穢~アイ~
アイ……この言葉を聞いた人は何を連想するだろうか?
誰かを愛する愛……哀れな哀……あるいは相手の相……色々とあるだろう。
しかも、そのほとんどは誰かと関わることに関係する。……会いに行く、何かもそうであろう。
だが、実は意外な事に穢れという字もアイと読める……これは関わりというより、宗教上の思想だろう。
実際に現実で穢れなどとは正月等の行事以外あまり使わないし、馴染みが無い。
そもそも、穢れ自身……殺生や性といった普段の生活では強く意識しないことなのだから、仕方ないが……。
けれども、僕はここ最近……その穢れに深く関わる体験をした。
今回はその話しをしようと思う。
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とある出版社に勤める僕は、ある離島の出来事を記事にしてから色々な方面への取材依頼が殺到し、忙殺の日々を過ごしていた。
それは例の記事の反響が大きかったという、記者にとってはとても名誉な事だが、それは同時に今まで当たり前のように過ごしていた時間を捨てるという事でもあった。
記者としての名誉と記事の反響で得た金……名声と富は手に入れたが、自由と時間はどんどん消えていった。
昔に愛した女性と過ごした思い出の数々……それに関わる恐怖の出来事もまた、忘却の彼方へと飛ばされて行った。
そんなワーカホリックな日々を過ごし、心をすり減らしていったある日……僕の元に奇妙な依頼が届いてきた。
それはある一人の男性からの手紙だった。
『穢れた花嫁を止めて欲しい』
手紙の内容はその一文のみだった。
今まで、結婚式の招待状を貰ったのは何度かあったが、花嫁を止めて欲しいとはどういう事だろう?
差し出し住所は書かれていない……一体、どこをどう探せば良いのか……。
僕は取り敢えず、手紙に書かれていた『穢れた花嫁』について調べた。
そして、不思議な事に僕はすぐ差出人の住所と依頼に隠された内容を知る事が出来た。
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後日、僕は会社に休暇を出し、件の依頼者の居る県へと向かった。
県名は伏せるが、山々に囲まれて海の無い県……とだけ伝えよう。
さて、その依頼者の元へ向かう道中の新幹線の中……僕は『穢れた花嫁』についてまとめた己の手記へ目を向けた。
『穢れた花嫁』とは、とある県の奥深い山村に伝わる言い伝えである。
その山村では、昔ながらのしきたりで男性は幼い頃から許婚を持つ事が絶対の義務とされていた。
まぁ、許婚を持つ事は昔はどこもやっていたから珍しく無い。
だが、この村の異常はここからだった。
村では許婚が結婚をする前に亡くなった場合、残った許婚はその亡くなった許婚の遺影を相手に、年齢に関係なくすぐさま式を挙げる。
俗にいう冥婚というものだ。
冥婚は、生者と死者に分かれた異性同士が行う結婚のことで、またの名を陰婚、鬼婚、幽婚、死後婚、死後結婚などとも呼ばれている。
これらの風習は世界中に存在するが、その事例は少ない。
だが、その冥婚を行った後、男は他から養子を貰い受けて生涯育て上げ……女は亡くなった許婚に死後も付き添う為、殺される…。
……ここがおかしい。
確かに、冥婚で有名なムサカリ絵馬は……絵馬に実在する人物を亡くなった人の隣に書くと実際に死んでしまう、という言い伝えがあるが……後を追わせる為に殺すというのは無いのだ。
ましてや、ここは日本……世界のどこかの国ならいざ知らず、神に捧げる為ではない生贄など望まない筈だ。
そして、これが『穢れた花嫁』と大きく関係する。
この村の冥婚にて、結局のところ女は夫となる許婚が亡くなったら否が応でも死ぬ運命にある。
だったら、結婚を挙げる前に夫が行方不明となったらどうなるだろうか?
