第肆拾伍話 並走接敵・ならんで そって やりあって
互いの顔が記憶に残る程度に確認できる距離になり、まず真っ先に飛び出したモノ。それは、人だった。
「っしゃぁらぁっ!」
「あら、威勢が良いわねぇ」
「…いや待てそれはおかしい」
思わずといった風な華月のツッコミなんぞ屁ともせず、いかにもスポーツマンなナイスガイが宙を飛び、こちらの船へと着地。そのままの勢いで大きく右腕を引き絞り、船体へと叩きつけ…
「っせい!」
「ごっふぁ!!?」
…ようとしたあたりで、蒼白い塊にぶっ飛ばされてのご返却と相成った。この間まさに数秒。その後の両船をしばし包んだ静寂の方が、どちらかと言えば長かった。向こうの船も同様の沈黙状態であることから見るに、熱男の独断突撃だったようだ。
「…今、船…動いてる、わよね…?」
「ああ、見ての通りな。レースを放棄したわけではない、それなりの速度でもって前進している、はず、だ」
前を見れば、波を割る舳先。間違いなく船はかなりの速度で航行中。そんな中飛び込んできたアイツは、バカなのか…いや馬鹿なのか。どちらにせよ脳細胞の数はそれほど多くなさそうである。
「…まあいい、ある意味奇襲を防いだわけだ。そうポジティブに捉えようではないか。…ところで夕依、手っ取り早く船を止めたりはできんのだな?」
「んじゃ、行ってくるわねぇ」
「…船は止まっても…水は、止まらないから」
「よし、ならば舵を直接狙い撃ちだ。それくらいならば気づかれな…ちょっと待て、今飛び出して行ったヤツ!」
「…朝美さん!?」
あまりにさりげない行ってきます宣言だったため、夕依も華月も一瞬完全にスルーしてしまった。その隙を突いた(?)朝美、先のお返しとばかり宙を飛び相対する船へ。右足に斬撃セット完了、着地し次第船体を砕き割る構えだ。…が。
「いくら何でも、同じ手は通じませんよ。…サカウラシモナヒウノイェシケヤハアシコト」
「っとと」
あちらには経験というアドバンテージが存在した。朝美はその身を相手の船へ触れさせることなく、空中へ突如出現した氷の壁に阻まれ落下する。そこでとっさに用意していた右足の一撃を水面へ叩きつけ、水没を免れたのは流石朝美と言えるだろう。しかし、船は加速力をもって前進中。慣性に従う彼女の身は、あと少し、こちらの船へ届かない。
「まずい、双羽、止め…」
「よっ、と。ただいま」
「…お、おう」
そんな姉の危機に対し、双羽は素早かった。瞬きの間に銀閃が朝美を回収。華月の制止が終わるより先、箒は彼女を元居た船へと届けていた。なお、操舵室から後方は見えない仕様である。
「おいこらなんだ、来るなら正々堂々と来いっ! 正々堂々返り討ちにしてやるぜっ!」
「…撃ち落としたのはそちらだろう」
「ああすみません、コイツの言動がおかしいのはいつものことなんで。お気になさらず」
「こらてめぇ、リーダーをコイツ呼ばわりか!?」
「ああすみません、この人言動おかしいです。お気になさらず」
「なら良し!」
…今のやりとりで、大体あちらのメンバー構成、というかメンバー間の関係は把握できた気がする。少なくとも、リーダーと名乗ったあの熱男がバカもしくはアホの類であることは身に染みて理解した。
「いやホント、大丈夫かねこの人。つーかこんなのにリーダー任せてる俺たち。そこんとこどう思いますかリーダーの彼女…」
「黙れ。今集中してるから」
「わぉ、さっきより大分言葉がキツい短い。…あ、いや調子乗ってごめんなさい」
あとは操舵室に女性が一人、それとあのYシャツ男。よくよく考えるとあのYシャツという服装、おかしい。この世界にも似たような服が存在するため、ぱっと見違和感は無いのだが。もしかして…
「さて、次もこちらからいかせてもらいましょう。トーマ!」
「えー、俺が攻撃?」
「牽制には一番向いています。というか文句言わずにとっとと働け」
「ですよねー」
お次は件のYシャツ男が何か仕掛けてくるようだ。対して夕依も身構えるが、華月が動き出しているのを見て一旦待つことにした。4人の中で最も防御に優れるのは彼である。
「…んじゃま、いきますか。喰らえ、地獄の千本ノック!」
