おまけ:「フラグは最初から立っていた2」
間が空いてしまいました。
出会い編(サイラス視点)
翌日、いつもよりも早く目覚めたサイラスが外に出ると、ハルトが言った通り雲ひとつない晴天だった。
心地よい風も吹いている。のんびりと徒歩で帰郷するにはもってこいの日和だった。
馬で行こうと思っていたサイラスだったが、ハルトの言葉通り歩いて向かうのも悪くないと思えた。
用心の為、私用に買っていた剣を腰に携え王都を出発する。
王都と村の間には小さな森が存在して、その中は時折凶暴な獣と出くわすことがあるからだ。
だが、今日はハルトからもらった加護付きの石がある。獣と出くわすことは無いだろうと思ったが、念には念を、だ。サイラスは真面目でもあり、慎重な性格でもあった。
まさかこの数時間後、その性格のおかげで事なきを得ることになるとは露とも思わずにサイラスは故郷へと足を向けたのだった。
「ぎゃああぁああ~~~!!」
木漏れ日溢れるのどかな気配を漂わせていた森の中でそんな叫び声を聞いたのは、サイラスがちょうど腹ごしらえにとあらかじめ購入していた具を挟んだパンを取り出したときだった。
咄嗟に木の幹に立てかけてあった剣を取り声のした方へと走り出す。
「っ、誰か!!誰かいませんか?!」
また声が聞こえた。今度はしっかりとした言葉で。
叫び声からして、まだ10歳ほどの少年が森の中に遊びに入り獣に出くわしたのかと予想していたが、サイラスの目に飛び込んできたのは長い黒髪の少女が獣に押さえ込まれている姿だった。
獣は今にも少女の喉に食いつこうとしている。考えるよりも先に身体が動いていた。
ドカッっと獣の腹に蹴りを入れると、少女の上から獣が吹っ飛んだ。
どうやら目の前の獲物に喰らいつくことに夢中でサイラスの存在には全く気付いていなかったようだ。
(―――加護付きの石か...)
サイラスはこの時ようやくハルトからもらった加護付きの石のことを思い出した。
獣避け、というのはすなわち獣から感知され難くする効果があるということだ。
それのおかげで獣に対しての奇襲が巧くいったことにサイラスは恐らく出会ってから初めてハルトに心の底から感謝した。
低く唸る獣がこちらへ向かって飛び上がるよりも先に鞘から剣を素早く抜き、刃を振り下ろす。
獣の身体が裂け、緑色の血が飛び散る。
自分の背後では、少女がこの光景を目の当たりにしていることだろう。そこまで配慮せずに獣を斬り殺してしまったことにサイラスは小さく舌打ちをした。
振り返ると案の定少女はぽかんと口を開き、まばたきもせずにサイラスと獣を見つめていた。
「大丈夫か?怪我はないか?」
獣の死骸を見せないようにと足早に傍まで寄って背後にそれを隠す努力をする。
片方の膝をついて今だに放心し続けている少女の顔を覗き込むと、少女がハルトと似た色合いを持っていることに気付く。
いや、ハルトのそれよりも―――ずっと、深い黒。漆黒とはこのような色を言うのかと思えるほどの、艶やかな髪と、瞳。思わず吸い込まれるように見入る。
まるで時間が止まってしまったかのような感覚。
安否を問いかけたまま開きっぱなしの自分の口が無自覚に短く息を吸い込んだ次の瞬間。
「――――イケメン剣士キタぁーーーーー!!」
少女は、興奮した様子でそう叫んだのだった。
根が真面目なサイラスは思わず、
「イケメンが何かはわからないが、私は剣士ではなく騎士だ。」
と、冷静に答えたのだった。
少女はサワと名乗った。
本当の名はサーゥワコと言うらしいのだが、どうやらそれはサワ的には間違いらしい。
発音が難しく呼べずにいると、諦めたように小さく溜息をつき「サワ」と言い直した。
それでもまだ油断するとサゥワと呼んでしまいそうなので、サイラスは少女の名を呼ぶときは慎重に丁寧に呼ばねばならないと思った。
サワにどこかへ行く途中かと聞いたら、わずかに首を傾げて考えこんだ。
王都へ行く途中ならば送っていくと言えば、勢いよく首を振って「王都!フラグ!」と叫んだ。
フラグとやらはどうやらサワにとってはとても重要なものであるらしく、その後も度々「フラグが...」と小さく呟いているのを耳にした。
