葉を一応アルトは飲み込む。


 マーメイドはその歌声で船員を惑わせて難破させるというのが漁師の間では有名な伝説になっているが、与太話だと捉えていたアルトは実際の程を見て驚いて見せる。


 教会に居た頃はよく有名な聖歌隊が来て歌っていたのを耳にしていたアルトだが、そんなアルトの肥えた耳でさえ彼女の歌声は別格だと感じていた。


「ふへへー」


 と彼女は気味の悪い笑い声を漏らして顔を緩める。


「そんな笑い方してる奴から何であんな歌声が出るんだ」


「むー!」


 と先程よりも彼女が膨れるのを見て再びアルトは目を隠す。


 思わず本音が漏れてしまった。


「もう君の前じゃ歌わないかな!」


「そもそも今まで歌ってなかっただろ。何で急に歌い出したんだ?」


 チラリとアルトは手をどかして彼女を見る。するといつものように子供っぽく膨れてそっぽを向いていた彼女が、苛立たし気に応える。


「昨日君が謝ってくれたから、今朝は気分が良くて思わず歌ってたかな」


 気分が良いからと思わず歌うか? とアルトは半分呆れてしまう。


「なら逆に何で今まで歌ってなかったんだ?」


「前に海の浅瀬で歌ってたら、寄って来た大きな船が岩礁に乗り上げちゃった事があったんだ。そしたらその後ろに続いてた船もどんどんぶつかって大変な事になっちゃったから、人が多い場所では歌わないようにしてたらしばらく歌わなくなっちゃったかな」


 有名な伝説の真相がまさかこんな間の抜けた話だとは思わず幻滅してしまう。


 ましてこの町の漁師の間ではマーメイドは豊穣を司ると神格化されているのに、実際には気分が良いと歌うような子供っぽい少女である。こうもコロコロ気分が変わるなら、豊穣より天気の神と言われた方がまだ説得力がある。一体何処で間違って豊穣などを司ってしまったのか。


「今失礼な事考えてるんじゃないかな?」


「何も考えてない」


「嘘! 私分かるんだから!」


「なら俺が今何考えてるか分かるか?」


「それは分からないかな。でも、マナを見ようと思えば嘘ついてるのは分かるもん!」


「マナを見る?」


 思わずアルトは手の甲を退けて彼女を見る。


「うん。人のマナの乱れを見れば、嘘言ってるかどうか分かるんだから!」


「それはつまり、人の中のマナが見えるって事か?」


「当然かな!」


 と自慢気に鼻を鳴らす彼女。その様子から嘘ではなさそうだった。


 そんな話初めて聞く。そもそもアルトはマナが見えるものだとすら知らなかった。


「そんな下らない使い方以外に使い道無いのかその能力?」


 一瞬凄そうな特技に聞こえたアルトだったが、それが嘘発見器程度の能力では大した特技にならない。


 そもそも魔術が使えないアルトからしたら、マナがどういうものかすらもよく分からない。


「うーん、魔術を放つタイミングとか、その魔術の規模とか、どれぐらい魔術の扱いが上手いかとか、何処から魔術が来るかとかが分かるかな」


「それ凄いのか?」


「わかんないかな。私の周りのみんな出来たし、相手にしてたエルフ族の子達も見えるみたいだったから、逆に見えないとどう不利なのか分からないかな」


 結局漠然とした話でアルトには理解出来なかった。やはり嘘発見器程度にしか役に立たないという事だろうか? 何とも、もて余した才能だとアルトは思ってしまう。


 だが待てよとアルトは思う。


「なら精霊も見えるのか?」


 精霊とは人の持つマナの塊であり、言わば魂のようなものだと授業では習っていた。人の魔術はその精霊を介する事で発動するのだという。


 なら魔術を発動出来ない自分はどんな精霊を宿しているのかとアルトは気になった。


「うん見えるよ。というより、精霊を見て嘘言ってるか判断してるかな」


「なら、俺の精霊はどんな感じなんだ?」


 それを尋ねた途端、彼女が僅かに押し黙り無表情になる。


 唐突に真面目な顔になってから彼女は告げた。


「最近、久しぶりに魔術を扱える君以外の人に会ったかな」


「ディオの事だな?」


「うん。それで最近の魔術師って、昔と違ってるのかなって思ってたけどそうじゃなかった。初めて会った時から少し気になってたんだけど、君は他の人と違うみたいなんだ」


 最近になって意識してはいたが、やはり何かが違うというのを知らされて僅かにアルトは胸が痛むも静かにその先を聞く。


「マナには色があってね? 人もエルフも、精霊とその人の纏うマナは同じ色をしているかな。今まで見た中で、纏っているマナと精霊のマナの色が違ったのは魔族くらいかな」


 大きくアルトの心臓が脈打つ。……まさか


「じゃあ俺は魔族なのか?」


 しかしアルトの問いに彼女は首を振る。


「魔族の精霊は色々なものが混ざって斑模様になってるからすぐ分かるかな。人の精霊みたいに綺麗じゃない」


 なら自分の中の精霊は何だというのだろうか? 他人の精霊が他の人間に入るなどという事がまさか起こりうるのだろうか? なら自分の中にある精霊は……。


「精霊ってね、力を増すとその色がどんどん濃くなって行くんだ。君の精霊、前よりずっと色が濃くなってる。だから前は気のせいだと思ってたけど今はハッキリ違うって分かるかな。君の中にあるのは君の精霊じゃない」


 そんな事あるのだろうかと思ってしまうアルト。だがアルトには一部心当たりがあった。


 あまりに色々な事が起きて忘れてしまっていたが、ブリテンでの一件の最中で最初に意識を手放した時、精神汚染とは全く別の幻覚をアルトは見た。


 思い返せばそこから治癒力が増して骨折も肉離れも瞬時に治るように思える。


「これは私の予想なんだけど、多分君は産まれた時に精霊を宿さなかったんじゃないかな? だから君の身近な誰かが、自分の精霊を君に移したんだと思うかな」


「そんな事出来るのか?」


「普通は無理だと思うかな。精霊はその人の鏡のようなものだから、もし仮に自分の精霊でないものを宿したらその宿主は精霊に乗っ取られるか、良くても自分の意思で体を動かせないんじゃないかな」


