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WHEEL OF FORTUNE~仮初の境界線~  作者: 鴇天ユキ
第二章 仮初の境界線
11/14

戦う理由

 突然静養室から出てきた少女はアルトを指差す。


「またあなたですか! 私に勝てないからと彼に手を出すなど、どこまでも卑怯な手を!」


 また、と少女はアルトとの面識があるような口振りをする。本来この手の人間は記憶から消すアルトだが、今回に至っては珍しく記憶に残っていた。


 そしてそれは到底印象が良かったからではない。


(次から次へと……)


 また面倒ごとが始める予感をアルトは感じていた。


 無視してやり過ごせないものかと考えるが……。


「無視しないでください!」


 少女がアルトへと近付いていく。彼女の両手足に纏った黒い甲冑が大きく音を立てている事からも憤りの大きさが伺える。


 だがそこに割って入る人物が。


「待ってくれ!」


 ルイスがアルトと少女との間に入る。すると、ルイスはその場に跪くようにして頭を下げ始めた。


「アルトだって悪気があってやった訳じゃないんです! 今回の件はどうか見逃してください!」


 その姿を見るなり、少女は鼻を鳴らす。


「はっ、情けない姿ですね。そんな安い頭を下げられても気分が悪くなるだけですよ」


「は?」


 その少女の態度に納得が行かないアルトは椅子から立ち上がる。


「先輩こいつ何なんですか。下級生にそんな態度取る必要あるんですか?」


 アルトの問いに顔を青くしたルイスがアルトへとすがり付く。


「逆になんで君は知らないんだよ!? 彼女はクレア・ネライダ。バン・フライン王国の第三王女だよ! 今年の特待生で、飛び級して14歳で入学した天才魔術師だよ! 噂くらい聞いたことあるだろ!?」