この場合も三年という猶予はあるが、それを過ぎてもまだ見つからない場合、女は殺される。
この時、夫が本当に亡くなっていたら問題はない。
しかし、もし夫が生きていたら……それは大変な事になる。
殺された女は村の冥婚の儀礼に従い、夫をあの世へ連れて行く為、悪霊となって再び村に戻ってくる。
しかも、その際……夫となる許婚を殺すまで出会った人間はことごとく殺していくという。
これが『穢れた花嫁』だ。
更に穢れた花嫁は夫となる許婚を殺した後も、その殺した許婚の年齢分の年数、村に災厄を振り撒くという。
災厄は穢れた花嫁が生前に夫を愛していた程、それに呼応して強くなる、というものだった。
つまり、これを踏まえると依頼者は何らかにより三年間行方不明とされ、許婚である女はそれを過ぎた為、殺された。が、依頼者は死んでおらず、女は穢れた花嫁として村に再び舞い戻ってきた……という事になる。
だとしたら、僕も危険では無いだろうか?
しかし、僕にはそんな危険など眼中に無かった。
僕をそうまでして、この依頼へと掻き立てるもの………それは、冥婚であった。
僕の愛した女性、縁は殺されて死んだ。
数年前に僕は怨霊となった彼女と出会い、縁を結ぶかの如く、左手薬指に青紫色の痣である指輪を貰った。
その後、僕はとある離島の言い伝えを頼りに縁と会おうとしたが、結局叶わなかった。
なら、せめて式だけでも死んだ彼女に挙げさせたい。
そんな思いで今回の依頼を受けたのだ。
そして、そうこうしている内に僕を乗せた新幹線は依頼者の待つ駅へと到着した。
新幹線を降りると、僕の目の中にげっそりとやせ細った男が立っていた。
恐らく、彼だろう。
僕は声を掛け、挨拶もそこそこに車に乗り込んで現地へと向かう。
彼はやはり依頼者だった。
彼は初めに「村の者は皆やられました」と話すと「アイが……アイが来る……」としきりに呟いていた。
穢れた花嫁の名はアイというらしい。
その後、彼の読経のような呟きをBGMとしながら、車に揺られる事、約二時間……僕達はようやく舞台となる村へと到着した。
村の上空は曇天に覆われており、村の中は淀んだ重い空気に包まれている。
「こちらへ……」
車から降り、都会よりも悪い空気を吸いながら僕は依頼者の案内で村の神社のある方向へと向かう。
「あの神社で死者との婚儀を行うんです……。そして、あそこが私達の宿となります」
「そういえば、穢れた花嫁にやられた人達は?」
「……皆、彼女に取り込まれるようにして消えていきました。私のせいです……。近々、この村の近くに大きなトンネルが出来るそうですが、こうなってしまっては……」
依頼者の話しを聞きながら、僕は周りを見る。
なるほど、確かに神社の隣にある山に重機が入っている……もしかしたら、神社は工事をする際の休憩所になっているのかも知れない。
僕達は石段を上り、神社の中へと入る。
中には使ってないストーブや毛布、更に工事で使われるであろうダイナマイトの箱まであった。
「ダイナマイトがあるので火を使う時は外です。あと、護身用に猟銃があります……幽霊相手じゃ意味は無いですが気休めです」
「……神社に来たりはしませんか?」
「神社に彼女は入って来られません。しめ縄の結界がありますからね……切っちゃダメですよ?」
依頼者から忠告を賜った僕は、その言葉に頷いた後……道中での疲れを癒やす為、その場で横になった。
それにしても、神社とは……縁と再会した時を思い出す。
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どれくらい時間が経ったのだろうか?