 そんな兆候は今まで見られて来なかった。ならば自分の中に宿っているのは何なんだ? と考えつつもう1つの疑問を彼女に尋ねる。


「なんで身近な誰かの精霊だって思うんだ?」


「君の色が精霊とよく似てるからかな。親子の精霊の色は似るものだから。……ねぇもしかして君に親が居ないのって──」


「さあな」


 アルトはその言葉の先を遮る。その先はどうでも良いと断じて聞く耳を持たなかった。


 実際アルトには親が居ない。だが自分の中にあるこの精霊とは無関係だ、そう今のアルトは思いたかった。


 そのまま暗闇に逃れようと再び自分の手を目に翳そうとした。


 が、そんなアルトの手を彼女が掴んで止める。


 そのまま文句を言う前に彼女はアルトのその手をアルトの胸の上に降ろす。


 そうして空いた両手で彼女はアルトの頬に手を据えた。


「それは無かった事にしちゃいけないかな。君の為に自分の精霊を……命を捧げて君を助けようとした人の事を無かった事にしちゃ駄目かな」


 普段の怒り方と違い、真っ直ぐとアルトを見るその目は叱るような眼差しだった。


(俺は頼んでない。こんな生き方しか出来ないなら俺は……)


 口に出さなかったが、そんな苛立ちがアルトの胸にはあった。


 この世の不幸を全て背負ったつもりは無い。だがかと言って人並みの幸せだって感じて生きて来れた方ではない。何より自分が居るだけで気分が悪い人間など数えられない程居るだろう事をアルトは自覚していた。


 再びそんな不安がアルトを苛むも、ふと続けて彼女が口を開く。


「君の精霊が揺らいでる。きっと悲しんでるんじゃないかな。君は今、自分は居ない方が良いと思ってるんじゃないかな?」


 それにアルトは何も応える事が出来ない。嘘を見抜くという彼女の言葉は本当なのだとよく分かる。


「ねえ。私は君が居ないと嫌だよ。私は君が居なかったら一人のままだったよ」


 そう辛そうに語る彼女の顔を見る事が出来ずアルトは瞼を閉じる。


「だからこれ以上無理しないで。君の体は魔族の私から見ても、もう人間の限界を越えてるって分かるから。君が苦しむ姿も、傷付く姿も私は見たくないかな」


 彼女の声が潤んで行くのを暗闇でより感じてしまう。


 それに耐えかねてアルトは閉ざしていた口を開いた。


「……歌」


「え?」


「歌を聴かせてくれたら、しばらく大人しくすると約束する」


 ふふ、と彼女の口から笑みがこぼれる。


「なら仕方ないかな。人に聴かせた事ないからちょっと恥ずかしいけど、笑わないでね?」


 そう一言告げてからすっと息を飲んで彼女が歌い出す。


「わたしーは緑の人魚 好物は白身のさーかな 焼いて食べてーも良いけど そのまま食べてーも美味しい」


(………………?)


「わたしーは緑の人魚 タコが凄くきーらい 何より目付きが悪すぎる きっと食べてーも美味しくない」


 タコは旨い。いや、そんな事は置いておいて歌詞が酷過ぎるとアルトは思ってしまう。


 美声から繰り出される魚の食べ方やタコの目付きは、その歌声も相まって強烈な印象を与えて来る。


 しかしそんな事を口にしようものなら本当に二度と歌ってくれなさそうなので、アルトは黙って耳を預けることにした。










 そして次の日。早朝からいつも通りセレが診察に来て、左腕のガーゼを交換する。


「セレ医務官、精霊を他人に移す事は可能ですか?」


「突然なに?」


 我ながら何の脈絡もなく話を切り出したと反省するアルトだが、続けてセレが口を開く。


「そんな手段あるわけないわ。座学で習わなかった?」


「大まかには習いました。ですが、結局精霊が何なのか分かりませんでした」


「それはそうよ。数百年ずっと研究していても、魔術の使用に欠かせない人間の器官という説や、人間の半身を担い、人格や思考を司るものなんて説もある。けどそのどれもこれもが仮説の域を出ないのは、誰もそれを証明する術を持っていないからよ。精霊っていうのはそれ程に曖昧な存在なのよ」


「ですが、魔術の発動に絶対に必要なんですよね?」


「絶対と言われればそうとは言い切れないから曖昧な存在なのよ」


 そう告げてセレは処置を終えた方と反対の腕のアルトの袖を捲って手を取る。


「あなたのこれは大戦末期に編み出された人工の魔術で、精霊を必要とせずにその効果を発動出来るでしょう?」


 言われてみればとアルトは思う。まともに授業を受けられないアルトが暇潰しに本を探っていた時に偶然見つけたのがこの魔方陣である。


「これ、私なんかでも見本の通り描いただけじゃその効力を発揮出来ないものよ。大戦期の知識に精通する程の精度をもって初めて効力を発揮出来るものなのよ。そんなものをあなたは自分で刻んだのかしら?」


 その言葉にアルトは返答を返せない。何故ならこれを刻んだのは魔族である彼女なのだ。


 いつも湖で喧嘩をする時に魔方陣を描いていたので、出来るかと頼んでみたら案外簡単に引き受けてアルトの四肢にそれを刻んで見せたのが現在に至る。


 だが思い返して見れば魔方陣を描いて魔術を用いる者など今まで他に見た事も無ければ聞いたことも無い。それこそ魔術に精通したこの学園にいながらだ。


「はぁ……」と返答に困るアルトにため息をついて返しながらセレは手を離す。


「あえて詳細は聞かないわ。どうせ湖の彼女に頼んだのでしょ?」


「…………は?」


 思わずアルトは自分の耳を疑ってしまう。


「この前のカウンセリングの時にあれだけあの子の事を思い返していれば、私に見えない訳無いでしょ?」


 しまったとアルトは頭を抱えてしまう。セレの能力を疑っていたとはいえ迂闊だったと。


「そんな事より話を戻すけど、要は精霊が無ければ魔術を発動出来ないとは言い切れないのよ」


 そんな事程度に流せる話なのかと思ってしまうも、アルトも思考を切り替える。


 言われて見れば確かに、アルトの魔方陣もそうだが、クレアの鎧も似たように精霊を介した魔術でないのは見ていて分かった。


 だが、アルトが本当に聞きたいのはそんな事ではない。


「なら、何で俺は魔術が使えないんですか」


 魔術に関しては天性の才能というものが絶対的に存在する。だが座学やラウドの指導を通して、魔術が発動出来ない所か詠唱すら出来ないなどという症状は前例が無いという事だった。


