第肆拾壱話 会人去街・であって さって
少し時は戻る。
ニテイフキでの路銀稼ぎと怪我人の療養に一区切りがつき、双羽一行は街を発とうとしていた。この一月に相当する期間で、彼らは街の人間ともそれなりに親しくなっている。故に今、彼らは夜分遅くにひっそりと、抜け出すかのように街の北部へと向かっていた。
「お別れぐらい言って出たかったんだけどねぇ」
「これでも俺たちは追われる身だからな。…半分忘れていたが」
「だよねー。でも、街のみんながそれに気づいたら、って考えると…」
「…これが一番、なのよね…」
親しくなったからこそ、身の上が露見するようなことは避けたい。巧い具合に復興が続いているとはいえ、まだこの街は苦しい状況にある。精神的にも、それ以上に金銭的にも。そんな中に高額懸賞金の掛かった賞金首×4がいたわけで。…わざわざ波風立てることも無い。
それぞれがお世話になった雇い主、それと風水亭の主人にだけは出立を伝えた。無論来訪者であることは伝えていないが、向こうも何かワケアリの旅人だということには気づいているだろう。それでもそのあたり突っ込まず送り出してくれたのは助かった。ニテイフキ人の気質なのか、どうであるにせよ、有り難いことである。
「そういえばこれ、魚屋のおっちゃんが選別に、ってくれたんだけど」
「おお、香味干物か。…それなりに上等なやつではないか?」
「うん、多分」
香味干物とはニテイフキの名物、というよりは郷土料理の一種だ。近辺でとれる薬草類を配合した粉を魚に擦り込み、海水でもって漬けた後陰干しするという変わった製法にて作られる。薬草の配合比率は家庭単位で微妙に異なり、まさに故郷の味といったところか。
双羽の取り出したものは、その中でも相当手間暇掛けて漬け上げられた最高級品だった。まあ、旅道中の保存食としてはかなり高価である。それだけ双羽が周りに好かれていたということだろう。
…ちなみに双羽は、初期のテント張り業務を終えた後、ほとんど漁師と共に働いていた。それなりに肉体労働もこなしていたらしく、ちょっとばっかり逞しくなった、ような、気もする。気のせいかもしれない。
「良いわねぇ、双羽は。アタシははそんなの欲しいとも言えなかったわよ」
「まあ、朝美のいたところで何を土産にするかという話だな」
朝美は双羽同様テント張りを終えた後、その腕をかわれて治安維持業務をやっていた。復興中の不安定な街は、ゴロツキの類を呼び寄せる。テントを張る際に幾度かその身体能力を見せていた朝美は、真っ先に街の治安維持隊として声が掛かった。双羽なんかはただのお手伝いだったのだが、こちらは街直属の組織。一種の公務員だ。この地に安住するならば良い選択肢なのだろう、しかし代わりに融通が利かない。昨晩も朝美はわざわざ辞表を提出してきたのだ。よく彼女がそんなお堅いところで働けたものだと思う。
「私は、あんまり…」
「カナちゃんはねー。あんまりそんな感じじゃなかったんでしょ」
「俺のところもだ。まあこちらは職人気質というだけだったのかもしれんがな」
人との付き合いを苦手分野とする夕依にとって、他の3人のような他人とのやりとりを前提とする仕事は辛い。そんな彼女は、役場の書類復帰を手伝っていた。
特に大きな国とかいう括りも無い街単体の自治区だが、それでも重要な書類の取り扱いは慎重だ。誰か一人の勝手で書類が処理されないよう、その扱いは結構厳密にマニュアル化されていた。もちろん、これには書類紛失時の復帰作業も含まれている。“複数人が別個に同じ書類を復元し、更に第3者が確認を行う”。とまあかなり慎重な手法で、普段少し書類を紛失したときなぞはさぞその威力を発揮してくれるシステムだろう。
