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第1話


陽葵が蹴飛ばしてしまった日本人形風の少女、名を東雲という。

見た目は五、六歳かと思われるが、驚くほど達観した様子や佇まい。思わず客室に通して茶を入れれば、茶碗にそっと手を添えて上品に口をつける。そういった所作は一朝一夕で身につくものではないから、おもわず陽葵はほうとため息をついた。緑茶がこれ程似合う幼女がいるのだろうか。


東雲は茶碗を茶托に置くと「美味しゅうございました」と向き直る。みれば茶碗は空っぽだ。


「お心遣いに感謝いたします。本来であれば、東雲こそ接待せねばなりませんのに」

「いえいえ、こちらこそ……」


おかげで陽葵も随分落ち着いた。東雲は無表情だが陽葵に対していたわりの気配があり、幼げで庇護したくなるような容貌を相まって心安らぐ。とは言っても警戒心はまだ解いてはいけない。見知らぬ土地で無防備は晒せない。


そうだ、ここは陽葵の知らない異国の地だ。見渡す限り和の世界だったが、陽葵が見慣れているのは和洋折衷の文明的世界だ。こんなところは知らない。

ひょっとしてまだ夢を見ているのではないだろうか。


(ゆめ……夢? そういえば何か引っかかる)


思い出せそうな違和感だ。あれは何だったか。ほんの前の、今朝の出来事か、昨日の夜の出来事だったような……。


「まこと、まことに申し訳ないかぎりです、陽葵さま。我があるじが人たるあなたさまにこのような」


思考は突如中断される。東雲がソファを降りて地面に膝をつき……額を擦り付けるような体勢を。

つまり土下座をしてきた。……え! なんで!?


「人を無闇に連れてきてはならぬと、再三申しておりますのに。一向に聞き届けてはくださらぬ。そればかりか東雲の目をかいくぐり、夢渡りまでなさるとは」


東雲は額を地につけたままもそもそと喋る。怨念がこもってそうに聞こえるのは気のせいだろうか。

一通り吐き出したかと思えば、いまの自分の状況を思い出したらしい。

再度地面にごんっと額をぶつけるので陽葵はただ驚いて肩を震わせる。これは一体どういう状況なのだろう。


「陽葵さま」

「うぇ!?」

「どうか東雲をお殴りくださいませ」

「え!? な、なぐ……」

「ええ、先程のように勢いよく」

「さきほどって……あの、あれは決して故意にとか……そういうわけではなく」

「手心など加える必要はございません。東雲はあるじの愚行を止めることの出来なかった、愚鈍な従者。なれば相応の罰を与えるがよろしいかと」

「ええと、待って。少し言っている意味がわからなくて」


何がどうしてこうなった。先ほど蹴り飛ばしてしまった時に頭でも強く打ったのだろうか。

殴れ、蹴れ、と東雲はいう。陽葵にはそうする権利があるのだと。

……権利?


「聞いても、いい?」

「はい、なんなりと」

「……じゃあまず顔をあげて。そこに座って? そうしなきゃお話も出来ないよ」


突然現れて、何がいいか悪いか分からない中で家に入れてしまって。しかも彼女は唐突に謝り出すし、訳がわからない。

でも少しずつこの状況を理解しなければいけないし、話を聞かないで謝罪を聞くなんてもってのほかだ。

こわい、わからないからこわい。夢だなんて。だって夢ってこんなに鮮明に感覚がわかるものだっけ?

ここは私の家のはずなのに。いつもどちらか必ず家にいる二人の気配を感じない。芳樹さんが書類を整理したり印刷したりする音も、菊乃さんが朝食の後片付けをする音も聞こえない。

工房を見に行ったときは、確かに自分が作ったシナモンの香りが広がっていたのに。


……どうして?


