魔獣と勇者
『首吊り』
ある男がいた。その男は世界に絶望し自殺する事に決めたらしい。
しかし……服毒したうえに切腹したが死にきれず、線路で電車を待ったがこれもダメで、しかたがないから崖から飛び降りたがそれでも死ねず、ついに崖を這い上がって松の木で首つり自殺をしたそうだ。いやはやこの男、運があるのかないのか……
四苦八苦しながらようやく用意された服に着替えることができた。
「ったく、わけわかんねーよ……一体どうなってんだ?」
愚痴を言いながら部屋のドアを開けると、エミリアが外で待っていた。俺が部屋から出てくるなり、彼女は静かに廊下を歩きはじめる。どうやら付いてこいということらしい。……にしても、廊下の幅が大きい。王国の宮廷や魔王城程ではないが、ここも立派なお屋敷なのだろう。……だが、一体ここはどこの屋敷だ?
「なぁ……あんたは一体なんなんだ?そんでここはどこ?」
俺の問いに少し前を歩いているエミリアは振り返りもせずに抑揚のない声で答える。
「先程も申しましたように、私は魔王族に仕えるもの。そしてここは、旧エルナブル公国領に建てられた我が主の屋敷でございます」
「旧エルナブル公国領だと!?」
エルナブル公国と言えば俺が仲間達とともに魔王討伐を始める少し前、魔王率いる魔王軍によって、壊滅させられたという国だ。確か、魔王城から、山を三つ程超えたところにある地域のはずだが……
「俺は一体どのくらい眠っていたんだ?」
仮に馬車で移動したのならば、六日はかかる。俺はその間ずっと眠りこけていたと言うのだろうか……
「そうですね、半日程度でございましょうか」
「半日!?」
おかしいおかしい……ちょっと待て……廊下の窓から外を見ればもうあたりはすっかり夜だ。と言うことは、魔王城から俺を連れだしたのが今日の朝で、その日の夜にもうエルナブル公国についたということか……どうやったんだよっ!!
俺の頭が混乱しているのも構わず、エミリアは続ける。
「このお屋敷は、現魔王様が魔王城で開かれたパーティーの際に、ご自身の第二王女であらせられますお嬢様にお渡しになったのでございます」
パーティー……おそらく勇者迎撃祝いってところか……ふざけやがってあの野郎……
ニヤニヤとした、人を見下した態度の魔王を思い出し、無性に腹が立ってきた。……しかし、ここが魔王の娘の屋敷ならば、この屋敷の主はその第二王女と言うことになる。これは好都合。仲間の復讐のため、魔王を滅ぼすための足かせとして、まずはその第二王女とやらを打ち取ってやろう……
「ここが広間になります。お嬢様にはくれぐれも不敬のないように……」
「ん……」
俺が今後の考えを巡らせているうちに、大広間の前までやって来たらしい。ここに、魔王の娘がいるのか……気を引き締めないとな。
俺は、ゆっくりとドアを開いた。
ドアを開くとと巨大な広間の中心に、大きな長テーブル、その端にぽつんと一人の女性がいた。後姿だが、あの黒髪……まちがいない。エミリアと一緒にいた黒髪の方だ。
それにしても、背後も見せているとは随分と好都合だ。俺は彼女に気がつかれる前に、そして側にいるエミリアが油断している隙を狙って、魔法を放った。
「我を守護する聖なる風よ、その大いなる力で悪しきを斬り裂け!!―――っ!!」
しかし、魔法の詠唱途中に強烈な目の痛みに襲われ、たまらず俺はその場で膝をついてしまった。あの時と同じだ……どうなっている!?
