第0魔術法陣 使い手
とにかく走った。
走って走って逃げきれるのかも分からないのに逃げ道を探し、距離を稼ごうと足や腕をがむしゃらに動かす。
後ろには追手がいるはずなのだが気配がするだけで足音はおろか、風で服がはためく音さえも聞こえない。聞こえないのならば耳に集中したところで何の意味もないがかといって目の前に集中したところで薄暗い倉庫に逃げ込んだのが悪く、よく見えない。視界がきくのはせいぜい三メートル弱といったところだ。
気配が消えた気がしてもしや撒くことができたのでは、と淡い期待と願望を胸に抱きつつ後ろへ視線を走らせてみる。
見るべきではなかった。
後悔したがもう遅い。撒くどころかすぐそこまで追ってきていた相手は杖の先に光を灯らせ既にアレを描いていた。
存在は知っていたものの本物を見るのは初めてで、自然と走るスピードが緩められ気付けば後ろを見たまま手足を動かしていた。相手が空中に描く円の中には複雑な模様が描かれ、その不可思議な様子をただただ呆然と見つめる。青のようで黒のよう、それでいて紫のような色合いのとにかく暗めの色で描かれるそれは別の意味でよく見知った形。
誰もが持って生まれるという、この不可思議な力の原動力ともなる幻力……それを奪うのがこの魔法陣だ。
力を使うことができない者にも必ず学校で教えられるその魔法陣はまさに今、自分の身をめがけて発動されようとしていた。
これを受けると力を使える可能性があったにも関わらず自分は二度と使えないことになる。それと同時に体力や精神がすり減りしばらくはもぬけの殻のようにぼうっとしていることが増えるらしい。
というのも、その幻力はもともと人の体内に散らばっているらしく、それらを無理やり集めて取り出すからだそうだ。
ドン、と右半身に鈍い痛みが走る。
よそ見をしながら走っていたせいか、いつの間にかどこかの行き止まりまで来てしまったようだ。振り返った先には魔法陣を宿しながら近づく黒い影。いや、黒い服に覆われて顔もよく見えない人……
「っ、やめ、ろ…! 僕はっ…僕は〝使い手〟になりたいんだ…!」
最後の抵抗として顔を腕で覆いながら声をあげるが頭のどこかではそんなことをしても無駄だと分かっていた。
体中に散らばるため幻力はどこからでも取り出すことができる。だから発動される魔法陣を退ける、または避けるしか方法はないのだが、あいにく自分はまだ力があるのかどうかさえも分からないただの一般人。その上ここまで追い詰められてしまえば避けきるには場所が狭すぎて無理だろう。
正直打つ手はなかった。
とりあえず相手の魔法陣が不発になって再び描くのに時間がかかることを願うしかない。
バアッ、とまばゆい光が勢いよく飛んでくる。反射的に目をつむる。
やられる……!
だが、衝撃は何もこなかった。
あれ? そう思った次の瞬間、ドカンッ、と大きな爆発音と共に目を閉じていても分かるほどの光が辺りを覆った。心なしか煙のような臭いもする。
何が起きたのか、分からなかった。
光が収まったように感じてうっすらと目を開き始めると先に耳が「ヨウ!」と叫ぶ女子の声を拾った。
名前だろうか、どうやら先ほどの追っ手の他に数人こちらへ駆けつけているようだ。呼ばれたのは男子だったらしく自分のすぐ近くで「大丈夫、間に合った」と返す言葉が聞こえた。フラットなその声はさして自分と変わらない年のもののようだ。
もしかして、この人たちは……
気づいて、希望を持つ。幻力を奪う者に対抗するかのようにできた団体、それに属する者ではないだろうか。薄目をよりしっかり開けてみればやはり自分の前には何人かが立ちはだかり追ってきた者と敵対している。
「……大丈夫?」
肩ぐらいの赤茶色の髪をした女子がこちらの顔を覗き込んでそう尋ねた。声からして先ほど名前を呼んだのはこの子だろう。こくりと素直に頷けば彼女は「良かった」と柔らかく微笑んで立ち上がる。
彼女が、彼女たちが眩しい。
目の前に並ぶ四人の男女の姿は夢にまで見た姿そのものだった。いや、本当に夢ではないだろうか。
逆光を浴びてたくましく頼もしく見えるその背中はとても格好よく、改めて自分もそんな風になりたいと思った。
そう、幻力を使いあらゆる不可思議なことを、魔法陣を描くことで起こすことができる存在に……
敵味方関係なく、人は彼らをまとめてこう呼んだ……そして僕は、それになりたいんだ。
〝「魔術法陣の使い手」〟にー…。