「……戸惑われるのも無理はないかと。東雲に聞きたいことなど山ほどあるかと思われます。しかしそのひとつひとつを切り崩しても、無くなることはないのでしょう。ここは神秘を纏った最後の庭ゆえ」

「神秘……庭?」

「はい。何から聞けばいいのか分からないと。そのようなご様子ですので、東雲から説明をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「お願いします……」

「では、まず東雲のご挨拶からさせていただきたく。陽葵さまの問いに比べるべくもなく、些末なことかとお思いでしょうが。おのれを紹介することは、どの世でも一貫して重要なことであると考えておりますので」


それに警戒心を和らげる意味もあったのだろう。無表情の彼女は、よく見れば感情というものが伝わってくる。これは……陽葵の警戒心が通じたのやもしれない。分かりにくいが、手をぱたぱたとさせ必死で警戒心をほぐそうとしているのように見えてきた。


「さきほど名だけお伝えしましたが、あらためまして。東雲と申します。製作は平安、魂宿りは製作より百年ほど後に。ご覧の通り、日本人形の付喪神にございます」

「……ん?」

「陽葵さまは『あやかし』をご存知ですか?」


耳慣れない言葉に首を傾げる。自己紹介って……え、これ自己紹介なの? 陽葵はどう反応すればいいかわからず、次に言われた『あやかし』を口の中で反芻する。


「『あやかし』って、妖怪とか、お化けとかの?」

「お化け、は死者の御霊ゆえ意味合いが異なりますが、おおむね妖怪の意味はご理解されているようで安堵いたしました」

「すこしくらいは……一反木綿とか、ぬりかべとか、有名なのしか分からないけど」

「鬼や妖狐も日本では有名でございますね。ええ、その妖怪たちはあやかしですとも。あやかしとは『妖』の意。怪物の意味を持つ『妖怪』は、一般には好まれぬ名称にございますのでご注意を」

「……あやかし」


つぶやいて、不意に思い出したのはあの光景だ。時刻が早いからか、人影は少なく、それでも通りには人の形のような何かが闊歩していた。


「外の……あれはあやかしなの?」


東雲はこくり、と頷いた。

陽葵の顔色はきっと悪い。不用意に外を出て無傷な自分に安堵した。警戒心なさすぎじゃないか、自分。ここはきっと知らない土地で、確かめる為だからって何も用意せずに外へいこうとするなんて。


「ここは『白蓮宮』といわれる、九尾の妖狐、白蓮さまをあるじに頂く庭にございます。あやかしが住まう、懐かしき、失われた和のお庭。神を、あやかしを信じぬ現世において、我らの憩いの里なのでございます」

「あやかしの庭……」

「国とも、呼べましょう」


あやかしの国。まるでおとぎ話のようだと思う。でも一笑することはできない。だって陽葵はもう見てしまったから。でも、だって、と言い訳を探すように抜け道を探る。これは悪い夢のはずでは。


「信仰の失われた人世に我らの居場所はございませぬ。文明は発達し、大気は汚染され、自然の多くは失われた。欲は純粋なる人の信仰心を捻じ曲げ、次第に消え去りました」

「……」

「そこでとある神がお造りになられたのです。空間を開き、歪ませ、そこに土台を創り上げる。天地の創造でございます。力を使い果たされたその神は深い眠りにつかれました。そして後を継ぎ、土台を開拓したのが創造神に付き従った力のある神、あやかしでございます」


淡々と告げる東雲に、言葉が出ない。何を聞かされているんだろう。天地創造なんて、一つの世界の歴史なんて。


「彼らはその数だけ、意見をお持ちでした。しかし力が強いというのは、それだけで争いの火種にもなりましょう。たったひとつの行動、ぽろりと溢れてしまった一言でさえ、権力や純粋な力の前では凶器となる。ゆえに分け合ったのでございます」

「分け合う?」

「土台をその人数分、八当分に線引きして。境界を作り、不可侵の約定を結び、それぞれに付き従う者たちを養い子として自身の領地に引き入れました。この地、『白蓮宮』の他にあと七つございます。それらとこの空間をまとめて『異界』と」


異界。ことなる世界。それはつまり陽葵が今いるこの場所を指す言葉だ。

こういうのをなんて言うんだったか。聞いた気がする。たしか、『神隠し』? でもああいうのって逢魔が刻に起きるものだったんじゃ。


「ここ『白蓮宮』は、白蓮さまが管理する庭でございます。強大な妖力をお持ちの白蓮さまに付き従うのは、やはり血の気の多いあやかしばかりでございまして」

「あやかしばかり……?」


でもそうしたら東雲はどうなるのだろう。付喪神と言っていた。付喪神も神様ではないの?

