第肆拾陸話 逆巻渦柱・ゆくてを ふさぐは うず ひとつ
両手に持った“防”符を短剣の如く用い、飛来する空気塊やら何やらを打ち落とす。攻撃に隙があれば、容赦無く“爆”符あたりを投げ込む。途中紙の札を無効化しようと水塊を飛ばしてきたこともあったが、無駄を悟ったのかすぐ空気砲に戻してきた。
「固いなぁ、お前! こんだけやって無傷ってどうだよ!?」
「防御には自信があるのでな! 貴様こそ、そろそろ弾切れしてはどうだ!?」
「残念でしたー、空気がある限り弾は切れねーよ! んだからそろそろいい加減諦めてバテろ!」
「申し訳無いが燃費は良い方なのでな!」
事実、相手の空気弾に対しこちらは紙の札を触れさせるだけで良いのだ。防符やら爆符のストックは十分、体力勝負でならばこちらに分がある。ただしこの有利は、あくまで攻撃と防御どちらへの比重が大きいかという問題に過ぎない。華月の爆符がことごとく途中撃墜されている以上、総じて見れば5分の勝負だろう。しばらく決着がつきそうにもない。
…と、ここで朝美と夕依が話し掛けてくる。それを見たYシャツ男、自分の船を見回し驚いた表情を見せた。
「おいおい、リーダーやられてんじゃないですか。…って、ペルサンどうした。喋れない!? なんじゃそりゃ!」
「そちらの残りは一人のようだな、どうする?」
「いやいやこっちにゃまだイェインさん…あ、運転忙しい。そうですか。…え、3対1とかしないよね?」
「…いやまあそれも有りだがな。前方を見てみろ」
もとより無粋な袋叩きなどする気は無い。が、仮にその気があったとしても、まずはあの水柱をどうにかしてからだろう。
ちょっとそのまま突っ込むのは気が引ける程度の竜巻(水製)が、いつの間にやら2隻の行く手を完全に塞いでいた。さっきまでそんなもの無かったのは確かだ、恐らくはつい今し方発生したものだろう。幅こそせいぜい10メートル程度だが、空を仰げば高層ビルの如き威容、遙か上空で霧散する水流が見て取れる。
「…もう、この湖早く出たい…」
「どっちにしろ、アレは自前でなんとかしなくちゃねぇ」
相手方は半数無力化されている。対処するのはこちらの役目だ。
「あらー、渦柱じゃないですかやだー。うち、アレどうにかできる人員残ってないですよ?」
「だからこちらでどうにかすると言っている。…それまでに俺をどうにかして見せろ」
「それ悪役のセリフだって。…ま、確かにこうなりゃ勝ち負け関係無いよなー。んじゃ、やってやら!」
いうなり懐からもう一本棒を取り出す。今までは体勢こそ野球のそれだったが、こうなるともうただのチャンバラ2刀流だ。フォームもくそもない。
「くらえぃ! 殺人、2000本ノック!!」
ただし、見栄えこそ悪いが、手数は単純に2倍。ほとんど空気の壁と言っても良い気弾の群がこちらへ押し寄せて来る。単なる壁なら逸符でも当てれば終いだが、実質小弾の集合であるから質が悪い。おかげで、こちらもある程度全力でもって迎撃せざるを得なくなる。
「散れ、防符! 追加で、逸らせ、逸符!」
半数は純粋に受け止め、残りは逸らし互いに干渉、衝突させることで無効化。現状華月にきれる手札の内最も堅い防御策だが、札の枚数的には2割減の省エネモードだ。その分を反撃にまわす。
「お返しだ。…縛れ、“縛”符!」
「単発は効かねーよっ!」
案の定、きれいなピッチャー返しコースへと札は打ち返される。縛符は紙の札とは思えない速度と軌跡でもって華月の額をかすめ、そのまま彼方へと飛んでいった。…Yシャツ男の得物一本と共に。
「んなっ!?」
「しっかり持っていないからだ。自業自得、というやつだな」
「どー考えてもあんたが何か仕込んだせいだろうよ! んでなきゃ木の棒があんな簡単にすっぽ抜けるか!」
タネは単純。木の棒に触れた瞬間縛符が発動し、棒と一体化したところをYシャツ男の能力でそのまま吹っ飛んだわけだ。やはり自業自得である。
「…さて、ところでここに先と同様の札が十数枚あるわけだ。今から全部投げつける。…何とかしてみろ」
「もうホント悪役だなお前! やってやるよ!」
「心意気は十分、と。…“縛”れ、縛吹雪!」
華月の手より放たれた、まさに紙の吹雪。吸い寄せられるように一点へと吹き込むソレに、再び一本だけとなった得物を構え、Yシャツ男は勇敢に立ち向かった。
……
「男ってアホねぇ」
「朝美さん…もうちょっと、オブラート…」
「男ってアホばっかねぇ」
「……」
