『壱』
はあ、またです。そうですひきこもりのお話です。
いや違いますよ、僕は別に普通に生活しています。
と言いたいところだけどやっぱり違うんだろなぁ。
まわる闇と踊ろう
思い出すのも辛く、ひどく悲しい物語をここに書き残そうと思う。
きゃはははと笑いながら、書こうと思う。
私は最後まで躍り狂っていられるだろうか。
流れ出る涙を枯らさずにいられるだろうか。
壱 主人公、愚痴る。
たしか、ぼくのすぐ傍に闇があった。ぼくが世界のどこかで存在を始めたころも、朝に目覚めたときや、数十時間か生きてみて疲れたので眠ろうと布団の中に逃げ込んだときも、あった。なぜだか、いつでも暗闇のずっと奥のほうから僕をよぶ声が響いてくる。ちなみに、僕はちゃんと解っている。生命は黒を恐れ、死を畏怖する。人間が抱く死の幻視とは、暗黒だ。つまり闇を怖がるのは我々が生きるのを拒まぬよう造られた強制的な死の幻想である。これはもう、間違いない。だからおそらく、僕がこの宇宙から存在を失くすときも、ある。
それなのに、僕は。
それなのに僕はなぜだかなぁ、その闇が、心地良い。
という訳で今日も僕はひきこもる。外の世界を無邪気に走り回る木枯らしに人々がふるえる、いつかの冬。このぼろアパート、日当たりが悪くて、昼間でも窓辺で影がお昼寝しているけれど、電気なんてつけるわけが無い。と言っても僕は別に、暗闇さんたちと仲がいいという事でもないのだが、彼らとはもう同居して長いし、互いに何も主張せず何を考えているのかもわからないのでどうでもいいや。というか、僕は元々誰かと仲良しこよしする能力が欠落している。他人や、大人にとってみれば、「元気な子かおとなしい子」かの差でしかないようだったけれど、そんなことはない。というかもう、呆れて笑うしかないんだけれど。奴らは、いったい何をとち狂ったことをほざいていやがるのだろう。その「か」ってところに想像を絶する痛みや苦しみが在るってことを、もう忘れちまったのか?僕はそれにずっと耐えてきた。ああ、そうか彼らは最初からそんなこと知りもしないのだ。そしておそらくこれからもそれを知ることはないだろう。なぜなら初めからその痛みの原子を持ち合わせていない上にそれを知ろうとする努力すら絶望し崩れ折れるほどに皆無なのだ。そう気づいた頃に、僕は教師や親を見限った。と心の中で言ってやってみても、教師どもは活発で元気でちょいと悪戯っぽい子がお気に入りだから、上手に挨拶できない僕みたいな子供のことなんぞはなから「平凡」な生徒として、教室の隅っこに煤けて埋もれていたはずだ。「せんせー」なんて言ってくれるのがいいんだろう?授業中に元気よく発言してくれるような奴がいいんだろう。世界の恐れや痛みをしらずに、積極的に行動できる生徒がいいんだろう。心臓が飛び跳ねてしまい、うまく意見を伝えられない子供は能力がないといって叱るのだろう?というか、おまえら大人はそういう子供たちに苛つきを感じているのだな。時には、ストレスのたまった教師が、僕を弱いものとして当り散らすんだ。
・・・今まで関わってきた教師はどれもそうだった。
僕はやつらを憎む。
このあと僕の回想は数時間続いた。ちなみに、「教師」という部分は「教室の生徒」「親」などという言葉と差し替えてもらってもかまわない。教師という単語を使用したほうがより的確に想像してもらえると思ったからという理由だけである。だからぼくにとってどれが一番嫌いとかいうのもない。どれも同じだけ嫌いである。まあつまり、こういった馬鹿な人間に、僕は十年以上傷つけられてきた。そして、死にたくないと必死で泣き叫ぶ僕のぴくぴくと痙攣した心を、やつらは思いきり踏み潰した。僕の全身にどろりとした真っ赤なものが飛び散る。
一人の少年は、こうして絶命した。彼らは僕のこれからの人生や、今まで必死に守り信じてきた僕の夢や才能を、握り締めた手からむしりとり、狂ったように笑いながら、思い切り投げ捨てた。残念なことに、僕は現在の世のクズとも言える人間たちによって、ひきこもりにされてしまった、ではなくそうすることを余儀なくされたのである。つまり、結果的にみれば僕がその道を選んだのだ。決して僕は自己を失ってなどいない。断じてあんな奴らのために・・・・・・。
現在、僕の心はずたぼろだ。数々のそれはもう凄まじい恐怖によって、僕はもう二度と人と関われない人間になってしまった。僕にはあんまり残っていなかった。あんまりだから僕にはもう何も残っていないわけではなかったのだ。たとえば、僕は声が出せるぞ。
「わあぁー」教師のことをおもいだして苛ついたので、絶叫してみる。
ほら、その声も聴こえる。声が響いてから、隣人に声が聞こえていないかとびくびくした。昼間なのに部屋にいるとばれてはいけないのだ。故に明かりもつけない。
匂いもわかる。
そういえば最近掃除をしていないからまずい、部屋全体が異臭を放ち始めているようだ。縮んだ胃袋では飽和してしまった食べかけの食料や太古の昔から洗われていないぐちゃぐちゃの衣服が小さな部屋にまんべんなく体積しているせいか。
それに目も見える。
一週間ぶりに鏡の前にたってみたら、更に酷いことになってたなあ、僕の顔。すごいなぁ、ゾンビだなぁ。ふふ・・・。些細なことに一喜一憂出来たのは、一体いつの頃のお話だったっけ?
