そもそも誰がなんと言おうと全て真野桜のせいだ
そもそも誰がなんと言おうと、真野 桜のせいだ。
俺が大好きだった6年2組の奴らや、親友である秋生や、初恋の葵ちゃんと離れ離れになったことも、そしそのあと起こるすべての災厄も、誰が何と言おうとあいつのせいなのだ。大事なことなので、2度言った。
真野 桜、IQ300越えの超天才児であり、隣の家に住んでいる美少女。
思えば、随分あいつのせいで俺は人生の歯車という奴を狂わされるどころか、容赦なく踏みにじられてぶっ壊されたのだ。
小学校2年生にして、高等教育の数学を全てマスターしてしまった桜は、6年2組に飛び級編成された。日本一の学力を誇る帝都大学付属中学校に行くためには小学校を卒業しなければいけない。だから、最後の3ヶ月間だけ桜は俺と同じクラスで授業を受けることになった。
そこで、桜はクラスメートを侮り、自分以外の者を『愚民』と呼び馬鹿にしていた。今、思い出しても凄い嫌な奴だった。そんな、いじめられて当然な桜をクラスメートは暖かく迎え入れた。小学2年生が大人の都合で小学6年生に編入される。その辛さをみんな子どもながらに理解していたんだと思う。
俺もそんな小さくて可愛い桜を守りたい、そう強く思ってた。
それが生涯の不覚だと思い知ったのは、小学校卒業1ヶ月前だった。
「あの、柴田君。申し訳ないんだけど明日から帝都大学付属中学校の特別クラスに転校して貰えるかしら?」
いったい、先生が何を言ってるかわからなかった。
「桜ちゃんね、ちょっと特別天才じゃない? で、転校するんだけど『柴田がいないと嫌だ』って言うもんだから」
――そんなバナナ。
ふざけた話ではあるが、大人は本気だった。政府にとって科学事業は国家存亡に関わる大事。その大義のためには多少の人権など。先生の隣にどっしり座っている政府職員の目は明らかにそう語っていた。
もちろん、断ろうと思った。
ここには、俺のすべてがある。暖かくて優しいクラスメートも、親友と呼べる秋生も……まぎれもなく初恋である初音葵も。
そう口を開こうとすると、右手の掌に暖かい掌が重なった。小刻みに震えているその小さな掌は、隣で一緒に面談を受けている桜だった。
「……わかりました」
そう答えた。あの時、自らの心に誓った小さな決意。『この可愛い少女を守ってやらなきゃ』、この少女の笑顔のためなら自分の幸せなど。本気でその時はそう思った。
しかし、これが一生の不覚であったと思い知るのにさほど時間はかからなかった。
帝都大学付属中学校に入学した俺と桜は、壮絶ないじめを受けた。いや、正確に言えば桜がいじめられてその巻き添えを喰らった。
仕方無いと思う、だって桜、やな奴だから。
あいつは前の学校と同様、他のクラスメートを凡人とののしり、バカにした。帝都大学付属中学の特別クラスは全国から集められた才能ある者ばかりだ(俺以外)。そんな者たちのプライドを粉々に壊した者への仕打ちは、想像に難くなかった。
そして、不幸な事に桜はルックスもよかった。大きくつぶらな瞳、流れるようなブロンドの髪、整った顔立ち、端正なプロポーション。天が奴に二物も与えてしまったから、その冗長振りは眼に余るものだった。
地獄のような中学1年も秋に差し掛かろうという時、再び政府職員がやってきた。
「真野桜さんは中学を卒業するために残り3ヶ月間、中学3年に『飛び級』します」
「お好きにどうぞ」
そう答え、心の底からそう思った。真野桜の心配どころじゃない。今は自分の身を守るので精一杯だった。そんなことより、この政府職員は生卵まみれの俺をなんとも思わないのだろうか。
「わかりました」
そう頷き、政府職員は教室を退出した。
次の日、なぜか俺は桜と共に中学3年に『飛び級』した。そして、そこでも桜は女王のような立ち振る舞いをして、反感を買い必然的に俺はその巻き添えを食らった。
そうしたパターンは、その後も全く変わらなかった。
帝都大学付属高校に入学→桜への反感によるいじめの巻き添え→秋に高校3年に『飛び級』→桜への反感によるいじめの巻き添え
更に最悪なことに桜は悪魔的な知能を使っていじめから逃れはじめた。残ったのは、ただの人である俺への壮絶な迫害。
そして、高校卒業の1ヶ月前。みんなが18歳にも関わらず、14歳の俺。そして、桜が10歳の時、またしても政府の職員がやってきた。
「真野桜さんは今度、大和軍事基地の客員教授として迎えられます」
座り心地の良さそうな校長室のソファに腰掛け、淡々と説明する。
大和軍事基地はバリバリ鷹派の首相が世界情勢の混乱に乗じて法案を通して建設された日本最大の軍事兵器の実験施設である。新開発の航空機、粒子ビーム、化学兵器、生物兵器など、幾多の次世代兵器の開発施設であり世界最高峰の技術者たちが集められていた。