「それが私にも分からないのよ。仮に魔術が使えないという場合に考えられる理由は二つ。扱おうと思っている魔術が自分の容量を越えてしまっている場合。魔術が扱えない人間の理由の殆どがこれね。人間に及ぼせる魔術の影響はごく限られているのに、想像のまま魔術を使おうとするとそうなるわ。そしてもう1つは魔術の知識が著しく不足している場合。何を扱うかイメージ出来ないからそもそも魔術を発現出来ない。けれどあなたの場合そのどちらでも無いのに魔術を発動出来ない。これは魔術の適性の有無を越えた異常よ」


「つまりどういう事ですか?」


 全くセレの話が理解出来ないアルトは悩む仕草すらせずそう尋ねる。


 そんなアルトに僅かに苛立たし気に眉をひそめるセレだが、その問いに答える。


「自分の精霊が他人のものだと疑うあなたの気持ちは分からなくもないけれど、それだけであなたが魔術を使えない理由付けには欠けるという事よ」


 なら自分の体には一体何が入っているんだと顔を落としてしまうアルト。


 そこにすかさずセレが声をかける。


「彼女は何て? あなたに宿っている精霊はあなたのものじゃないと告げられたから、そんな疑問を私に問いかけたのでしょ?」


「あいつは、ハッキリ俺に入っているのは俺の精霊ではないと言い切りました。そして考えられるのは俺の親類の誰かだと……」


「思い当たる節は?」


 そのセレの問いに答えず、また反応すら示さずアルトは俯いたままでいた。


 その反応にセレは苛立つかと思ったが、フッと息を抜いてから話を切り替えるように切り出す。


「精霊については、私達にわからない事が多い。けど、そんな中でも精霊というのは人の顔や性格のようなもので、他人のもので埋め合わせが出来るものでもないし、代わりになるものもないということは私達でも解っているわ。つまり、他人に他人の精霊が宿る事なんて絶対に無いのよ」


 けど、とセレは続けながらアルトの処置を終えて立ち上がる。


 それに釣られてアルトもセレを見上げた。


「例外が無いかと言われれば、一つだけ僅かながら可能性が考えられるものがある」


「例外?」


「あなた、三種類ある魔術の全てを言える?」


 それは座学で習った事であり、魔術師を志す者としては常識とも言えるような事だった。


「強化魔術、放出魔術、錬成術ですか?」


 それはアルト達が習った事であり、疑いようの無い事だ。


 だがそれに対してセレは首を振る。


「あなた達はそう習うでしょう。けど、本来錬成術は魔術の内に含まれないのよ」


「え?」


「実際には、強化魔術、放出魔術、そしてもう一つ“召喚魔術”が存在するのよ」


 そんな単語は今まで一度も聞いた事が無かった。それこそ歴史の書物ですらその名を聞いた事はない。


「初めて聞きますよそんなの。そもそも何で教えられないんですか?」


「それ程に危険なのよ、召喚魔術は。魔術は正しい知識無しには発現出来ない。けど稀に知識も無しに魔術を発現する魔術師が存在するのよ。偶発的なのかそれとも必然的なのか、この世界を壊してしまいたいと思う程に追い詰められた人間が発現する魔術と言えば、危険性が分かるかしら?」


 何となく、アルトにはその危険性が解った。アルト自身、この世界をずっと憎んでいた。それこそ自分を含めて周りの全ての滅びを願う程に。だが無力だったからこそ驚異にならなかったが、そんな人間が力を持てばろくな事にならない事など目に見えている。


「単に魔術を発現出来るだけではない。召喚魔術はその魔術の影響力が他に類を見ないのよ。それこそ人間がエルフ族に匹敵するかそれ以上の力を持つ事になる」


「人間が? マナは保つんですか?」


 人間とエルフでは魔術の力が全く異なる。その最も足る所以がエルフと人間の持つマナの量の差だ。


 平均的なエルフ族のマナは優秀な人間の十数倍はあり、そのマナの貯蔵量から繰り出す魔術の影響力は、単体の放つ魔術で山を吹き飛ばせる程なのだという。


 だからこそ人間はエルフに絶対的に魔術で争っても勝てない。が、そんな人間すらエルフに勝るというその召喚魔術というものの原理が解らなかった。


「あなた、強化魔術と放出魔術の違いは分かるかしら?」


 自分で使えないのでピンとは来ていないが、その原理はアルトでも知っていた。


「精霊を介して自身に影響を与えるのが強化魔術で、外界に影響を与えるのが放出魔術……でしたよね?」


「あなた意外とちゃんと勉強してたのね。まあ良いわ、その通りよ。それに対して、召喚魔術は精霊を直接外界に顕現する魔術なのよ。だからマナの制限は受けず、外界のマナに影響を及ぼす事が出来るの」


「どういう事ですか? 精霊は外界に直接触れると消えるんじゃないんですか?」


 そう精霊は外界に直接触れると外界のマナに溶けて消えてしまうのだ。それは魔術師でなくとも知るこの世界の常識だった。


 そして魔術師としての知識をそこに補足すると、魔術には人間の纏うマナを消費する。しかし限界を越えて纏うマナを使うと精霊を覆うマナが無くなり、それが外界のマナに触れて魔術師は意識障害を起こし、更に魔術を使えば最終的に纏うマナが無くなって精霊が消失し魔術師は死に至る。


 つまり、精霊は外界に触れたら消えてしまうのだ。


「何故精霊が外界に触れても無事なのかは私達にも解ってないわ。或いは、外界のマナに溶けない程強力な意志がそうさせてるんじゃないかと私は仮説を立ててるけど」


「でもそれだけ強力なら大戦期から今に至るまで、全然名前が知られていないというのに納得出来ないんですが」


「逆よ。それだけ危険なものだからエルフ族がその存在を秘匿し続けているのよ。それこそ、歴史の文献を漁ると召喚魔術の影響としか思えない事故が幾つも起きてるわ。それは今もね。召喚魔術の危険な側面というのは単に強力な魔術という程度には納まらないのよ」


「と言うと?」


「召喚魔術は一度外界に顕現させれば精霊が指数関数的に強大になって行くのよ。そうすると最終的に人に納まる域を越え、最期には暴走し世界に危機を及ぼす程の脅威となる。だから召喚魔術を扱う魔術師は例外無く短命であり、そうでなくともエルフが直ぐに処理してしまうからその名が世に出回る事は無いのよ。それでも暴走ばかりはエルフでもどうにもならない様だけど」


