第伍拾弐話 最接終地・たびの おわりに ほどちかく
重厚な、石造りの門を潜る。下手な民家なら数件並ぶほど分厚く、見るからに堅牢なる城壁。無論、大都市としての人通りを邪魔せぬ程度に道幅は広い。だが隙間の無い巨岩のブロックは、言葉無くただ威圧感を放つ。
「(…ぐぬ)」
が、しかし今華月の精神を圧迫する犯人はその岩壁でなく。
「(確かにまあ、大丈夫だろうという結論は出た。それにだ、理性的に考えれば同じく問題無いという結論に至る。だがなぁ、やはりそれとこれとはまた別だろうそうだろう)」
出入りする多数の行商人と思しき馬車に混じり、一切の隠蔽などせず。堂々と“追う者”の本拠地へと乗り込んでいるこの状況こそ、彼の胃に穴を空けようとするものに他ならない。
下手にこそこそするより正面から、という決定自体に不服はないのだ。今更ゲィヌシン側が能動的に仕掛けてくるということも無いだろう、と。昨日門前で敢えて野宿した際、そう4人で話して決めたこと。今までの襲撃者が“試す”とか何とか口走っていた事実からして、そう間違った判断ではないはず。彼自身、納得はしているわけで。
それでも、そんな前提があったとしても。警備の兵士が両脇を固める大通りを平気な顔して素通りできる奴は、現代日本人としてどこかおかしい。
「ほらほらカッちん、そんな暗い顔してちゃ怪しい人だよー」
「…うむ。努力する」
「…重症だねー」
詰まるところ、こいつらはどこかしらおかしい。特に把臥之姉弟。前から思ってはいたけれど。
夕依に関しては、まあ多少なり暗い顔をしてはいる。が、常に無く、というほどではない。ぱっと見て違和感のある雰囲気でもない。
そんなこんなで周りから目を背ける内、一行に日が射す。圧迫感のある岩のトンネルを抜け、白を基調とした町並みが眼前に広がった。
「…抜けたか」
「ま、思ってた通り。なーんにも無かったわねぇ」
「だねー」
城壁による明暗の差が激しく、軽い眩暈を覚える。今までに経由した町や村や街にここまでの城壁は無かった。確かに外的脅威の多い世界ではあるが、それらは大抵壁程度で防げるものではないのだ。
例えば、一行の遭難要因となった鳥の群。あんなの空から侵入されたらどうしようも無いだろう。そういう意味でも、現代人という意味でも、この光景はなかなか貴重なものと言える。
「…む、そう言え…」
「君たち、ちょっと良いかい?」
ふと口を開いた華月を遮るように、掛けられる若者の声。対して4人とも、露わにならない程度の警戒を向ける。人通りの分散に合わせたようなタイミングからして、待ち構えていたのだろう。
「ん、僕たち?」
「そうそう、君たち。そこの4人だ」
「…何か用?」
ゲィヌシンの手出しは当面無いだろう。しかしそこから発せられた情報が無効になっているなんてことは、まあ無い。賞金目当ての個人、もしくは集団による襲撃なんかは警戒してしかるべき。
「いやー君たち、ここいらの人間って服装じゃないよね」
「別に服装なんて自由じゃないの? 見てみなさいな。旅してる人間集まれば、服装の雑多さなんてこんなもんよ」
大都市故に多数の行き交う人々。彼らを指し言うことからして、流石の朝美もこんな場所でのどんぱちがまずいとは思っているようだ。まあ少々挑発気味なのは生来のものと諦めよう。
「まあまあ、そう警戒しないでさ。俺は君たちに協力しようと思っただけ」
「ふむ、なるほど。事情は知った上で、自分は味方である、と。して、その根拠は?」
「信じて欲しい、としか言えないなぁ」
「それで信用が得られる、などとは欠片も考えていないだろう」
「得られれば儲けもの、程度のことは考えてたけどね」
ただまあ、この問答により、単純に賞金狙いの輩でないこともはっきりした。得体の知れなさは深まったわけだが、考え無しに敵対すべき相手でもない。
「で? 貴様は何しにここへ来た」
「ちょっとした告知、ってヤツさ。…今はまだ、君たちは気力に満ちて進んでいるだろう。だけどもし君たちが、このくだらない茶番に疲れたら。もし、この先に少しでも疑念を抱いたなら。俺たちは君たちを歓迎する。だから、ここに来て欲しい」