僕は、物を掴める。
よし、それじゃあゲームでもしよう。僕はおもむろにそこら辺に転げていたコントローラーを拾い上げる。いやなことは全部忘れて、心を落ち着けよう・・・・・・。
こいつ、早く気づくべきである。
お前がダメ人間なんだろ。
闇とは、妙に気があった。二度目になるが友人のご機嫌をとるための、
「おれたち、気が合うよな!」ではない。お互いに他者が嫌いなので無理に気を使わなくてもすむのだ。両者の心のバランスが崩れなければ、沈黙ほど心地がいいものはないだろうと思う。だから、ひきこもりだ。僕はひきこもり。学校や社会なんてところはもうあまりにもどうでもよい面倒な出来事が足の踏み場もないほどべったりと、地面に張り付きまくっている。時間の無駄が大量生産されている。なぜならば、人間がうじゃうじゃしているからだ。そのそれぞれが自分の事ばかり考え、しかも他人が自分をどう見てるかという事ばかりを気にし、挙句に手前のキャラ設定まで練り始める。いつかの日、ぼくが奴らの本性に気が付いたとき、正直吐き気がした。なんだ、こいつら。ぼくが今まで接してきた中で、一体どれほどの言葉が本当だったと言うんだ?どれほどの人間が僕の内面をしっかりと見つめようとしてくれたのか?
自分らしく生きれず押し固められた人生ならば、それは一体誰の人生だと言えるのだ。お前の物だと、声高らかに断言できるのか?否、絶対に無理だ。お前らなんかには微塵の可能性も残されてはいない。もう、一度でもやってしまったら取り返しがつかない。これから改めたとしても、絶対的に時すでに遅い。なぜならばもうあなたの生きた、生きる時間の一部は必要も無いほどに他の何かに浸食されている。他の何かとは、例えば他人であったり、あなたが猫かぶったもう一つの―――冷静になり、客観的にその姿を見つめてみれば「誰だこいつ」となる―――別人格だったりする。そんなもの自分じゃない。狂っている。もうどこがか自分のものでない以上、その一生を丸ごと抱きしめて持ち帰る権利は消滅してしまった。残念ながら、あなたがたの生きた証など、どこにも無い。
だから僕は、自分の全て、命の価値、僅かでもその心に刻まれた誇り、それらを守るため自分の人生を奪われない前に、奴らの巣窟から走り去った。悪夢の輪廻転生の輪からKeep outだ。この真実に明確に気づいた賢人は、ただひとり僕。残りの、あああまりにも悲しいじわりじわりと一分一秒ごとに自分の人生をがりりがりりと削りとられ自分以外の何かに搾取されているそしてそれに気づかずいや僅か表面だけでもその悪意を感じ取っていると言うのに恐怖にかまけて戦うことを怯えいつしか忘れる愚民どもは、まだあの異臭のするゴミ溜めの只中に・・・・・・。
しかし僕はそんな人間たちにたいして「死ねばいい」なんて言う感情は持ち合わせる必要はない。周りの全てを消し去って自分独りになるなんてそれはあまりにも哀れで、矮小で惨めだと理解する。だから、世界の全てが嫌になったときこう叫べばいい。
さあ、一緒に・・・・・・、
「死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたいぃ」
素晴らしき、これぞひきこもりによる悟りの境地である。
これは一見簡単なことのようであるが、皆がいつの間にか馬鹿にしてふらりと通りすぎてしまう。僕の周りには、誰一人として「死にたい」と言う感情、思考に真正面から向き合った勇者、というかごく普通の清純な人間は一人として存在しなかった。中学生、高校生の年頃には十の割合で皆がみんな「他人と同じ人生なんて嫌だ。自分だけ特別でありたい。普通なんてつまらないぜ。」と考える。わかったわかったもうそういうひらひらお飾りはいいから。うんざりだ。全員が「普通は嫌だ」と思考している時点であなたがた皆、そろってもれなく普通ですよ。
という蛇足話は横に追いやり、つまり、自分の存在を消すと言うことは同時に僕の周りの全ても姿を消すと言うことだ。確かに客観で考えれば世界はただ一つのゴミが居なくなるだけでいつもと何も変わることなく回り続ける。しかしそう考えるべきではない。それこそ人間の最も間抜けで馬鹿で浅はかな習性。
自分など、この世界に比べたらなんて小さな存在・・・。これが思考を操る故の僕らの弱点。
断じて、そうではない!