 と、ルイスに言われるがアルトにそんな予備知識などなかった。よって目の前に居るのはただのうるさい子供である。そしてアルトは子供が嫌いだ。


「なら下級生には変わらないじゃないですか。頭なんか下げる必要ありませんよ。立ってください」


「でもアルト……」


 そう呟きながらルイスは立ち上がる。既に鋭い目付きになっている事からアルトが怒っているのを感じ取ったルイスは、最早説得の余地が無い事を悟る。


 だが、アルトがもしかしたら素直に事の経緯を説明すれば見逃してくれるのではとルイスは予想するが。


「お前が頭を下げろ」


 予想の斜め上を行くアルトの発言に、ルイスは絶句する。


「何故私が? あなたこそスティルに頭を下げなさい」


「ならまずお前が頭を下げろ」


「意味が分かりません。あなたが頭を下げなさい」


「お前が頭を下げないなら俺も下げる気はない」


「話になりませんね。仕方ありません、“エリンロフ”」


 そうクレアが何かを唱えた瞬間、いつの間にかクレアの手には小振りのナイフが握られていた。


 が、何かすると感づいていた瞬間から動き出していたアルトは既に拳を握って動いていた。


「待ちなさい」


 そんな言葉がアルトの拳を止める。


 アルトの拳はクレアの顔面手前で止まり、クレアは一歩遅れて後ろに下がる。


 拳を解いてからアルトは声の主であるセレの方を見た。


「ここは医務室な訳だけど、怪我したそばから治してもらえるとでも思っているの?」


 目の前に居るクレアが気に入らないのは事実だが、場所が悪いのはアルトにも分かった。


 それを理解したアルトは何も言わずに医務室の扉を開けて出ていく。


「待ちなさい!」


 するとそんなアルトを見逃す訳もなくクレアが追って行く。


「ちょ、アルト!」


 遅れて後を追おうとするルイスだが。


「待って」


「え?」


 ルイスをセレが呼び止める。


「今回に限って、彼が怪我をしたらその治療を引き受けて良いわ。きっと馬鹿みたいな戦い方して大怪我するのが目に見えてるから」


「クレアちゃんの心配はしていないんですか?」


「あれでも第三王女だから、そこまで心配していないわ。例え相手がヴァルバロイを相手に帰還した人間だろうと、人間が相手なら彼女負ける事はないでしょうし」


「?」


 言葉の意図が分からないルイス。だがこれ以上問答をしている訳にも行かないので、「すみません、もう行きます」と告げて医務室を後にする。










 それほど長く話していないというのに、ルイスが着く頃には二人は既に闘技場に着いていた。


 あんな大剣を背負っているのにそれだけの速度で歩けるのだから、年下相手によくそこまでやる気になると半分呆れてしまうルイスだった。


「もう一度だけチャンスをやる。ルイス先輩に頭を下げろ」


 そんなアルトの言葉に、クレアは鼻で笑って返す。


「命乞いのつもりですか? なら冷静になって言葉を選ぶ事を推奨します」


 よりアルトを煽動するクレア。


 すると、アルトは無言でルイスの方へと歩き出す。そしてアルトは終始無言のまま入り口に立ったルイスに背中の大剣を押し付けるように渡すとそのまま闘技場の真ん中へと歩いて行く。


 本気でアルトが怒っているのを感じてルイスは何も言えなかった。そしてもう絶対にアルトが止まらない事も察する。


「来いよ」


 憤慨するアルトを見て気分が良いのか、余裕を晒すように再度鼻で笑いながらクレアは告げる。


「あなたからどうぞ。ハンデとしてそちらから攻撃するのを許可します。ただし、“ハームクリーング”」


 クレアが何かを唱えた途端、ルイスは体から若干力が抜けるのを感じた。その脱力感に大剣を手放しそうになるも、慌ててそれを抱え直す。


 対するアルトはこれといった変化を感じていなかった。


「もうこの場所で魔術を使う事は出来ません。勿論私はその限りではありませんけれど。さあ、私からもう一度謝る機会を設けましょう」


 勝ち誇ったように語りながら、アルトの方へと歩き出すクレア。


(もしかして、セレ先生が言ってた負けないってこういう事……?)


 通常魔術師が一方的に魔術を制限された状態で戦えと言われても勝負になんてなる訳が無い。だからこそセレが大した事態にならないと思っているならかなり不味い事になるとルイスは察して再び声を上げようとするが……。


「一つだけ聞かせろ」


 ふとアルトが向き合ったクレアの背中側を指差して尋ねる。


「あの壁とお前ならどっちが頑丈なんだ」


「何ですかその質問は? 私の方が頑丈に───」


 言いきる前に、アルトはクレアの目の前に踏み込んで拳を固めていた。咄嗟に両手を目の前に組んで防御の姿勢をとるクレア。


 アルトの拳はクレアの重ねた小手に命中し、次の瞬間には二十メートル離れた先の壁が砕けてその姿は砂塵と瓦礫の中に消えた。


 事を終えてアルトは何も言うこと無くルイスの方へと歩き出す。


「今のは流石に不味いって!」


 形相を青くして声を上げるルイス。


「ちゃんと防がせる機会はやったので、あいつの言葉が嘘じゃなきゃ大丈夫ですよ」


 そう言いつつも冷静さを取り戻したアルトは、今更ながら確かに少しやり過ぎたかもしれないと若干後悔し始める。


 そして、防がせたというのは嘘で本当はそのまま拳を打ち出す事が出来なかった。また、拳を出す寸前で血を流す彼女の姿が思い浮かんだ。それが尚更にアルトの罪悪感を煽る。


 と、その時だった。


「彼にもこういう卑怯な手を使ったのですね。納得です」


 噴煙の中での声にアルトは足を止めて振り向く。


 次の瞬間噴煙が穴を穿ち、紫電が走った。


 ほぼ無意識の反応でアルトは手を出す。


 無造作に出したようなアルトの手は、ナイフを持ったクレアの小手を止めた。


 危なかったと思わず冷や汗を滲ませるアルト。ギリギリ反応出来たのは割れる噴煙を見切れたからであり、何も無い状態で今のをやられたら彼女が動いた後に生じる紫電すらも目で追えなかった。


 だがクレアは強引に手にしたナイフをアルトの胸へと押し込めようとする。以前と同じくその華奢な体からは想像もつかない力にアルトも全力をもって抵抗してようやく拮抗出来る状態だった。


「ですが、魔術無しでこの惰力と反応速度なのには納得が出来ない。あなたは本当に人間ですか?」


(それはこっちのセリフだ……)


 胸の内で返すアルト。クレアの力は明らかに物理法則を無視している。それこそクトゥルフの眷属達以上の筋力を誇り、ましてや壁を粉砕する程の一撃加えたにも関わらず彼女には傷一つついていない。


 何かしら魔術による強化があるにしても、おおよそ人間とは思えない耐久力を誇っている。


(!?)