それが真実ならば恐ろしい話だ。が、実際に目にしない事には推測の域を出ない話だとアルトは思ってしまう。


何より話が漠然とし過ぎている上に主語がデカい。


だがふとアルトは思い留まる。“それは今も”ととセレは告げた。その言葉に引っ掛かりを感じているとその答えの手助けのようにセレが口を開く。


「信じられない話でしょうけど、あなた最近目にしてるじゃない。この世界を脅かす脅威を」


「まさか……クトゥルフは召喚魔術なんですか!?」


思い当たる節など他に無い。言われてみればあれは魔術の域も生物の域も越えた異形そのものだった。


「あくまで仮説よ。仮説であっても世間で口にするのはお勧め出来ないけど。理由は聞かないわよね?」


息を飲むようにアルトは頷く。


召喚魔術を秘匿するのがエルフなら、そんな事が嘘であれ事実であれ、耳に入った時に何をされるか分かったものではない。


「はぁ……。察しが悪いあなたにもう1つヒントよ。召喚魔術は精霊を外界に顕現する魔術。なら――」


とセレは指を真っ直ぐにアルトへと向ける。


「人の中にも顕現することが可能なんじゃないかとは思わないのかしら?」


まさか、とアルトは思ってしまう。そして何故だかその話は、他人の精霊が宿っていると言われた時よりも素直に受け入れられてしまった。


思わずアルトは視線を落として自分の手を見つめる。


「その仮説が正しいなら、俺の体は召喚した精霊の力で保たれてるという事ですか?」


「そうなるわね」


「なら俺がこのまま戦い続けたら……」


再び“あの感覚”が甦る。自分が自分で無くなっていくような、何処までが自分なのか曖昧になっていくような。そして思考の端にあの黒く爛れた生物の姿がチラつく。


「それはどうでしょうね」


だがそんなセレの言葉が思考を遮った。


「確かにブリテンでの一件であなたの能力は飛躍的に向上した。それも、単身でヴァルバロイを退けてしまう程に。その理由が召喚魔術の影響力が増したものだと仮説すれば全て説明がついてしまう。けれど、幸か不幸かあなたはクレアちゃんの能力で魔術を封じられた。それによって召喚魔術による魔術の影響が収まったと見て間違いないわ。現に怪我だって治っていないんだし」


それを聞いてハッとさせられる。あんなに嫌いな相手に、こんな怪我を負せた相手に、まさかそんな施しを受けるなどと思っていなかった。


当然それは本人が意図した事では無いだろう。だが副次的な効果だからこそ、アルトはより不甲斐ない気分になってしまう。最後に会った時、あんな大人気無い対応をしてしまったのだから尚更だ。


(何やってんだ俺は……)


我ながら飽きれて自嘲する事すらも出来なかった。


「もし、今も召喚魔術を封じずに戦っていたら俺はどうなっていたんですか?」


「確証は無いけれど、あなたの様子からして直ぐに影響があるとは思えない。けれど、その力は間違い無くいつかはあなたを蝕んで行く。普通に死ねたら良い方でしょうけど、下手をすればあなたが第二のクトゥルフになる可能性すら有り得る」


その言葉をアルトは胸に深く刻む。あくまで全てが仮説で、クトゥルフの正体が召喚魔術でなかったとしても、自分の内に秘めている物はエルフが歴史から消し去ったものなのだ。


「その力には以後あまり頼らない事ね。怪我の治りが多少早い程度なら大した事にはならないでしょうけど、それを越えたら次も同じように抑え込めるとも限らないから。今はむしろ、怪我の治りが遅い事に安心して体を休めなさい」


そう言ってセレは出口に歩いて行く。


「それと、あなたの精霊の事と“あの子”の事は他言しないから安心しなさい」


最後にそう言ってセレは部屋を後にした。












「むー」


 いつも通り湖に赴いていたアルト。しかしそんなアルトを湖の中から彼女は膨れて迎える。


「何だ?」


 苛立ちを隠さず尋ねるアルト。


「何で休めって言ってるのにここに来ちゃうかなぁ」


 彼女がそう主張をするが、普段の彼女から想像出来ないあまりに正論過ぎる言葉により苛立ちを募らせるアルト。そもそも実質謹慎の身で部屋を出てるだけに更に何も言い返せない。


 なので無視してそのまま湖の畔に腰掛ける。


「ねーねー何で無視するかな?」


 しかし彼女はしつこく聞いて来る。


「そんな事してるともう剣返さないよ?」


 そう、実は昨日の帰りにまた大剣を背負って帰ろうとしたら彼女にそれを止められた。


 大事な物だと彼女に伝えるも彼女は納得せず、そのまま剣を奪われてしまった。


 その時ただでさえ大切な物を奪われた上に、帰り際に彼女が大剣を片手で軽々扱うのをアルトは見てしまう。彼女が意図していないにしろ、力の差を見せ付けられたようでアルトはそれが気に入らなかった。


「あれは大事な物だから返してくれないか?」


「怪我が治らなきゃ駄目かな!」


「俺は今怪我の治りが遅いんだぞ。治りきるまでどれだけ時間がかかると思ってる。それまでお前が持ってたらどうせ錆させたり傷付けたりするだろ」


「うー」


 彼女が唸る。物を大事に出来ない自覚があるのか、意外にもそれ以上反論をして来ない。


「じゃあ一週間したら返すからそれまで無理しないで」


 少し納得行かないものの、このまま続けて話が平行線になるのも嫌なのでアルトも素直に「分かった」と返す。


「なら寝てなきゃ駄目かな」


 とそれでも話が振り出しに戻ってしまう。


 大きくため息をついてからアルトは応えた。


「部屋に居たくないんだ。あそこに居ると落ち着かない」


「ここに来ても私が居るよ? うるさくないのかな?」


「お前のうるささには慣れた」


 そういつも通りアルトが憎まれごとを言うも彼女は不服な反応を見せなかった。


 だがそれは、実は彼女に会いたくてここに来ているのを見透かされているようでアルトはバツの悪い気分になってしまう。


「じゃあ横になりなよ」


 そう言われてアルトは何も言わずに畔から立ち上がって草むらまで歩き、そこに寝転がる。


 すると直ぐに彼女が湖から上がって来ていつも通りアルトに膝枕をする。


 いい加減慣れて来たアルトは特に何も言わなかったが、ふと違和感に気が付く。


「お前今湖から出て来たのに何で濡れてないんだ?」


「元々濡れてないからかな」


 さらっと驚く事を言い放つ彼女。すると解説を求める前に彼女は続けた。


「魔族は身に納まらない程マナが多いから、抑えないと身に膜を纏った感じになるかな。その纏ったマナは水や雨程度なら通さないから濡れないんだ。今まで気が付かなかったのかな?」