その間にYシャツ男は木の棒を構え、何も無い空間を思い切り振り抜いていた。野球にほとんど興味の無い夕依にだって分かる、見事なスイング。しかもそれは、単なる素振りではなかった。振り抜いたのは、決して何も無い空間ではない。
「…っ、空気砲か! “防”げ、防符!」
迫り来る目に見えぬ砲撃を華月の札が撃ち落とす。その枚数から見るに、朝美の斬撃より大分マシな威力のようだ。
「やっぱ防がれるよなー。ところがどっこい、こちとら“千本”ノックだっての!」
「くっく、千本でも万本でも来たまえ。その程度の攻撃、一つ残らず撃墜してくれる!」
何かこう今の遣り取りが心のどっかの琴線にでも触れたのか、そのまま砲撃戦を開始する華月とYシャツ男。見れば夕依を挟んで反対側では、いつの間にやら砲撃する朝美v.s.それを拳で相殺する熱男の構図が展開されていた。さらに、ある意味レースとしては向こうの操舵士v.s.双羽の図式が成立しているわけで。いつの間にやらこの戦闘、各個人戦の様相である。
「…となると、アレ止めるのは私よね。…呪術・強制リバウンド」
二隻の船の間、そこに薄く、しかし強靱に組まれた氷の刃群は自重でもって敢え無く水没した。水面下からの奇襲攻撃、向こうも同じく一人余っていた氷使いの仕業だろう。
「よく察知しましたね」
「…暇だったから」
湖面と同化して見えそうな色だったのだが、全く見えないわけでもない。一人暇だったのでよく観察していた、ただそれだけのことである。
「他の人も各々忙しそうですし…こちらはこちらでやりましょう。まさか、非戦闘員だ、とか言いませんよね?」
「…残念ながら、違うわね」
とは言うものの、単独戦闘は夕依の得意とするところでない。しかし現状、特に困ってもいない。それは何故か。
「行きますか。サカウラリウ…」
「…呪術・口パッチン」
「…ナヒウノっ…!? …!!」
「…ごめん、ちょっと口閉じてて…」
…戦闘には、いや勝負事全般において、相性、というものがある。倒すことは苦手だが、相手を阻害することにかけては一級品。即応性の低いこちらの世界の“普通の”魔法使いは、そんな夕依の魔法が最も得意とする相手だった。金縛りで動きを封じるも良し、もっと楽に今の如く口を封じるも良し。発動速度の差は、それのみで勝負を決める要因となるのである。
また、彼女に勝負を楽しむ心持ちなど一切無い。とにかく状況を収束させることのみに心を注ぐ。故に、余りに早く、呆気なく、ここにひとつの戦闘が決着したのであった。
…
単純な曲線を描き飛来する蒼白い閃光を、籠手に仕込んだ魔法によって迎撃、相殺する。言葉にしてしまえば単純だが、言うほど簡単な技術ではない。
「よぉっそいっ! まだまだ余裕だぜっ!」
…が、今ここで件の技を披露している張本人が、んなこと全く理解していないわけで。“できる”と“分かる”の良い対比例である。ある意味天才とも言えるだろう。
「んー、そう? まぁそろそろ一方的なのも飽きたし、そっちから来てくれないかしらねぇ」
「おーそうかそうか、それがお望みってなら、やってやるぜっ!」
そしてまたこんな挑発にかかる程度の馬鹿である。全く、何とやらと紙一重とはよく言ったものだ。こちとら紙一枚挟む隙間も無いが。
表面上は同じテンションで応酬しつつ、朝美はじっくり次の手を見る。今までのやり合いから推察するに、身体能力そこそこに高い技術ののったタイプだ。顔と雰囲気に似合わぬ技巧派というわけである。
「よーし見てろ…」
「んん? へぇ、そんなのもできるのねぇ」
何かの予備動作か、両の腕につけた金属製の小手を打ち鳴らす。しかしそこから散るのは火花でなく、小爆発。恐らく爆発によって膨張した空気を一瞬遅く爆発させているのだろう。その現象から導き出される次の手は…
「…必殺! 爆裂砲!」
「まんまじゃないの」
殴りつけた空間を起点に、まるで蛇の如き爆発の連鎖が伸びてきた。大した速度ではないが、避ければ勿論船が傷つく。それにまあ、元より逃げるつもりは無い。
「よっ、と」