世界の全てはこの私が中心!と考える。思い込む。理解する。
僕がいるから、僕がこの無限宇宙に存在しているから、僕の目は世界を映し出すし世界もまたそこに存在して、することが出来ている。
つまり僕がこの宇宙の支配者、例え今はそうでないとしても僕は簡単にそうなることが出来る!
それはつまり・・・命を、絶つ事。これによって僕の主観的視点で存在していた馬鹿馬鹿しいほどただっぴろい世界は「うひゃあああ」と声をあげながらどっかにいってしまう。こうして、僕の手と手に握られたカッターナイフによって世界は滅却された。めでたし。
しかし、悟りと言うものはつらつらと幾つかの文字や言葉を並べたところでその凄まじさを表現できるレベルのものではない。よって、先の文はこれっぽっちも宇宙の真理には近づけてはいないが、もしかしたらこれを読みじっくりと様々な考えを頭に巡らせている内に悟りの断片を感じとることが出来る人がいるかもしれない。もしあなたがそうでないとしたら、それはあなたが引きこもりでないからである。と断言したい。さあ、この混沌とした現代に悟りを開かんとするならば、今すぐlet`s引きこもり!引きこもるとは、すなわち内なる「己の心」に籠り三次元の空間全てから自分の考えを見つめそして見つめられ、その発狂するほどの圧迫や罪悪を感じながら幾年もそれに耐え続け、そしてさくりと突如心の壁が裂けだした時に流れ出す自分の生きるべき空間の空気の流れが膨大な感情や思念を含んだ肌にそっと柔らかく触れた時、その時!あなたは・・・大切な何かを感じえるだろう。という、そう言うことなのだ。
なぜかと言えばぼくはよく、人間として高い知能を内蔵した脳みそを与えられたのだしこれくらいのことは常に頭の辺りのほわっとした所に思い浮かべて置くべきではないだろうかと憤りを感じている。もちろん惰性に溺れるのもそいつの勝手だしそれで馬鹿な頭の悪いつまらない人間になったとしても普通に自業自得で僕には害も、もちろん利もない。(補足だけれど、僕は学校の勉強で教科書を睨みながらがり勉して成績良くなることは重要だと思っていないし、それが頭いいと言うことだとも思っていない。ただし、嫌々ではなくそれが自分の生きる意味だ、と強く感じるのならば、きっとやるべきだ)。するといつしかその頭上あたりのはわっとしたイメージが克明に繊細になっていき、いつでもはっきりとしたビジョンを作り出し眺めることが出来るようになる。これこそ、妄想。これぞ、妄想という。文字さえもかっちりとした形をもって見える。妄想、最高です。時に異世界の映像を創造し、時に苦しみを味わったことで見えてきた酷く大切そうな言葉を何行も連ねる。それらはどこかに物質的に記録して残したものではないけれど確かに僕の心に染み渡り、僕の大好きな自分を形成してゆく。わかったんだ。わかって欲しい。それが、人間なんだってこと。ある夜、妄想世界で悟りのお告げを授けられた一人の少年。
・・・・・・くくく。おい、皮肉か?
やっぱり愚痴でした。
こんなのに完結があるのか?と自分でもおもってしまうほど適トーに書き綴っただけのお話です。
勢いで僕の他の小説も読んでみてくれまいか。