 言われてみて、彼女が濡れる姿をあまり見ていないのを思い出すアルト。


「偶に濡れてるのは何でだ?」


「速く泳いだりすると濡れちゃうかな。無意識に身に纏う程度だから、泳ぐ程度なら意識して強くは身に纏わないかな」


「強く纏うとどうなるんだ?」


「人の魔術くらいなら防げるよ?」


 成程とアルトは思ってしまう。それでは魔族に人間が勝てないというのも納得出来てしまう。精霊を介さず纏うマナだけで物理的な影響すら出る程なのだ、そんな濃度のマナを攻撃に転換すれば地図が書き換わる程の威力が出ても納得出来てしまう。


「フヒヒヒ」


 と彼女が不気味な笑いを漏らす。


「何だ気持ち悪い」


 本当に気持ち悪い笑いだと思い本音をそのままぶつけたアルトだが、彼女は珍しく怒り出さずに応える。


「最近私の事色々聞いてくれるなって思って」


 そんな事が嬉しいのか? と疑問に思うも、口には出さないアルト。


「君が私に興味持ってるんだなって」


 するとアルトの疑問を読んだかのように彼女がそう言い直す。


 そこでアルトは初めて自分が彼女に質問ばかりしているのに気が付いてしまう。


 彼女をもっと知りたいという自分の感情を嫌でも実感してしまう事に気恥ずかしくなりアルトは顔を湖へと向けて逸らす。


「……悪かったな」


 苦し紛れにそう言い返すも、彼女はそれにクスクスと笑いを漏らして余計にアルトは気恥ずかしくなってしまう。


「もっと色々聞いて欲しいかな。君の知らない私の事」


「ならお前、召喚魔術って知ってるか?」


 恥ずかしさでどうにかなりそうだったアルトは、話題を彼女から他の事へと変える。


「知ってるよ? 召喚魔術がどうかしたのかな?」


 そう呆気なく返して見せる彼女の顔を、思わずアルトは見てしまう。


 当然のような顔をする彼女は嘘を言っている様子は全く無かった。


 ならばそれはセレが言った事が嘘ではない事を物語っている。そもそも疑ってかかってはいなかったが、考察の域を出ないものと捉えていただけにアルトにとって彼女のその反応は少々驚くものだった。


 というよりも、教養が無さそうな彼女が魔術の種別が理解出来ている事により驚いていた。そこは流石魔族と評するべきなのかアルトには分からないが、そんな答えよりアルトは彼女への回答を優先する。


「召喚魔術ってのは人の間では秘匿されてるみたいでな、俺もさっき聞くまでその存在を知らなかった。それが具体的にどんな魔術で何が出来るか、ここの教官ですら分からないらしい」


「うーん。確かにあれは説明しづらいかな」


 彼女思考を巡らせているようで、小首を傾げながらたどたどしく話し出す。


「普通の魔術と違って、召喚魔術は自分のマナじゃなくてこの世界のマナを使うかな」


「そこまでは聞いた。だから召喚魔術は通常の魔術と違って際限なく使えると。だから影響力が他の魔術と比較にならないと聞いた」


「それは少しだけ違うかな。捉え方としては間違えてないと思うけど。うーん人に説明するのはちょっと難しいかな」


 人と魔族で魔術の捉え方が違っているらしく彼女は伝え方に困っている様子だった。


 なので補足の手伝いになればとアルトも彼女に説明する。


「俺達が習った魔術の定義は、精霊を介して自身か外界に影響を与えるものって事だった。それは間違ってるのか?」


「結果だけを考えるならそれで合ってるかな。でもそれだと召喚魔術の説明にならないって君は言いたいんだよね?」


「その通りだ」とアルトは応える。そもそも外界に触れると消える精霊が消えない理屈も理解出来ないし、何より顕現とは言うが要は精霊が人から抜けた状態になるのだから術者はそれで命を落とさないというのもまた謎なのだ。


「上手く説明出来ないけど、私は魔術って歌みたいなものだと思ってるかな」


「歌?」


「うん。魔術っていうのは自分の願いを世界のマナに表現する事って言えば良いのかな。詠唱が詩で、使うマナが声の役割をして、その二つが合わさって歌になって、世界の色を自分の色に変える。歌を聞いたマナ達が、その人の想いに応えてその人の望む願いに姿を変える。私達の目には魔術はそう見えてるかな」


 イメージが湧かないながらに、彼女の説明の理解に務めるアルト。それでも人間と魔族で魔術の理解への差はあるとは思っていたが、こんな捉え方をしているのかと驚いてしまう。


 例え魔術が扱えなくとも、教養や常識で培ってきた人間の知識とまるで違うのはアルトでも理解出来た。そもそも人間にとって魔術は武器の延長でしか無かった。だからこそその影響の結果だけを捉えて過程など注視して来なかったのだ。


「ならマナには意思があるって事か?」


「私達みたいに複雑なものではないけれど、あるかな。マナっていうのはこの世界の、木や土、水や風、虫や動物、全ての想いの欠片なんだよ。人の感情程高度なものではないけれど、それに近い生きようとする意思の欠片。沢山重なった囁き声みたいなものかな」


 成程とアルトは色々と合点が行く。だから魔術には明確かイメージと詠唱が必要になるのだ。


 そして先日彼女が言っていた嘘を見抜くというのはこの原理を利用したものなのだろう。つまり精霊にはその囁きというのが顕著に現れるという事なのだ。


 もっとも、アルトに宿る精霊はアルトのものでない為に、彼女がアルトの心を直接読める訳ではない無いのだが、それに気が付いたのは先日寝付く前だった。


 そんな事よりもアルトはそれだけでは最初の質問の答えになっていないのを思い出す。


「でもそれが召喚魔術とどう違うんだ?」


「召喚魔術も顕現させる為に詠唱しなきゃいけないのは同じかな。大きな違いは他の魔術と違ってマナを強制的にその精霊と同じ色に置き換える事かな。召喚魔術は顕現する限りその力を増し続けて、世界を塗り替え続けてしまう。だから人々の間で召喚魔術は隠されてるんじゃないかな?」