「うぬ?」
言うなり、華月の手に紙切れを押しつけ、そのまま青年は立ち去る。この紙切れ、いやそこに書いてある情報を渡すことが目的だったらしい。
「…それで、何て書いてあるの?」
「うむ。これは…番号? 何の数字だ?」
「あ、これアレだよ、住所! ニテイフキでもこんなのだったでしょ」
「住所、ってより郵便番号みたいなものねぇ」
「確かに…少々桁は違うがな」
詰まるところは、だ。
「ここへ来い、ということか」
「…罠、じゃないの?」
「罠にしてはー…うん、雑すぎるんじゃないかな」
「…まあ、そうよね」
何にせよ、今すぐ急いで行く必要性も義理も無い。渡された住所は記憶に留めるとして、まずは…
「まあ、この件は置いておこう。そんな事より今日の宿だ」
「だねー。ま、メウェノンみたくお祭りやってるワケでもなさそうだし、今から探せば良さそうなところ見つかるんじゃない?」
「…ニテイフキは、お祭りでも何でもなかったけど…」
「…うん、急いで探そっか」
思えば、宿難はこの一行の宿命かもしれない。野宿率の高さからそう感じるだけとも言えるが。
「さて、どこから探そうかしらねぇ?」
「ふむふむ…こっちの方に宿屋さんが集まってるってさ!」
「…そのガイドブック。…どこで手に入れたのよ…」
この街から終着点への道のりも、決して平坦ではなさそうだ。まずは拠点を確保し、諸々はその後考えよう。そう、急ぐことも無い。
行く手に待つ騒動を各自予感しつつ、彼らは今日の寝床を探すのであった。
「ところで双羽」
「ん、何かな?」
「…どさくさに紛れ、俺を至極不名誉な名で呼んだ輩がいたと思うのだが…知らんか?」
「…てっきり聞いてないものプギャァァァ!?」
の前に、余計な真似した少年をきっちりシメることも忘れない華月であった。
……
「ってなわけで、断られた」
「それは残念ねー」
そこで行われているのは、まあ、密談、に含まれるだろう。密室で少人数が交わす会話、という意味で。
だが、環境自体は密室と言えただの民家の一室。人数も2人と少な目ではある。
「あんまし残念そうじゃないけど。というかちょっと笑ってませんか辰那さん」
「その名で呼ばないで。どこに耳があるか分からないのよ」
「ごめんごめん。“イルト”ちゃん、これでいい?」
「なんでそっちはちゃん付けなのよ」
1人は、青年。背はそこまで極端に高くもないのだが、身が細くひょろっとした印象を与える。世界が世界なら丸眼鏡の似合いそうな風貌だ。
1人は、少女。背は小さめ、見るからに気の強そうなつり目が記憶に残る。運動神経良し、頭の出来そこそこ、という予測もそう間違ってはいないだろう。
「とにかく。これで、私たちが“歓迎”しても良いわけね」
「まあ止めはしないけど…やっぱりやるんだ」
「当たり前よ。“歓迎”に対応できないようじゃ、どうせ城には入れない。酷い目見る前に止めてあげるの」
「ま、一理あるけどね。…それだけ?」
「…それだけよ。じゃ、私は準備あるし、もう行くわね」
「はいはい。くれぐれも気をつけてなー」
それ以上口を開こうとせず、少女、イルトは部屋から立ち去る。心持ち勢いよく閉まった扉をぼんやり視界に収め、青年はため息をついた。
「今までこそ、まあ日本人らしく逃げてくれたけど…」
1刻ほど前に声を掛けた4人組を思い出す。1人は、まあ服装こそ微妙だったが比較的常識人。もう1人は、恐らくこの世界へ来て長い、一種のベテラン。そして残り2人は…
「あれ、本当に俺と同郷なのかな…」
近づいた瞬間向けられた、獣の如き殺気。そして冷徹なまでにこちらを見極めようとする、何だろう、冷気、か。昔一度だけ会ったことのある“その筋の人”を彷彿とさせる人間だった。相手が少年と女性でなければ、確実にそういう出自と考えただろう。
「辰那…あんまり、深追いしてくれるなよ…?」
彼に陰る不安の吐露は、本人以外の耳を経ること無く宙へと消えた。