…問題は、今回消え去ってしまった書類が“少し”なんかじゃとても済まない量であること。あまりの分量に加えてこの人数をくうシステム。人手が全く足りず、結果外部の人間の助力が仰がれることとなった。が、しかしこの作業、文字の読解能力が必要である。時間を掛けて読んでいてもしょうがない。ある程度以上さらさら読めることが前提条件だ。ちょっとセコいが、夕依は来訪者の文字理解能力を生かしてこの仕事を得ていた。用意されたデータを纏めるだけの作業だったので、人と触れる必要も無い。その結果、雇い主に辞めることを伝えるだけの簡単な出立となったわけだが。
「大田宮は楽しそうに仕事してたわよねぇ」
「うむ。薄々感じてはいたが、俺はこういった工作仕事が性に合っているようだな」
必要最低限の道具だけ発掘して青空工房を開設していた修理屋が、ここしばらくの貴斗の職場だった。他の3人のようなアルバイトに近い雇用形態ではなく、どちらかというと弟子入りに近い。すぐ居なくなる前提だったことを考えるに、弟子体験とでも言えば近いか。
普段はおっちゃんが一人で切り盛りしている小さな修理屋だが、あらゆる物が壊れたこの事件で一気に忙しくなっていた。修理屋とは様々な日用品を無差別に扱う工務店だ。リサイクルショップのような役割も兼任している。そこで華月は雑用からちょっとした修理まで、様々な業務を手伝っていた。本来雑用のみの契約だったが、意外な才能も手伝い、最近では彼自身が扱う品物もそこそこあったという。修理屋のおっちゃんも、旅途中でさえなければ本気で弟子入りさせたい、とか何とか言っていたとか。
この短期間で街に最も馴染んだのは華月だっただろう。
「別にここに住んじゃっても良かったのよ? アタシたちは3人だろうと旅続けるだけだし」
「ここと日本との間を行き来できるのならば考えたがな。流石に俺も我が家が恋しい」
「そーねぇ」
なんとなく旅に馴染んではきたものの、訳も分からず元居た場所から放り出された状況に変わりはないのだ。なんだかんだ言って、来訪者は皆家へと帰るため旅を続けている。皆、だ。
「ん?」
ずっと下を見ながら歩いていた夕依は、急に足を止めた双羽に驚き歩みを止めた。見れば後ろを歩いていた朝美と華月もある一点へと警戒を向けている。どちらかというと夕依の注意力が散漫だっただけのようだ。
すぐ前方の瓦礫陰より姿を現した人影は2つだった。街灯もほぼ崩れ闇に包まれている街端部だが、急造の魔法式ランプが点々と地面を照らす。その光の中に現れた人物を見、一行の警戒はすっと弱まった。見覚えのある顔だったのだ。
「何もいわずに出て行くなんて非道いですよ! カツキさん!」
「…私はリアリナの付き合いだけどな。しかし一言も無いのは流石にどうかと思うよ」
「だってさ。良かったね華月くんモデェピャ!」
「余計なことを言うなアホが、舌を引っこ抜くぞ」
片や大盾を背負った長身の女性、片や丈の長い服を纏った細身の少女。2人と双羽たち一行は既に顔見知りである。この云十日間、半壊した風水亭跡が双羽たちの仮の住居だった。そこへ何度と無く訪ねてきたのが彼女たちなのだ。
「あーっ、トモハネちゃん叩いちゃダメですよ! 可哀想でしょ!」
「…うるさいな。何のために殴ったと思っている」
「えーん、(カッちんに)叩かれたー」
「…あん?」
「えー、と…(邪魔者は)退散してまーす」
「そーねぇ、んじゃ、アタシたち先行ってるわよー」
ちなみに細身の少女、即ちリアリナが華月に惚れているのはもう他全員知るところの事実だったりする。初めはこの大盾のメルアという女性も引き留めようとしていたらしいが、今や諦めの境地だ。現にこうして夕依や朝美、双羽と一緒に退散してきていた。
「はぁ…なんであんなのに引っかかったかな、リアリナも」
「運が悪かったんじゃないの? まああの娘だって幸せそうだし、良いじゃない」
「華月くんも悪い人じゃないしねー」