 世界を塗り替える魔術。そう言われてよりクトゥルフの正体が正確になって行く。彼女は魔術は願いだと語るが、どんな願いがあれ程強大な存在を産み出してしまうのか。


 そして召喚精霊がこの世界に存在し続けられる理由も知る事になる。つまりは世界そのものが召喚精霊に置き変わって行くから外界のマナから影響を受ける事が無いのだろう。


「君は……」


 すると何かに勘づいたようで彼女が探り探りといった様子で尋ねる。


「君は自分の中にあるのが召喚魔術なんじゃないか、そう思ってるんじゃないかな?」


「……その可能性が高いと聞いた。他人の精霊を人に移す事は出来ない。だが召喚魔術なら人の中に存在する事も出来るんじゃないかと。そしてもしそれがその通りなら、俺の中の召喚精霊は俺のマナを変えて存在する事になる。俺は……」


 話を聞く内にアルトでさえ僅かな恐怖を感じ始めていた。果たして自分という存在はどこまで自分自身だと断言出来るのか。何処までが精霊に塗り替えられていない自分なのか。


 いつかその影響が出ると語ったセレの言葉は恐らくこういう事だったのだろう。


 そしてそんな自分はどんな最期を迎える事になるのだろう。


 嫌な考えが頭から離れなかった。


「そういえば」


 それを察してか今度は彼女が話題を変える。


「君、力の加減が上手く出来なくなったって言ってなかったかな?」


「ああ。それがどうしたんだ?」


 そうアルトが尋ねると彼女が徐にアルトの右手を手に取り、袖を捲る。


「やっぱり。君この魔方陣連続で使わなかったかな?」


「使ったな」


「この魔方陣は不安定だから連続で使うと性質が変わってずっと発動したままになるかな。そうは言っても短時間に何回も発動しなきゃだから人間には出来ないと思てたけど、君相当に向こうで無茶したんだね」


 だから力のコントロールが出来なかったのかと合点が行く。つまり召喚精霊の覚醒と同時にこの旧式強化魔術が発動したままになっていたから、より力が増して余計にコントロール出来なかったのだ。


「なら元通りにしてくれ」


「無理かな」


「は?」


 これを施した彼女なら簡単に直せると軽い気持ちでいたアルトだが予期せぬ答えが帰って来る。


「何で直せないんだ?」


「それ不安定な魔方陣だもん。元々魔術と体の境界が曖昧なものだから、一度刻めば戻せないって君に言わなかったかな?」


 言われた気がするがアルトにそんな記憶は無い。例えそれが分かっていたとて、ブリテンでこの力を使わずに済んだかと言えばそんな事は無いが、それでも使用にはもう少し慎重になった。


 そして何よりそんな副作用は本に記されていなかっただけにアルトはより納得が行かない。


 そもそもだ。


「お前も似たの良く使ってるだろ。大体これはかなりの精度で描かないと魔術として機能しないと聞いたぞ。そんな物がなんで不安定なんだ」


「私が良く使うのは君のヤツとは違うかな」


 そう告げながら彼女はアルトの手を離して、地面の脇に指先で魔方陣を描き始める。


「魔方陣っていうのは予め魔術として機能するマナを選別する為のものかな。だからそれ単体では火を起こすような複雑な魔術を発動出来なくて、単純な命令しか出来ないかな」


「なら人間のリミッターを外すのは単純な魔術じゃないって事か?」


「ううん。それは生身の人間でもやろうと思えば出来る事だから単純な部類に入るかな。君の魔方陣の複雑な所は、その効果と一緒に任意に発動タイミングを決めてる所かな。だから短時間に何回も繰り返し使うと、発動側の命令が綻んで魔術が発動したままになって、君の体はその単純な命令を覚えちゃうからずっとそのままになっちゃうかな」


 とんでもない副作用だと改めて実感するアルト。スティルにやられたのが廃れた遠因と思っていたが、より凄まじいデメリットが存在していた。どうりで誰も使わない訳だと思い知る。


 と、そんな事を思っていると彼女が描いた魔方陣から炎を立てて見せる。


「それで、これは君の魔方陣と違ってそこまで複雑じゃないから命令が綻ぶ事は無いかな。代わりに私達みたいに放つマナの色をある程度コントロール出来ないと魔術にならないから、このやり方は魔族にしか出来ないけど」


 そう語ってみせ、彼女は魔方陣から炎を消す。


 だが今の話でアルトに新たな疑問が浮かぶ。


「こんなのどうやって人間が思いつくんだ?」


 彼女の口ぶりから人間が扱うにはあまりに無理の有るものだという事が良く分かる。それをどんな発想を持った人間なら思いつけるのだろうか。


「人間には無理だと思うから、魔族が人間に教えたんじゃないかな? 人間用に魔方陣を作ったせいで、無理な組み方で複雑になったんだと思うよ。魔族が使うならまず使わない組み方だと思ったし」


 つまり酔狂な魔族が居たせいで今の自分が苦労している訳だ。最も、そんなものに頼る自分が悪いのだが。


「はぁ……」


 ため息をついてアルトは手を額に乗せる。


 今後治らないとは言われたが、自分にはそこまでデメリットでもないかもしれないとアルトは考えを改める。


 むしろ治癒力が弱まった今、前よりも弱い状態で戦えと言われる方がゴメンだとアルトは考える。そもそも自分の望んだ力なのだから今更文句など言えない。


「怒らないの?」


 ふとそんな疑問を彼女が投げかけるが、目を伏せたままアルトは応える。


「感謝してるからな。何やかんやこれのおかげで今までやって来れた」


「フヒヒ」


 彼女が不気味な笑いを漏らすも、敢えてアルトは何も指摘しなかった。恐らくは彼女本来の笑い方なのだろうと思うと、不気味よりも僅かに嬉しさの方が勝り、アルトも本当に少しだけ笑みを浮かべる。


