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鶏の声で目を覚ますと、窓の外はまだ薄暗かった。
まだ日が昇り始めて間もない時間だが、私の一日はそんな早朝から始まる。
まずは汲んだばかりの井戸水で顔を洗う。冬は指先が凍るかと思うくらい冷たいが真夏はとても気持ちがいい。
顔を洗った後は再び井戸水を汲んで朝食を作る為に家までよっこらせと運ぶ。
昨日ご近所さんに分けてもらった野菜と卵、それから薄くスライスしたベーコンで簡単な朝食を作る。
ご飯を食べた後は洗濯。晴れた日は毎日こまめにやってるのでそんなに手間じゃない。
洗濯物を干すと、家の扉に簡単な鍵をつけて出勤。
村でひとつしかない小さな宿屋は、サイラスの実家であり私の職場でもある。
サイラスのご両親はとても親切で優しい。正体不明な私を快く受け容れてくれた。
今私が住んでいる小さな家もご両親が世話をしてくれた。
3年前、異世界へ来てしまって右も左もわからない私を保護してこの村まで連れてきてくれたサイラスには本当にどれだけ感謝してもし足りないくらいだ。彼がいなかったら私は獣に襲われて喰われるか、そこいらでのたれ死んでいただろうと思う。
そのサイラスだが、お仕事はお城の騎士。もちろん暇人じゃない。にも関わらず、2ヶ月に1回は私の様子を伺いにやって来る。
騎士は常に城や屯所に詰めており、独身者は寮みたいなところに押し込まれるらしい。
お休みは10連勤して1日のみ。忙しいときはそれすら無い。その代わり、2ヶ月に1度だけ3連休を取れるらしい。
そんな貴重な休みの日を私なんかの様子見の為に使わせるのは物凄く申し訳ないのだが、サイラス曰く「せっかく故郷が近いのだから両親のご機嫌伺いくらいしないと」だそうだ。なんというソツの無い受け流し。全く頭が上がらないとはこのことだ。
それよりも徒歩丸1日という距離を近いと断言するこの世界の人々の健脚ぶりに感嘆すべきだろうか?
サイラスは普段は馬を使ってやってくる。私と出会った日はたまたまのんびりとしたい気分だったので徒歩だったらしい。なんという偶然。なんという奇跡!そのおかげで私は今こうして無事に生きていられるのだ。
「おはようございます!」
「おはよう、サワ。今日も元気ねぇ。」
ほんわかとした笑みを浮かべて私を迎えてくれたのはサイラスのお母さん。名前はミゲルさん。
まだ40歳手前という若さで、とても綺麗な人だ。さすがあのサイラスの母親なだけはある。サイラスは母親似なのだ。
村に着いてサイラスの実家に案内されたときに発覚したことなのだが、なんと「お兄さん」と思っていたサイラスは私よりも1つ年上なだけだった。つまり当時は17歳。
サイラスたちも私のことを外見でまだ12,3歳だと判断していたらしく、年齢を明かしたときは酷く驚いていた。こういうテンプレは許容範囲内だ。
ちなみに異世界での成人は15歳。なので、日本では未成年の私もすんなりと宿屋で雇ってもらえることとなったのだ。
王都から程よい距離にあるこの村の宿屋に宿泊するお客様は多い。ちょうど人手が欲しかったのだそうだ。
「朝食の仕込みはもう済んであるから、仕上げをお願いできる?」
「はい!」
異世界で生活し始めてから私は料理が得意になった。
切って塩で味付けして炒めるだけの簡単料理だけど、この世界ではこれが普通。
調味料は高級品なのだそうだ。
「そういえば、サイラスが来るのは今日だったかしら?」
「はい。楽しみですね。」
サイラス一家は物凄く仲が良い。見ていてとても心がほっこりする。
私も異世界人ながらそんなほっこり家族団欒の末席に加えてもらいご飯を食べたりする。
異世界で知り合いも友達もいなくて寂しいと思わないのはサイラスたちのおかげだ。
「そうね。とても楽しみだわ。」
ミゲルさんはふふふ、とまるで少女のような微笑を浮かべた。
騎士になった自慢の息子さんが帰ってくるのだ。私以上に嬉しく心待ちにしているに違いない。