後から思えば、サワは最初から何かと変わった言動が多かった。
イケメン剣士キタァー!と叫んだ後、はっと我に返ると地面に両手をつき額をこすりつけるようにしてお礼を言ってきたのも随分と驚いた。
だがしかし、恐る恐る顔を上げたときの上目遣いに首を傾げるという仕草がまるで小動物のようで、それでいて少し潤んだ瞳はサイラスの心を少しばかりキュっと締め付けるような感覚に陥らせた。
そういえば、サワは一体何歳なのだろうかと、サイラスにしては珍しく初対面の少女に関心を抱いた。
着ている衣服からのぞく手足は華奢でまだ成人を迎えていなさそうに幼く見えるのに、その年頃には無い丸みを帯びた身体つきをしている。
いつしかじっと観察するようにサワの身体中に視線を彷徨わせている自分に気付いた時、サイラスは内心酷く動揺した。
これではまるで、同期の騎士たちが街の若い女たちを値踏みする時のようではないか。
「あの...?」
サワの声に我に返る。
まだ成人前と思われる少女に対して向けていい視線でも思考でもなかったときつく自分を戒めていると、再度サワが話しかけてきた。
「実は、どこか安定して住める場所を探しているんですが。程よく田舎で長閑な村とか知りませんか?」
サイラスはてっきりサワは王都を目指しているのだと思い込んでいた。
若い者たちはこぞって王都に住みたがる。物と人が溢れる煌びやかな王都での生活に憧れているのだ。
住んでみればただの幻想だったと醒める者もいれば、すぐに都会の空気に馴染む者もいる。
サイラスは前者と後者の間だった。住めば都と言うが、サイラスにとってはまさしくそんな感じだった。
生活していけなくもないけれど、生涯の棲み家を持つには聊か騒がしすぎる場所。それがサイラスにとっての王都だった。
「王都へ行けばすぐ仕事も住む場所も見つかるだろう。なんで田舎になんか...」
サイラスはそう問いかけながら、サワの表情にハっとした。
口元に笑みを浮かべてはいるが、どこか遠くを見つめるような瞳。(※)
故郷を思い描いているかのように見えるが、故郷と呼べる場所が無いとでも言うかのようなどこか寂寥感を感じさせるような淡い微笑みだった。
そもそも、こんなまだ年端もいかない少女が1人きりでこんな森の中を歩くなんて。
一体サワに何があったのかはわからない。聞いてはいけないことなのかもしれない。
だが、このまま見過ごすにはあまりにも華奢で頼りなく思えた。
(―――俺がこの少女を保護してやらねば。)
サイラスは人知れず心の中で使命感に燃えた。
幸い、サワの言う条件に自分の故郷が当てはまっている。
このまま連れ帰り、両親の営む宿屋での仕事を紹介してやればいい。
そうすれば、休みの度に村へ帰りサワに何か不便が無いかと気遣ってやることが出来る。
帰郷した自分をサワが笑顔で迎えてくれる。それは、サイラスにとってとても魅力的に感じられた。
(...魅力的?何故。)
目の前のサワが自分の返事待ちで小さく首を傾げているように、サイラスも思わず首を傾げた。
「...私の故郷があと数時間行ったところにあるんだが、サワの言う条件に当てはまっていると思う。」
そう告げた後のサワの笑顔を見た瞬間、サイラスはまるで何かがつま先から頭のてっぺんまで駆け巡るような衝撃に襲われた。
強い風が吹きぬけた次の瞬間まるで全てを覆っていた幕を翻すように、サワを中心として世界の色が鮮やかに色づいてゆく。
胸の鼓動が五月蝿い。息も上手く出来ない。
自分の内面に起こった急激な変化が目の前で嬉しそうに微笑みながら自分を見上げてくるサワの視線が原因であるとすぐには気付けず、その視線が逸らされた瞬間に言い様のない寂しさに襲われた。
サワ、と思わず名前を呼べば、先程と変わらない笑みを浮かべた少女が振り返る。
漆黒の瞳が自分を真っ直ぐ見つめ返している。
サイラスはそのことに満足し、サワを伴って故郷へ向かって歩き始めたのだった。
(※)アルカイックスマイル:日本人お得意の曖昧な笑み?のことです。
今後何か自分に不利な質問をされるたびにこれで逃げ切ろうとする為、サイラスは更に誤解を深めていくのであった...