02. ランニング中の四人
翌朝、いつもより早い時間に起きた想良は眠たさを促してくるあくびを走りながら噛みしめた。
明日に備えて昨日の夜は早く寝ようと思っていたのにどこかの誰かさんがテレビをつけっぱなしにしていたせいでなかなか眠れなかったのだ。
「ほらソラっ、寝ないでよね!」
もう一周して追いついたのかフレナがぽん、と背中を押して応援してくれる。そのまま明るい黄褐色の髪を揺らし先に行ってしまうフレナはやはり運動に関しては突出したところがあると思わされた。
それにしたって走りながら寝るのはさすがに厳しいところがある。大体、今想良が眠いのはそのフレナのせいと言ってもいいのだが本人は気づいていないのか。
やっぱり今夜もう一回注意しとこうかな。
上がってくる息をよそにそんなことを考えてみる。
フレナはやりっぱなしのままベッドに入ることがよくあり、その度に想良が整頓したり電気を消したりする。だが昨夜の想良は早くにベッドへ入ってしまい、挨拶を告げて早々に出てくるのもどうかと思ったのでずっとつけっぱなしだったテレビの電源を切れずにいたのだ。
もしかしたらまだ起きてるかもしれないし、ただトイレに行ってるだけで後で消してくれるかもしれないし……そんな風に考えて布団にくるまり続けて約二時間。
フレの寝息をキャッチしてしまった想良は我慢の限界も合わせて跳ね起き、テレビの電源を切ったのだった。ようやく睡眠に入ったのは夜の二時半だ。
近くに誰もいないのをいいことに思い出して軽くため息を吐く。そのまま首を回して他の二人の姿を探せばちょうど深くて渋い緑色……例えるならば栗のような色か、そんな淡くて短い髪がチラリと見え曲がり角へ消えたところだった。思考回路に体力を使っていたからかどうやら遅れをとっているみたいだ。
足に集中して想良はスピードを上げる。
速さは遅いもののもともと持久力はある方なので先ほど少し見えた髪の持ち主、瑢の姿が視界に入るところまではすぐだった。それどころか追いついてきている気がする。
……いや、瑢がバテてきている。
「ひぃっ、ひぃっ、ひぃっ」
「え、ちょ……ヨウ大丈夫⁉」
苦しそうな声に慌てて想良は横に並び様子を窺う。
汗だくになりながらも懸命に走るその姿は美形ゆえにかとても綺麗に見える。だが当の本人は顔を真っ赤にして顔を歪ませ、どう見てもキツイと訴えていた。ここで「なんか走ってるヨウって綺麗な気がする」とか言っても本人はどうでもいいと思うだろう。
「……あのさ、」
瑢の全身を眺めた想良は少し困り顔をする。やる気満々だったのか先に走り始めた瑢の服装を想良は遠目からしか見ていなかったのだが、間近で見て分かった。
「そりゃあ制服着こんでいたら走りにくいと思うよ?」
「…え?」
走りながら驚いた顔をする瑢。
「まっすぐ校舎内に入るわけじゃないんだし、着替え短縮するのは分かるけどあんまりお勧めしないよ?」
「……」
「……もしかして、まっすぐ校舎に向かおうと思ってた?」
やや顔を引きつらせながら聞いてみれば案の定瑢はこくりと頷いてくるもんだから思わず想良はあちゃー、と声に出してしまう。
時間的には余裕があると思っていたのだが何せ運動系はまるっきり苦手な瑢だ。時間がなくなると思っていたのなら頷ける話ではある。
とにもかくにもランニングは次の角を曲がって寮の前に着けば終わりだ。フレはもちろん、テンもすでに走り終えて軽くストレッチでもしているだろう。
まだ春なのに走っているとさすがに暑い。ジャージ姿でもそうなのだから瑢は相当暑いだろうし体も重たいはずだ。それなのにここまでやれるとは、去年よりも体力がだいぶついていると見える。
うん、健全な男子高校生だもの、こんなものだよね。
あちらこちらに植えられている桜の木を目に映しながら足を懸命に動かし何とか走り切る。
「おつかれー! でもちゃんとクールダウンしてね!」と、呑気に水を口にしながらフレナが声をかけてくる。テンは、と見ればこちらは眠いのか濃い紺色の髪を風に吹かせながらうつらうつらとしつつ座っている。
「はぁ、はぁ、はぁっ……つっかれた…」
「もー、ほんと体力少ないんだからー。でも去年よりはだいぶついたんじゃない?」
へぇ、フレも同じこと思ってたんだ。
「まぁな、だてに俺も授業受けちゃいないよ。な、天斗」
「…………」
「……寝てるね」
そっと顔を覗き込むと瞼がしっかり閉じられていた。すっかり夢の中らしい。
三人で顔を見合わせ、同時に全員が肩をすくめた。変なところでタイミングが合う。
寝てる人の観察は案外面白いもので想良たちは天斗が起きるまで黙って寝顔を見ることにした。とは言っても学校の時間もあるのでせいぜい五分ほどしかないが。
天斗の髪は少し変わっていて、チャームポイントとも言える前髪が一部丸まっている。去年、それを直そうとフレナと奮闘してみたが頑固な癖っ毛でアイロンをしてみても毛先がどうしても丸まってしまった。それからは諦めて放っていたのだが改めて見ると気になる。
「うーん、やっぱり気になる」
フレナが顎に手を当てながら唸る。瑢も話の意図は分かっているようで「気にしたってしょうがねーだろ」と気のない返事。返してくれるだけいいとは思うけれど。
「にしてもやっぱり朝は苦手みたいだな、天斗は」
寝顔観察に飽きたのか瑢は空のかなたを見つめる。確かに男子が男子の髪形を気にするのも変か、と妙に納得しながら想良も空を見上げた。
今日もいい快晴。春は暖かくて天気も清々しいから想良はこの季節が結構好きだ。
「ん? テンって朝苦手なの?」
フレナが不思議そうに目を瞬かせた。
そうだ、それにちょっと引っ掛かりを覚えていたんだった。
一緒になって瑢の方を見ればこちらはこちらで逆に不思議そうな顔をしている。まるで知らないほうがおかしい、と言ったような……いや、現にそう言っているか。
「苦手だろ。いつも誰が起こしてると思ってんだよ二人は」
「え、そうなの⁉ 私、むしろ逆かと…」
「はぁ?」
フレナの言葉に見るから不機嫌になる瑢。さすがに悪気はなかったのでフレナは慌てて謝っている。
それにしてもテンが朝苦手だなんて……一年間一緒にいたのに知らなかったな。
恐らくそこには瑢の努力があったからこそなのだろう。想良やフレナは天斗が今まで遅刻してくるところを見たことがなかったし、部屋が違う故に休日の様子なんかまるで知らない。宿泊研修のような行事は今回の合宿が初めてだし、これは面白いことになりそうだ。
「っと、こうしてる時間もないな。おい、起きろ、天斗」
時計を見れば学校が始まるまで大体一時間ちょっとしかなかった。一度シャワーを浴びたいし着替えもまだだ。
四人は慌ててその場を離れ、それぞれの部屋へと戻っていった。