謎と勇者
「……どうするんだよ?」
俺は頭を軽く掻きながら、王女に聞いてみる。すると漆黒の瞳を細めて薄ら笑う彼女、その笑みを見た俺の背筋にひやりとした感覚が走る。背筋が凍るとはこのことだろうか……
「……ふん、手がないわけではない」
なおも背筋の凍りつくような笑みを浮かべながら、彼女は続ける。
「魔王城に二つの池があるのは知っているか?」
「え?池……そんなもんあったっけ?」
「ふむ、魔王城の端に並ぶ池だからな……貴様が知らないのも無理はないか」
……どうせ、魔王城なんか隅から隅まで見て回る余裕なんてなかったよ……悪かったな!!
「んで? その池が何なんだよ?」
「その池の名は、苦汁湖、辛酸湖という名でな、世のありとあらゆる怨念、不満、苦痛が流れたまるのものが苦汁湖、ありとあらゆる辛み、悲しみ、怒りが注ぎこむものが辛酸湖と呼ばれる」
「物騒な名前だな……」
何だか危なそうな名前な池だが……その池と今回の魔物がどうつながるのかさっぱりわからん……というか、この話を聞いて繋がる奴がいたら見てみたいもんだ。
俺の表情から彼女は自分の言いたいことが俺に伝わっていないことが分かったらしい。小さくため息をすると俺に背を向けて彼女は部屋の扉に向かう。
「その苦汁湖と辛酸湖の水を受ければ魔物であろうとも生を保つことは不可能だ。フライング・マンティスごときならば一瞬にして消え去るであろう」
「へえ……で、その苦汁湖と辛酸湖の池の水はどこにあるのさ、まさか屋敷内にあるんだろう?」
「……ついてくれば分かる」
彼女は小さくつぶやくと俺が閉めたドアを開ける。…………開ける!?
「何してんだ!? あぶねえじゃないか」
少しだけ開きかけていた扉を勢いよく閉める。何しようとしてんだこの王女さまは!?しかし、俺の制止も空しく、素早く黒い霧で斧を作りだした彼女はそれでドア自体を破壊した。……無残にたたき壊されたドアが俺の足元に倒れている。
「おいいいいい!? 何やってんの!? 死ぬのか?死にたいのか!?」
俺の叫びに答えることなく彼女は無言で斧を俺に手渡すだけ。この斧でどうしろと!?
「……黙ってついてくるのだ」
もうどうすりゃいいんだよ……
***
「で、結局、この台所かよ!!」
先程魔物と一悶着あったレストランの厨房並みに広い台所。わざわざ危険なところに戻ってきたわけだ。まだ先程の魔物が潜んでいるかもしれないのに……俺は手に持った斧に力を込めた。……そうか、この斧で魔物に対抗しろってことか。
俺が周囲に細心の注意を払っている間に、王女は涼しい顔で一つの戸棚を開ける。
「あったぞ」
「え、あったの?」
随分早く見つかったな……っていうか台所にそんな危ない物置いとくなよ……
彼女の手元に視線を向けると深緑の液体と赤黒い液体の入った小さな瓶が二つ。苦汁と辛酸って感じの液体だな。
「ふふん、後はフライング・マンティスを探すだけだな」
「……だけどさ、いきなり来られて反応できるのか?」
王女が俺の言葉に答える前に、廊下から大きな破壊音が聞こえる。それを聞いた彼女は俺を置いて廊下へと向かっていく。
「ちょっと待てよ!!」
すぐに彼女の背中を追いかけようとするが、突如背後に殺気を感じる。前の時と同じだ。きっとこの殺気は……フライング・マンティス!!
俺は振り返りざまに斧を振る。と、ちょうど後ろにいたフライング・マンティスに斧がぶち当たり、フライング・マンティスは壁にたたきつけられた。
「おいっ!!王女、いたぞ!!」
「……わかっておる」
気がつかなかったが、音でも聞こえたのだろう。俺の声を聞くまでもなく台所に戻ってきていた王女は二つの瓶のふたを開けると、よろよろと立ち上がっていたフライング・マンティスにめがけて中身を全てぶちまけた。
「ギイイイイ!!」
奇妙な声を上げたフライング・マンティスの体表は苦汁と辛酸によって見るも無残にドロドロと溶けた。しかし、それはフライング・マンティスの見た目を悪くしただけで命を奪うまでには至らない。
「おい!? 死んでないぞ?どうなってんだ!?」
彼女を見やれば、珍しく表情が険しい。どうやら彼女にとって見ても予想外のことだったらしい。
「ギイイイ!!」
フライング・マンティスは苦汁と辛酸を受ける前と全く変わらないと思わせるスピードで王女の前に移動すると、やや形の崩れた鎌を振り上げる。予想を超えた相手の動きに俺は反応できない。ここからでは魔王とフライング・マンティスの間に割って入るのは不可能だ。
「このやろおおお!!」
俺は持っていた鎌をフライング・マンティスめがけ放り投げた。しかし、その鎌がフライング・マンティスの体に届く前に、見たこともない勢いの炎が斧ごとフライング・マンティスを焼き消した。浮いていたフライング・マンティスの半分以上の体は一瞬で焼け落ち、偶然炎の軌道を外れた胴体がボトリと音を立てて床に落ちた。
「お嬢様……ただ今戻りました」
無表情で帰宅を告げたこの屋敷の使用人、エミリア。
しかし、エミリアの帰りなどには興味がないのか、焼け残ったフライング・マンティスの胴体をじっと見つめている王女はエミリアに言葉を返そうとはしない。何とも居心地が悪い……とりあえずどうして王女はそんなに死体を見つめているのだろう。
「ど、どうかしたのか?」
恐る恐る聞いた俺に彼女はちらりと視線を向けた。
「ふむ、貴様が気にすることではない。もう下がってよいぞ」
手をひらひらとさせながら俺の顔も見ずに彼女は言う。何か微妙に腹立つけど……仕方がない。休んでいいならとっとと休ませてもらうことにする。はぁ……一体何だったんだよ。……あの炎……エミリアか? それに苦汁も辛酸も効かなかったしな……
俺は色々と納得いかないことや分からないことを抱えながら自室へと戻った。
***
「どうかなさいましたか、お嬢様?」
未だに床に転がるフライング・マンティスを眺めている王女にエミリアは言葉をかける。
「……こやつはフライング・マンティスをかたどった作り物。つまり人形だ」
しかし王女はエミリアの言葉には答えず口を開く。焼け落ちた胴体の断面を見ると蝋人形のそれで魔物や魔獣ではないことが分かる。彼女の視線の先には、その胴体があり、そこには奇妙な紋様が小さく描かれている。その紋様は彼女もよく知るものであった。
「…………とうとう始まってしまったか」
彼女は自嘲的な笑みを浮かべながら呟いた。