 と、その時一瞬視界が揺らぐのをアルトは感じた。そして一瞬だがクレアの黒い小手が黒く爛れた皮膚に見える。


「くっ!」


 思わずアルトは垂直蹴りを無防備なクレアの腹部へと浴びせて引き剥がす。だがその手応えはまるで壁でも蹴ったかのようであり、アルトの全力の蹴りを受けたにも関わらずクレアは僅かに後退するに留まった。


 しかしアルトは動悸から来る悪心と不快感を感じてそんな違和感を感じている余裕などなかった。


(落ち着け、全部幻覚だ。落ち着け、落ち着け、落ち着け!)


 自分に言い聞かせるも鼓動がより早くなって行く。不安が募ると同時に全身に汗が滲み出す。


 だがそんなアルトをいざ知らず、クレアは再び動き出す。横に数歩動いた後に、紫電を残してその姿が消える。


 アルトが僅かに右目を動かしたそこには既にクレアの姿があり、空中にいた彼女は飛び蹴りを放っていた。


 伏せてそれをやり過ごすアルト。だが伏せた先にはクレアがナイフを構えて迫っていた。


 迎撃に動こうとする。だが……


(動けない!?)


 いや、正確には体は動かす事が出来る。だが今回は強く感じる事の出来る違和感が反撃を躊躇わせていた。


 そして次の瞬間、瞬き程の時間の中でアルトは違和感の正体に気が付く。それとクレアがアルトの懐に飛び込むのは同時だった。


 アルトが感じた違和感の正体はこれだった。


 今まで対格差を埋める為にアルトは肉弾戦において相手の懐に潜り込む事を心掛けていた。そしてこれがアルトにとっての必殺の間合いでもあったのだが、おおよそ二十センチは低いクレアの懐になど飛び込める訳がなかったのだ。


 そしてその判断の遅れはクレアの一撃を確定着けていた。


「ぐぅっ!」


 呻き声を漏らしながらクレアの拳を受けてアルトは吹き飛ばされる。


 先程の意趣返しと言わんばかりにアルトは壁に叩き付けられて粉塵を散らす。


「アルト!」


 思わずルイスが叫ぶ。アルトの攻撃は明らかに度を越していたが、それにしてもクレアのそれはアルトのやった事の比ではない。


 今のは生身の人間相手に繰り出して良い威力ではない。どう考えても即死する威力の一撃だ。こんなのはケンカでも決闘でもない、ただの殺し合いだ。


 思わず駆け出しそうになるルイスだった。


 だが次の瞬間だった。


 粉塵の中で何かが一閃する。それと同時にドッと鈍い音が後を追った。


 すると一拍置いてクレアが膝をついた。ふとクレアが目線を粉塵から自らの左肩へと向ける。


 そこには先程クレアが手にしていたナイフが深々と突き刺さっており、そして粉塵が晴れたその先には崩れた壁に凭れながらナイフを投げたままの姿勢のアルトの姿があった。アルトは吹き飛ばされる瞬間、防げないと察して防御の代わりにクレアのナイフを奪ったのだ。


 だがアルトは肩で息をしており、その頭からは鮮血が漏れて顔を赤く染めている。


 それでも何とか無事だったアルトにルイスは安堵するが……。


「やはりあなたは人間を越えている。あなたは……危険過ぎる」


 痛みで立ち上がれないのか、膝をついたままクレアは告げる。その表情は先程までの余裕は無く、僅かに揺れる瞳から恐怖にも似たものを感じているのであろう事はルイスにも分かった。


 対するアルトは頭を打ち、更には血が目に入って目の前の景色を鮮明に映す事が出来ない。それでもどうにか自力で立ち上がると、クレアへと歩みだす。


(体が……重い)