そうした疑問に、東雲は気づいたようだ。見つめ返してくる。


「東雲はもちろん付喪神。末端ではございますが、神の一種でございます。しかし付喪神とは大事にされたものに宿る神。平安時代に、とある姫君へ献上された人形の一体が東雲でございます。大事に扱われておりましたが、ある時所有者が妖狐たる白蓮さまに変わりまして。魂宿り、つまり人形に命が吹き込まれたその時より、お仕えしております」

「その、はくれんさま? があなたのご主人様なの?」

「はい、不服ではございますが」


あるじ、というのはその白蓮様という方のことだったらしい。これまで表情を動かさなかった東雲が、わずかに眉をひそめた。すごい、どれほど嫌なんだろう。すこし興味を持つ。


「我があるじ、白蓮さまは大層珍事を好まれる方でいらっしゃいます。珍かな品、珍かなひと。ともかく目をひいたものすべてに手を出してしまわれる。祭りもいっとうお好きで、もとよりあやかしとは好戦的なものが大多数おります。ゆえに気まぐれで催しを開き、民と戯れることも多く。……永劫に戯れだけですましておけば良いものを」

「……東雲さん?」


恨みつらみとばかりにぼそぼそと漏れる。呪いでもかけていそうなほど、東雲の表情は暗い。

声をかけると東雲ははっとして、どこまで話したんだったか……と思いに耽る。 思い出すと、こほんと咳払いを一つして、また陽葵に向き直った。


「とかく、そのようなお方ですから、東雲を含め、侍従たちは世話に手を焼くばかりにございます。火種を起こしては、沈めるのは他頼み。この度の件もそうでございました」


そういって東雲はまた、深く頭を下げる。陽葵のことを考慮してか、地べたにはつかず座ったまま深く腰を曲げて。それでもやはり陽葵は困ってしまう。彼女は何にたいして謝罪を?


「愚かなあるじに代わりまして伏して、お詫び申し上げます。この度の件、弁明の余地もなく」

「……どうして謝罪を」


彼女はなんと言ったか。あるじの代わりに謝罪をと。それでは彼女の主人は陽葵になにかしたのか?

彼女がこれほど謝るのだから、大変なことをしたに違いない。

火種を起こすのが好きで、祭りが好き。珍かなものが好きで、そうしてよく手を出してしまうとーーー。


そこでひとつの可能性に行き着いた。出会って間もないが、東雲はまっすぐで裏表のない性格なのだろうということはわかる。主人が起こした不祥事に怒りながらも、事後処理を忘れない。

それはもしや、陽葵のいまの状況こそがそうなのでは?


「私、本当に神隠しにあったの?」

「……」

「ここは私の知っている世界じゃなくて、それで」

「……」

「白蓮という方は、私を目に留めて、連れ去った……?」


小さく、はい、と東雲の方から声が。

息を飲む。申し訳ございませんと東雲が繰り返した。

そんな彼女になにか言えるはずもなく、そもそも何を言えばいいのかもわからない。


帰れる……? それだけが不安でそう聞くと、顔を上げた東雲が「必ず、かえします」と力強い声。


それなら、いいか。と力なく陽葵は笑った。

帰れるんだったらいいや。あの家族に会えるのなら、他はどうでも。

気を張りすぎていたようで、力が抜ければ眠気が襲ってきた。眠って起きれば、この悪い夢は覚めるだろうか。


夢。そうだった。なぜ忘れていたのだろう。

自分は昨日、夢を見たじゃないか。何もない、真っ白な空間で、とある真っ白な男に会う夢を。





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