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ざっくりとした異世界トリップ話です。
「ぎゃああぁああ~~~!!」
叫びながら獣道を転がるように走り抜ける。
後ろから迫ってくるのは、ハッハッハッと言う獣独特の息遣い。
まずい、このままだと絶対追いつかれる。
木々の細い間に飛び込むと、枝が頬をピシっと叩いてピリっと鋭い痛みが走った。
顔は女の命というが、命そのものが刈り取られようとしている今はそんなことは二の次だった。
ガサガサっと生い茂る葉を押し分けて少し整えられた山道へと出る。
「っ、誰か!!誰かいませんか?!」
助けを呼んでみるが、反応は無し。
荒い息をこぼしながら後ろを振り返ると、まさに今そこから追跡者が姿を現そうとしているところだった。
「――――っ!」
茂みをかき分けると共に飛び出してきた黒い塊は真っ直ぐに私に向かいダイブし、疲れ果てて踏ん張る体力も気力もなくなった私をいとも簡単に地面に押し倒した。
目の前に迫るのは、真っ赤な口と白く鋭い牙。それらの上には、獲物を追い詰めた喜びにギラギラと妖しく光紅い目。
それの身体は一見犬のようにも見えるが、そこいらを散歩している飼い犬の2~3倍はデカい。
日本では見たことのない犬種だ。いや、これは犬ではないのかもしれない。犬っぽい、何かだ。
カラカラに乾いた口内には飲み込む唾なんて一滴も無いけど、私はゴクリ、と喉を鳴らした。
―――最初から変だとは思っていたんだ。
誰かに背中を押された感触がして階段から足を踏み外して意識を失い、気がついたら森の中に倒れていた。
ここはどこだ?と思い辺りを散策してみたら、見たこともないような澄んだ水が流れる小川を発見。とりあえず喉を潤してもう一度どうしてこんな場所にいるのか頭の中を整理してみた。
生徒会の雑用を終えて帰ろうとしたのが午後7時ちょっと前。生徒はほぼ全員帰宅してしまっている。いるとしたらクラブハウスの方だろう。
生徒会室の鍵を閉めたとき廊下は必要以上の電灯が消され薄暗かった。人の気配はもちろん無かった。
よって、「私の背中を押した誰か」というのは有り得ないと結論づけた。
それになにより、この森。
私の住む場所は都会だ。最近は緑化計画とかで随分と緑が増えたように見えるが、徒歩30分かけても抜けられないような広大な森なんて存在しないはずなのだ。
もしかして―――そう思い始めた頃、あの犬もどきが襲ってきたのだ。
吃驚して走り出したのはいいけど、どこへ逃げたら安全なのかなんてわからない。
終わりの見えない追いかけっこが始まった。そして今、それも終わりを迎えようとしている。
今にも私の喉元に喰らいつこうとしている口がさらにクワっと広げられた。
もはや叫び声すら上げられなかった。
あぁ、詰んだ。私の人生こんなワケわからん場所で詰んだよ。
そう思って両目をぎゅっと瞑った次の瞬間だった。
ドンっという何か重い物を蹴飛ばすような音と共にギャンッという獣の悲痛な叫び声が聞こえた。
何事?!と思い両目を開けてみると、私の左10mほどの場所に先程までのしかかっていた犬もどきがもんどりうっていた。そして右、すぐ傍に随分と履き慣らした茶色いブーツが見えた。
すらりとした長い脚を辿り、引き締まった上体を通り抜け、その上に見えたのはキリっと引き締まった表情のお兄さんの顔。
お兄さんは私の身体の上を素早く跳び越すと、迷い無く犬もどきへと突進していった。
そして、犬もどきに反撃の姿勢を取らせることなく大きな剣を真っ直ぐに振り下ろした。
あまりにも短い時間での出来事だったので、顔を背けることも出来なかった。
辺りに飛び散る緑色の液体。あれって犬もどきの血?赤じゃないんだけど...
映画のような凄惨な現実に思考が停止する。
「大丈夫か?怪我はないか?」
いつのまにか私の元へと戻ってきたお兄さんをゆっくりと見上げる。
先程までとは打ってかわって心配そうな表情のお兄さんは、随分と造形が整っていた。
「――――イケメン剣士キタぁーーーーー!!」
混乱を極めていた私は、とりあえずそんな残念な雄叫びを上げたのだった。
犬もどきから私を救ってくれたお兄さんには残念な雄叫びの後すぐ我に帰ってお礼を言った。
土下座する勢いの私に、お兄さんは正直かなり引いていたように思う。
とりあえず無事なら良かった、とかすかに微笑んだお兄さんはサイラスと名乗った。
剣士じゃなく、騎士をやってるらしい。
私も自分の名前を名乗る。佐和子というのだが、サイラスさんには発音が難しいらしく「サー・ウヮコ?」と返されたので、短くして「サワ」と言い直した。
サイラスさんは所謂西洋人の顔立ちで彫りが深い。どう考えても日本人ではない。有名モデル並みの美形だ。
私は犬もどきに襲われる直前まで考えていたことに確信を持った。
―――うん、もうわかってる。ここは異世界だって。
だって、私が好んで読んでいた小説のような展開なのだ。
何かの拍子で異世界へトリップ。そこで何かに突然襲われて、美形キャラに助けられる。
はい、テンプレテンプレ。
本気で物語に憧れ、主人公のように異世界生活を満喫したい!と思えたならばまだ幸運と思えただろう。
だが、私は違う。ノーモア・テンプレート。
だって現実的に考えてみようよ?
勇者と認められて魔王を倒す旅に出る?
巫女という名の生贄に祭り上げられ世界の滅亡を救っちゃう?
キラキラ王子やクーデレ宰相、女好き騎士やら変態魔法使い(全員美形)に囲まれて逆ハーレム?
冗談じゃない!!私は断固として拒否する。
物語は物語だから楽しいんであって、自分の身に降りかかるとなると別物だ。
だってどの道を辿ろうと、死亡フラグは避けて通れない。
魔物と戦って大怪我をするのも、精神すり減らすくらいの重い使命を背負わされるのも、嫉妬に狂った美人でグラマーな貴族のお嬢様に毒を盛られるのも勘弁。
よって、ノーモア・テンプレート。ノーモア・美形!!
どんなフラグも華麗にへし折ってみせる!と固く決意した私は、サイラスさんにどこか静かに暮らせる小さな村はないかと尋ねた。
偶然にも、サイラスさんは3日ほど休暇がもらえたので自分の生まれ故郷(王都から片道徒歩丸1日)に戻る途中だということで、その故郷の村まで案内してくれることになった。
それから、私の「のんびり異世界ライフ」が始まったのだった。
中編へ続く。