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勇者ふたり  作者: 日春有伸
1/1

勇者のその後

1

 勇者が渾身の力を込めて振り下ろした剣は、魔王の身体を深く斬り裂きました。それでも魔王は倒れません。魔王がなおも邪悪な獣を召喚しようとします。勇者は続けて刃を返し、すくい上げるような太刀筋で魔王の首を撥ねました。

 ついに勇者は魔王を討ち取り、長く苦しい戦いに終止符を打ったのでした。(勇者の軌跡:第18章より抜粋)


 魔王が倒されてから15年が経ちました。もはやこの国に戦禍の跡は無く、見事に復興を遂げています。私のいる街も戦中はひどい有様だったそうですが、その面影はなく活気に満ち溢れていました。

 私は愛用の手帳を開き、待ち合わせの場所と時間が間違っていないことを確認します。

 今回の仕事は勇者の取材。そう、あの魔王を打倒した勇者様です。

 戦前から戦中、そして戦後に至るまで勇者の軌跡を取材して来いと、数日前に編集長直々に命令されました。地方の出版社に入り5年目。今ではいくつかの記事を担当し、本の編集にも携わるようになった私ですが、このような大仕事を任せられるとは夢にも思いませんでした。

 実のところ、少し迷いました。まだまだペーペーな記者の私の手に余る仕事です。熟考のすえ、私はこの仕事を受けることにしました。なぜならば私の本が出版とされるいう魅力には逆らえなかったから。自分の本を出すことは私の野望の一つなのです。

 とはいっても、勇者様に関する書籍というの既にいくつも出版されています。特に戦後しばらくは、国中で勇者様ブームになってしまい、いくつもの出版社が競って発売しました。中には真偽の定かではないようなことまで書かれているものがあったりましますが。

 勇者ブームが過ぎた後は大学の先生が書いた研究書なるものがポツポツと出版されたりしていましたが、勇者個人について書かれたものはあまり出なくなりました。勇者様がいい加減な記事に嫌気がさして、取材を受けなくなったからと噂されています。そのせいで現在、どこで何をしているのかはあまり知られていません。私も編集長から聞かされるまで、自分と同じ街に住んでいることすら知りませんでした。編集長はなぜ知っていたのでしょうか?

 私は懐中時計で時間を確認します。約束の時間までもうわずかでした。

 待ち合わせは公園の噴水前。私はコンパクトを取り出し、身だしなみを確認しました。失礼のないよう、髪もメイクも大人しめのものにし、服装もいつものラフな格好ではなくスーツを新調しました。経費で落ちませんでしたが。

「失礼。ヨシノ様ですか?」

 男性に声を掛けられました。振り返ると、黒いスーツいえ、執事服に身を包んだ男性が立っていました。歳の頃は40歳ぐらいでしょうか。右目に大きな眼帯を付けていました。体格は長身かつ筋肉質で、夜道で見かけたら道を譲ること請け合いです。

「そ、そうです……」

「どうも執事のハウンドと申します。以後、お見知りおきを」

 柔らかな物腰と丁寧な言葉に、妙な警戒をしてしまった私は自分を恥じました。先入観だけで物事を判断するなと、先輩からいつも言われていますが、未だに治らないのが目下の私の悩みだったりします。

「ではお屋敷にご案内しましょう。車を公園の前に停めてあります。どうぞこちらへ」


 ハウンドさんの運転する自動車で勇者様のお屋敷へと向かうことになりました。公園の前に停められていたのは小型自動車。魔力で動く機械で、元は軍が馬車に変わる輸送手段として開発しました。十年程前から民間にも販売されるようになった自動車ですが、まだまだ高価でお金持ちの乗り物です。私も公共の大型自動車などは何度か利用したことがありますが、個人所有の自動車に乗るは初めてです。私は後部座席に乗り込むと、シートの座り心地の良さに驚きました。バスの硬いシートとは雲泥の差です。さすが勇者様の所有の自動車。さぞ高価だろうことは容易に想像できます。私の給料の何年分だろう?

 自動車は緩やかに発進しました。

「あの、少しお聞きしたいことがあるんですが……」

 私は早速気になっていたことをハウンドさんに聞くことにしました。

「私めに答えられることであれば何なりと」

「勇者様はずっとこの街に住んでいたのですか?」

「いえ、数年前に引っ越してきました。前は帝都にいたんですが、いろいろとありまして」

 帝都。この国の首都にして当然、大都会でもあります。この街も発展しているとは言え、帝都と比べると少し劣ります。

「勇者様は今、何をなさっているんですか?噂では軍部の重要なポストについたとか、陰ながらこの国を守っているとか言われていますが」

 他には放浪の旅を続けている、既に亡くなっている、など。そもそも勇者というのは軍のでっち上げたプロパガンダで、そのような人物は元々存在しないなんてトンデモな噂までありました。戦後しばらくして公の場に姿を現さなくなったのが原因だと思われます。

「その辺はヨシノ様が直接お聞きになった方がよろしでしょう」

「確かにそうですね」

 本物の勇者様に会えるのだから、直接的な質問は本人に聞くのが一番でしょう。

「そうそう、取材する前にヨシノ様に先に言っておかなければならないことがあります」

「はい、なんでしょう。過度な編集や、意図的な解釈をしない、みたいなことでしょうか?それとも、あまりプライベートなこと聞いてはいけないとかですか?」

 取材嫌いの勇者様のことです。しっかりハウンドさんの注意を聞いておかなければ。知らないままに進め、勇者様の機嫌を損ねて取材打ち切り、なんてことになったら目も当てられません。

「いえ、取材に関しては自由になさって結構ですよ。私めが説明するのは勇者様についてです」

「はあ」

「勇者様のお姿はご存知でしょうか?」

「絵画や演劇などでなら見たことがあります」

 魔王を討ち、この国に平和をもたらした勇者。その姿は国中の画家達が絵描き、その物語は本だけには留まらず、舞台の演目として何度となく劇場で演ぜられてきました。

 そこでの勇者様は流れるような美しい黒髪に切れ長の目と整った顔立ちをした凛々しい『女性』として表現されます。ですから、今でも熱狂的なファンは根強く残っています。私も同性としてその『格好良い女性像』に憧れを抱いていました。

「まぁ、この国に住んでいるのですから当然でしたね。では今のお姿はどうでしょう?」

 今の勇者様の姿。公の場に姿を現さないのですから、想像することしかできません。確か勇者様が魔王を倒し、戦を終わらせた時は20歳前後と言われています。それから15年ですから今が30代半ば。漠然と美しいままに年を重ねた女性をイメージしました。確かに年を重ねてはいるけれど、それでも若い頃の美しさを残している。そのような感じでしょうか。そう伝えるとハウンドさんが笑いました。

「フフ、やはりそうお考えになるでしょうな」

「え?違うんですか」

 実際はもっと老け込んで見えるとか、それともものすごく太ってしまったりとか。残酷な時代の流れを感じさせる姿なのでしょうか?

「いえ、今でもお美しいですよ。ただ、あの頃からあまり歳を取られておりません」

 ハウンドさんの言葉に耳を疑いました。

「ある事情から勇者様は歳を取らなくなりましてね」

「不老ということですか?」

「いえ、確かに歳は重ねています。ただそれが普通の人よりも遥かに遅いのです。なので、このことを先にお伝えしておかないと実際に対面した時に本人だと信じてもらえないことが多々ありまして」

「なるほど……。確かに勇者様は様々な特殊な力がありましたね」

 勇者様について書かれた本には、彼女の能力についての紹介もありました。ケタ外れの身体能力、傷の治りが早い、貯蔵魔力が桁外れなど。しかし、歳を取るのが遅いというのは初耳でした。

「まぁ、それだけではないんですがね……」

「何か言いました?」

「いえ、なんでもございません」

 笑みを噛み殺すような、ハウンドさんの表情が気になりましたが、ちょうど自動車は高級住宅地に入るところでした。勇者様が住むお屋敷なのですから、さぞ大きく立派なことでしょう。が、私の予想はハズレました。そのお屋敷は大きくはありましたが、どことなく古びています。勇者様が住むお屋敷にふさわしいかと言われれば首を傾げざるおえません。