右手に斬撃を発生させ、収束。閃光を纏ったまま脇へ引き絞り、船の揺れは膝で受け止め、上体を安定させる。スローモーションになった視界に、寸前へと迫る爆発の列が映る。狙うは爆発そのものではなく、その衝撃によって前へと押し出された空気。一瞬の後、何も無かった空間がわずかに収縮、次いで膨張を始め…
「はぁぁ、せぇいっ!!」
…外へまき散らされた衝撃波は、対して打ち出された右拳と一瞬拮抗、後霧散した。そのままいくつかの小爆発が周囲へ散るが、まあ既に危険なものではない。
「あっぶないわねぇ。そんなの当たったら船沈んじゃうじゃないの」
「おいおい、さっきから似たようなもんバンバン撃ち込んでるヤツの台詞かよ」
「ご愁傷様」
「お悔やみはまだ早ええぜっ!」
意外と皮肉に対する反応は良好だった。普段から言われ慣れているのかもしれない。
「次はコイツだ。必殺! 爆裂散弾砲!!」
「相変わらずまんまねぇ」
名の通り、先より小型ながら複数同時に着弾する軌道でもって爆発の列群がこちらへ迫ってくる。少なくとも、先程のように殴り落とすのは物理的に不可能な量の爆撃。夕依あたりならば、とりあえず船は見捨てて自己の安全を図らざるを得ないに違いない。
「まぁ、甘いのよねぇ」
…しかし、朝美に対する攻撃手段として、物量作戦は下の下。無論その量が桁違いならば話は変わる。ところがどっこい、威力を落としてまでのせいぜい2桁に留まる攻撃なんぞ、彼女の進路を阻むモノとは一切成り得ないのだ。
「っし!」
気合い一閃、朝美含めた広範囲へ殺到していた爆撃を蒼光が押し返す。体の周囲に留めていた斬撃を、自分中心に解き放ったのだ。朝美の操る斬撃は細かい制動が利かないが、代わりとばかり有り余るその破壊力を生かしたこういう使い方も可能なのである。
「ちっ、防ぎやがったか!」
「その程度じゃあ、傷ひとつつかないわねぇ」
「うるせぇ、もう一発食らえ! 必殺! 爆裂散弾砲!!」
馬鹿のひとつ覚え、とはこういう事態を指すのだろう。
「それはさっき見たってのよ! せぇいやっ!!」
先と同じく右手に斬撃を収束、同じく体幹を利用し、高速でもって撃ち出す。先と異なるのは、そこで収束を一部解放したこと。拳の前面のみ斬撃の拘束を解けば、小さな穴から吹き出る空気の如く閃光が迸る。
「んな、がぁっ!!?」
蒼光の槍は進路上の爆撃を蹴散らし、技を放った直後で体勢を崩す男を穿った。勢いはそれで止まることなく、その先の船壁にギリギリ沈まぬ程度の大穴を空け、小さな船体を大きく揺らす。
ふ、と息を吐き、朝美は残心を解いた。
「熱血漢は好きだけどねぇ。頭使わないのと熱いのとは違うわよ? しばらく寝てなさいな」
派手に吹き飛んだが、急所はしっかり外したはずだ。吹き飛んだということは傷も深くない。見るからに頑丈そうなヤツだったことだし、今のでくたばったということは無いだろう。操者の気力が尽きたためか、連鎖していた爆発も船の手前でおさまっていた。
少し意識のモードを落ち着け、再度ゆっくり息を吐く。決して弱い相手ではなかった。何だかんだで大技を連発し、それなりに体力を消耗したのだ。そもそも遠距離戦は朝美の得手とするところではない。
「…朝美さん、終わった?」
「あら夕依ちゃん。終わったわよ。そっちはそっちで一仕事してくれてたみたいねぇ」
見れば慌てた様子で爆発男に駆け寄るひょろ男が一人。少し離れたところでは嬉々として遠距離攻撃の撃ち合いをしている華月とYシャツ男。人数配分的に、あのひょろ男は夕依が相手していたのだろう。
「んでま、双羽は運転中、と」
「…大田宮、手伝い欲しい?」
「くっく…効かんなぁ。“防”げ、防符! …ああ、要らんぞ」
変なスイッチが入っているため聞いていないかと思いきや、しっかり冷静な返答が返ってくる。特に問題も無さそうだ。それならば…
「じゃ、アタシと夕依ちゃんはアレ何とかしてくるわねぇ」
「…はぁ、やっと休憩…ぇ?」
レースだ何だというから忘れていたが、ここは湖。彼らが遭難し、超常現象と戦い続けた、あの湖と続きの場所だ。…よーするに、似たようなことが起きたって何も不思議は無いわけであって。
「見事な竜巻ねぇ。や、風じゃないし、水巻かしら?」
「…どっちでもいい…」
船の進行方向前方に突如出現した“好敵手”を前に、朝美は不敵に笑うのであった。