 するとそんなアルトを見て彼女も笑顔になりながら告げる。


「ねぇ。君は今まで自分に出来ないことばかりやろうとして来たよね。だから、今度は今自分に出来る事からやってみたらどうかな?」


「自分に出来ること?……俺に出来る事って何だ?」


「私じゃ分からないかな。だって君休む事も出来ないんでしょ? じゃあ休む代わりに君が出来る事探さないかな?」


 自分に出来る事。目を伏せて考え込むアルトは、そのまま今の自分に出来る事を求めている内に眠りへと落ちて行った。












「やっぱり有り得ないわ」


 早朝。いつも通り治療を受けているとセレがそう切り出して来る。


 下手な事を言って気を損ねたくないアルトはそれまで黙っていてのだが、セレの方から話を振り、そのたった一言に緊張感を煽られながらアルトは慎重に言葉を探る。


「何がですか?」


「あなたよ。他に何があるの? 今朝あなたがベット送りにした王子様が目覚めたのよ。けど胃と肝臓の損傷と骨折の痛みで上体すら起こせない有様だったわ。対してあなたはそんな人間よりずっと重症なのに、もう朝食を済ませたようね?」


 しまったとアルトは思う。今朝はいつもより腹が減っていたので早めに食堂に向かったのがセレに筒抜けだったらしい。


 それまではルイス達ギルドのメンバーが食事を運んで来てくれてのだが、それを待てなかったアルトは食堂に赴いたのだ。


 今考えれば、バレない訳が無かった。


「スティル先輩の怪我は治りが悪いんですか?」


 機嫌を損ねたならもう仕方ないと開き直ったアルトはセレに尋ねる。


「超人的な回復速度よ。私があなたに人間として有り得ないと言ってるのは、回復力なんかより怪我の苦痛に耐えて歩き回ってる事よ。痛みに快感でも覚えてるの?」


 棘のある言葉にアルトは苦笑いを浮かべる。


「それだけ歩き回れるなら直接会ってみたら? きっと歓迎されないでしょうけど」


 ついでと言わんばかりにセレはアルトにそう言い放つ。


 実は見舞いに行くという選択肢はアルトの中に前からあった。何よりそんな状態にしてしまったのは自分なのだからそれを負い目に感じなかった事はない。


 だが会ったとして自分はなんと言って謝罪すべきなのかとアルトは考える。いくら頭の中で言葉を並び立てても相応しい言葉が浮かんで来なかった。














「まさか本当に来るなんてね」


 数刻後、言われた通りに医務室に顔を出すアルトはセレにそんな恨み言を放たれる。


 そんなセレに対してアルトは返す言葉を失う。


 冗談で言っているのだと察する事が出来なかったのもあるが、それ以外にも校医達の目が普段のセレ並に鋭いのもあって尚更何かを言い出せる状況ではなかった。


 絶対安静の人間がこうも容易く出歩いているのだから、それはこんな顔にもなるなとアルトは遅れて理解する。


「スティル先輩の意識が戻ったそうなので来たのですが」


 だが悪びれる様子も無くアルトはそう尋ねる。一周まわって校医達の態度に腹を立てたアルトは堂々とそう言ってのけた。


 するとその態度に呆れた様子でセレは椅子から立ち上がって「こっちよ」と静養室の扉の前に案内する。


 アルトは言葉に従って扉の前に立ち止まり、手すりに手を伸ばす。が、そんなアルトの手をセレは掴んで止める。


 何かとセレの顔を見ると険しい顔でセレは告げた。


「一応言っておくけど、彼は絶対安静の身なの。分かるわね? 絶対に怪我が悪化するような事はしないで」


 どういう意味だ? と胸の内で思いながらも「わかりました」と素直にアルトが返すとセレは腕を離す。


 そこに二度扉をノックしてから1拍置いてアルトは静養室へと入って行く。


「……失礼します」


 控えめにそう言って入った個室は簡素なもので、ベットと小ぶりな机が1つだけしかなかった。


 そんな部屋の中で、ベットに横たわるスティルの姿があった。


 そのままでは顔が伺えないので、ベットまで近付いてアルトは顔を見せる。


 すると、横になったままスティルは驚愕に目を見開いていた。


「お久しぶりです」


 アルトがそう告げるも、すぐに応えが返って来る事はなかった。


 その驚きをしばらくして落ち着けながら、スティルはようやく口を開く。


「俺より重症と聞いていたが……。その上クレアとの戦いで回復力が落ちているとも聞いた。もう動けるのか?」


「多少痛みますが」


 アルトのその回答にスティルは唖然とする。


 一方でアルトはスティルの容態を見てセレの言っている事を思い返してしまう。


 スティルは動く所か寝返りすらも打てないという様子だった。


 対してそんなスティルよりも重症なアルトはこうして歩き回っている上に先日には常人には持ち上げられないような鉄塊を背負って這い回っていたのだ。


 セレはおろか彼女が怒るのも今更ながら納得してしまう。本来ならこうなっていなければならないはずなのだ。


「クレアが迷惑をかけてすまなかった」


 しばらく黙り込んでしまっていたアルトにそんな言葉をスティルは放つ。


 予想だにしないスティルの謝罪に今度はアルトが唖然とする。本来なら自分から謝らなければならないというのに、立場が逆になってしまった。


「俺にも非があります。全部があいつのせいじゃありません」


「お前に何の非があった。子供とはいえ王族のとる態度じゃなかったのは間違いない。それを自覚させなければあいつはいつまでも子供のままだ」


 そう言われてしまうとアルトも何も言えなくなってしまう。


 子供。そう実際にクレアは子供なのだ。言葉遣いは大人びていても年相応の行動と振る舞いをしていた。そして自分はそんな子供相手に本気で怒り、戦って見せたのだ。


 そう思いますます何も言えなくなってしまうアルト。


「お前は寝ている間に随分と変わったな。いいや、ブリテンから帰って来た時点で変わっていたのか……」


 そんな事は無いと告ようとするも、スティルは続ける。


「命を奪いかけたクレアや俺を案じているんだ。過去のお前ならそんな慮りのある事は言わなかっただろう?」


 そうなのだろうかと考えるアルト。しかし何となく自分でもそう考えている事が変化なのだと薄々勘づいてしまう。そもそもアルト自身、何処で自分が大きく変わったのかは分かりきっていた。