 自動車はアーチのかかった門を潜り、玄関の前で止まりました。

「到着いたしました」

「ありがとうございます」

 私はハウンドさんにお礼を言って、自動車を降りました。

「ああ、ニコラ、自動車を片付けておいてくれないか」

 ハウンドさんも車を降りると、近くで掃除をしていたメイド服姿の少女に声をかけます。まだ13、4歳ぐらいでしょうか。白い髪と褐色の肌、それに獣の耳が髪の間から覗いています。元魔王領だったラース地方の人でしょう。この辺りで見るのは珍しいです。

「はいー、わかりまシタ。……あ、お客サマ、ようこそいらっしゃいましタ」

 ニコラと呼ばれた少女がぺこりと頭を下げます。彼女の言葉には少し訛りがありました。ラースの辺りの人特有のものです。

「ど、どうも」

 私は挨拶を返しましたが、それよりも小さな彼女が自動車を運転できるのか気になってしょうがありませんでした。

「では、参りましょうか」

「はい」

 私が振り返るとニコラちゃんは、自動車のハンドルを真剣な顔で握り締めています。

「大丈夫なんですか?」

「ニコラのことですか?運転の仕方は一通り教えてありますよ。後は慣れですよ」

 ハウンドさんが微笑みながら言いました。

「慣れ、ですか」

「人間何事も慣れです」

「はぁ」

 私がもう一度振り返ると、ニコラちゃんが恐る恐る自動車を発進させるところでした。

 

 屋敷の中は綺麗に手入れがされていて、趣味の良い調度品が嫌味にならない程度に飾らていました。それと繊細なタッチで描かれた風景画がそこかしこに飾られています。それでもお屋敷自体の古臭さは拭えませんでした。

 ハウンドさんの案内で廊下を進んでいく途中、窓から中庭が見えました。中庭の庭園は綺麗に手入れされています。その中庭に設置されたベンチで黒髪の男の子が分厚い本を読んでいました。勇者様のお子さんでしょうか?出産したとか聞いたことありませんが。

 そんなことを考えているうちに応接室の前までやって来ました。

 ついに勇者様との対面の時です。

 この国で知らない人はいない、そんな有名人にこれから会うのです。緊張しないはずがありません。私は改めて前髪を手櫛でなでつけました。

「少し、落ち着くまでお待ちしましょう」

 ハウンドさんはガチガチに緊張した私を見て、そう言ってくれました。紳士の鑑です。

「…………はい、大丈夫です」

 私は深呼吸をして気持ちを落ち着けました。この扉の向こうに勇者様がいます。私は頷くとハウンドさんが扉をノックしました。

「失礼します、お客様をお連れしました」

「どうぞ入って」

 女性の声が返ってきました。

 ハウンドさんが扉を開けてくれます。私は唾を飲み込み、応接室に脚を踏み入れました。応接室は先ほどの部屋よりも広く、座り心地のよさげなソファがテーブルを囲むようにいくつも置かれています。そして一人の女性が窓辺のそばで背を向けて立っています。背は女性にしては高めでしょうか。流れるような黒髪は肩のあたりで切り揃えられていました。服装は白いシャツに黒のベストとスラックスなので、男装しているようにも見えます。

 女性が振り返りました。

 私は思わず息を飲みます。

 ハウンドさんの言っていた通り、外見年齢は私を同じぐらいでしょうか。ただ、問題は別のところにありました。

 長すぎる前髪が目の半ば辺りまで覆い、髪の隙間から切れ長の目がこちらを見ています。その目の下には濃いクマ、肌は病的なまでに白く、心と体を病んでいると言われても不思議ではありません。三白眼と口元のわずなか笑みがまた狂気的な感じを醸し出しています。勇者様というよりは悪役の方がしっくりきました。

「…………」

「よく来たね、ヨシノさん」

 数々の絵や劇で表されてきた凛々しい勇者様はどこにいるのでしょうか?

「………」

 私は不安になりハウンドさんを見ます。彼はニコリと笑うだけで何も言いません。ただ、目の前にいるのが勇者様ですよ、と暗に告げていることだけは分かりました。

「ま、気楽に構えてくれていいいよ」

「…………あ、あの勇者……様?」

 喉から絞り出した声は自分でもわかるほど震えていました。

「そう、だけど?ああ、外見のこと?ハウンドさんから聞いてない?」

 私はぶんぶんと頷きます。ちゃんとした説明がないと納得できません。

「実はアタシ、歳を取りにくくなってねぇ……」

「い、いやいや、年齢に関しては聞いてますっ。ただ……」

「イメージと違った?」

「……はい」

 私はつい素直に答えてしまいました。ですが、勇者様は特に気にした様子もありませんでした。

「まー、出回ってるのはイメージ優先だから。やっぱ勇者様といったら凛々しくて美人の方がウケがいいでしょ。それに15年もあれば外見もがらっと変わったりすることもあるよ」

 勇者様が笑いながら言いました。本人はにっこりと微笑んだつもりでしょうが、私にはニヤリと悪い笑いを浮かべたようにしか見えませんでした。

「………」

 だとしても、病んでる系勇者様になるとは想像もつきませんでした。

 後ろでハウンドさんが笑いを噛み殺していました。

「どうしてちゃんと教えてくれなかったんですか」

「ついうっかりしていました」

「つい、ですか……」

「ええ、つい」

 絶対に確信犯です。

「まぁ、座って。その辺もおいおい話してけばいいでしょ。取材なんだから」

「えっと、はぁ」

 妙にフランクな勇者様に勧められるままソファに腰掛けました。勇者様もソファに座ります。

 正面にいる彼女は白すぎる顔と濃いクマのせいで、一般的に知られる勇者様像とかけ離れていはいますが、よくよく見れば面影は残っています。

「ハウンドさん、珈琲二つ」

「かしこまりました」

 私の読んだ本では勇者様は紅茶派だった気が。何分、かなり前なので記憶違いもしれませんが。

 ハウンドさんが部屋から出ていくと、勇者様と二人きりになります。先程のやり取りもあって緊張はだいぶほぐれていましたが、また勇者様と合う前に戻ってしまいそうです。そこでふとハウンドさんが私の緊張をほぐすためにあえて、あのような真似をしたのかもしれないと思いました。だとするとあの人に感謝しなくてはなりません。

「じゃ、早速、何から話す?」

 勇者様に言われ、私は胸ポケットから慌ててメモと鉛筆を取り出します。

「で、では勇者様……」

 メモ帳を開いて、あらかじめ用意していた質問を書いておいたページを探します。

「あの偉大な勇者様に逢えて緊張するのはわかるけどさ、もっとリラックスして」

「自分で言っちゃいますか?」

「フフフフ……それと一々勇者様だなんて呼ばなくていいよ」

「でも」

「アタシにはアタシの名前があるもの。ヴェリル・ウーフって名前がね。アタシが勇者だなんて……大げさだよ」

 一瞬でしたが勇者様の視線が中空を向けられました。今思えば既に、勇者と呼ばれることに疲れていたのでしょう。

「では、コホン。ヴェリルさん」

 私がそう言うと、彼女は呆気にとられたような顔をした後、クスクスと笑い出しました。

「え?えっと?」

「いや、ホントに名前で呼んでくれると思わなくて。みんな大体、恐縮しちゃってすぐには名前で呼んでくれないから」

「し、失礼でした?」

「ううん、嬉しかった」

 そこにはこの国の為に戦った勇者ではなく、一人の女性がいました。勇者としての彼女を想像し、勝手な期待をしていた自分が恥ずかしいです。

「早速ですが、よろしいですか」

「ん、どうぞ。何から聞く?」

「何度も聞かれているかもしれませんが、まずはどうして勇者になったのですか?」

「そうだねぇ。あれは私がまだ小さい頃。ある夜に神様が枕元に立ってね、こう言ったんだよ」

「お告げ的なものだったんですか……」

「『ねえ、君、勇者にならない?』って」

「神様軽過ぎますよね?」

「そこでアタシは『うん、なるー』と答えたわけですよ。そして、朝になったら勇者になっていた……」

「二つ返事で受けたヴェリルさんもどうなんですか……って言うか、おもいっきしウソですよね、今の話」

「うん」

「真面目に答えてくださいよ……」

「ちょっとしたジョークじゃん、ヨシノちゃんは真面目だなぁ」

 けらけらと笑うヴェリルさん。見た目はちょっと怖いですが、中身は気のいい女性です。私の緊張はすっかりほぐれていました。そんなことを話していると、ハウンドさんがやって来ました。

