第肆拾弐話 漸辿終道・そうして みえた さきゆきは
旅人の街、と呼ばれる巨大な都市が、カーテナウィウキ島東部に存在する。メウェノンという名のその街はとにかく人口が多いことで有名な大都市なのだが、今その人口はこの島の実に約半数を越えていた。もちろんいくら大きい街だといっても、普段からこれだけ人口比率を独占していたりはしない。名こそ島とはいうものの、カーテナウィウキ島は四国だとか恐らくその程度の面積は持っているのだ。
そんな街が島中の人口を独占するその理由が、今夕依の目の前にあった。
「レースだってさ!」
「…知ってるけど」
双羽が誇らしげに掲げるビラ。何でも町中で配っていたのだとか。まだこの街へ到着して1刻も経っていないだろうに、全く手の早いことで。夕依なんか、人口密度に釣られて増加したスリの類に気をつけるので精一杯だった。
「終着点は、クニウキ島…ゲィヌシン、と。ふむ、予定通りだな」
で、何故彼らがこの街へ来たのか。その理由が、件のレースである。100日に1回開催されるこの船舶レース、華月の台詞の通り、なんとゴールがゲィヌシンその場所なのだ。ニテイフキでこの先のルートを色々と考えていた頃、街の人から話を聞いたことによって存在が判明した。思ったより目的地は目の前だったわけである。
「さて、と。レースまであと5日ぐらいだし、まずは宿探しねぇ」
「この時期港近くは埋まってるから、西の方の宿当たった方が良いってさ。ちょっと治安悪いから気をつけないとダメらしいけど」
「…いつになく情報が早いな、双羽」
「だってニテイフキ出る前に調べといたもん」
「…じゃあ早く言いなさいよ。もう港着いたじゃない。ここ、東の端なんだけど…」
「だよねー。…うん、ゴメン。忘れてた」
繰り返すようだが、ここはカーテナウィウキ島最大級の都市。広さにしたってニテイフキとそんなに変わらない。東側が湖岸に沿っているため縦長気味ではあるものの、歩いての横断はそれなりに面倒な作業である。
「んじゃあ先に船借りとかない? 個人で持ってない人には有料で貸し出すそうよ」
「ふむ…5日間も借り続けられるのか? それとも予約という形になる、と?」
「…貸し出し予約受付…って、ここに書いてあるわよ」
ここにきて双羽のビラが役に立った。持って来た本人は情報提供を怠った前科があるので、これでイーブンだ。
「むしろ早く借りとかないと船無くなっちゃうかもねー」
「それは困るな。よし、とりあえず借りに行くか」
なだらかな坂を下り、潮風の吹き抜ける水産物通りを過ぎる。適当に買い食いしつつ雑多な道を抜ければ、そこには見渡す限りの水平線。…が。
「…うーむ」
「……」
「なんだか、ねぇ」
「雄大な光景、ってやつなんだけどさー」
4人の反応は煮え切らない。それもそのはず、ついこの間漂流遭難の旅を経験したところなのだ。見渡す限りの水平線にも食傷気味である。
「…いや、こんなところで呆けていても仕方ないな。とりあえず貸し出しの行われている場所を探すか」
「やっぱりそーいうのって大会事務所じゃない? 場所ならここに書いてあるよ」
「ふーん、ココがココでしょ。ってことは、もーちょい南みたいねぇ。んじゃ、行きましょっか」
方角としては多少逆走する形だが、まあ大雑把な位置情報頼りの行動だ。このくらいはしょうがない。
街の入り口に設置されていた地図の記憶とビラの地図とを照らし合わせ、一行は湖岸を下って行く。
…今までにこの世界で訪れた中で最大規模の港、と言えばユヒナ港だ。あれでもかなり大規模だと感じたものだが、ここの港は規模が違う。前者は中世ファンタジーな世界にしては大規模、という程度。対してメウェノンの港は泊まる船こそ木製中心だが、広さや船舶数、何より船のサイズは現代日本の工業港に比べたって遜色無いレベルである。
「うわ、船たくさん…」
「圧巻ねぇ」
タンカーのごとき木造船が舳先を並べる光景は、少々筆舌に尽くしがたいものがある。全長にすれば、ユヒナから乗り込んだ客船の倍もあるのではないか。その数、ざっと見ただけで30は下らない。この辺りは大型船の停泊地なのだろう。内いくつかは荷揚げ作業中らしく、所々で屈強な男の集団ができあがっていた。
「ここ一帯のは貨物船だろうな。貸し出し対象船は…小型艇、と。あのくらいの物か?」
華月の示す先には、軽いモーターボート大の船が係留されていた。どれも同じ配色で塗装され、一様に岸へと繋ぎ止められた一列の船舶群。よく見れば、その脇に仮設と思しき小屋も見える。地図と周囲を見比べるに、あれが船の貸し出しを行う場所だろう。だとすれば、華月の指摘はかなり的を射ていたということだ。