相変わらずどストレートである。まあ、『やり切ったぜ!』な表情で倒れるお札まみれを見れば大抵似たような感想は出ると思うが。
ようやっとついた決着から視線を外し、夕依は前方、船の進路を塞ぐ物体、と言うか現象を見据えた。渦柱というらしいその巨大な水柱は、しかし大きいと言えこの広い湖面で避ける隙間も無いほどのものではない。その上で渦柱が圧倒的な存在感を振りまく背景には、無視できぬもうひとつの厄介な現象がある。
「しっかし、きれいに引き込んでいくわねぇ」
「…あ、また一隻…」
夕依たちの乗る船より遙か先を行っていた小型船一隻が、明らかに舳先とは違う方向へと流されてゆく。必死の操舵空しく横滑りした船は、勢いそのまま渦柱へと衝突。次の瞬間、木製の船体は予想違わず木っ端微塵に吹き飛んだ。数十秒遅れで同じ進路を取る身としては、あんまり直視したくない光景である。
「なんか見覚えあると思ったけど、アレ、掃除機みたいねぇ」
「…それだと、私たち、ゴミなんだけど」
渦柱の最も厄介な性質、それは尋常ならざる吸引力だろう。まだそれなりの距離はあるはずのだが、双羽からは既にほとんど舵がきかないと報告を受けている。他にもレース参加者と思しき船が多数渦柱との距離を縮めていた。
とっとと何とかしたいところではあるが、いかんせん距離があるためろくに手出しできない。その結果がこの一連の無駄会話である。
「…ふむ。俺はてっきり、こちらの始末がつく頃には問題無く進めているものと思っていたのだがな。役に立たん」
いつの間にやら華月もこちらへ来たようだ。平常通りのヒドい言い様だが、平常通り本心からの悪意ではない。そりゃまあ、この距離からあの規模の自然災害何とか出来る存在を人とは呼ばないだろう。
「一回この距離から一発撃ち込んだけど、流石に距離がありすぎてねぇ。表面削れただけだったのよ」
「…削れた、か」
…まあ、確実に常人から片足はみ出た存在がここにいるわけだが。いや、魔法なんぞ使える時点で“常”の字の外れることを考えるに、ほぼ両足共人外だ。
「しかし、なるほど。金峰がさほど慌てていないわけだ」
「…朝美さん見てたら、その内、なんとかなりそうな気がするわよ」
「だろうな」
人数を増やして無駄話をする間にも、船は渦柱へと順調に接近している。近づくにつれひどくなる流水の轟音と、たまに混じる破砕音。この段に至り、3人はやっとこさ目前の自然災害を直視した。
「さて、俺たちはこれをくい止めようとしているわけだが。どうする?」
「どうする、って…一斉に、攻撃でもすると思ってたけど…」
「馬鹿か、バラバラに水の塊殴ったところで意味など無いぞ。…こういった回転力を持った現象の原因というやつは、大抵その中心、かつ根本部分にあるものだ。そこに一点集中で衝撃を与える。そのためにも連携を考えんとな」
そんな重要な話題をこのタイミングで提供してくることには異論アリだが、内容自体には納得だ。夕依は放つ寸前だった魔法を解除した。今華月の口を封じる意味も無い。
「で、具体的にはどうするワケよ」
「まず金峰、あの水流の勢いを出来る限り緩めてくれ。正面だけで構わん」
「…無茶言うわね。…分かったわよ。何とか、やってみる」
金縛り…は流石に無理か。竜巻を身ひとつで止めるに等しい。他の手札を思い描き、目的に添った魔法を選出する。
「次に、俺の用意した集符。コイツに朝美の斬撃をのせる。射程などは度外視で良い、可能な限り破壊力の大きいヤツを頼むぞ」
「まっかせなさいな」
「最後だが…双羽! 聞こえているか?」
「はいはーい。どーせ舵きかなくてヒマだったし、バッチリ聞いてたよー」
操舵室から顔を覗かせての返答。位置的に舵から手を離しているようだが、まあ操舵不能な現状を省みればしょうがないか。
「双羽は箒でこの集符をあの渦の中心まで運んでくれ。タイミングを見て俺が集符を解放する」
「なるほどねー、りょーかい」
各々割り振られた作業を準備する。とは言え全員揃って前準備の不要な魔法の使い手、やることはさほど多くない。
「“集”え、集符! …よし。頼んだぞ、朝美」
「いくわよー、せぇいやっ!」
烈昂の気合いを伴い、朝美の全身より放射される高密度の斬撃の群。それらは漏れなく華月の取り出した一枚の札へと流れ込む。一瞬の後、余剰の斬撃を周囲に軽く迸らせつつも、その札は驚異的な破壊力の大部分をその内へと封じた。
「…っ、金峰、双羽、やれ!」
「偉そうに命じないで。…呪術・三半大回転」
