第質話 次進情景・つぎへ むけて
エサンにただひとつの宿にて、遅めの夕食をとる夕依と双羽。この宿屋の一階は宿泊客用の食堂兼酒場となっている。来訪者の青年との交戦より時は経ち、すでに日も沈んだこの時刻。ここにいるのは一晩掛けて飲み明かそうかというような連中ばかりだ。旅人なんてそう訪れるものでもないし、まともに夕食をとっているのは彼女たちぐらいのものである。
「これおいしいよー、カナちゃんも食べる?」
「…いらない」
…あの後、真っ先に復活したのは最も早くから倒れていた夕依だった。彼女はそのまま双羽を叩き起こし、青年を換金所に放り込みがてら、ふたりで町を散策していたのだ。複数人の旅に必要なものを買い揃えていたのである。
食糧などはもちろん、テントだって新しいのが必要だ。幸い青年への懸賞金が手元に入ったため、そこそこ値段を気にしない買い物ができていた。…換金時はずっと不機嫌な双羽だったが、結局何も言わないでいてくれた。てっきり文句のひとつでも降ってくると思っていただけに、これは有り難かった。
「それで…あのときのことだけど…」
「僕があの指輪の電気を受けたとき、だよね?」
そして現在。宿屋付属の食堂にて、夕依は双羽に先の戦闘について問い正していた。
あの戦い、どこからどう見ても双羽不利だったハズだ。それが、結果はまさかの相打ち。そもそも何故あの青年が倒れたのか未だによく分からない。
「んー、なんで、と言えば答は簡単なんだけど。一言で言うとね、あの時、僕を通り抜けた電気はそのままあの男の人の体を伝っていったんだ。それであの人は倒れちゃったんだよ」
…そんなことが、あるのだろうか。少なくとも、夕依の受けた電撃は的確に彼女の体を貫いたはずだ。
「実はねー、あのとき僕、ちょっとだけ浮いてたんだ」
「…浮いてた?」
「そ。見た目じゃ分かんないぐらい、ちょっと、ね。それで、電気が通るときに箒を相手の体にくっつけてたでしょ。…これで、逃げ道を失った電気は、箒からあの人の体を伝って地面に流れたんだよ」
「……」
言葉が無くなる。口調こそいつも通りだが、その語られる内容はとても少年の思考とは思えない。あの数瞬で、そこまで考え至った頭の回転。そんな無茶な作戦を冷静に思いつき、実行する胆力。人間業でない、とすら言える。
双羽の背後に得体の知れぬ何かの影を見た気がして、夕依は目を擦った。
「…で、さ、カナちゃん。話は変わるんだけど…」
と、打って変わった様子で双羽が口を開く。少し恐怖すら感じた先程の雰囲気はさっぱり消え去り、その物腰は完全に見た目の年齢通りだ。
「僕、ベンフィード公国ってところに行けばいいんだよね」
「…そうよ」
「でも僕全然道とか分かんないからさ、どうやって行けばいいかとか、大体でいいから教えておいてくれないかな? …もしかしたら、ハグレちゃったりするかもしれないし、さ」
なるほど、それならばこちらも丁度その話をしようと思っていたところだ。どのみち双羽とはしばらく行動を共にするつもりだが、途中の道のりは頭に入れてもらっておいて損はない。
「いいわよ。ちょっと待って…」
言いつつ、いつも背負っている真っ黒な荷物袋から地図を取り出した。この地域から目的地のベンフィード公国まで網羅する結構大きな地図である。
ちなみに、双羽には夕依と同じ荷物袋を買わせた。これも旅には必需品なのだ。特にこのタイプが丈夫で長持ちするのは、夕依自身で立証済みである。
「ええと…ここが、エサン。…今いる、この町ね」
「うんうん」
テーブルの上に地図を広げ、2人してのぞき込む。地図の南端にポツンと存在する点、これがエサンだ。その更に南には地図の端を埋めるように草原が広がっている。
「私たちが会った場所は…大体、このあたり」
「…地図だとすっごく近く見えるね」
「実際、近いわよ…往復で、たったの2日なんだから。…目的地のベンフィード公国なんて、ここよ」
言いつつ、地図の中央部を指し示す。実はこの地図、ベンフィード公国発行の周辺地形図なのだ。よって公国が大凡中心に位置するよう描かれているのである。
その公国を示す地域とこのエサンとの間には、目算で2、3週間分の距離があった。
「…遠いね」
「…遠いわよ。まあ、途中の…このあたり。ここは、船で移動するから…距離にしては、短い日数で行けるけど」
エサンより1週間ちょっとの部分から公国までのエリアは、水を表す青色だ。ここは船で移動するので、歩くよりは早い。
「でっかいねー、これ、海?」
「違うの。とても大きな…湖なのよ、これ。ベンフィード公国は…湖の中の島にある国なの」
「ほへー、でっかいね!」
湖の北部は地図からはみ出しているため、正確な大きさは分からない。まあ、少なくとも琵琶湖なんかと比べて良い大きさではないだろう。
「…えーと、それじゃエサンからまずこの森通って、それからこの町で船に乗って行く、って感じかな。全部で…2週間ぐらい?」
妙に的確な予測だ。この年齢でひとり旅などしたことでもあるのだろうか。
あと双羽の予想行程で大体はあっているのだが、何カ所か訂正を入れる必要がある。
「…目指すのは、ベンフィード公国の首都…ゲィヌシンよ。ええと…この点、ね」
「ふむふむ」
「あと…真っ直ぐ北に行かずに、ちょっと寄り道するから。この沼地に…個人的な、用事があるの」