さらに小屋へ近づけば、ここにもまた人だかり。近くから見れば急造であることが一目瞭然な小屋は、しかしそれなりのスペースを確保している。そうでなければ溢れてしまうであろう数の人間が、今この場に集結していた。
「船を借りに来た人…にしては数が多いな」
「レースの参加申し込みもここなんじゃないの」
「それもそうか。船の貸し出しと参加受付を別に行う必要も無いからな」
一見ただの人だかりだが、よく見れば曲がりくねった列を成している。特に急ぐわけでも無し、双羽一行は列の最後尾を探し、並んだ。人こそ多いが回転は悪くないようで、それなりのペースで列は動いてゆく。
途中横入りをやらかそうとした不逞な輩を朝美が文字通り摘み出したりもしたが、概ね何の問題も無く双羽たちの順番に。受付に当たったのは、どうも海の人間には見えない細身の女性。他の受付係も大概一般人と見て取れる。それだけ、このレースが街を挙げてのイベントである、ということだろう。
「“メウェノン・ゲィヌシン共催船舶マラソン”ご参加の方ですね」
「ああ、そうだ」
「1チーム12人までとなっておりますが、何名様でのご参加ですか?」
「4人だな」
「かしこまりました、船舶の貸し出しをご希望ですか?」
「うむ、頼む」
なんでか華月が代表して答えているが、特に話し合うような内容でもないためそのまま丸投げ。実際特に問題も無く受付は無事完了し、エントリーナンバーの書かれた札を受け取る。当日これを見せれば、船の貸し出しも同時に行ってくれるとのことだ。
もちろん船を借りるのは有料だったわけだが、ここは全員が余裕を持って割り勘で支払った。一月に相当する日数みっちり働いたのだ、まだ懐はそれなりの重量を保っている。
…実のところ、双羽がこちらの世界で自由に使える金を手に入れたのは、これが初めてだったりする。ニテイフキに着くまでは、夕依と双羽とで共同の財産を持つ形になっていた。まあ、実際のところそれで何が変わるということも無いのだが。
「これでベンフィード公国、ひいては元の世界への切符が手に入ったわけだ。いやしかし、長かったな」
「まだ終わってないわよ。レースの途中で船が沈没して、とかあるかもしれないし」
「やめろ不吉な」
これが8割方全員の体験談だから困る。
「…あとは、宿探しね。…遠いけど」
「そーそ、誰かさんが大事なこと黙ってたせいでねぇ」
「もー、わざとじゃないってばー」
「…しょうもないじゃれ合いで時間を潰すな、とっとと行くぞ。これで日でも暮れてみろ、街で野宿だ」
「…それはやだね」
わざわざ人の住む場所にまで来ての宿無しは最も避けたい事態だろう。自然、4人の足は早まる。
…結局街西部へと向かった一行は、道すがら20を超える数の宿を当たったあたりでなんとか空き部屋を見つけることとなった。日も暮れた時間帯に駆け込んだ宿屋、そこの女将が掛けてくれた“空いてますよ”の一声はどんなに嬉しかったことか。まあその後、この時期は泊まる場所無くて郊外に野宿する旅人も多いんですよ、なんてぞっとしないお話なんかも聞かせられたりしたわけだが。
とにかくこうして、一度は断たれた帰還への道は再び繋がった。“メウェノン・ゲィヌシン共催船舶マラソン”開催のその日まで、あと10日である。
……
宿の確保からレースまでの数日間、4人は思い思いに時を過ごした。ニテイフキと同規模な街だけあって、やはりメウェノンにも図書館は存在する。もちろん夕依は毎日のようにそこへと入り浸っていた。双羽も2日に1回は夕依に付き合っている。ちなみに双羽が夕依と別行動をとった日は、晩飯が少し豪華だったり焦げてたりした。
朝美はニテイフキでの(文字通り)美味しい記憶が忘れられなかったのだろう、一日中どこかしらを食べ歩いていたようだ。それでも双羽の料理はしっかり平らげていたのだが。そのプロポーションが如何にして維持されているのか、是非とも聞きたいところだ。
華月に関しては何をしていたのかよく分からない。基本的に宿の部屋に引きこもっていたが、たまにどこかへ出かけてもいた。宿は男女それぞれ一部屋づつとっていたのだが、一度双羽を起こす際に見た華月のベッド周りには何かの部品が散乱していた。どうもニテイフキでの弟子入り体験が尾を引いて、ものづくりにハマってしまったらしい。結局、何を作っているのかは分からずじまいだったが。
ちなみに肝心のレースに関してだが、夕依は特にすることが無い。それ以前に運転手はどうするのかという話だが、これについては意外な人物が問題を解決していた。双羽である。何でもずっと漁師の手伝いをしていて、いつの間にか覚えてしまったのだとか。