「お嬢様には不敬のないようにと申し上げたはずなのですが……すみませんお嬢様。私の注意不足でございました」
俺が痛みで悶えているのをまるで興味なしと言うように、エミリアが魔王の娘へと口を開いた。エミリアを振り返りもせずに、一言「構わん」と言っただけで、彼女は特に気にしていない様子。俺が痛みで悲鳴を上げているにも関わらずだ。
しばらくして、目の痛みが治まった俺は息も絶え絶えにふらふらとしながらもエミリアによって無理やり魔王の娘の前に連れてこられた。
彼女の目の前に連れてこられ必然と彼女と目が合う。
やはり、あの時の女だ。あの時と同じ黒のタイトドレス、黒のロンググローブといった黒ずくめの格好に、頭で鈍く輝くティアラ……まず間違いない。
そんな彼女は目の前に連れてこられた俺には一瞥も与えず、ゆっくりと紅茶の入ったティーカップを口に運ぶ。
「お嬢様、先程の勇者が目を覚ましました。どういたしましょう?」
エミリアによって押さえつけられているため、俺は床に膝をついたまま起き上がることさえままならない。……命を狙ったのだ、ただでは済むまい……
と、それまで全く関心がないかのように見えた彼女がちらりとこちらに視線をよこす。
「今日ぐらいは、よかろう。……好きにさせていろ」
「かしこまりました。お嬢様……では失礼いたします」
短い会話の後、エミリアは俺を物のようにずるずると引っ張って行く。ってちょっと待て、これで終わり?説明となんにもなしか?まあさっきのことが、おとがめなしなら助かったのだが……
***
そして、今俺は自分がさっき眠っていた部屋のベットで寝転んで部屋の天井を眺めている。あの後、エミリアに好きにしていいと言われたが、何をしていいのか分からない。この屋敷から出ようにも、エミリアの監視があるためそれは無理だ……
でだ……問題はなぜ俺がここに連れてこられたのだろうということ……勇者の俺が魔王の娘の元にである。パーティーで魔王が自分の娘に勇者をプレゼントしたのだろうか?……いや、さすがにそれは無いか……だとしたらなんだ?もっと謎なのは牢獄でゴミの様な生活を送らされていた俺が今はこの屋敷の一室を与えられて、ベットの上で寝転んでいることだ。それも上質な服を着せられて……あ~!!考えれば考えるほど分からなくなってくる。頭が痛い。
もうこのまま何も考えずに寝てしまいたい……
「おい、起きているか?」
目をつぶった直後、頭の上から声が聞こえる。俺がびっくりして眼を見開くと、俺の顔を覗きこむようにしていた魔王の娘と目が合う。
いつの間に!?
「起きていたか……ならばすぐに支度をしろ。」
俺が起きているのを確認すると、彼女は部屋のドアへゆっくりと向かう。
「は? 支度? なんで!?」
突然のことで間抜けな声を出してしまった。俺の疑問に彼女は俺を振り返ると、当然のことだとばかりに口を開いた。
「今から近くの森に出る。貴様もついてくるのだ」
***
と、そんなことがあって今俺は彼女とともに馬車に乗っている。馬車は彼女のつくりだした黒い影人間の様なものが御者を務めている。彼女曰く、彼女自身が魔法で作りだしたものなのだとか……ちなみにエミリアは屋敷で留守番を彼女に言い渡されている。不満そうなエミリアだったが主人の言うことには逆らえないのかしぶしぶと了承していた。まあ、自分の主が危険人物なんかと二人きりで森に行くのが心配なのだろう。彼女を殺そうとしたわけだし……それにしても、あの時の痛みはなんだったのか……
「…………」
「…………」
会話がない。馬車で向かい合って座っているのだが、お互い黙りこくっている。……気まずい、いやーな空気が流れている。そんな空気に耐えられなくて俺は口を開いた。
「あの~……」
「……なんだ?」
俺の呼びかけに、それまで馬車の窓から外を眺めていた彼女は俺に視線を向ける。
「いや……何で俺はあの屋敷に連れてこられたのでしょうか?」
さすがに一度失敗しているので、しばらく逆らう気は今のところない。
「私の事はどの程度エミリアから聞いておるのだ?」
「え?……魔王の娘で、あの屋敷の主というくらいしか……」