「失礼、勇者様。情報部の方がお見えになりました」

「困ったなぁ。今、取材中だから待ってもらってよ」

「それが急ぎの要件があるそうで」

「けど……いや、いいか。じゃ、入ってもらって」

「かしこまりました」

ヴェリルさんは何か思い付いたようです。

「私は席を外した方が良さそうですね。何なら日を改めて……」

軍の人が来られるのならば、私のような民間人がいては話の邪魔にしかなりません。席を立とうとしますが、ヴェリルさんか引き留めました。

「ヨシノちゃんも同席してよ。アタシが今どんなことをしてるのかも取材するんでしょ?ちょうどいいじゃない」

「でも、軍の機密とか、そういうのがあったりしますよね?」

「そのへんは書くときに適当にぼかしたらいいじゃないの。これから来る情報部の人にも頼んだげるしさ」

「では、軍の方がいいと言ってくだされば」

 軍の情報部の方がハウンドさんに連れられてやって来ました。情報部の方は少し太り気味の人の良さそうなおじさんでした。取材のことについてヴェリルさんが説明すると、機密さえ守ってくれれば構わないと言ってくださいました。理解のある方でとても助かります。

「すいませんすいません、ちょっと緊急で案件が入ったものですから」

 マルカと名乗った軍人さんは、やたらとすいませんを繰り返します。軍人さんにしてはやたらと腰が低いです。日常的に謝ってばかりいるのでしょうか。

 そして、なぜか先程、中庭にいた黒髪の少年が同席していました。その顔立ちはやや中性的な上に、

体つきも小柄なので小動物的な可愛さがありますが、その静かな瞳の奥には何かを感じさせずにはいられませんでした。服装はヴェリルさんと似たような、シャツとベストにスラックスといういでたちです。

「ヨシノちゃん、彼はアーシュ君。アタシの助手、みたいなもんかな?」

 ヴェリルさんが彼を紹介すると、アーシュ君がぺこりと頭を下げました。

「えっと、どうも」

「それとアーシュくんは口がきけないんだ。まあ、『はい』と『いいえ』が相手に伝われば大概なんとかなるけどね」

 言ってることはむちゃくちゃですが、なぜか妙に説得力がありました。

「では、すいません、さっそく説明させていただきます」

 マルカさんが説明を始めました。簡単にまとめると、ある地域で商隊が盗賊に襲われる事件が頻発しているそうです。盗賊達の人数は多く、ちょっとやそっとの護衛の数では相手にならないとのこと。

「警備隊は何してんのさ。こういう時の為に税金で養ってもらってんでしょ」

 ヴェリルさんの容赦ない物言いに、マルカさんはまた謝りました。

「すみません、神出鬼没な上にそれなりに数を揃えてまして。しかも盗賊団の中に召喚士がいたそうです」

「あー、それじゃ普通の兵士じゃ荷が重いかぁ」

 召喚士。異界から獣を呼び出し使役する魔道士の一種です。習得が難しく、身につけるには専門の機関で学ぶ必要があります。ちなみにかの魔王はこの召喚の術を最も得意とし、強大な獣達を大量に召喚して帝国に多大な被害をもたらしました。

「となると、魔王軍の残党の可能性があるわね。拠点は?」

「こちらもまだ正確にはつかめてません。何箇所か野営の痕跡は見つけるのですが」

「魔王領から来た割には、フットワークが軽いわね。この辺りの土地に詳しいのが仲間にいるのかな?」

「引き際も見事なもので、取るものを取ったら素早く引き上げるそうです。しかも襲われるのは高級品を扱う商隊が多いですね」

「どっかから情報が漏れてんじゃないの?としても、土地勘だけじゃなくこのあたりの事情に詳しくないと無理か……」

 ヴェリルさんはテーブルに広げられた地図を覗き込みます。地図には被害のあった場所に、日時や内容を書いたメモが置かれています。ヴェリルさんの視線がとある村で止まりました。

「マルカさん、この辺りの調査は?」

 ヴェリルさんが指で差します。

「すみません、そこはまだ簡単な聞き取り調査しか出来てません。相変わらず人手が足りなくて……」

「軍部の予算は毎年削られてるもんね、仕方ないか」

ヴェリルさんがため息をつきました。戦から一五年過ぎ、国内はとりあえずの落ち着きを取り戻しています。なので、お金のかかる軍部は毎年のように予算を削減されています。ただ、未だに残党によるテロが発生するので、軍縮は早いのではという声もちらほら聞かれます。

「多分、魔王軍の残党が資金調達をやってんだろうけど、ちょっと引っかかるなぁ……。とりあえず行ってみますか」

「行くって……現場にですか?」

 私はつい口を挟んでしまいました。何となく予想はしていましたが、仮にも強大な魔王を倒した勇者自らが片田舎の盗賊団を制圧しに行くとは思ってもみなかったからです。

「そう、これが今のアタシの仕事。この国のみんなを守ることがね」

 ヴェリルさんが口の端を持ち上げて言いました。なんとも勇者らしいお仕事です。悪役のような笑顔でしたが。

「ちなみにヴェリルさんはメルケル准将の元、『特別独立遊撃分隊』として活動しています、はい」

 マルカさんが付け加えて説明してくれます。

「ということは軍属なんですね」

「ええ。正規軍では手に負えないような事案を彼女にお任せしていまして。軍からは装備品の支給や情報支援などを行っています」

 ちょっと意外です。勇者が軍の下で動いているとは思ってもみませんでした。

「軍とつるんだ方が何かと融通が利くんだよ。窮屈なところもあるけどね。じゃ、準備して」

「わ、私も?」

「当たり前でしょ、密着取材なんだから」

「いえ、密着だなんて一言も……」

「きっといいネタと思うんだけどなぁ」

「行きます」

反射的に答えてしまいました。記者の悲しい所です。


 一旦、ハウンドさんの運転する自動車で私は会社に戻ると編集長に同行の許可を貰いに行きました。編集長に話すと二つ返事で承諾してくれた上に、社の備品のカメラまで持たせてくれました。かさばるので荷物になりますが、取材の際にあるととても助かります。

 それから今度は自宅のある安アパートに戻って旅の準備をします。遠方の取材は何度も経験しているので、準備も手慣れたものです。多少、散らかった部屋を更に散らかしながら必要なものを旅行鞄に詰め込み、服装も動きやすいラフなものに変えました。

最後にしっかりと戸締りをしてから、安アパートを出ました。何日ぐらいで帰ってこれるのかわからないので、ペットのゴリアテ君は隣の住人さんに預けておきました。いつもの事なので住人さんは快く引き受けてくれました。

 そして、再びヴェリルさんのお屋敷へ。二人は既にお屋敷の玄関で待っていました。

「思ったより早かったね」

 二人は旅着に身を包み、すっかり準備を終えています。病んでる系勇者様でも、こうやって装備を身に付けた姿は様になります。アーシュ君は服のサイズが少し大きめで、着ているというよりも服に着られているといった有様でした。

「ところでヨシノちゃんってさ」

「はい?なんでしょう」

「最初会った時も思ったけど、結構胸大きいよね」

 勇者様にセクハラされました。

「な、な、何を言い出すんですか!」

 今の私は動きやすさ重視の姿をしているため、上はタンクトップのシャツにジャケットを羽織っていました。ちなみに下はカーゴパンツです。

「初め会った時もスーツの上からでもわかるぐらいだったしさぁ。ちょっと揉んでいい?」

「ダメに決まってます!」

「いいじゃん、減るもんじゃないし」

「おっさんみたいなこと言わないでください!」

「ちぇー」

 本当に勇者様なのでしょうか、私はまたしても不安にかられました。

 現地へは馬車ではなく自動車で行くことになりました。それも軍用車。悪路でも走れる走破性と頑丈さを備えていますが、不安な点が一つ。

「これ補給はどうするんですか?」

 自動車は魔力で走ります。が、その供給源となる魔晶石はまだそれほど流通しいません。都市部ならば問題は無いでしょうが、これから行く地方は田舎なので魔晶石が手にはいるとは思えません。