 そして今更になってアルトは自分の体の変化を知る。


 ブリテンの一件から、より回復力が上がっていたアルトだったが傷が治る様子が無いのを身体中の鈍痛で察する。ついさっきスティルと戦った時には骨折すらすぐに修復出来たというのに、クレアの魔術を封じる能力が確かに効いているのを実感した。


「何故生きているのですか化物!」


 唐突なクレアの慟哭は、朦朧とするアルトの耳にもしっかりと届いた。ふと、アルトの足が止まる。


 先程と違いクレアはしっかりと怯えを顕にしていた。そして、ルイスもアルトに若干の畏怖を感じていた。


 もしかしたら、アルトもクトゥルフと戦った影響で眷属に近い存在になってしまったのではないか? そんな有りもしない考えがふと沸き上がってしまう。そんな大したこともない疑問が、この瞬間止められた二人の戦いを止める事を躊躇わせてしまう。


「ハームクリーング!!」


 その時クレアがまた詠唱に似た何かを唱えた。


 その叫びに似た声を掻き消すように、轟音と共に黒い影が落ちて来た。


「!!」


 アルトはその姿を見て絶句する。それはルイスも同様だった。


 全高三メートル程の巨大な鉄の巨人がクレアの隣で佇み、アルトを見据えている。どう考えても尋常ではない事態に今更ながらルイスは声を上げる。


「もう止めてくれ! これ以上やったら彼は死んでしまう!」


 ルイスは叫ぶがその声はクレアに届いた様子は無い。ならばとルイスはアルトの方を見る。


「……アルト?」


 だが大きく開きかけた口を閉じてルイスは呟いた。アルトの様子はまるで先程とは違う。その目はクレアのように怯えに見開いている。


(まさか!?)


 ルイスの脳裏に、先程アルトに大剣を渡した時のアルトの姿が思い起こされる。アルトの今の様子は先程のそれと酷似していた。


 そう、今のアルトにあの巨人は……


(何でここにコイツが!?)


 長く黒い四肢に、鋭く前に並んだ牙がアルトを向く。二本足で立つヴァルバロイがアルトの前に立ちはだかっていた。


 あり得ない。そんな考えをアルトの動悸と不安が全て塗り潰す。


「あなたはここで仕留めます!」


 そんな声と共にヴァルバロイが動き出す。


 ズシッと大きな音を立てて歩み寄るヴァルバロイにアルトは足が鋤くんで動けない。


(またなのか……)


 最早アルトには、今どこに居るのかすらも分からなかった。ただただ迫り来るヴァルバロイを見ている事しか出来ない。


(またあの地獄を乗り越えなきゃいけないのか……?)


 最早何処にも逃げ道など無い、そんな想いがアルトの胸を埋め尽くしていく。


(そんなに俺は生きてちゃいけないのか……?)


 そんな考えに至る頃には、ヴァルバロイはアルトの目の前で片腕を振り上げていた。その腕は一切の躊躇いなくアルトへと振り下ろされる。


【レン!】


 過去からの叫び声を耳に、アルトは体を地面に打ち捨てられながら意識を手放した。






────────


 赤い屋根の連なる街並み。丘から下るように赤く連なるその先には、果ての見えない湖が広がっている。


 バーミリオン。中央連合国セントルムの片隅の街であり、そしてこの世界で最も美しい街並みと評される場所であった。


 そんな街に一つ、この世界で最も大きな教会があった。創造神バハムートを信仰するその教会は歴史も古く、そして改築と増築を繰り返して今日まで大きくなって来た経緯がある。