 分かりきってはいたのだが、気恥しい気持ちがそれを許さない。


「仕返し出来ないと困るので」


 苦し紛れに出て来たのはそんな言葉だった。すると次の瞬間スッと息を飲む音が聞こえると


「ハッハッハッ……グハァッ!!」


 唐突に笑い出したかと思うと血を吐き出してスティルが噎せる。


 慌てて動き出すアルトだがそれと同時にドアが開いてセレを含めた校医三人がアルトを押し退けてスティルを取り囲む。


 とにかく気道から血を出す為にスティルは無理やりにその巨体を横に向けられる。


 すると再びスティルは血を吐いてから次第に咳は収まって行った。


「何をしたの!」


「……何もっ!」


 突き飛ばされて壁にぶつかったアルトは痛みに顔を歪めながら、校医の一人の問いに何とか答える。その扱いに本当に自分の方が重傷患者なのかと再度疑ってしまう。


 痛みで倒れそうになる体を、壁を背にして何とか支えるアルト。


 だが次の瞬間ダンッ! と衝撃音が小部屋に響く。


 壁に凭れ掛かるアルトにの上に覆い被さるように壁に手をついたセレが、鋭い相貌を眼前で向けていた。その気迫にさしものアルトも驚いて目を反らせない。そのままセレは口を開く。


「言ったわよね、怪我が悪化することするなって。彼の様態を知ってる? 肝臓裂傷、腎臓挫傷、胃破裂、胸骨及び第七から第十肋骨骨折、左腕前腕部粉砕骨折。全部あなたがやったのよ、王族を相手に。止めを刺しに来たというなら私があなたの息の根を止めてあげましょうか?」


 完全に脅迫である。校医の言葉ではない。それを耳にした他の校医が流石にマズイと思ったのかセレを引き剥がす。


「もう行きなさい」


 と、校医に言われたアルトは壁から部屋を後にしようとする。しかし


「……待ってくれ」


 呻くようにスティルが告げる。アルトは扉の前で足を止めて振り返る。


「俺も……お前を殺しかけた。いいや、お前じゃなければあれは完全に殺していた。お前が気に病む必要は無い……」


 そこまで告げて再びスティルが再び咳き込む。


「セレ。その子を部屋まで送ってあげなさい」


 スティルの処置を行っている校医がそうセレに言うと、セレはアルトの方に向かいながら「行くわよ」と言ってから扉を開く。


 アルトも抵抗する事無くセレと共に静養室を後にした。







「まさか本当に来るとは思ってなかったわ」


 部屋までの道中、徐にセレは口を開く。


「軽率だったわね。あんな事を言うべきではなかった」


「………………」


 アルトにはセレの言葉に対する答えが浮かばなかった。するとセレは更に語る。


「あなたの怪我は、あれ以上と聞いて少しは自分の異常さに気付いたかしら?」


「……分かりません」


「そう、なら教えてあげるわ。あなたは全身を骨折しているのよ。その上幾つかの内臓も損傷していて、とても何かを食べられる状態じゃないわ。加えてあなたは脊椎も含めて全身を骨折しているの。歩くどころか普通なら手足を動かす事すらも出来ないのよ」


 流石のアルトもそれには驚いて見せる。


「どういう事ですか? 俺は何でこうして歩けるんですか?」


「私の方が知りたいわよ。予想としてはあなたの筋肉が骨の代わりをしているのでしょう。まあそれも本来ならあり得ないのだけど」


 精霊の件といい、今の自分の状態といい、自身の身であるのにまるで納得出来ない。


「それが分かったら今度こそ部屋で大人しくしてなさい」


「……部屋に居ると何かと落ち着きません」


「分かってないわね。今回の件といい、王族二人に怪我をさせた件といい、あなたの起こした問題の責任を取るのはあなたじゃなくラウドなのよ。その結果今は停職処分にされて、あなたを守れるのは今は私しか居ないのよ?」


「それは……考えてませんでした」


 そんな真実には辿り着けなかったとアルトは顔を伏せてしまう。あれだけ暴れ回ってもまだこの学園に居られるのはこうして影で支えてくれている人間がいるからなどと、今まで考えた事すらもなかった。ギルドのメンバーだけじゃない。様々な人間に自分は救われている。


「すみませんでした」


「あなたに素直に謝られると調子が狂うわね。とはいえ、静養室ではあんな庇い方しか出来なかったのは私からも謝る所だけれど」


「あれは本音だと思ってました」


「失礼ね。本音は八割だけよ」


 殆ど本音じゃないか、という言葉をアルトは飲み込む。何やかんやで怪我の処置もしてくれているし、相談にも乗ってくれているセレを悪く思う事など出来なかった。


「だから今はしっかり休みなさい。今のあなたに出来る事をするのよ。トーナメントに向けて鍛えたいのは分かるけど、今体を癒さなければ、鍛練する時間が無くなるというのを胸に刻みなさい」


「……分かりました」


 アルトの了承に僅かに笑みを浮かべるセレ。そこから先はセレも何かを言う事は無かった。







(俺に出来ること……)


 部屋に一人残されアルトは考える。だがしかし、一人で思い更けるとすぐに昔を振り返ってしまった。


 その度に奥歯を噛み締めて苦痛に耐えるアルト。それでも自分が今まで逃げて来た、向き合わなければならない過去である。


 もう随分と過去の出来事なのに、脳裏には鮮明にその時の光景や気持ちが焼き付いていた。それでも当時は今よりもっと強い感情に支配されていたのに、その時自分はどうやってその感情から逃げていたのだろうとアルトは思い返す。


 すると、何故かアルトの脳裏に浮かんだのはスティルやクレアと戦った時の光景だった。


 同じく鮮明に残っているその記憶の中にあったのは、まるで静止画のように映るラウドと、クレアの鉄巨人だ。あれは何だったのかと考えると同時に、アルトは気が付く。


(……?)


 窓から射す光に違和感を感じるアルト。注視すると、光を舞う僅かな埃が静止して見えた。


 と、同時に


「……ト? アルト?」


 アルトはハッとして声の方を向く。


 昼食を持って来たルイスが部屋の中に居た。


「どうしたんだい? 具合が悪いのかい? 珍しく部屋に居るみたいだし」


 そう心配するルイスにアルトは「いいえ」と返して再び光を見る。


 しかし、舞う埃はもう無い。恐らくはあるのだろうが肉眼で捉える事が出来ない。


「先輩。頼み事をしても良いですか?」


 先程の様子から唐突に言い出すアルトに困惑する様子のルイスだが、トレイを机に置きながら「なんだい?」と聞き返す。


 そしてアルトはルイスにあるものが欲しいと要望を幾つかした。


 困惑気味のルイスだったが、困惑しながらもアルトの要望を了承する。


 困惑するルイスを他所に、アルトは自分に出来る事を見つけ、そこに手応えを感じていたのだった。


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