本来ならば生物の方向感覚や平衡感覚に作用する呪術、これを夕依は自然現象へ向けて放つ。自然の摂理に従い整然と逆巻いていた水流は、その進むべき“方向”を見失い、乱れぶつかり局所的にその勢いを失った。
無論、続々と補充される水流はその空白地帯諸共押し流し、強制的に元の形へと戻ろうとする。その力は強く、水流の勢いが殺された時間は僅か数秒に満たない。
「そこだね、れっつごー!」
しかし、その数舜で十分。往くべき道筋を見定めた双羽の箒は、華月の手にあった札を柄先に引っかけ急発進。銀の残像が尾を引き、瞬きの間に夕依の空けた穴へと飛び込む。直後、眼前の水柱は渦としての形を取り戻した。
体感では数倍となる極々短い時間、その場を支配したのは息を呑む沈黙。続いて、鼓膜を吹き飛ばさんばかりの炸裂音。不自然に水柱の根本が膨らみ、一瞬の後には空間ごと切り取ったかの如き半球状の空白が取って代わる。
衝撃で散った湖面を埋めようと再び中央へと集まる水流が生まれるが、それは継続的に船を地獄へと引き込むものではない。湖面は久方ぶりに水平となり、そこには水の揺らめき以上の流れは存在しなかった。
「…ぶはー、助かった! もーちょいで湖の藻屑だったぜ」
「本来ならば、貴様の助力ですら仰ぎたいところだったのだがな」
「いやいや、誰かさんに得物ぶっ飛ばされてなきゃ協力してましたよ? そりゃぁもう、喜んで」
早速船間で身を乗り出しての応酬を始めたあの2人。彼らのように言葉として発すること無くとも、夕依だって同様の安堵を感じていた。当面の危機は去ったのだ。
で、危機が去ったとなれば、残るは当初の目的。
「トーマ、顔引っ込めて! 船動かすから!」
「僕たちも出発するよー、だから華月君、手を出さない札も取り出さない」
「…ちっ」
「おーいこら、そこで舌打ちとはどーいう意味でぶらっ!?」
忠告を無視して舌噛んだYシャツ男を乗せ、あちらの船は急発進。負けじと双羽もエンジン(仮)をふかし、追走する。
「さて、アタシに着いて来れるかな!?」
「負けないよ! …ま、さっき併走してたけど」
「あんた顔に似合わず口悪いね!」
渦柱の恩恵で周囲に船影は無く、レースは局所的に1対1の様相を呈する。抜きつ抜かれつ、お互いの船員も敢えて手は出さない。純粋な船足での順位争いだ。
確かに順位は最大の目的ではないが、無理せぬ範囲で上位は狙っていく。レースというものに参加する以上、これが最低限の礼儀というヤツだろう。
「あんた顔に似合わず中々やるじゃない!」
「君も顔ネタ多用ってキャラに似合わず以下省略!」
「ほんっと口は悪いね!」
「誉め言葉をありがと! ま、そこの白衣の人には負けるけどさ!」
「…何故そこでナチュラルに俺が貶されねばならん」
軽口を叩き合いつつ、小渦を避け、岩礁の間を突破。間欠泉もどきの噴出を的確に利用し、襲い来る巨大魚を蹴散らす。銃弾のような雨粒を防ぎかい潜り、数多の幻影の包囲する真っ白な霧靄を抜けた、その先に。
「とわっ!?」
「えっ!?」
気がついたのは、双羽が一瞬先。両船の運命を分けたのも、この一瞬。
それは不可視だが、しかし湖面を割ることでその存在を主張する。片船は掠める軌道で、もう片船はその中央へ。
獲物を内に捉え、ソレは湖面を窪ませるのみであった内包する力を外へと向けた。
「おい、何だコイツは!?」
「っ、防げペルサ…」
「…チシイソ」
微かに響く音は、氷使いの彼が呪言を言い切るより遙かに早く、その驚異を顕現させた。
強烈な暴風が湖水を巻き上げ、双羽たちの乗る船を大きく押し流す。後、水流は反転し中央へ。反動により、無惨に砕け散った船の残骸が水柱と共に宙を舞う。
…ここまで、霧を抜けて僅かコンマ数秒の出来事。
「…おい、何だ今のは」
「…攻撃…どこから…?」
何かが飛来したようには見えなかった。ただ、湖面が急に爆ぜたのだ。
奇襲に次ぐ二の太刀を警戒する夕依たちだったが、それは徒労に終わる。次いだのは更なる一撃ではなく、賞賛を含む声。
「ほっほう、よく避けたなぁ。ま、半分はしっかり仕留めたんだ、問題無ぇだろ」
どうやら初めから、全力でもって沈める予定ではなかったらしい。霧の陰から現れた男の目には、こちらを値踏みするような光が灯っていた。
「んだがしかし、コレでお仕舞いと見逃すわけにもいかねぇ。俺っちが怒られちまう」
…男の口が再び開く。発されるのは、戦闘の再開を示す言葉。
「…程良く適度に、沈んでもらうぜ…?」