 そんな教会は孤児院としての側面も持っており、増築で無駄に増えた空き部屋はクトゥルフ襲来から増えた難民や孤児の受け入れ先の一つになっていた。


 そして、アルトもまた孤児としてこの場所に居たのだ。


「レン! 何度言ったら分かるのです、暴力は最も恥ずべき愚かな行為であると!」


 そしてアルトは今日も神父から叱責を受けていた。


 アルトは連日叱責を受け続けていた。それもここに来た時からずっと、同じ理由で。


 今回の理由は街に居る不良グループに動けなくなるまで暴力を振るった事への説教だ。


 喧嘩になった理由は特に無く、ただ通りがかったアルトに不良グループが絡み、それを何も言わずにアルトが殴り倒したのが発端だ。


 いくらでも避けられた争いにアルトは自ら首を突っ込み、更には全員を気を失うまで叩きのめしたのだから神父の怒りはいつにも増して大きなものとなっていた。


「そんなに争いたいのですか!? なぜそんなにも戦いたいのです!」


「…………………………」


 アルトは何も応えない。それは叱責された事の反抗ではなく、ただただアルトにはその問いに対する答を持ち合わせていなかった。


 現にアルトはここに来て一月経った今でさえ、一言しか発していなかった。


「聞いているのですかレン!」


「その名前で呼ばないでください」


 この一言だけが、アルト唯一のコミュニケーションだった。


 アルトの言葉に神父は眉を潜めて難色を示す。


 怒りが呆れに変わったのだろう。ため息をついて神父は部屋から出て行く。


 沈黙の訪れた部屋に、ただ時計の音だけが響く。


 アルトはいつものように、時計の音へと集中する。


 僅かでも集中を途切れさせると、また怒りに押し流されて自分がどうにかなってしまいそうだった。


 ただ、ただ他の事を考えないように音だけに集中する。


 この時のアルトの心を落ち着かせるのは、時計の音と、あともう一つだけだった。







「この前はよくもやってくれたな」


 買い出し当番を引き受けていたアルトの前に、再び不良グループが現れる。


 今回はアルトを袋叩きにする為か、その人数は10を裕に超えていた。


 アルトは何を言う訳でもなく荷物をその場に置く。


 そして街中の、人目があるのを気にせずにそのまま不良グループと殴り合いを始めた。


 この時、アルトは薄々自分が争いに身を投じる理由に気が付いていた。


 この瞬間だけは、過去を気にせずに済む。次はどうするか、どう相手を倒すか。そんな考えを巡らせながら、受ける痛みが思考を鈍らせて意識が揺らぐ。そんな中、自分や相手の血を見る事で自分がまだ生けているのだという事を実感出来た。


 自分は存在してはいけないのではないか。生きていてはいけないのではないか。そんな考えを、戦っているこの瞬間だけは考えずに済む。今のアルトにとって、ここだけが生きて行ける場所だった。







「釈放だ、出ろ」


 そう衛兵に言われてアルトは牢から出る。


 いつもより派手に暴れたアルトは、遂には衛兵に捕らえられていた。


 そんなアルトを迎えに来たのは他でもない神父だった。


「……………………」


 いつも通り叱責が来ると思っていたアルトだったが、予想に反して神父は無口だった。


 神父はそのまま、いつもの部屋まで口を開く事はなかった。


「ごめんなさい」


 長い沈黙を破り神父の口から放たれたのは謝罪の言葉だった。


「もうあなたをこの教会に留める事が出来なくなりました。あまりに悪行が行き過ぎる……と方々から責められまして。あなたには明日にはここを出てもらう事になります」


「……………………」


「この後においても、あなたは私と口を利いてはくれないのですね」


 真っ直ぐにアルトと向かい神父は最後の質問をする。


「一つだけ。どうしてもあなたの口から答えて欲しい事があります。なぜあなたは戦うのですか」


「………………」


 無言を貫くアルト。しかし、スッと息を飲んで口を開く。


「そこにしか、生きる意味を感じないからです」


 その言葉に、神父は哀れみの目をアルトに向ける。そして次第にその双眸からは涙が溢れ、膝から崩れるとアルトにしがみつきながら、譫言のように「ごめんなさい」と呟き続けた。








────────


【レン!】


 再び脳裏聞こえる声。


(うるさい……)


 久方ぶりのその感覚。自分を呼ぶ声に、頭の奥が熱くなるのを感じる。


【レン!……レン!】


 呼び起こしたくない、奥底に封じた記憶が嫌でも沸き上がって来る。


 ベージュのエプロンに、長い銀髪のその後ろ姿が瞼の裏に浮かぶ。


【レン!】


(その名前を呼ぶな!!)