突然の質問がえし……びっくりしたが、とりあえずエミリアから聞いたのはこれくらいだ。
「そうか……それだけ聞けば十分だな」
「?……」
「私は確かに、現魔王を父に持つ者だ。……この地を父に治めるように申しつけられたが、思い通りに行かなくてな……そんな時魔王城の地下に勇者がいると耳にした私は貴様を使って街を治めようと考えたのだ……」
つまり、勇者である俺を利用して村人達を手なずけようってか……最悪だな。
「今回はとある仕事の一環だ。期待しているぞ」
「はぁ……」
何の仕事か分からないので、曖昧に返事をするしかない……
しばらくすると、馬車が自然に停車する。どうやら目的地に着いたらしい。
「で?俺は何をすれば……?」
馬車から下りた俺は辺りを見回す。なんだか森の奥にきたみたいで辺りは霧で覆われてよく見えない。と……そんなことを考えていると俺の右腕に激痛が走る。
「なっ!?……どういうことだ!!」
振り返ると、レイピアを持った彼女。どうやら俺の腕を斬り付けたらしい。
彼女は俺の腕から血が流れ出ているのを確認すると、レイピアを黒い霧の様にして消した。魔法で作った物だったのか……それにしてもこんな山奥に連れ込んで俺に攻撃してくるとは、やはりこの女は俺を処分しようと企んでいたわけだな。……だが、あいにく俺はそう簡単に死んでやるつもりはない……この程度の傷、なんてことはない、かすり傷だ。
武器は無いが、魔法は使える。俺は詠唱を始めた。
「我に宿りし聖なる光よ、闇を祓いて光を満たせ―――っ!!」
しかしまたも俺の瞳に激痛が走って魔法の詠唱が途切れてしまう。一体なんだって言うんだ。
「そう言えば言い忘れていたが……私と貴様はすでに隷属契約を行っている。私に手を出そうとすればその瞳に痛みが走るから気をつけるのだ」
早く言ってほしかった……っていうか、いつの間に隷属関係になってんだよ!!聞いてないよ!!せめて一言言ってからそういう重要な契約はしてほしかった……
と、背後にもう一つ気配が現れたことに俺は気がつく。勢いよく振り返ればそこにはだらりと舌を垂らした、恐ろしい獣が迫ってきていたのである。……おそらく、この女が俺を殺すために呼び出した魔獣か何かだ。彼女には手を出せず、かといって背後の獣で逃げることもできない。……詰んだな。もう、どうしようもない。思えば、魔王の気紛れさえなければもっと速くに俺は死んでたはずなのだ。それが少し遅くなっただけのこと……今更騒ぐことでも無い……
ふっと力を抜いた俺に、唸り声をあげていた魔獣は跳びかかってきた。終わりか……俺は固く目を閉じた。
「ふむ、上出来だ」
彼女の声とともに、何かをたたき潰す音が聞こえた。
………………
いつまで待っても来ない痛み。不思議になって目を開ければ、頭を巨大なハンマーでたたき潰された魔獣が転がっていた。俺が呆然と魔獣の死体を眺めているうちに、そのハンマーは黒い霧になって消えた。
***
ぴちぴちぴち
小鳥たちが朝日のもとで鳴いている。
「つまり、あの魔獣退治を俺に協力してほしかったってことか!?」
「そうだ」
声を張り上げる俺を鬱陶しそうにしながら、彼女は紅茶の入った美しいティーカップを口に運ぶ。
「んじゃあ、何で俺の腕を斬りつけたんだよっ!!」
「あやつは、血に飢えし獣と呼ばれるものだ。ただやみくもに探すよりも、血の匂いでおびき出した方が効率がよい……」
「ふざけんな!!俺があのときどんな思いしたと思ってんだ!!あっ!!おいっ無視すんなっ!!」
頭にきた俺は彼女を怒鳴り散らすが、彼女は眉をひそめてティーカップを口から離そうとしない……このやろぉ……
俺は彼女を睨みつけるが、突然後ろから思いっきり引っ張られる。そのせいで「ぐえっ」と蛙がつぶれた時の様な声を出してしまった。
「口のきき方を考えてください。この方をどなたと心得ているのですか?」
俺の襟首をぐいと引っ張ったのはエミリア。だいぶご立腹の様で赤い瞳で俺を睨みつけている。……そのまま俺をずるずるずる……
「ちょ!!ちょっと待て!! 俺の話はまだ!!まだ終わってないんだぁああああああ!!」
朝の屋敷に俺の叫びがこだました。
お読みくださりありがとうございます。