「…え、何この大田宮一人残る流れ…」
結果として街にいる間、このメンバーでの会話も多かった。そうでなければ、少なくとも夕依はこんなに口を開かない。あとの姉弟はどうだか知らないけれど。
「あーあ、私にも春来ないかなー」
「何ならアタシの弟貰ってく? 今ならお買い得よ」
「なんでそーなるのさ」
…メルアもリアリナも、良い人たちだ。仮にこちらが事情有り集団でなければ、この先共に旅を続けることだって考えたかもしれない。
「いや、それはよしとくよ。ユイちゃんが可哀想だ」
「…なんで、私が、そこで出てくるの」
「なんでって、ねぇ」
「めんどくさい性格だね、ユイちゃんはさ。誰かさん見習いなよ」
「……」
やぶ蛇である。それもつついてないのに出てくるとは。
これが双羽や華月であればげんなりしつつも二言三言返すのだろうが、残念夕依にそこまでの言語能力は無い。というかそもそも何故イジられてるのかが分からない。さっぱりもって、分からない。
「…にしてもさ」
「ん?」
少し、メルアの口調が変わる。
「私たちは付いて行けないんだよね」
「何? メルア本当に双羽に惚れちゃった?」
「いや、そうじゃないけどさ。リアリナが、ね」
「確かに可哀想だけど。ま、それでも連れてくわけにはいかないのよねぇ」
来訪者である以上、この世界の人間と連れ立つのは心休まらない。それに、もし仮に知られて、なおかつ敵対しなかったとする。だとしても、何に巻き込まれるか分かったものでは無いのだ。一緒に行くという選択は、無い。
「そっか。まあ、そうだよ。…来訪者、なんだったら、さ」
「…!」
「あらら」
「へー、バレてたんだ」
夕依は思わず一歩、メルアから距離を取ってしまった。それを見る彼女の視線は、少し哀しそうな色を秘めている。
「やっぱりね。ここまで他人を避けるのは、それくらいだと思ったんだ」
「…捕まえようとは、しないの?」
「アタシたちひっ捕らえりゃ、高いわよー」
「大人しく捕まるつもりも無いけどねー」
「相方が惚れてなければ考えたかもしれないけど。少なくとも今、事を荒立てる気は無いよ」
ある意味華月に感謝、なのだろうか。…とりあえず、夕依はメルアに対して警戒を向けるのをやめた。今更なのだ。
「うーん。…ありがとねー」
「いや、ま、リアリナはこのこと知らないし」
「…そうなの?」
「…カツキさんのこともあるからさ。気づいてないんなら、それで良いか、って。だから実は、こっちもついて行くわけにはいかないんだよ」
「なるほどねぇ」
そのまましばらく無言が続き、4人は歩を進めた。ふと後ろを見たが、華月とリアリナはまだギャーギャーやっている。それでも止まることなくしっかり付いてきているようだ。
「…やっぱり、一日だけ…ついて行っても良いかな」
「それはできない、って話じゃなかったかしら?」
「ここで別れたら、今生の別れ、なんだろう? もう少し、リアリナを一緒にいさせてやりたいな、って」
「ふーん、アタシは構わないんだけど」
夕依も、そのくらいなら良いのではないかと思う。どうせ片方にはバレているのだし。
まあ、今別れたからって一生の別れとも限らないとは思うのだが。
「いいよー、ほんとはそのまま一緒に行きたいくらいだしね」
「…私も、大丈夫だと思う」
「だってさ。賛成多数で決定ねぇ」
この際、華月の意見が無視されていることはまあ置いておこう。
「じゃ、お邪魔して悪いけど、リアリナにそう言ってくるよ」
そう言い、メルアは後方へと歩いていった。残りの3人も、誰とも無く足を止める。
「今生の別れ、ねぇ」
「…帰らないといけない、もんね」
「……」
夕依は一人、空を見た。ゲィヌシンへと、ベンフィード公国へと続く、空を。帰る、という単語が、どこか懐かしい。…夕依の目に浮かんだ少しの水分は、誰にも気取られず地に落ちた。