「この自動車の魔晶石は特別仕様だから。なんと自分の魔力で再充填が出来るんだよ」

 ヴェリルさんが自慢気に説明します。

「まだ試作品だから回数に制限はあるけど、再充填しながらだったら目的のトコに行って帰ってくるぐらいなら持つよ」

「試作品って、軍のですよね?いくらヴェリルさんでもそんな最新鋭の技術を使わせて貰えるんですか?」

「そこはほら、アタシも軍に所属して長いし。ある程度のお偉いさんの弱み、もとい、過去の所業とか知ってたりするわけよ」

「それをネタに強請ったんですね」

「お願いしただけだよ」

 ヴェリルさんはニヤリと例の悪い笑みを浮かべます。勇者なのになぁ。

「ヴェリル様は同様の手口で軍の開発部から様々な支援を受けております。なので最新鋭の装備を回してもらえるんですよ」

 ハウンドさんのあまり聞きたくない補足が入りました。

「ハウンドさんまでひどいなぁ。それに試作品の実用試験してあげてるんだからお互い様だよ。ねぇ、マルカさん」

「ええ、まぁ……ははは……」

 マルカさんの曖昧な返事と乾いた笑いが全てを物語っていました。

 そんな会話をしている間にもメイドさん達が私達の荷物を自動車の荷台に積んでくれます。それが終わると、私達は車に乗り込みました。運転席にはヴェリルさん自らが座りました。てっきりハウンドさんが運転すると思っていたのですが。

「では行ってらっしゃいませ。お早いお帰りを」

「うん、行ってくるよ」

「ヨシノ様も十分にお気をつけて」

「はい、ありがとうございます」

「それとシートベルトはしっかり締めておいた方がよろしいかと」

「え?はぁ」

 私はハウンドさんに言われまま、シートベルトを締めました。もしや、と思いましたが自動車はゆっくりと発進します。ハウンドさんがあんなことを言うので、てっきりヴェリルさんの運転が荒いのかと思ってしまいました。おそらく万一事故に遭ったときのことを考えてくれたのでしょう。

 私達はハウンドさんと数人のメイドさんに見送られ、屋敷を出ました。


 ヴェリルさんの安全運転は街の中限定でした。街道に入った途端、自動車は速度を上げて爆走します。ハウンドさんの助言は正しかったようです。後から聞いたところによると私はシートベルトを握りしめ、顔面蒼白になっていたそうです。マルカさんはいつもの事と言わんばかりに、揺れる車内で書類をめくっています。アーシュ君に至っては、シートに深く腰掛けて眠っていました。勇者の助手を勤めるには、彼のような度胸の持ち主でなければいけないんでしょうか。

「も、もう少しスピードを落とした方が!」

 私はうるさいエンジン音に負けないよう声を張り上げてヴェリルさんに進言しました。

「のんびり走ってたら、いつまでたっても目的地につかないよ!」

 なぜかやたら上機嫌でヴェリルさんが返します。

「大丈夫、すぐつくから!……あはは、やっぱ自動車で思いっきり飛ばすと気持ちがいいねー!」

 実際にはすぐではなく、目的の村に着くまで2日程かかりました。本来ならこういう時に取材を進めるべきだったのでしょうが、ヴェリルさんの荒っぽい運転に私はすっかり酔ってしまい、大したことは聞けませんでした。それでも私が読んできた勇者について書かれた本とはいくつか食い違いがあったりして、あの時代に出版された本がいかに間違っていたかを知ることができました。

 ちなみに、初日のお昼休憩のときにこんなことがありました。

 すっかり酔ってしまった私はお昼のお弁当を食べる気になれず、木陰でぐったりしていました。アーシュ君が水筒を持ってきてくれます。なんていい子なんでしょうか。

「大丈夫?」

「ええ、なんとか」

 ヴェリルさんも心配してくれます。

「ちょっと悪乗りが過ぎたね、ごめん。自動車に乗るとどうもスピードを出したくなっちゃって」

「お願いですからスピードを落として下さい……」

「午後はアーシュくんが運転するよ。あの子の運転はおとなしいから」

 それなら安心、というかアーシュ君も運転できるのに少し驚きました。彼もまだ子供といっていい年齢でしょうに。

 気持ちの良い風が吹き抜け、ヴェリルさんの髪が舞い上がりました。イメージとは違いましたけど、目の下の隈がなければ結構な美人さんです。ヴェリルさんは私の傍に座りました。彼女は何も言わず、流れる雲を目で追っていました。この時、ヴェリルさんは何を考えていたのでしょうか。今となっては想像しかできません。

「あの、聞いてもいいですか?」

「ん?取材の続き?」

「いえ、取材とかじゃなくて、個人的に気になった事なんですけど」

「うん」

 私がこの取材の話が来た時からずっと思っていたことがありました。

「どうして今回の取材を受けてくれたんですか?」

「ああ、それね。……実はさ、取材はこっちから話を持ちかけたんだよ」

「えっ?」

 意外な答えが返ってきました。取材嫌いで知られていたヴェリルさんが、何故。

「勇者ってのが、なんだったのか。それをちゃんと残しときたくなった。それだけだよ」

「……」

普段の飄々とした言い方でしたが、目だけは笑っていませんでした。多分、他にも理由があるのでしょうが、まだ私には聞けませんでした。

「では、どうして私みたいな若い記者を希望したのですか?私のいる部署にもベテランさんは何人かいますよ?」

 編集長からこの仕事を振られた時、彼は『先方が若いのを希望している』と言っていました。それで私に白羽の矢が立ったのですが。

「そりゃ、若いおねーちゃんに取材された方が……、冗談、冗談だって」

 ヴェリルさんが言うと冗談に聞こえません。

「ベテランさんでもいいんだけどさ。気を使って上手いこと書いてくれるだろうし。でもなんつーかさ、若い人にしか書けないことってあるじゃん?いい意味でも、悪い意味でも」

 新米記者の頃には自分の文章に酔って、書いてはいけないことまで書いてしまう、ということが割とよくあります。私にも経験があり、よく先輩方に怒られました。もっともベテランでもやってしまう人は少なくないですが。ただしのそ場合は、止めることができる人が限られるので、そのまま掲載、クレームとなったりします。

「アタシは自由に書いて欲しい、それだけなんだけどね。でもベテランさんだとそれがなかなか難しい」

「どうしてですか?」

「ベテランってのは経験を積んだ人だよね。経験ってのは積めば積むほど、身になるんだけど同時に価値観は固定化されていく。書いていいこと、悪いことの判別だけでなく、『こうあるべき』っていう先入観ができちゃってるから、改めてベテランさんに『自由に』てのは難しいものなんだよ」

「…………」

「でも若い人って価値観が固定しきってないから、ありのままに書いてくれるかなと思ってね。というわけで、いい記事頼むよ」

 とんでもないプレッシャーをかけられてしまいました。私の人生最大の大仕事に間違いありません。けど、私は絶対にやり遂げる、そう固く誓いました。


 目的の村にはお昼頃につきました。自動車が珍しい村の子達がこちらを遠巻きに眺めています。

 村には戦後復興で立て直された建物をいくつも見受けられました。それでもどこか寂れた雰囲気があります。何となく女性が多く感じるのは、男性が村の外に働きに出ているからでしょうか。

 まずこの村の警備隊の詰所に行き、村周辺のことについて話を聞きに行きましたが、これといった成果はありませんでした。というより、この村に派遣されている人員はギリギリの為、村内の警備だけで精一杯だそうです。なので村の外まで見回る余裕が無いとのこと。ここでも予算削減の影響が出ていました。

 次に村役場に向かいます。村役場はそれなりに立派な建物でした。これも戦後復興の際に建て替えられたのでしょうか。

役場の受付でマルカさんが所属と要件を告げると、職員のおばさんは慌て村長を連れて来てくれました。

やって来た村長は六〇過ぎのおじいさんです。

「どーもどーも、ワシが村長です。ささ、こちらへ」

村長さん自ら会議室に案内してくれます。

「なんでも例の強盗事件について調べられているとか。大変ですな」

全員が用意された席に着くと開口一番、村長さんはそう言いました。

「ええ、この辺りの皆さんも困っていると思いましてね」

「それはそれは。ですが人数はこれだけですかな?何やら民間の方もおられるようですが」

「我々の目的はあくまで調査ですから。盗賊の居場所を突き止め次第、本隊に連絡して討伐隊を編成します」

 さらりとヴェリルさんが嘘を突きます。勇者と呼ばれた彼女なら盗賊ぐらい余裕でしょうに。きっと彼女に何か考えがあると思って、私は黙っていました。

「それと彼女は記者で、アタシ達の仕事を取材してるんです」

「どうも」

私は頭を下げました。

「そうですか」

村長さんは何とも言えない顔をしました。記者がいては不味かったのでしょうか?