僕は、突如目を覚ました。
そこは先程の神社と変わりは無いが、なぜか僕は紋付き袴姿になっていて、隣にはなんと白い着物に文金高島田の姿となった縁が居た。
彼女は死んでからの変わり果てた姿ではなく、美しい生前の姿をしていた。
しかし、今の僕にはどちらでも構わない。
やっと、縁に会えたのだから……。
「縁! 縁! やっと……やっと、会えた!」
けれども、縁は僕の言葉に応えずゆっくりとこちらを見た後……ニッコリと微笑んで前を見る。
僕もそれにつられて前を見ると、そこには離島で出会った謎の人影のようなモノ……ヌルが一同に鎮座し、頭を垂れていた。
「あの時……あなたが怒りに任せて消してしまったモノ達よ。私が連れてきたの」
ようやく、口を開いた縁はそう僕に告げた。
「連れてきた?」
「私があなたに付けた青紫色の痣の指輪……それはあなたと縁があるものを私の力で結ぶもの。あなたが呼んだり、あなたが出向いたりする事が出来る……あなたがヌルと名付けた、この消えゆくモノ達はあなたが名前という存在を与えたことによって、僕になるそうよ。これからは、影があなたの味方となってくれる…………嬉しいわ。あなたは私だけのものだったのに、これからは私もあなたのものになるのね」
色々な事に戸惑った僕だったが、縁の嬉しそうな顔と僕らを見守るヌル達を見て、現状を受け入れた。
そして、大勢の影が見守る中……僕らは式を挙げた。
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縁と口づけを交わした僕は突然の音に目を覚ました。
辺りは物が乱雑としている神社……どうやら、さっきのは夢のようだった。
無論、隣には縁も居なければ、ヌル達も居ない。
しかし、もう一人……居ない者が居た。
一緒に居た依頼者である。
それに先程、僕の夢見を邪魔した音の正体は何なのか?
僕がそんな疑問を思っていると……
「来るなぁぁぁ!!」
神社の外から依頼者の叫び声と一発の銃声が轟く。
僕はいきなり外に出ようとはせず、中から様子を伺う。
外には猟銃を構える依頼者と白い着物に文金高島田の女が居る。
一瞬だけ彼女が縁に見えたが、その勘違いはすぐに消え失せた。
そんな彼らの後ろでは神社を守っていたであろう、しめ縄が倒木により千切れてしまっていた。
どうやら、僕が目を覚ました原因はアレのようだ。
そして、状況は……最悪だ。
「何でだ、何でなんだよ! 俺はただ、決められた結婚が嫌だったのに……なんでこんな事になるんだよ!」
穢れた花嫁、アイは手を伸ばしながら依頼者に近付いていく。
そろそろ助けないとマズいだろう。
僕はポケットからタバコを吸う為に持っていたライターを取り出すと、神社の中にあったトンネル工事用のダイナマイトを数本掴み、火を付けて神社の外に投げる。
特に意味など無いと思うが、猟銃よりはマシだと思うし、目くらましにもなるだろう。
ダイナマイトは穢れた花嫁と依頼者との間に落ちて、地面を吹き飛ばしながら爆発を起こした。
依頼者はいきなりの出来事に悲鳴を上げながら吹き飛ばされ、地面に倒れ込むようにして気を失う。
一方の穢れた花嫁は何事も無かったかのように僕の方を向いた。
……マズい。
爆発に紛れて依頼者を逃がそうとしたが、彼は気絶した上、彼女の邪魔をしようとした僕も見つかってしまった。
「アアアアア!!」
穢れた花嫁は僕の姿を見た途端、顔を般若の如く変貌させ、まるでファンタジー小説に出てくる魔法使いのように猛然と飛んできて僕の首を掴む。
「が……はっ……」
女とは思えない程の強い力でミシミシと首を締め上げられていく中、僕は自身の身体が熱くなるのを感じた。
薄らいでいく意識の中で原因を探ろうと目を動かすと、身体のあちこちから煙のようなものが出で、しまいには焦げるような臭いが鼻をつく。
身体の中から骨ごと焼かれているような気分だった。
こんな状態じゃ、僕に待つ運命はこのまま首を折られるか、身体を焼き尽くされるかのどちらかだろう……。
だが、縁と式を挙げることが出来た……このまま死んであの世で夫婦睦まじく暮らすのも良いだろう……。
未練など無い空っぽな状態で、僕は死を受け入れる為……目を閉じる。
だが、その瞬間……穢れた花嫁の言葉が耳に入ってきた。
「邪魔をする人は……ことごとく消してあげる……死なんて与えない……苦しみながら消えなさい……」
……消える?
