第伍話 草原独町・そうげんの まち
双羽との出会いから一夜明け、清々しい草原の朝。ふたりは最寄りの町へ向かって移動していた。
湿っている長草が鬱陶しいが、夕依の靴にはしっかりとした防水加工が施されている。この程度じゃ濡れやしない。
対する双羽、靴に防水機能は無いものの、箒で軽く浮いていた。…これは、セコい。
自分の足で歩けと言いたいところだ。が、当の双羽は。
「…zzZ」
…寝ていた。それも細い箒の上で、ぐっすり器用に爆睡中。どうも昨日は眠れなかったらしい。
その理由を聞くと、逆にランプの燃料が少なかったことについてやたらと文句を言われた。何故だろう。
ちなみに、箒自体は双羽を乗せたまま勝手に夕依の後ろを付いてきている。自動操縦可能とは便利な箒だ。
それにしても、暇である。
同行人はちょっとやそっとじゃ起きそうにない夢の中。周囲は見渡す限りの草原だ。これでは一人旅と何も変わらな…
「…!」
…ふと、左方の草むらに殺気を感じた。
何マンガみたいなことを、と思うかもしれない。しかし、年単位でリアルサバゲーに放り込まれてきた夕依にとって、それは慣れた感覚。
差し向けられた明確な意志というものは、ときに五感を震わせる。思えば、これこそが第六感というやつなのかもしれない。
「グルルル…」
「…マウザンナウィ、ね」
マウザンナウィ。角張った猛獣、という意味の言葉だ。たった今そこの草陰から現れた獣を表す名でもある。
その性質は、獰猛かつ凶暴。群は作らないのだが、絶対数が多く遭遇しやすい。普通の旅人がこの草原を敬遠する最大の理由である。つまるとこ双羽がこの世界に来た直後出会ったアイツなのだが、まあ夕依がそんなこと知るわけもない。
「ガアァッ!」
マウザンナウィが牙をむく。子供のひとりやふたり簡単に串焼きにできそうな、長く鋭い犬歯。それはこの猛獣にとって、人という生物が食料に過ぎないという事実を示す。
「ガアッ…」
「…悪夢・火事の素」
「ガ、ガウ…!?」
さて飛びかかろうか、という姿勢で、突然マウザンナウィは動きを止めた。何かに怯えた様子で、周囲を見回す。
きっと今その視界には、草原を焼き尽くさんばかりの火の海が広がっているはずだ。
「…野生動物は、火を避ける」
「ガウ、ガアァ…!!」
六角形の瞳に幻の炎を映し、角張った猛獣は草原の中へと消えた。それと同時に夕依の魔法も解除される。
…彼女の魔法。相手に幻影を見せる、その名も“悪夢”だ。厳密には見せるだけでなく、五感全てに認識させることができる。例えば先程の炎は、見る者に熱気すら感じさせたはず。
つまるとこ、野生動物対策にはもってこいの便利な魔法なのだ。
「…そういえば…」
後ろの双羽はどうしているだろう。それほど激しくドンパチやったわけではないが、マウザンナウィは結構吠えていた。起きていても不思議は無い。
「把臥之くん…」
「…すー…」
やっぱり寝ていた。起きる気配は無し。…まあ、なんとなくそんなことだろうとは思っていたが。
静かに寝息をたてる少年の寝顔を一瞥し、夕依はまた歩き始める。今日も草原の風は強かった。
……
「…着いたわよ」
「…むにゃ…くぅ…」
「……」
「みぎゃあぁぁっ!!?」
突如こめかみを襲った強烈な痛みによって、双羽は現実世界へと引きずり出された。痛い、ズキズキする。
…というか、今いったい何をされたのだろうか。少なくとも、抓った程度の痛みではなかった。
「え、っと…」
「…町は、すぐそこよ。見られると、マズいから…箒からは、降りておいて」
「は、はーい…」
見れば、わりかしすぐそこに茶色い建物群が見えた。あれが町だろう。
ひょい、と箒から飛び降りた双羽は、そのまま箒をポケットに突っ込んだ。仮にも懸賞金の掛けられた身の上である。人前では、来訪者であることを特定されかねない“呪文無し”魔法の使用は控え…
「ちょっと待って」
「…ん、どしたのカナちゃん?」
「今…何か、おかしかったんだけど…」
そうだろうか。夕依に言われたとおり箒から降りて、そのまま箒を片づけただけ…
「…そこ! なんで、あんな大きな箒が…ポケットに入るの!?」
「ちっさくしたんだよ」
「なるほど…って、何その便利能力…」
「すごいでしょー」
どうやらこの箒、大きさを自在に変えられるらしい。今朝方、遠くの薪を取ろうとした際に発覚した事実だ。手を伸ばすと箒が一緒に伸びててちょっと焦った。
機会があれば、一度どこまで大きくなるのか調べてみようか。縮小に関しては、見えないくらい小さくできることが確認済みである。
「…まあ、いいわ。それじゃ…私は、少し用事あるから。把臥之くんは…先に、宿に行っておいて」
「え、宿屋って…」
そんなもの、いきなり言われても困る。場所だって分からない。
「…大丈夫。あの町、宿は、一軒しかないから」
「うーん…だけど、僕ひとりで行って大丈夫なの?」
「この札、持って行けば…私の借りてる部屋には、入れると思う。ダメなら…宿屋の前で、待ってて」
「はーい」
手のひらサイズの木札を双羽に渡し、夕依はふっとどこかへ行ってしまった。まあ町の方角ではあるので、このまま置いてかれるということはない。というか、少々の用事ならつきあっても良かったのだが。