確かに練習の機会はたくさんあっただろうが、だからといって20日やそこらで習得できる技能だろうか。…まあそこに疑問並べていてもしょうがないので、何も言わない。
「カナちゃーん、帰るよー」
「…分かった」
珍しく、眼前の文字が頭に入らない一日だった。双羽の声に顔を上げれば、確かに閉館時間が迫っているようだ。人も疎らである。
明日は件のレース。この素晴らしい施設とも今日でお別れだ。
「…双羽」
「ん、なーに?」
図書館の敷居を跨いだところで、この数日中にある場所へ行くつもりだったことを思い出した。もうじき暗くなるような時間帯ではあるが、まあまだなんとかなるだろう。
「ちょっと、寄って行きたい所が…あるんだけど…」
「僕は大丈夫だけど、どこ行くの?」
「本屋よ」
「……」
何故か返答が返ってこない。不思議に思って見てみると、双羽は真顔で瞬きを繰り返していた。これはまた珍しい表情だ。
「…あ、別に、双羽だけ先に帰ってても…」
「うん、えーと、いや、僕がついてく分にはまあ良いんだけどさ…」
「けど…?」
「や、えっとさ、カナちゃん。僕たちさっきまで何してたっけ?」
「…本を読んでたわよ」
「うん、だよねー。…なんでそこから本屋さん行くって話になるのさ」
「レースの間に読む分、買うのよ」
図書館は本を無料で読める場所。あくまで、“場所”の提供が行われているだけ。この街に長く住んでいればある程度自由に貸し出しも可能らしいが、夕依には不可能だ。ならば船上で読む本の入手は本屋での購入しかないだろう、と。
…どこにもツッコむべき論点は無いと思うのだがどうだろう。
「…あー、うん。行こっか、本屋さん」
説明の甲斐あって、双羽も納得してくれたようだ。良かった。
前々から目星を付けておいたこの街最大の本屋へと足を向ける。現在時刻は6の刻ちょっと前。地球風に言えば7時過ぎだ。日は片方落ちてそろそろ街灯の灯る暗さだが、まだまだ大きな本屋が閉まるには早い。
目指す方角が比較的明るいことを確認し、夕依の足取りも軽くなる。そんな彼女の耳へと、双羽の発した言葉がにわかに突き刺さった。
「でもさ、カナちゃん。本読んでる暇は無いかもしれないよ?」
「…え? 運転は…双羽が、するのよね…?」
「うん、まあ、そーなんだけど。カナちゃん、大会要綱ちゃんと読んだ?」
「…読んでない」
「だと思ったよ。…あのさ、カナちゃん。今度のレースね、船借りる人がとっても多いんだ」
「それが…?」
「いやこれ、おかしいんだよ。だってさ、船持ってないのに運転できる人、なんてそうそういないでしょ」
「…そうね」
確かに、そうだ。船舶レースに出場する程操船技術に自信がある輩が自分の船を持っていない、というのは不自然。無論双羽のようなイレギュラーだっているにはいるが、まず間違いなく極少数。普通に勝利を目指すならば、自前でカスタマイズした、それでもって扱い慣れた船を使うだろう。どう考えたってそっちの方が勝率は高い。
「それなら…なんで?」
「このレースね、場所によっては“水上の格闘技”なんて呼ばれたりしてるんだって」
「格闘技…」
…何だろう、少々嫌な予感がする。もしかして…
「…妨害がある、とか…?」
「ん、だいたい正解。ちゃんと言うとね、参加者同士の妨害はほぼ何でもありなんだってさ。毎年そもそもゴールできる人の方が少ない、って」
「…そういうこと…ね」
なるほど。つまり、自分の船を壊されちゃたまったものではない、と。そういうわけだ。決して安くはない一財産、たかがレースごときで使い潰せるもんじゃないだろう。
ならば確かに、本など読んでいる暇はほとんど無いに違いない。運転手以外は、自動的に他船からの妨害を防ぐ役割を負うわけだ。しかしまあ、何とも物騒なレースがあったもんである。よく思い出してみれば、1チームの人数制限などあったのもこれのためか。
「だからカナちゃん、本は…」
「…そうね」
双羽の言わんとすることは尤もだ。確かに余計な荷物など持って行ってもしょうがない。残念だが、予定していた購入冊数は大幅に減らすことにした。
「買うのは…7冊ぐらいにしておく」
「うんうん、そーだよね。本買っていったって読む暇…って、あれ、7冊?」
「…あの新刊は外せないから…あれのシリーズを削って…」
隣で双羽が何か呟いていたが、買う本の厳選を始めた夕依の耳にはもう届かない。
「…カナちゃん、元々何冊持って行くつもりだったんだろ…」
双羽の疑問は、答える者無くどこかへ消えた。