 瞼の裏の景色を消すべくアルトは目を開く。


 目の前ではヴァルバロイは腕を振り上げた姿勢を取っていた。


 咄嗟にアルトは横に転がる。そしてアルトの居た場所にヴァルバロイの腕が落ちて粉塵を巻き上げる。


「ぐっ!」


 覚醒と同時に全身に襲いかかる痛みで一気に目が覚める。


 噴煙に浮かぶ影を見ながらアルトは何とか立ち上がろうとする。


 しかし以前と違い体に力が入らない。連続するダメージの蓄積が体に重くのし掛かっていた。


 それでもアルトは久しく感じていなかった痛みを思い出す事で冷静さを取り戻して行く。そして今この瞬間自分が生きていて、今この瞬間だけが自分の居場所だと強く認識出来た。漸く自分が戦う理由を思い出し、そして漸く帰って来れたのだと。


 噴煙が晴れたそこにもうヴァルバロイの姿はなかった。


 黒い鉄巨人が、左拳を握りアルトへと襲いかかる。


 それに合わせてアルトも左拳を握って構えた。


 両者が同時に拳を振り抜く。


 次の瞬間両者の拳が交わる。


 僅かに残った粉塵が吹き飛び、教会の鐘のような強大な金属音が辺りに響いた。


 「くッ!!」


 呻き声を上げてアルトが仰け反る。衝撃は全身を駆け抜けて、左腕に電流が走る。その内にパキッと嫌な音を耳にしながらもアルトは相手から目を離さなかった。


 アルトに対して鉄巨人はびくともしていない。見た目からして当然だが、到底肉弾戦を挑んで敵う相手ではない。


 ふとアルトの視界に大剣を抱えるルイスが映る。


 その一瞬で鉄巨人は返す刀で右拳を振り下ろすがそこにアルトの姿は無い。


 アルトは鉄巨人の脇を抜けて一瞬でルイスの元へと駆け寄り奪うように大剣の柄を掴む。


 そのまま大剣を両手で持ち、一振りして鞘を抜き捨ててそのまま鉄巨人へと再び走り出す。


 大剣の重みもあって僅かに鈍るアルトの踏み込みに合わせて鉄巨人は再度右拳を握って放つ。


 だがアルトは、頭部を狙ったそれを知ってましたと言わんばかりに頭を振って右拳の外へと躱し、その勢いのまま鉄巨人へと大剣を閃かせた。


 到底百キロを越える重量とは思えない速度で振られたそれは鉄巨人の腹部へと命中して装甲を砕いて飛散させ、その巨体を後退させる。


 だが巨体は踏み留まって再度右拳を抜き放つ。


 致命打にならないと判断すると、アルトは先程の要領で鉄巨人の一撃を凌ぎながら今度は縦に大剣を振り抜く。


 けたたましい轟音を奏でて命中した大剣は、鉄巨人の肩口から右腕を両断した。


 更にアルトは攻撃を続ける。


 振り抜いた大剣を水平に構えて横に振り抜き、今度は鉄巨人の右膝の裏に一撃を加える。


 断ち切るまでは行かないものの、鉄巨人の右足は半壊し、その自重を支えられなくなって片膝をつく。


 そこを見逃さず、アルト鉄巨人に飛び付きながら左の肩口に大剣を突き刺す。


 アルトの攻撃に耐えられずに鉄巨人は背中から地面へと倒れて行った。


 尚もアルトの攻撃は止まらない。


 動けなくなった鉄巨人の頭部へと容赦なく大剣を振り下ろす。


 鎧の兜を模した犬面のようなそれは、最早刃が無くなった鉄塊によって押し潰される。


 それでも、アルトは何度も容赦なく鉄巨人の胴体に大剣を振り下ろし続けた。


 何度も


 何度も


 何度も


 何度も


 何度も


 そのうち耐えきれなくなった大剣が半ばから折れる。


 それでもアルトは攻撃の手を止めない。


 左拳を固めて鉄巨人へと叩き込む。


 バギッと枝を何本も重ねて折ったような音をアルトは耳にするが、構わず二撃目を叩き付けようとした。


 だがその時だった。


「アルト!」


 何者かがアルトへと飛び付き、そのままアルトを地面へと組伏せる。


「バカが! 何処まで暴れれば気が済むんだ!」


 腹這いに右手を押さえつけられて組伏せられながらも、その声の主がラウドである事にアルトは気が付く。


「ラウド……教官?」


 そこで漸くアルトは周りの状況を把握する事が出来るようになった。


 鉄巨人は最早微動だにしていなかった。そしてその脇では見知らぬ茶髪の男子生徒が暴れるクレアを取り押さえている。そして、遠く離れた闘技場の入り口ではルイスが呆然と立ち尽くしていた。