死ぬんじゃなく、消える?
それはつまり、僕と縁が過ごした日々を……今さっき挙げた式も……全て消える、ということか?
…………ふざけるな。
やっと、結ばれたのに……やっと、叶ったのに……それを奪う権利はお前に無い筈だ。
もし、それでも奪うというのなら…………僕が逆にお前の全てを奪い、消してやる!
「うああああ!!」
僕は目を見開き、全ての力を振り絞ってあらん限りの声を出した。
すると、突然不思議な事が起こった。
僕の身体中から溢れんばかりの黒い煙のようなものが水しぶきのように噴き出したのだ。
穢れた花嫁はそれに驚き、手を離す。
それと共に身体の熱さも急に冷めていく。
僕は尻餅を着く形で倒れるが、身体を包んでいる黒い煙のようなものは消えない。
自身の身体に起こった変化……それに僕が戸惑っていると、黒い煙のようなものから人の形をした影が無数に出てくる。
さっき夢で見たヌルだ。
更に僕の背後から紫色のワンピースを着た無惨な顔をした女が出てくる。
忘れもしない、僕が闇を知るきっかけとなったもう一人の縁……紫だ。
紫は穢れた花嫁に向かってまるで指示を送るように手を伸ばす。
その途端、周囲に居たヌル達が穢れた花嫁に向かっていき、瞬く間に拘束する。
「サァ、アナタ……」
それを見た紫は何かを僕に促す。
僕は何をどうすれば良いのか、当然皆目見当も付かなかった。しかし……
「……消えろ」
無意識に冷酷な言葉が口から出てきた。
その瞬間、穢れた花嫁の身体がヌルと共に黒い煙のようなものに包まれ溶けていく。
その際、穢れた花嫁は悲鳴を上げながらヌルから逃れようと必死に抵抗したが、願い叶わず闇と共に消えていった。
紫はその間、倒れている依頼者に近付き、頭を掴む。
掴まれた彼は身体中に青紫色の痣を出すと、呻き声から断末魔の叫びへと変え、頭を垂れて絶命してしまった。
「なぜ、彼まで……」
「後デ分カルワ……」
紫はそう言うと彼の遺体を乱雑に投げ捨て、自らは紫色の炎に身を包み、その場から消えてしまった。
気がつくと、僕の周りに居たヌル達も居ない。
どうやら、僕は………現時点で村に居る最後の人間となったようだ。
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あの奇妙な出来事から数日後……僕は紫の言った言葉が気になり、穢れた花嫁の儀式について再度自分なりに調べ回った。
すると、ある事実を知る事が出来た。
それは、穢れた花嫁によってもたらされる災厄を回避する術だった。
もし、穢れた花嫁が出現した場合……村の外から来た人間、すなわち迷い人を冥婚が行われる神社に泊まらせ、穢れた花嫁に捧げる。そうすることで、穢れた花嫁はその者を新たな夫として認め、連れて行く…………というものだった。
つまり、僕は生け贄にされる所だったのである。
しかし、その窮地は図らずも死んだ恋人と自身に付いて来たモノ達によって救われた。
これが俗にいう愛の力……なのだろうか?
だが、あの時…僕の中から出てきたあの黒い煙のようなものはそんな綺麗なものではなかった。
寧ろ、その逆……もっと禍々しく、欲にまみれ、憎悪に近く、闇より深い黒…邪な心が生み出した……対になる穢の力。
いや、穢れた花嫁を呑み込んだのだ。
単純に邪な力で良いだろう。
しかし、前までは縁や紫……その双方にも会いたくないと思っていた僕が、今じゃ会いたいと思っている……しかも、恐がりだったのに、今じゃ恐がるどころか逆に怒りが生まれているように感じられる。
……僕に何かが起こっているのだろうか?
だが、それが何なのかは分からない。
いずれにしてもそれが治ったのが縁の愛によるものなのか紫の穢によるものなのか……なんて関係無い。
彼女が助けてくれた……その事実だけで十分なのだから。
穢……それは闇色に染まりし愛が更なる情念により、変貌した形……。