「用事?」
「…私がエサンに来た、目的。…往復1日ぐらいだから、何だったら…この宿で、待ってても良いけど…」
「一緒に行くよー。…ここ怖いし」
確かにこの宿、割と厳つい外見の方々が多い。実際中身が気のいいおっちゃんの類だということは夕依もここ数日の宿泊で知っているのだが、初日の双羽が1人でくつろげる場所でないこともよく分かる。
それにまあ、いちいちこの町まで戻る手間を考えれば、着いてきてもらった方が都合も良い。
「…それなら、明日の…そうね、13の刻に、出発するから」
「うん、分かったよー…って、13の刻?」
「…ごめん、説明してなかった」
“刻”とは、この世界で標準的に使われる時間の単位である。簡単に言えば、地球での“時間”に対応する単位だ。ただし、数え方が大分と違う。
具体的には、まず太陽と太陽の中央点が真上に来る時間を1の刻とする。次に太陽の中央点が同じ位置に来るまでを一周として、これを16等分するのだ。そしてこの区分点に順次1から16まで通し番号を振り、刻とするのである。
こう聞くとややこしそうだが、要するに“一日16時間で、かつ正午を1時としてそこから数える”と考えればよい。一日が正午から始まるという違いはあるものの、それはあくまで数字の上でのことであり、実際には9の刻が日の境目とされている。
「なるほど、朝6時出発、ってことだね」
「…まあ、そうだけど」
…今の説明をざっと一回聞いただけで、即座に言われた刻を時間換算する双羽。流石にもう驚きはしないが。
ちなみに、町の中央にある時計塔がこの町唯一の時刻を知る手段だ。魔法装置付きの小型時計は高価な上に大きくて邪魔なため、普及していない。機会仕掛けの時計塔が、町全体の生活リズムを刻んでいるのである。
「朝早いねー、早起きしなくちゃ」
「朝出ないと…着くのが、夜になるから。…できれば、あのあたりで夜を越したくないの」
「ふーん?」
疑問顔の双羽だが、まあそこは行ってみれば理解するだろう。別に今言わなければいけないほど重要な事柄でもない。
明日の行程のパターンをいくつか考えつつ、夕依はふっと息を吐いた。
……
暗闇の中、双羽の目は冴えていた。宿のベッドに潜り込んでしばらく経つのだが、眠れない。
…目を瞑れば、あの青年の姿が瞼に浮かぶのだ。指輪と閃光でもって双羽達とやり合い、そしてつい数時間前、いくばくかの賞金と引き換えに町の衛兵へと引き渡した、あの来訪者の青年。別に殺したりしたわけではない。ただ、連れて行かれた来訪者がどうなるのかは、夕依もよく知らないと言っていた。どう転んでも、ろくな扱いをされそうにはない。
彼を衛兵へと引き渡すのは、正直気分が悪かった。平和な日本に育った双羽には決して馴染めない感覚。連れて行く最中、何度夕依を制止しようとしたか分からない。
しかしあの青年の身柄と引き替えに、双羽はこれからの旅の基盤を手に入れたわけだ。いくらかは使ったが、まだそれなりの銅貨や銀貨が腰の布袋に詰まっている。この世界、特にこのあたりの地域で流通している通貨だ。
それぞれの硬貨の相対価値などは、敢えて教えてもらっていない。…なんとなく、その情報があの青年を数値化してしまう気がしたのだ。今回の経験は双羽にとって、数値的な価値を持つものであってはならないのである。
「できれば、もうやりたくないよね…」
はあ、と溜息ひとつつき、目を閉じた。暗闇に浮かんだ青年が、青白くスパークする指輪を双羽に突きつけてくる。
「お前は一体、何者だ?」
一言、問いかけてくる青年。
いやちょっと待とう、アイツはこんなノーマルな口調じゃなかったはず。…なら、誰だ。
「何故だ。我々は…」
我々、と。そう言う相手の顔は、いつの間にか薄くぼやけていた。表情は読みとれない。
気づけば、相手の左手にあった指輪は黒光りする金属塊となっていた。握られたグリップ、そしてそこから延びる太い筒が双羽に突きつけられる。
「…いや、同じか。消えろ」
相手は一言呟き、一本だけ握り込まれていなかった人差し指を曲げた。
タン、と軽い音が響き、似合わぬ重い衝撃がこめかみを掠める。耐えられずに体ごと吹き飛び、暗闇の中に放り出されながら必死に手を伸ばし…
「うわ…ぁ」
双羽は、ベッドの中で両手を中空に伸ばした姿勢のまま固まっていた。バクバクとうるさい心拍を落ち着ける。今のは、何だろう。
「あ、ちょっと明るい…」
東かどうかは知らないが、空が白み始めていた。少し、眠ることができたらしい。
…それにしても、目を閉じる度あのようなものを見せられてはたまったものではない。これ以上の睡眠は諦めるべきか。
「ふあぁ…っく」
欠伸を噛みしめ、ごろりと寝返りをうつ。すると、目の前に夕依の寝顔が現れた。
…部屋取りの関係、同じベッドで寝ていたのだ。忘れていた。
静かに寝息をたてているが、恐らく触れでもすれば即座に跳ね起きることだろう。場合によってはそのまま拘束くらいされるかもしれない。
彼女には非常にお世話になっている。これからも、しばらくはそのままだろう。いつかお返しをしたものだ。元の世界へ帰ってしまう前に、いつか、きっと。
「ふわあぁぁぁ…」
…そんなことを考えつつ、今度は遠慮なく大欠伸をかます双羽であった。