まあ、いいと言うのだからいいのだろう。そう納得し、双羽も町へ向かうことにした。
数分で低い柵に囲まれた建物群にたどり着く。
「えっと、ここが入り口だね。…へー、この町、エサンっていうんだ」
町の入り口とおぼしき木の簡易門と、町内の簡単な見取り図を発見。幸い、町に一軒だけの宿も明記されていた。この入り口が南で、目的の宿は町の南東部。町自体かなり小さいようなので、普通に歩いてもそれほど時間はかからないだろう。
「…あれ」
さて、ここまで自然に地図見て場所確認してたわけだが。改めて、地図を見る。
…残念ながら、こんなフニャフニャした文字を学習した覚えはない。しかし不思議と読める、というより、文字の“意味”がダイレクトに理解できる感覚。
これも召還とやらの効果だろうか。だとすれば、なんとも便利なものである。世の語学塾涙目な超高効率勉強法ではないか。
「…アメリカとかイギリスに召還されてたら、英語話せるよーになってたのかな…」
それならいつでも英語のテスト満点取れたのに、などと考えながら、双羽は町へと足を踏み入れた。
この町の建造物は、大体煉瓦のようなブロックを積み上げて建てられているようだ。濃い茶色のブロック塀が並ぶ町並みは、どこか小綺麗である。この場所が、少なくとも日本ではないどこかなのだということを再認識させられる光景。
通りにはそこそこの数の人がいるのだが、特別双羽を注目する人間はいない。召還されたときから勝手に着ているこの服、特に目立つ類のものでもないらしい。似たような服装を見かけないことからすると、旅装か何かなのだろうか。あとで夕依に聞いてみよう。
「あ、あったあった。ここかな」
デフォルメされた“宿屋”を示す文字に、丸っこい樽マーク。十中八九ここで間違いないだろう。
カラン、と軽い音を響かせて、これまた軽い戸を押し開ける。…瞬間、数多の視線が双羽を貫いた。
「…え、と」
大工っぽいゴツいおっちゃんや、細身に似合わぬ威圧感を備えた青年等々。肉体労働上がりと思しき方々からの、“誰だお前は”的な視線が双羽に殺到する。なんで宿屋にこんな厳つい人たちが集結しているのか。
自然と固まるこちらを見据えながら、おっちゃんBが手に持った木のカップをぐいっと傾ける。そういえば、なんだか酒臭い。
…なるほど、あの樽マークは酒場を示していたわけだ。ファンタジーにありがちな宿泊施設付きの飲み屋さん。日も沈み掛けたこの時刻、少々パワフルな方々の溜まり場になっていてもおかしくはない。
「ま、間違えましたー…」
入ってきた動きの逆再生で宿の戸を閉じる双羽。ちら、と店の奥に階段と上向きの矢印が見えた。
どうやら2階が宿泊スペースのようだが、あの集団を抜けてまでして奥の階段に進むだけの気力は、今のところ無い。素直にここで待つことにしよう。
それにしても、夕依はよくこんなところで寝泊まりできるものだ。旅慣れるとはそういうことなのだろうか。いくつもの宿を巡り、厳つい兄ちゃんからのプレッシャーなどものともしない精神力を身に着け…いや、違うか。
「やること、無くなちゃったなー」
宿に入れなかった場合は前で待つよう夕依に言われている。が、この宿の入り口はメインストリートから一本中に入った路地だ。人通りもまばらで、特に人間観察なんて類の趣味の無い人間にとってはこの上なく暇な場所である。
ひとつだけ幸いなのは、座る場所に困らないことだ。目立たないサイズまで大きくした箒に腰掛け、双羽は思考を巡らせる。イスの背代わりの宿の木壁が背中に冷たい。
「ここ、どこなんだろね…」
…元いたのとは違う剣と魔法の世界のエサンという町の宿屋の入り口を出て3歩。説明すればこうなるし、少なくともこれは日本にいた頃の双羽が日常持っていた位置情報よりも余程詳しいはずだ。
彼の口をついた疑問は、そんなことではない。
例え今いるのがリオデジャネイロだろうと月面だろうと、この感覚は生まれないだろう。どちらかと言えば、4才か5才の頃、いつもより遠出した近所の路地でさまよっていたとき感じたものが近い。漠然とした不安感。ホームシック、と言ってしまえば語句説明に60点がつく。
「ふあぁ…」
なんだかどつぼにハマりそうなので、そのあたりで思考を切り上げた。単独で悩み込むのは双羽の悪い癖だ。今度、夕依にでも話してみようか。
なんだそれという顔をされるかもしれない。それでもまあ、この世界で今のとこ唯一の知り合いである。こんな訳の分からないこと言い出せるのは彼女くらいしかいない。
そういえば、夕依の用事とは何だろう。旅の用具を新調するとかなら、双羽も同行すべきだったのだが。それに…
「…カナちゃん?」
こめかみ、もしくは額の内側がぴりっとする感覚。明確な理由も無く、ただ行動とそこへの衝動が体を包む。長年久しく錆び付いていた、動物的直感だ。
そして双羽は知っている。この感覚が、後に圧倒的根拠をもって納得されるものだということを。
「こっち、だね!」
従って、双羽は走り出した。体の引かれる方向へ足を出し、走り、角を曲がる。
前方から金属の衝突音が聞こえたあたりで、双羽は確信と共に速度を上げた。