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パンツなんてなかった


 成人式も無事に終わり、午後になって同窓会の会場に到着した。なぜか、桜がその場にいるのが気になったが、今はそんなことはどうだっていい。

 俺の第2の青春が、この成人式で産声をあげていた。ヤンキーを撃退した後、すっかり元6年2組のメンバーとも溶け込むことができた。昔話に華を咲かせて、解禁されたお酒を飲む。まさに、夢に描いた通りの展開だった。


 そして……


「おい、柴田。なにを眺めてんだよ」


 秋生がニヤニヤ顔で俺をつつく。


「べ、別にー」


 そう誤魔化しながら視線を他に移してカシスオレンジを飲む。


「まあ、お前ずっと好きだったもんな初音葵のこと」


「べ、別に俺は……」


 あまりに図星を言われて、焦って再びカシスオレンジのコップを持つがすでに残っていなかった。


「はい、おかわり」


「さ、サンキュ」


 誰かから差し出されたカシスオレンジのおかわりを慌てて飲み干す。


「話を聞くとお前も大変だったけどさぁ。あいつも大変だったみたいだぞ」


「えっ?」


「知らないのか? 親父さんいただろう? アメリカ人の。交通事故で亡くなって、お母さんも倒れちゃって。で、お金がないもんだから高校中退してさ。昼はメイド喫茶でバイトして、夜もさ……ほら、キャバ嬢で働いて。下が3人いるから、大学まで行かせるんだって……泣かせるよな」


「……知らなかった」


 弾けるような笑顔を見せている葵ちゃんを見ながら思わずそう漏れる。彼女は転校生でこの木更津に引っ越してきたのは俺が小学4年生の頃だった。元々アメリカに住んでいたらしく、ほとんど日本語が話せない彼女に一目惚れした俺は、葵ちゃんと話したい一心で英会話教室へ通って英語の勉強に没頭したもんだった。

 そして、その勉強習慣は転校してからも続き、ネイティブとは言わないまでもカナリのレベルで英語を話すことができるようになった。


「最初、彼女は成人式に来ないって言ってたらしい。でも、元6年2組で親友の伊藤さんが必死に説得して連れてきたんだって。友達みんなでお金出し合って、彼女に振袖レンタルして。ホントいい子だよなー、彼女もその友達も」


 そんなことが……


「……馬鹿が」


「ん? どうした」


「……」


 俺は馬鹿野郎だ。自分ばかり不幸な想いをしてるって。そんな風に思いあがっていた。元6年2組のみんなは楽しい人生を歩んでて、なんで俺だけって。心のどこかでそうやさぐれてた自分を殴ってやりたい。


「おーい、柴田ぁ! こっち来て飲もうぜー」


 そうクラスの友達が手を挙げる。

 ……いや、今日は楽しい日だ。自分を責めるのも、彼女に同情するのもなしだ。そんなのは自己満足だし、いたずらに彼女を傷つけるだけだ。


「おお! 今、いくーーぅ!?」


 グルルル……


 不穏な物音が俺のお腹に響き渡った。

 う、うおおおおおおおおおおおっ

 お腹痛い゛っ! お腹、い゛ったーーーーーい゛!


「どしたー?」


 さっき呼んでくれた元クラスメートが遠くから尋ねてくる。


「……な゛、な゛ん゛でも゛な゛い゛……」


 この痛み……腹痛のレベルを超えてる。強力な食中毒のレベルだぞ!? 少しでも力を緩めると、間違いなくすべて出る……まさか、この食事に腐ったものが……


「フフフフ……」


 ま、真野……桜……なぜ、笑っている……まさか……


 お腹を押さえながら、さっき飲んだカシスオレンジの匂いを嗅ぐと微かに薬品のにおいが……間違いない、これだ。


「桜……お前……毒、盛ったな?」


「……バレたか」


 バレたか、じゃねーよ。


「……グググっ、どーゆー……つもりだ?」


「だって……柴田が女の子にモテて……なんか、嫌だったんだもん」


 桜はそう言って、ツンとそっぽ向く。

 やはり、こいつは頭がおかしい。改めてそう思った。

 異常なヤンデレかましてんじゃねーよ。


「き、貴様……ヤキモチ焼くにしてももっと方法があるだろう」


「や、ヤキモチなんて焼いてないわよ」


 痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛っ、お、お腹グリグリするんじゃねぇよ!


「貴様、覚えてろよ……」


 そう言いながら、トイレに向かう。落ち着け……トイレまで20メートル……たかが、20メートルじゃないか。大丈夫……今まで厳しい訓練を受けてきたんだ……これぐらいの苦痛など。あと、19歩……18歩……17歩……

 いいぞ。なるべくお腹に力を入れず、肛門を刺激しないようにゆっくり……ゆーっくり……


「かんちょー!」


 はうあっ!?


「いやぁ、懐かしいだろう? 流行ったよなぁ、『かんちょー!』って。子どもの頃ってなんでこんなくだらないことを……いや、すまん」


 滑川……絶対にあとで殴る。ボッコボコだ。昔から悪ふざけが過ぎる奴だった。世の中にはやっていいことと悪いことがあることを身体に深く教え込んでやる。


 グルルルルルルルルルルルッ……


 ぐああああああっ……お腹めっちゃ蹴られてるみたいなんですけど! 今、全力で僕のお腹、ガンガン蹴られてるくらい痛いんですけどっ………痛痛痛痛痛っ! あと、ナンポ!? ナンポ? 脱糞してしまうんですけどー!? ダ・ッ・プ・ンしてしまうんですけどー!?