「すみません、話を始めてよろしいでしょうか?」

マルカさんが切り出します。

「どうぞどうぞ。とはいえ、大して協力できないかもしれませんが。前に来られた軍の方にほとんどのことは話してしまいましたからな」

「念のためですよ。この辺り、村の外でも構いません。怪しい人物を見たとか、そういった話を聞いたことは?」

 マルカさんが手馴れた様子で話を進めていきます。一見、優しそうなおじさんにしか見えませんが、さすが情報部の人間ということでしょうか。

「いや、ありませんな。この村自体、行商人のキャラバンがたまに来るだけですので」

「では、この辺りで盗賊の連中が野営できそうな場所に心当たりは?」

「ふぅむ、このあたりは木々が多いですから、まとまった人数が野営できそうな所はちょっと思いつきませんな」

 その後もマルカさんが質問を重ねますが、あまり有用な情報は得られませんでした。これではお手上げです。一通り質問が終わった後、ヴェリルさん口を開きました。

「いやぁ、これは見当外れだったね。マルカさん」

 それまで黙って話を聞いていたヴェリルさんが、口を開きました。

「とりあえず村の周辺をちゃちゃっと調査して、引き上げるとしましょうか」

「え、ええ」

 マルカさんも戸惑っていました。

「ほらほら、アーシュ君、行くよ」

 彼女は早々に席を立ちました。私達は慌ててそれに続きます。

「今日はありがとうございました」

「いえ、大した協力もできず申し訳ない」

「ところで……この村、男性が少なくないですか?村もなんというか、寂しい感じですし」

「実は数年前、近くに大きな街道が出来ましてな。街道沿いの村々は宿場町として栄えておりますが、この村は街道から少し離れておるんですよ。街道が整備される前はここも宿場町だったのですが、お客さんをそちらにみんな取られてしまいまして、この有様ですわ。なんで男連中は都会に出稼ぎに出ているわけなのですよ」

「なるほど、大変ですねー。……おっと、今何時です?」

「今ですか?えーと、十一時ですな」

 村長さんはポケットから懐中時計を出して、教えてくれました。ヴェリルさんも時計を持っていたような……。

「どうも。じゃ、急ぐよ」

 ヴェリルさんがみんなを促し、さっさと外に出ていきます。私達は慌てて彼女に続きました。


 外に出ると陽がまもなく頂点にかかる頃でした。

「ヴェリルさん、ろくな情報がないからってさっさと外に出ちゃうのはどうかと……」

「や、情報ならあったよ。それなりに」

「どんなです?」

「それは……ん?」

 ヴェリルさんが何かに気づきました。私がそちらに目を向けると一人の男の子がこっちを見ていました。一〇歳ぐらいでしょうか。やんちゃそうな子ですが、こちらを見る顔は真剣そのものでした。彼がこちらへ走ってきます。

「姉ちゃん」

 少年は私ではなく、ヴェリルさんに話しかけます。

「んー?何かなー?」

 微妙に機嫌が良さそうなのは、少年がヴェリルさんを外見年齢で判断されたからでしょう。

「姉ちゃん、勇者だろ」

「な、なんでそのことを!」

 ヴェリルさんが芝居がかった驚き方をします。というか私の方が驚きました。なぜこのような少年がヴェリルさんが勇者だと知っているのでしょう。

「へへへ、困ったことがあると、黒髪で目つきの悪い女勇者がやってきて助けてくれるって子供の間では噂になってるんだぜ」

 なるほど、都市伝説の類でしたか。風体まで正確です。おそらくヴェリルさんのこれまでの活動が噂になっているのでしょう。ちょっとしたヒーローみたいなものでしょうね。

「むぅ、少しひっかかるがまあいいとしよう。で、勇者様に何?」

「あれだろ?盗賊をやっつけにきたんだろ?」

「まぁね。何か知ってるのかな?」

「連中がいそうな場所、知ってるよ」

 少年が自信アリげに言います。

「ほ、ホントですか?どこですか?」

 私は彼から聞き出すため、前かがみになり顔を覗き込みます。なぜか少年の顔が真っ赤になりました。

「ヨシノちゃん、それじゃ誘惑してるようにしか見えないよ」

「え?……あ、いや、そんなつもりじゃ」

 タンクトップの胸元に深い谷間が出来ていることに気づきました。確かにこれは男の子には目の毒でしょう。私は慌てて彼から離れました。ちなみにアーシュ君も目を逸らしていました。

「ちょっと待って、地図出すから。あったあった……それで?」

 今度はヴェリルさんが少年の前で前かがみになって地図を広げます。

「多分だけど」

 少年は地図の覗き込みます。

「アタシのときは何のリアクションもなしか」

「ヴェリルさんスレンダーですから」

「何?持つ者の余裕?」

「いえ、決してそんなわけでは……」

 私はヴェリルさんの視線から逃れるように、アーシュ君の後ろに隠れました。ちょっと怖かった。

「普段、ここの森で遊んでるんだけど、最近になって近所のおばちゃんに危ないから森に入るなって怒られたんだ。でも、こっそり森に行った兄ちゃんが変な奴を見かけたって言ってたよ」

「なんでおばちゃんは行っちゃダメって?」

「危ない獣が出たとか言ってた」

「今までにこういったことは?」

「ううん、初めてだよ」

「ふぅむ」

 ヴェリルさんが地図を片手に考え込みます。

「川も近いし潜むにはうってつけか。とすると、20人前後が野営出来そうな場所は……どっか開けた場所とかある?」

「うん、森の端っこにあるよ。ちょうど村の反対側」

「お、街道も近いし……うん、ありがとう。目星がついたよ」

「へへへ」

 少年は得意げに笑いました。

「よし、協力してくれた君には勇者バッヂをあげよう」

「なんですそれ?」

「勇者ブームだった頃に作った勇者グッズだよ。デザインはアタシ」

 勇者様がそんなことまでしていたとは……。ヴェリルさんがポケットからバッヂを取り出しました。常に持ち歩いているのでしょうか。

「これだよ」

 赤い丸プレートにヴェリルさんのイニシャルが白で書かれています。

「うわっ、ダサっ!」

「しかもここを押すと光るんだゼ?」

 バッヂの真ん中の小さな魔晶石がちかちかと赤く点滅します。

「余計にダサい!」

 私は思わず率直な感想を言ってしまいました。

「なんだよー、男の子にはウケがいいんだぞぅ」

 ヴェリルさんが口をとがらせます。

「ありがとう!一生の宝物にするよ!」

 彼女の言うとおり、少年は目をキラキラさせながらバッヂを受け取りました。確かに男の子ってこういうのが好きそうですもんね。ちなみにアーシュ君も持っているそうです。無理やり持たされているの間違いでは?