「うっ……!」


 そこから遅れて左腕に強烈な痛みを感じる。


 目を向ければ、アルトの左腕は肘から先で不自然な方向へ折れ曲がり、拳の先に至るまで所々から白いものが覗いていた。


 自分の腕の惨状を見てアルトは強烈な吐き気を覚える。


 その生理現象に体を丸め、ラウドも察してアルトから飛び退く。


 そのまま耐えきれずにアルトは胃の内容物を吐き出した。


 口から溢れた胃液は真っ赤に染まっており、それが尚アルトの嘔吐感を煽って再び嗚咽するも、それ以上胃から出るものはなかった。


 ひとしきり嗚咽してから漸く落ち着きを取り戻していく。


「離してください!」


 男子生徒の拘束を強引に引き剥がしたクレアが走り出す。


 そのまま真っ直ぐ自分に向かって来ると思っていたアルトだったが、彼女の足取りは別の場所へと向かう。


「あ……あぁ」


 無惨に破壊された巨人の傍らで崩れ落ちる。


「うわぁぁぁぁ!!!」


 するとその両目からは涙が溢れ、クレアは声を上げて泣き喚く。


 先程の冷徹さからは想像も出来ない、年相応の少女の姿にアルトは唖然とする。そんな少女の姿に湖にいた彼女を重なって見えてしまい、アルトは思わずクレアから目を反らすように視線を落とす。


 自分の一体何が悪いのか。そんな開き直りの言葉すら一切浮かばない程の罪悪感がアルトの胸に溢れた。


「父様からの贈り物が……私の最初の友達が……!」


 呻き声の中には漏れるクレアの言葉がアルトの胸をよら締め付ける。


「来い。さっさと医務室に行くぞ」


 アルトの気持ちを察してか、知らずか、ラウドはそう告げながら強引に腕を引いてアルトを闘技場の出口へと連れていく。


「アルト……」


 だがふと出口の側に居たルイスが口を開くとラウドはその歩みを止める。


 そのまま行ってくれれば良いのに、と思いながら顔を上げた先でアルトは再び胸を締め付けられる。


 ルイスの表情は酷く怯えたものであり、その目は人を見るものではなかった。


「アルト……君は本当にあのアルトなのか? あんな死目に逢いながら、君は笑っていた」


 怯えるルイスの表情をアルトはそれ以上見ている事が出来なかった。そのまま視線を落とすも、ルイスは更に続ける。


「どうして、そこまでして戦いたいんだい?」


 言葉に詰まるアルト。答えなど昔から一つしかなかったというのに、何故だかその一言は直ぐに口に出来ない。


「それが……」


 絞り出すようにアルトは告げる。


「それが俺が生きてる意味だからです……。そこにしか、俺が生きれる場所が無いからです……」


 それを告げると、ラウドは再び歩み出す。先程と違い、寄り添うようにアルトの腕を引きながら。


 アルトは闘技場の奥からずっと聞こえる鳴き声を耳にしながら医務室へと連れて行かれた。

[解説]特待生

 学園の入学基準をパスし、特別枠として入学出来る生徒。毎年二名のみが選ばれる。クレアの場合は満十五歳というバーミリオン魔法戦技学園の入学基準をパスして入学した特例中の特例である。



[解説]アーティファクト

 クレアのみが操る事の出来る古代の遺産。性能も技巧も操作方法も全てが不明であり、その効果は多岐に渡る。またクレア本人も感覚的にアーティファクトを操る為、誰もその仕組みを分かっていない。



[解説]バン・フラインの第三王女

 セントルムの北方に位置する国の第三王女。クレアの事を指すのだが、国王の三女が産まれたという話はどの国も聞いてはいなかった。その事実に対してバン・フライン国王は何も明らかにせず、隠し子説や替え玉説など噂は絶えない。

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