第肆拾玖話 無視結実・みすでぃれくしょん
全神経が動員される。相対する者の、いかなる微小な変化すら見逃さない。
たった今の差し合い、結果のみを見ればアディルの完勝だ。彼に一切の傷は無く、相手の左腕がこの戦闘中に再使用される見込みは薄い。そして勿論、今更この程度で油断するほど、アディルはあの箒の少年、トモハネと名乗ったあの少年を軽く見てはいない。
「…ふぃー、焦った。が、まあ、残念だったな。結果はこの通りだ」
「いてて…。ま、いっか」
「切り替え早くてよろしい」
これで終わりということは、無い。アディルは心中で言い切る。少年の目に諦念の影も無く、むしろ一種の余裕すら感じるのだ。
…仮に危機的状況下であったとして、あの余裕は持続するような気もするが。打つ手無しにて同じ表情の彼を容易く想像できる。
「んじゃ、再開といこうぜ」
…が、しかし、だ。それにしても、少々、余裕が過ぎるのではないだろうか。疑念が、頭を掠める。
「ふふ」
「…どした」
「ところでさ。ひとつ、忘れてない?」
忘れている。何を。
「忘れ…?」
ふ、と。思い出す。
今、戦っている相手。箒の少年。自分の仲間。2対4。
気付く。自分の視野は、今、有るものを全て映しているか…?
「…くらうが良い、極光裂断!」
「んなっ!?」
轟く破裂音。空間が、真っ白に塗りつぶされる。
箒の少年は、動いていない。あれだけ注目していたのだ、それは確か。…いや、それ故に、か。
一瞬の思考期間を許され、直後、地面が消える。いや、違う、船だ。アディルが踏みしめ、戦場の片割れとなっていた船体が、消失した。
「…っ! チシイソ!」
投げ出され、自由落下を開始する自身の足下。咄嗟に作動させた風魔法は、最低限の姿勢制御をこなしてくれた。
…が、アディルの魔法にもっとも足りないもの、それは持続性。瞬間的には支えの役を全うしてくれた風圧も、彼を宙へ留めるには至らない。結局のところ、湖面への落下という結果は遅れこそすれ、内実変わらずアディルへと降りかかった。
…まあ、さらにここで水魔法による軟着水を成功させるのが、彼という人間なワケだが。すぐ近くに船の残骸と思しき板片が漂っていたのも幸運だった。
「水面走って板に着地って…どこの忍者さ」
「はぁ…はぁ…ニンジャ? なんだそりゃ?」
「魔法使わずに今の君みたいな事する人」
「んな人間いてたまるか」
まあ、んな人間、に心当たりが無いわけでもないが。いやしかし、アレを人間と言っていいのだろうか…?
「…んじゃ、僕たちの勝ちってコトでいーかな? 船無くちゃどうしようも無いでしょ?」
「まあ、そうだな。元々試しが目的だ、んな深入りはしない。…だからそこ、そろそろうちの部下解放してくんない?」
ジトっと視線を向けた方では、彼の部下、チャクラム使いのルーネが溺れていた。湖面に浮いて沈んでバタついて、そりゃもう見事な溺れっぷり。
本来ならば、彼女も着衣水泳程度は軽くこなす。が、今実際溺れている。その原因は…
「…呪術・強制リバウンド…」
まあ十中八九、楽しそうに船上から魔法を行使するあの黒マントだろう。そう簡単にくたばるルーネではないが、にしたってそろそろ勘弁してやって欲しい。
「カナちゃーん、もうやめたげて。ほんとに溺れちゃう」
「…しょうがないわね…」
ようやっと解放された部下は、しばし周囲を見回した後、真っ直ぐこちらへと泳いできた。なんだかその目に雫が光った気がしたが、まあ泳いでるんだし湖水か何かだろうたぶんきっと。
バランスに気をつけつつ部下を板切れへと引き上げ、一息ついたところで箒の少年に問う。
「…オレっちとしたことが、いや全くどーかしてた。相手の人数を失念するなんてなぁ。そう思うだろ、少年」
勝敗を決定付けた一撃、アレは白衣のやつの仕業だろう。だろう、というのは見ていなかったから。そう、アディルは、部下の戦闘から完全に意識を外してしまっていた。
「そっちの女の人に任せてたんでしょ? んじゃしょーがない」
「にしたって、だ。そこまでそっちに注目するこたなかったわなぁ。な、少年」
「…なんで僕に振るのさ」
そりゃまあ諸悪の根元に対する意趣返し、だろうか。終わって振り返れば至極単純。少年の行動は全て、白衣の青年による最後の一撃をフォローするものだった。
偶に挟んだ挑発、執拗と言える近接戦闘、思えばアリアの名を出したことだって、アディルの目を箒少年へと固定するべく取られた方策。手始めの衝撃波も、“船を狙えば防御するのか否か”の確認に過ぎなかった、と。まあ撃ち込んだ本人は沈没狙いだったようだが。
アディルの思考の中で、一見気紛れでしかなかった動きが、全て意味を持って結び付く。
「しかし、とんでもないのが居たもんだ」
「褒めても何にも出ないよー」
「そりゃ残念」
意味無く会話する内、彼らの船が接近してきた。相手が相手なら、ここから逃げの一手を模索するところ。まあ、今回に限りその必要も無いだろう。
「何をしている双羽。とっとと乗らんと置いていくぞ。と言うより運転代われ」
「…僕のが速いんだけどねー」
「安心しなさい。その時はしっかり撃ち落としてあげるから」
「早急に乗り込ませていただきまーす」
…しかしまあ、珍しいこともあるものだ。そもそも来訪者が複数でもって結託すること自体、そう多くはないが。
「じゃねー、えと…アディっち! んじゃ、しゅっぱーつ!」
「妙な呼び名付けるな」
だが彼らは、そんな損得勘定による繋がりでは無いのだろう。この殺伐とした世界で、それがどれだけ価値あるモノか。
「…双羽のアレって、何なの…?」
「“強敵”と書いて“トモ”と読む、みたいな感じじゃない? 一種の親愛表現」
「ならアレか、俺は強敵か、親愛か」
「そーいえばアタシには無いわねぇ。なんでかしら」
「…朝美さんは…凶敵?」
「今なんか妙なニュアンス感じたわねぇ、夕依ちゃん?」
「…ごめんなさい」
静かに、とはちょっと言えない様相で、彼らは去っていった。ゴールはまだまだ遥かに遠いが、せいぜい旅の安全でも祈っておいてやろう。
「ま、頑張れや」
遠く小さく霞む船影を眺めながら、アディルは独りごちるのであった。
「ところで主、ひとつ気になることがあるのですが」
「何だ、ルーネ」
「…どのようにして、ここから帰還するのです?」
「…そりゃ、あれだな」
「あれ、とは?」
「…漕ぐか」
とりあえず、祈り内容を自分の身の安全に切り替えるアディルであった。