「ぜったい、あいつらをやっつけてやってよ。あいつら父ちゃんの友達を怪我させやがったんだ」

「お父さんの友達?」

「商隊で仕事してる。だけど、少し前にこの近くで襲撃に遭ったんだ。しばらく俺んちで休んでった。怪我はするし、せっかく稼いだお金は取られるし、散々だって嘆いてたよ」

「なるほどね。……ちなみにお父さんは?」

「半年前ぐらいから出稼ぎに出てる。もうすぐ帰ってくるて手紙があったんだ」

 少年は本当に嬉しそうに答えました。

「半年ね。………うん、わかった。任されたよ」

 ヴェリルさんがどこか安堵したように見えたのは気のせいだったのでしょうか。


 思い立ったら即行動なのが勇者ヴェリルさん。私達はすぐさま自動車に乗り、目星をつけた森へと向かいました。森の近くまで来ると、私達は自動車から降りて徒歩で行くことになりましたした。エンジンの音で私達が近づいていることがバレてしまいますから。

 その前にヴェリルさんとアーシュ君は自動車の後部から取り出した装備を身につけます。二人は軍装とボディアーマーを組み合わせたような服に着替えました。これも軍の最新装備です。ヴェリルさんが身につけた軍装は灰色を基調とし、アーシュ君の軍装はブラウンを基調としています。

 ヴェリルさんは腰に長剣を帯びます。一切、飾り気がなく非常にシンプルなデザインです。勇者であるヴェリルさんが持つにしては、質素といいますか。私がそれを口にすると彼女はこう答えました。

「装飾なんていらないよ。武器は使いやすい方がいい。命を預けるものだからね。それにこれでも一流の職人さんが鍛えた業物なんだよ」

 彼女は実用性を重視する人のようです。長い間、戦い続けている彼女が出した結論なのでしょう。

 それからヴェリルさんは腰にホルスターを巻きつけ、大口径の回転式拳銃を挿しました。勇者には似つかわしくない装備です。銃は二十年ほど前に開発されましたが、この辺りの国では魔法が主流なのでそれほど普及していません。もちろん魔力があまりない人には有用な道具ですが、そもそも勇者は魔法も使いこなせたはずです。

「後遺症でね、前の戦いの時の。今は魔法はほとんど使えないんだ。使えるのは『強化』だけだね」

 『強化』の魔法。武器の性能、身体能力の向上といった魔法式の必要のない単純な魔法です。しかし、ヴェリルさんがそのような事情を抱えていたとは初めて知りました。

 さらに彼女は投擲用のナイフ、とは言っても形状が釘にしか見えないものを数本、ベストに差し込みました。これも距離を置いた相手と戦う時の対策でしょうか。

 アーシュ君は片手剣とバックラーという剣闘士スタイルでした。ヴェリルさんが言うには彼は基本的な魔法をある程度使いこなせるので、装備は近接戦闘を重きに置いたものにしているそうです。彼は勇者の助手としてこれまでも戦ってきたそうですが、彼の幼さの残る顔を見るとやはり心配にならざる負えません。

 準備が済むと私達は森へと入っていきました。

 

 一時間ほど森を歩いて、あっさりと盗賊達の野営地を見つけ出してしまいました。少年の言葉は正しかったようです。

 野営地には少し開けた場所に天幕がいくつも設置されています。数は三〇人近いでしょうか。報告で聞いたよりも多いです。私達が潜んでいる反対側にはそれなりに道が整えてあり、大型の馬車でも入ってこれそうでした。

「こりゃ、残党で間違いないね」

「どうしてわかるんですか?」

「天幕がきっちり並べて設置してあるでしょ。普通の盗賊ならそんなこと気にかけないよ。それに連中、身なりは盗賊っぽくしてるけど、動きが違う」

 そういうものでしょうか。私には分かりませんがヴェリルさんが言うのであれば間違いないでしょう。

「それでどうするんですか?」

「全員、殺っちゃう」

 彼女は私の質問にシンプルに返答します。

「あ、いや、一人は捕虜として捕らえるか。あとは、うん」

「あの……」

「だってさ、あんだけ捕まえても、アタシ達だけじゃ管理しきれないじゃん。それに……」

 少しヴェリルさんの声のトーンが下がりました。

「国を脅かす敵を斬るのがアタシの仕事だから」

 その時、彼女の顔はゾッとするほど無表情でした。

「じゃ、さっそく行きますか。アーシュ君はあっち側に回って」

 すぐに普段のヴェリルさんに戻ると、アーシュ君に指示を出しました。アーシュ君は頷くと、なるべく音を立てないようにしながら茂みへと分け行っていきました。さすが勇者の助手です。

「ヨシノちゃんはここにいて。いくら美味しいネタが欲しいからって、近づいちゃダメだよ?」

 私は声もなく頷きます。ヴェリルさんとアーシュ君はこれから残党軍と戦います。すると当然、死人も出るわけで、私は否応なくその瞬間を目撃しなければなりません。

「怖かったら目をつぶっててもいいんですよ」

 隣のマルカさんにそう言われましたが、私は首を横に振りました。

「私は記者ですから。全てをこの目で見て、この耳で聞いて、文章にするのが仕事です」

 震える声でどうにかそれだけを口にしました。

「いい根性だね。マルカさんもいざという時はちゃんと守ってあげて」

「わかってますよ」

 マルカさんは小型の拳銃を手にしていました。見た目は小太りの優しげなおじさんですが、彼も軍での訓練を受けています。

 ヴェリルさんはさっと立ち上がると、腰の剣を抜き放ちました。瞬間、彼女の周りの空気が変わります。まるで周囲の気温が急に下がったような。

 彼女は無造作に野営地へと歩いて行きました。当然、盗賊いえ、残党軍の人たちが彼女に気づきます。

「なんだお前……」

 一人の男が言い終える前に彼女は素早く腰から拳銃を抜き、容赦なく引き金を絞りました。轟音と共に男の頭に大穴が開きます。それで全てを察した男達は各々、腰の獲物を手にヴェリルさんへと襲いかかりました。魔道士も何人かいて、魔法式を展開し始めます。

 ヴェリルさんは銃をホルスターに収めると、振り下ろされる一人の男の剣を、下からすくい上げるように片手で薙ぎ払いました。彼女の刃は振り下ろされた剣自体の中程を斬り飛ばし、それでも勢いは衰えず残党軍の男の首を跳ね飛ばします。彼女の優れた腕と名工によって鍛え上げられた剣だからこそ出来る芸当でした。

 周囲の男達はヴェリルさんの尋常ではない強さに気づいてはいたようですが、それでも戦う気が失せることはありませんでした。たった一人、それも女性に負けるはずがない、と思っていたのかもしれません。ですが当然、魔王を倒した彼女に敵うはずがありません。剣を振るうたびに人間が両断されます。取り囲んでいた男達は全て一太刀で切り捨てられていました。

 あちこちの天幕から残党軍の男たちが集まってきます。と、同時に野営地の反対側でも騒ぎが起こります。アーシュ君が片手剣とバックラーを手に、残党軍へ襲いかかっていました。彼の戦い方はヴェリルさんとは真反対で、まるで獰猛な肉食獣のように暴れまわっています。時に刃で斬りつけ、時に盾で殴りつけ、さらには蹴とばしたりと、何でもありです。普段の物静かな彼からは全く想像できない戦い方でした。

 アーシュ君が振るう片手剣を敵が同じく剣で受け止めたところをバックラーで殴りつけました。大きくよろめいた敵に、彼は容赦なく喉へと剣を突き立てました。本人もかなり必死なのが表情から見て取れます。ヴェリルさんの言う通り、彼は十分に強かったです。が、そのヴェリルさんはというと、もはや別次元の強さでした。

 彼女は一切無駄のない動きで剣を振るいます。達人が戦う時に表現される、いわゆる『無駄のない華麗な動き』ではなく、本当にただ敵を斬ることの特化した『全く無駄のない』動きで敵を討ち取って行きます。というか早すぎて彼女の動きがしっかりと見えません。

 ヴェリルさんは周囲の敵を戦いつつも、離れた距離から魔法を撃たれないように、彼らを盾にしながら立ち回っています。目の前の敵をあっという間に片付けると彼女は拳銃を引き抜き、魔道士に向かって撃ちます。が、銃弾は見えない壁で防がれてあさっての方向へと弾かれました。おそらく敵魔道士は銃対策として障壁の魔法式を展開しているのでしょう。銃がいまいち普及しない理由もこのように、魔法で十分に対処可能なところにあります。

 ヴェリルさんは銃を収めると、今度はベストに仕込んだ釘みたいなナイフを手にします。彼女はナイフに魔力を送り込み『強化』しました。ここからでも薄く赤い光を帯びているのが見て取れます。