――ホッとした。やっと真野 桜と離れられる。そう思った。あんな奴を軍事基地に配属するなんて、正気の沙汰じゃないがそんなことはもはやどうでもいい。俺は、奴と離れて、これからは好きに生きるのだ。
そんな風にこの世に生まれた幸福を感じてよだれを垂らしていると、
「柴田君、君にも一緒に来てもらいたい」
政府の職員から放たれた一言。
耳を疑った――あの野郎、どんだけ依存体質なんだよ。
「嫌です」
はっきりと言った。俺は確かにそう、言ったのだ。
――しかし、気がつけば僕は大和軍事基地にいた。
中学という義務教育を削除され、高校の林間学校、修学旅行、恋愛、青春、全てを奪われた俺はSP予備軍として特別教育を受ける事となった。
そこでは、地獄のような教育的指導を受けた。14歳だからと言う甘えなど一切通じなかった。朝5時に起きて夜遅くまで訓練、桜の外出時には必ず護衛に同行させられる事となった。
辛くて泣いた。壮絶ないじめなど、比にもならないぐらい泣きまくった。何度も脱走を試みるが絶対に掴まって更なるシゴキを受けた。
『成人式の招待状が家にきた』そう母親から電話があったのはそれから6年後、1月の初めの頃だった。瞬間、唯一楽しかった小学時代の思い出が蘇る。
4年に1度隊員に与えられる3連休をその日に希望するのに迷いはなかった。『同じ中学へ入学しなかった俺のことを覚えていてくれているか』という不安がなくはなかったが、会いたい気持ちが大いに勝った。
この日だけは。俺は小学校6年生に戻って、あの時のクラスメートと大いに語らうのだ。思い出話に華を咲かせて、真野桜のことなど忘れて、あの時親友だった秋生と初恋だった初音葵への想いを馳せて、互いに好きな子なんて言い合って。
そう思って、俺は木更津中学校の校門をくぐったはずだった。
*
「ねえ、柴田。あの校長、ヅラよ。ヅラ……ぷぷっ……」
隣にいるのは、真野桜。成人式で非常にいいお話をしている校長先生のお話を聞かず、ひたすらその頭皮に関心を燃やす16歳未成年。
「……なんで、ここがわかった?」
俺が3連休ををとることを知っているのは、部隊長である氷室さんとバックアップの蝶岷岷のみ。しかも、もの凄く口止めしておいた。どっちかだ、どっちかが俺を裏切ったのだ。
「氷室ちゃんと岷岷。『秘密にしてくれ』って土下座されたって、爆笑しながらランチ食べてたわよ」
……職場がクソ過ぎて涙もでない。
「だいたいなにしに来た?」
「……寂しくて」
桜は少しうつむいて悲しそうな表情を浮かべる。
「嘘だな」
「うん」
そう、こいつがここに来た理由はもうわかっている。こいつは、俺の様子を酒の肴にしてワインにでも興じるのだろう。ちなみに、桜は超法規的措置で政府公認で飲酒を許されている。
無視しよう。こんな奴のことなど無視して楽しく過ごすのだ。そう心に決意した時、白い袴を来たヤンキーが1人立ち上がって「うるせー! おい、校長センセのヅラとってやろうぜ」と提案した。
……そこにも、他人の頭皮に関心を持つクズがいたのか。
そいつは総長だったのか、複数のヤンキーが立ち上がって壇上に上がろうとする。対する防衛は体育教師が陣頭指揮をとって複数の教師が立ちはだかる。
……ふう、阿呆が。
「お、おいなんだお前は……ぎゃあああああああ」
体育教師と揉み合いになっていたヤンキーの腕を背中に回して、肩を脱臼させた。
「んだお前は?」
ヤンキーの総長らしき男が凄むが、普段1万倍怖い男と対峙しているのでまったく圧力を感じない。
不意打ちで横から襲ってくるヤンキーを回し蹴りで沈めた。
それで、総長以外のヤンキーは数歩後ずさる。
「……逃げるなら、見逃す」
「ぐっ……っるせえええええええええっ!」
突進して拳を繰り出す腕を持って、背負い投げをした。ヤンキーは受身が取れなかったのか泡を吹いて気絶。
……初めて、壮絶な軍事訓練が役に立ったな。
そう思いながら席に戻ろうとすると、座っていた人々から歓声と拍手が湧き起こった。
思わず恥ずかしくなりうつむきながら席に戻ると、
「柴田君、すごーい。なんでそんなに強いの?」
斜め前の席から葵ちゃんがキラキラした瞳で聞いてきた。
「いや、別に大したことじゃ……」
「なに言ってんだよ、ヤンキーを一瞬にして倒すなんて普通じゃないぞ。なあ、転校して何があったか教えてくれよ」
左隣にいた秋生も興奮して俺の肩を揺り動かす。
「ほんとよ、柴田君凄すぎ」「格好よかったぁ、あの回し蹴り」「ヒーローみたいだったよ、ホント」
元6年2組のクラスメートが口々に振り返って賞賛の言葉を俺に投げかけてくれる。
そう、この時、俺は最高に幸せだった。