 意識が朦朧とする中、やっとトイレのドアまで5メートルの距離までたどり着いた。


「ぐぐぐぐぐぅ……」


 再び襲ってくる、突き刺すような痛みに思わずうずくまる。

 こんな時に……こんな場所で……己の身体のはずなのに、それは自身のコントロールから外れ容赦なく自身を傷つける。


「ヒッヒッ、フゥー。ヒッヒッ、フゥー」


 気を落ち着かせて、呼吸を整えようと努める。


                 *


「あきれた犯罪です。成人式の同窓会会場で、排泄物をまき散らすという悪質な事件が起きました。青年は、『そんなつもりじゃなかった』と叫びながら逃走を続けております。現場では騒然となり一時同窓会は中断、あまりの悪臭にそのまま警察が現場検証を行うという事態になりました。竜禅寺さん、青年がこのような強行に及んだのなぜなんでしょうか?」


「異常な性癖が疑われますね。もしくは、ピーターパン症候群とも呼ばれる、おとなになりきれない成人者が、社会に向けたなんらかのメッセージが――」 


              *


 はわわわっ。ニュースになっちゃう……ヤッホートピックスにのっちゃうよぉ。 

 おい、まだ、この世界に生まれ落ちるのは早い。貴様は生まれてはならぬ子なのだ……去れ!


「ヒッヒッ、フゥー、ヒッヒッ、フゥー」


 あと3歩……2歩……1歩……到着

 ――なんでトイレ入ってんの!? なんで大用一つしかないの!?

 グルルルル……グルルルルルルルルルルルッ……


「う、うおおおおおおおおおおおっ」


 ドンドンドンドン!


「す、すいませーん! 開けてくださーい! 漏れちゃう開けてくださーい!」


 ドッゴーン!


 そ、壮絶な壁蹴りのお返事が返ってきた……多分、この扉は開くことはないだろう。開いたとしても、多分ボコボコにされる気がする。


 かくなる上は……女子トイレ。


 ……もう、そこにしか選択肢は残っていなかった。

 というより、もうお腹が限界超えているので万歳アタックで行くしかない。


「すいませーん! 痴漢とかじゃなく、緊急事態。緊急事態につき入らせてくださーい!」


 いっけぇ! 万歳アタッ―—


 バンっ!


 ぎゃあああああああああ! 人、いたー! しかも当たっちゃったー!

 結構強く当たってしまい、女性のカバンから物が散らばった。


「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんですどうしても我慢できなくってお腹痛くって許してください」


 そう言いながら、お尻に力を入れながら地面に散らばったものを一緒になって集める。


「し、柴田くん……」


 あ……葵……ちゃん……だ……と……


「あの……その……私、着替えてただけだから! じゃあ」


 彼女は顔を真っ赤にしながら去っていく。


 オ、オワタ……オワテシマタ……グルルルル……グルルルル……グルルルル……グルルルル……グルルルル……グルルルル……


「ぐわああああああああああああああああっ」


 どんなに落ち込んでも、腹痛は止まってくれない。すぐにトイレに駆け込んで、ズボンを下ろす。

 ふぅ……間に合った。なんとか漏らさ……ず……!?


             ・・・


 一五分後、誰もいない隙を見計らって、トイレから出た。

 パンツなんて、初めからなかった……何度もそう自分に言い聞かせる。

 周りを見渡すと、すでに、桜の姿はない。シンジラレナイ……あの野郎逃げやがったのか。

 そして……そこには葵ちゃんの姿も……なかった。


「お、柴田。どこ行ってたんだよ。今、お前の話してたんだよ」


 秋生と元6年2組のクラスメート数人が集まって飲んでいた。


「そうか。いや、ちょっと風に当たってたんだ。あははは、あははははー」


「な、なんだよその乾いた笑いは」


「と、ところで、葵ちゃんは?」


「えっ、葵? ああ、さっき帰ったよ。あの子バイトあるのよ。どうしてもシフト調整がきかなかったらしくて」


 彼女の親友である伊藤さんがそうため息をついた。


「そう……なんだ」


 俺のせいじゃないという安堵はしたが、それよりも、もう会えないんだという寂しさが俺の心の大半を支配した。


「……ねえ、柴田くん。ちょっと……」


 伊藤さんが俺の袖を引っ張って2人で話せる場所に離れた。


「どうしたの?」


「ここ……葵のバイト先。もし、気が向いたら顔だしてあげてよ」


 そう言って伊藤さんは店名と住所の書いた紙をくれた。


「なんで……俺に?」


「そんなの、自分で考えてよ」


 そう言われて、思わず胸の鼓動が高鳴る。


「でも……嫌じゃないかな? いきなりバイト先に。しかもメイド喫茶に」


 店名を見ると、メイド喫茶『魔法の国にゃんにゃんワールド』。と書いてある。住所は秋葉原。入ったことはないが、どんなことをしているかは大体想像がつく。


「柴田くん、それ職業差別だよ」


「ご、ごめん」


 気遣ったつもりだったのだが、そう言われて落ち込む。


「葵、頑張ってるよ。明るく元気に一生懸命。どんな格好してたって、どんな仕事だって。そんな頑張ってる葵を見てやってよ」


 そう言い残して、伊藤さんは再び友達の方に去って行った。

 彼女の親友である伊藤さんが敢えて俺に『会え』って指示をくれた。

 ……それって……もしかして……思わず期待を抑えきれなかったが、同時に先ほどのトイレでの光景がフラッシュバックして思わず国外に逃亡したくなる。


 でも……彼女に会いたい……その想いはやはり抑えることはできなかった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] カシスオレンジ…… ビールが飲めず、カシスオレンジしか飲めない哀れな夫を思い出してしまいました…… 似たような哀れな男はいたる所にいるのですね。 可哀想に……
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