 彼女は魔道士に向かってナイフを投げつけました。高速で飛んでくるナイフに魔道士は全く反応できません。障壁をヴェリルさんの魔力のこもったナイフが貫き、ナイフは肩のあたりに突き刺さりましたが致命傷には程遠いです。相手を牽制するだけが目的だったのでしょうか。魔術師が肩に刺さったナイフを引き抜こうとした瞬間、凝縮されていた尋常ではない魔力が開放されました。魔術師の上半身が粉微塵になって吹き飛び、周囲に肉片が飛び散ります。残された下半身は膝から崩れ落ちました。

 私は目の前で繰り広げられる、戦い……いえ、一方的な虐殺をただ呆然と眺めていました。ヴェリルさんと残党軍ではいくら数に差があろうと、その圧倒的な力の前では全くの無意味でした。

 ヴェリルさんは容赦なく敵を仕留めていきます。すでに戦意を無くし、逃げ出そうとした敵の背中に銃弾を叩き込むことにも、全くためらいがありません。何より恐ろしいのが、彼女は表情一つ変えずにこれらの作業を淡々とこなしていきます。まるで決まりきったルーチンを進めるのように。

 彼女は返り血にまみれながらも、野営地の中心へと進んでいきます。私は彼女の返り血に濡れた横顔から目が離せませんでした。その時の私は、凄惨なはずの彼女をどこか美しいと感じていました。

 私は夢遊病者のように隠れていた茂みからふらふらと出てしまいました。

「よ、ヨシノさん!」

 私は引き止めようとするマルカさんの腕を振りほどき、ヴェリルさんの方へと歩いていきます。まるで灯りに引き寄せられる、夜の羽虫のように。

 野営地に敵はほとんど残っていませんでした。最後の一人となった魔道士が魔法式を展開しています。それも通常の式と違い、大規模なものです。

「あれは召喚式……」

 マルカさんがつぶやきます。そういえば召喚術士もいたと報告にありましたっけ。召喚式はかなり大規模です。相当な大物が異界から出てくるでしょう。しかし、ヴェリルさんは式が展開していくのを止めず、ただ召喚が終わるのを待っています。

 召喚式から現れたのは巨大なトカゲでした。トカゲと言っても我々が知っているものとは少し違いました。身体を覆うウロコは一枚一枚が異様に大きく、先端は鋭く尖っています。また鋭い牙がずらりと並んだ口は人一人ぐらいなら簡単に飲み込めそうな程の大きさがありした。

 巨大トカゲが威嚇の声を上げます。けれどもヴェリルさんは全く怯みません。

「やっと歯ごたえのありそうな奴が出てきたじゃねぇか」

 私はヴェリルさんから発せられた言葉に耳を疑いました。今の言葉は本当に彼女が言ったのでしょうか?彼女は口の端を上げてにやりと凶悪な笑みを浮かべました。

「たまには思いっきりやってやるか」

 剣を上段に振り上げると剣が赤い光を帯びました。同時に彼女の黒髪が紅く染まっていきます。自身と武器の『強化』を行ったようです。

 巨大トカゲが彼女を飲み込まんと迫ってきました。口を大きく開き、目の前までやって来た瞬間、ヴェリルさんは剣を凄まじい速さで振り下ろしました。振り下ろす瞬間、剣へ爆発的に魔力が送り込まれ刀身がぐんと伸びます。その長さはトカゲを超える程。彼女の刃は強固なウロコに守られた巨大なトカゲを両断していました。真っ二つになったトカゲの死体はこの世とのつながりを絶たれ、跡形もなく消え去りました。

 たったの一撃で召喚獣を、しかもこのように巨大な相手を苦もなく倒してしまいました。これが魔王を倒した勇者の実力でした。

 ヴェリルさんの赤く染まっていた髪が黒へと戻っていきます。『強化』を解除したのでしょう。

ただ一人生き残った召喚士は、手持ちの召喚獣をあっさりと倒され、呆然としていましたが我に返ると、背を向けて逃げ出しました。が、いつの間にか忍び寄っていたアーシュ君がバックラーで殴りつけ失神させました。彼はテキパキと召喚士を拘束します。

「これで片付いたね。……おや、ヨシノちゃん、いつの間に。危ないから出てきちゃダメだって言ったでしょ」

 先程までの一方的なな戦いをしていたのが嘘のように、普段の飄々としたヴェリルさんに戻っていました。ヴェリルさんは剣を一振りして血を落とすと、鞘に納めました。

「どうだった?初めての戦場は?」

 私はどう答えていいのか、わかりませんでした。


私達は村長に報告すべく、一旦村へと戻りました。捕らえた召喚士は簀巻きにして自動車の後部座席に座らされています。隣にはアーシュ君が見張っているので、間違っても逃げようとは思わないでしょう。

日はだいぶ傾きかけていました。

村に入ると、お昼に会った少年が役場の側で待っていました。

「キミの要望通り、みんな盗賊達をやっつけてきたよ」

「ホント?さすが勇者だ!すげー」

 少年はヴェリルさんの言う『やっつけた』が、ちょっと痛い目に合わせて追い払った、程度ではないと想像もしていないでしょう。それぐらい無邪気に笑っていました。

「これでこの辺りも落ち着くだろうね」

「ありがとう、勇者のねーちゃん!みんなに教えてあげなきゃ!勇者が盗賊を全部やっつけたって」

「あー、それはやめといてくれる?」

「なんで?」

「一応、勇者が存在してる内緒なんだよ。国家機密ってやつ。だからこのことも秘密して欲しい。キミなら守れるよね?」

「……『こっかきみつ』ならしょうがないね。うん、わかった。ありがとね、勇者のおねーちゃん」

 素直な少年は彼女の言うことを疑うことなく、手を振って家に帰って行きました。

「機密?」

「んなもん、嘘に決まってるじゃない」

「ですよね」

 私が念のため聞いてみると、予想通りの答えが返ってきました。そのあとに続く言葉は予想できませんでしたが。

「それは言うべき人間が言わなきゃいけないこと。この村の責任者である村長さんがね」

 ヴェリルさんが振り返ると、役場の玄関脇に村長さんが立っていました。今の会話を全て聞いていたのでしょうか。

「ホントに『みんなやっつけた』のですか……?」

 村長さんは顔面蒼白になり、唇が震えていました。

「ああ。一人残らず斬り殺した。いや、一人はとっ捕まえたけど」

「何てことを……」

 村長さんの嘆息もヴェリルさんは全く気にしていません。

「アタシの仕事はこの国を守ること。この国に害を成す奴は全て斬る。例えこの国の人間であってもね」

「えっ?」

 私は耳を疑いました。今、ヴェリルさんは何を言ったのでしょう。いや。それとも何を言おうとしているのでしょうか。

「まぁ、わかるよね、この村の人間が盗賊、いや残党に協力してたって」

「ヴェリルさん、それってまさか……」

「別に確信があったわけじゃないよ。この村に来たのもマルカさんと資料から検討した結果だし。ちょっと気になったのは、村の人達の身なりかな。みんな質素な服装だけど、たまにいいカッコしてる人を見かけるんだよね。村長さんもだけど。あとは戦ってる時に全くもっての素人さんが何人もいたことかな。残党軍のはずなのに明らかに戦い慣れていない連中がね」

 村長さんは何も言いません。

「男の人が少ないのは出稼ぎに出たからって言うけど、どこに出稼ぎに行ったのかな?」

 ヴェリルさんは口の端を持ち上げ、ニヤリと例の悪笑いをしました。

「し、仕方ないではないか!この村の有り様を見ればわかるだろう!例の街道が出来てからこの村は廃れる一方だ!」

それまで何も言わなかった村長さんが、唐突に声を張り上げました。

「だから村のために仕方なく協力したと?と言う割には村全体が潤ってるわけじゃなさそうだけどね。協力してたのは一部の人間でしょ?んで、情報と人手をよこす代わりに、結構な額もらったとこかね」