「久しぶりだな、サワ。」
「うん!2ヶ月って短いようで長く感じるよね。」
実家に戻ってきたサイラスがひょっこりと厨房に顔を出して、私は一旦手を止めた。
この宿では基本的にご飯をつける。夜は居酒屋のような役割もするので、その仕込みをしている最中だったのだ。
「お茶飲む?」
「あぁ、もらえるか?」
村で栽培しているお茶の葉はとても風味が良い。大量生産が出来ないのでどこかに卸しているわけじゃないけれど、宿屋に泊まるお客様の中には「是非売ってくれ」という人もいるらしい。
「サワが煎れてくれるお茶は美味しいからな。」
「またまたぁ~サイラスは口が上手いんだから。」
そう言いつつお世辞でも褒められると嬉しいので、昨日家で焼いておいたクッキーを取り出す。
型抜きがないのでザックリと焼いた素朴なクッキーだ。
もう少し甘味が欲しいところだけど、村で入手出来る素材ではこれで精一杯。
「サワは料理も上手いし菓子も作れるし、これならいつでも嫁に行けるな。」
「あはは。嫁?そんなのまだ早いよー。それに私の料理なんてまだまだだよ。」
そういえば。村にも若い子は何人かいるけれど、同年代の子たちは皆結婚している。
村に来た当初は、サイラスに保護されたという話が広まればサイラスのことを好きな女の子たちから冷たい視線を浴びせられるとビクビクしていたが、そんなこと全然無かった。
村の生活は基本的に自給自足だから、日々の糧を得る為に共に汗水垂らして暮らしていける人がいいらしい。遠くに行った手の届かないイケメンより、近くのフツメン。村の女の子たちはリアリストだった。
おかげで私という存在は村の女子たちに快く受け容れられたのだった。
大丈夫、サイラスならきっと王都でモテモテだろうからね。そっちでいい人見つけてください。なんて、心の中で密かに励ます。
「そんなことはない。出来れば王都で毎日作ってもらいたいくらいだ。」
「サイラスってばお上手ぅ!晩ご飯、期待しててね!」
「あぁ。」
出会って3年経てばそれなりに打ち解けられるもので、今ではこんな軽いノリで会話も出来る。
フラグクラッシャーを自負する私だが、2ヶ月に1度くらいは美形を思う存分この目で拝んでも罰は当たらないだろう。
この村は人の行き来がけっこうあるけど、影を背負った傭兵とかワケありの旅人とか意味ありげな言葉を残して去る不思議ちゃんとかには出会ったことがない。
魔王が復活して魔物が攻めてくるとか、大きな災いが起きようとしているという賢者の予言とか、そういう類の噂も耳には入ってこない。
もちろん、「貴女様をお迎えに上がりました」なんて展開も無い。
私の思惑通り、王都からほどよい距離にあるこの村での生活は特別過酷なことも刺激も無く、平穏な日々を過ごしている。
「サイラス、来てたのか。」
そう言ってのっそりと厨房に顔を出したのは、サイラスのお父さん。名前はライアスさん。
どこぞの国の騎士団長であると言われても納得してしまうほどの屈強な肉体の持ち主だ。
年齢はミゲルさんと同じ。この村で幼馴染だったそうだ。
無言で私の作ったクッキーに手を伸ばすライアスさんに、サイラスは素早くソレを両腕で囲った。
「父さん、これはサワが俺の為に作ってくれた菓子だぞ。」
「...すまん。」
ライアスさんは寡黙なほうで、決して気が弱いわけではないが強気にも出れないお人好しなタイプ。
今回もあっさりとサイラスに軍杯が上がり、伸ばした手が所在無さげに宙を彷徨った。
「ライアスさん、薪割りご苦労様です。小腹空きましたよね?何か軽く作りましょうか。」
「...頼む。」
大柄なのに何故かちょこんという擬音が付きそうな仕草でサイラスの隣の椅子に腰掛ける様子を見て思わず笑みが漏れる。
「...そろそろ『お父さん』と呼んでくれても良いのにな。」
鼻歌交じりに簡単な料理を作り始めた私の背後で、ライアスさんがそんなことを呟いて、サイラスが耳まで真っ赤になっていることなど、私には知る由も無い。
佐和子、後ろ後ろ!!
フラグ立ってんぞ!!