「ならどうしたら良かったんだ?この村にはろくな産業もない。村が寂れるのを見ていろとでも言うのか?」

「そんなのアタシは知ったこっちゃないよ。それを考えるのが村長の仕事でしょ。甘い汁を吸うだけが、村長の仕事じゃないでしょうが」

 ヴェリルさんのどこまでも突き放すような言葉に村長は黙りこんでしまいました。

私はずっと気になっていたことがあります。

「ヴェリルさん」

「何?」

「ヴェリルさんは残党の中にここの村の人がいるのを知った上で、戦ったんですか?」

 彼女の顔は村長の方を向いているので私からは見えません。今、どんな表情をしているのでしょうか。

「そうだよ。わかってて、みんな斬った。残酷だと思う?でもね、残党達はキャラバンから財産を強奪し、死傷者も出してる。それに協力している彼らだけが許されるってのもおかしな話じゃない」

「でも、殺してしまわなくても……」

「悪いけど、アタシは残党とそれ以外を区別して戦えるほど器用じゃないし」

 そうでしょうか?ヴェリルさんほどの腕ならば可能な気もしますが。

「さっきも言ったでしょ?この国を守ることがアタシの仕事だって。この国に害を為すものには一切の容赦しない。絶対に」

 彼女の瞳には狂気めいたものが宿っていました。

「でも、あの男の子のお父さんも残党の中にいたかも……」

「それはないよ。あの子のお父さんが出稼ぎに出たのは半年前で、被害が出始めたのは2ヶ月前。いたとは思えないね」

「じゃあ、もし……もしあの子のお父さんが残党軍にいたことを知ってたら?」

「少しはアタシの剣も鈍ったかもね」

 淡々と言ってのける彼女の言葉に、なんの迷いもありませんでした。冷酷無比。そうでなければ国を守れないのでしょうか。私は彼女に言いようのない怖さを感じます。

「何かを守るということは、別の何かを傷つける。……いや、物事全部に当てはまるわけじゃないけどね。少なくともアタシのしてることはそういうこと。昔も今も」

 彼女は一〇歳で戦災孤児になり、軍に拾われました。そこで戦う術を身に付け、ずっと戦ってきました。途中、その尋常ではない強さに軍部が目を付け、また彼女も期待に応えていくつもの功績を上げていきました。結果、勇者となった彼女は魔王を討ち果たし国を救います。その後も戦い続け、国を陰ながら守り続けています。そんな彼女だからこそ、この言葉には重みがありました。

「……何が」

「ん?」

「何が勇者だ」

 村長さんがボソリと言いました。

「子供からそう呼ばれていい気になっておるのかもしれんがな。お前のしたことはこの村の住人を殺したんだ。死んだ彼らには家族も友人もいた。それを」

「だからそれはキャラバンの人たちも同じだって言ってるでしょ?」

「黙れ!お前なんぞ勇者でもなんでもない!」

 村長さんの感情に任せた罵倒を、ヴェリルさんはどう受け止めるのでしょうか。けれども、彼女は何も言わずに踵を返します。私のそばを通り過ぎる時、彼女が小さく、けれどはっきりとつぶやいたのが聞こえました。

「そんなこと……言われなくてもアタシが一番よく知ってる」

 足早に自動車に向かうヴェリルさんに私は戸惑いながらも、村長さんに一礼してから後を追いました。村長さんは目の焦点が合っておらずもはや私達は見えていないようでした。

「これからどうすれば……」

 彼は残党に協力していた人の家族に経緯を説明しなければなりません。その時、どうなるのか。その後、この村はどうなってしまうのか。平穏無事に終わることはないだろうことは容易に想像できました。自業自得という言葉がこれ以上ないくらいに当てはまりますが、彼の今後を考えると哀れに思います。同情は出来ませんが。


 私達は村の警備隊の詰所に向かい捕虜の召喚士さんを引渡しました。後日、改めて情報部の人たちが彼を引取りに来るとのことです。

 ただ詰所には古い鉄格子の牢屋しかありません。念のため魔法が使えないように特殊な拘束具をつけてはありますが、あくまでも魔力の流れを制限する程度シロモノです。彼ぐらいの召喚士なら無理に逃げ出すこともできそうですが、マルカさんが彼に何事かを囁くと、青い顔をして大人しくなりました。何を囁いたのかを聞くと今後の処遇は、態度によって変わるよ、と伝えただけだそうです。ヴェリルさんの余計な補足では尋問のときに「優しい」か「痛い」かが変わってくるとか。情報部って怖い。

 帰りの車内は重い空気に包まれていました。ヴェリルさんの運転も行きと違い大人しいです。後部座席のアーシュ君は退屈そうに外を眺め、マルカさんは相変わらず書類の確認をしています。助手席に乗った私は空気を変えようと話題を必死に探します。

「まぁ、あれだよね……」

 ヴェリルさんも同じことを思っていたのか、話を振ってくれます。

「なんです?」

「えっと、その……なんでもないッス」

 全くのノープランでした。

「ん、でもこういうことも珍しくないしさ」

 再びヴェリルさんが口を開きます。

「やりすぎちゃって、住民の人達に怒られたりとか。……今まで経験がないわけじゃない。別に感謝されたくてやってるわけでもないし」

 結局話題は今回の事件に戻りました。

「ヨシノちゃん的にはどうよ?あの勇者様が冷酷無比に敵を斬り捨てるとか」

 ふざけた口調にどこか自嘲めいたものが混じっていたのは気のせいではないはず。

「そうですね……ヴェリルさんの言い分はわかるんですけど、やっぱり納得できないところもあるといいますか………」

 私は言葉を慎重に選びます。

「うんうん」

「やっぱり人が死んだりするのは良くないと思います」

 結局、出てきた言葉はそれだけでした。文字を扱う仕事をしてるのに情けないです。

「そうりゃそうだ。普通なら誰だってそう思う」

「じゃあ、ヴェリルさんはどうして躊躇なく人を……斬れるんでしょうか」

「アタシが敵を斬ることによって、他の人達に被害が及ばないようにする。その理由があれば何も躊躇う必要はないでしょ」

 相変わらず彼女の答えに迷いはありませんでした。けれど、私には彼女が自分に言い聞かせているようにも聞こえました。

「ヨシノさん、今回の件は最善ではなかったかもしれませんが、最悪でもありませんでしたよ」

 マルカさんが書類から顔を上げて、私に話しかけます。

「どういうことですか?」

「もし、残党の連中を捕縛したとして……その中に村人がいることが分かったら、あの村はどうなると思います?協力していたのは一部の村人だけとはいえ、行政からの厳しい指導もあります。さらに村の評判は最悪なことになっていたでしょうね」

「…………」

 マルカさんの言う通りでした。ヴェリルさん達が全て残党として処理したからこそ、あの村が残党に協力していた事実は表に出ることはなくなりました。

「あの村、どうなちゃうんでしょうね……」

 私は誰に問うわけでもなくつぶやきました。

「アタシは国を守った。それからどうするかは村人達次第だよ」

 相変わらずの突き放しっぷりでした。けれども、確かにヴェリルさんにこれ以上を求めるのは酷といううものでしょう。

 とはいえ今回の件、どのように記事をを書いたものでしょうか。

「で、良い記事書けそう?」

 私の心の内を見透かしたようにヴェリルさんが問いかけます。

「わかりません」

「はは、ヨシノちゃんは素直だね。……まぁ、見たままを書けばいいんじゃないかな。ヨシノちゃんの思ったようにね」

「え?」

「だって記者のお仕事って、そういうものでしょ?」

「そうですけど……」

「じゃあ、問題ないじゃない。別にこっちのイメージとか『あんまり』気にしなくていいから」

「その一言が一番気になりますよ……」

 ヴェリルさんなりに気を使ってくれたのかもしれませんが、余計にプレッシャーになってしましました。けれど、彼女の言ったことも最もです。見て聞いたことをありのままに書く。記者の基本中の基本です。

 少し気分が晴れたのかヴェリルさんは機嫌よくハンドルを握り直しました。まさか……。

 自動車のエンジンが爆音を上げて急加速します。結局私は帰りも彼女の運転に苦しめられることになるのでした。


 そして数年後。彼女が新たな魔王としてこの国を脅かすとは、誰が想像できたでしょうか。








最後まで読んで頂き、ありがとうございました。可能ならば続きも書きたいと思っております。

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