第卅捌話 心淵交錯・あれだ これだと いれちがい
何故こんな変な題にしたんだろう。全体的に。
そっと、本当にそっと、目線が上がる。相手に気づかれないよう、そっと。だが間の悪いことに相手も同じことを考えていたらしい。途端目が合い、視線が絡み、慌てて顔を背ける。しかしやっぱり気になるのでそっと目線を上げ…
…と、以上さっきからずっと双羽夕依間で成されている無限ループの概要だ。本人達は至って真面目にこのスパイラルをぐるぐる回っているのだが、このままだと真面目に日が暮れる。もう太陽がひとつしか見えない時間帯なのだ、決して慣用句ではない。
「(何なんだ貴様らは初々しいカップルか何かか、と声を大に言いたいところだが。言えば金峰の方がもっとメンドクサくなるのだろうな全くもってメンドクサい)」
隣で面白そうに眺めている朝美共々、華月は事情を完全に理解している。2人が似たような動作を繰り返す理由が実はお互い違うことも、そうなった経緯も。
夕依は単に恥ずかしがっているだけ。原因にしても先程さんざんからかわれたからであって、大した理由でも行動でもない。むしろ元凶は華月たちだ。…まあ、おかげさまで華月から諭しづらい状況なわけだが。
逆に、双羽の方は比較的面倒な状態だ。ついさっきまで華月、夕依との間で行われていたガチの戦闘。そこについて思うところがあるらしい、とは朝美の談である。双方そこまで責任の無い事件だったはずなのだが、どうもその中で夕依に負わせた怪我を負い目にしてしまっているのだとか。原因が原因だけに、こちらからの口出しは躊躇われる。
つまるところ朝美待ちなのだが、さてこの女がそんな素直に状況を解決するものだろうか。いや無い。
「あの、カナちゃ」
「…その、ともは」
「…!」
「…!」
互いに口を開こうとしたが、タイミングがジャストバッシング。思わず目線が明後日の方を向いてしまう。
…実に、全くもって、メンドクサい。本当は避けたかったのだが、かくなる上はこちらから口を出してみよう。
「あー、その、だな。そうしてずっ」
「そういえば夕依ちゃん、ひとつ聞きたいことあるんだけど」
「ぅぐぬ…」
さてはこちらが動き出すのを待っていたな、とは口に出さず、隣に立つ女を睨みつける。勿論朝美は気にした風も無い。
「…えと、何?」
「アタシさ時計台の辺りでタカトって奴に会ったのよ。んで、そいつが夕依ちゃんの知り合いっぽいんでさ。後でどーいう関係なのか聞こうと思ってたのよねぇ」
「貴、斗…」
実にさらっと出てきた名だが、その貴斗なる人物が今回の騒動の中心付近に位置することは明白だ。貴斗なる、などと他人行儀な表現はしたが、華月も以前から知る人物である。
ただし、華月が彼について知る情報は大して多くない。そもそも行き倒れてたところを拾われ、そのままあのよく分からん施設の管理を丸投げされた。命の恩人、かつある程度恩の方は精算済み。ただそんな感じの関係だ。強いていえば、彼が来訪者であること、あとはその魔法が粘土細工を作りだし操るものだということぐらいなら一応知っている。まあ、そんなもんだ。
対して、夕依。彼女と貴斗との関係の深さは、確実にこんなものではない。今その名を呟いた彼女の表情だけで、それははっきりと理解できる。
「貴斗、は…何て…?」
「や、なんか、お前もしかして夕依の知り合いじゃないか、とか聞かれてねぇ。そーよ、って言ったら、そうか、やっぱりそんなこったろうと思ったぜ、って。それだけよ」
「そう…」
…が、どうも夕依は貴斗関連の話題に好んで触れたくないようで、それ以上何かを話そうとはしない。まあしかし、羞恥心だけは少し和らいだようで何よりだ。朝美としてもそちらが主目的だったのだろう。さて次、とでもいうように双羽へ向き直った。
「そーいえばアンタ達、派手にやり合ったらしいわねぇ。夕依ちゃんなんて、女の子なのにこんな怪我作っちゃって。ねぇ?」
「あうあぅ」
ドス、ドス、グサ、と。幾本のも先の尖った何かに、精神的な部分を貫かれる双羽が幻視できた。というかコレ、追加でダメージ増やしてるだけのような気もするのだが。ズーンという効果音と共に紫の縦線が何本か見え、華月は思わず目を擦る。
「骨が折れる、ってねぇ。知ってると思うけど結構な大怪我よ。魔法なんてモノ無けりゃ全治一ヶ月はくだらないかしら、ねぇ?」
「あうぁうあぅ」
「それに引き替えアンタはピンピンしてもー」
「…朝美さん、やめて。双羽は、悪くない…から」
たまりかね、夕依が止めに入る。対して朝美、その言葉待ってましたとばかり双羽へ一言。
「双羽。ウジウジする前に、何か言うことあるわよねぇ?」
ここにきてやっと、双羽の頭が上がる。視線はまず華月を捉え、次に真正面の夕依へと。少し血色を良くしつつ、夕依もその視線を受け止めた。
「…ごめんね、怪我させちゃって」
「私は…自業自得、もあるから。双羽を責めたりは、しない」
「まあ、足は死ぬほど痛かったがな。しかし幸い、先程朝美が言った通り、この世界には魔法という超便利技術が存在している。でなければこうは動けん。問題は無いな」
一応、今現在も華月の右足の骨は数をひとつ増やしたまま。しかし患部周辺には“癒”やら“繋”やらとびっしり書き込まれ、現在進行形で治療中である。全治一ヶ月と言った怪我が数時間でここまで何とかなるのだから、魔法というやつはやっぱり凄い。
「でも、やっぱり直接やったのは僕だし…」
「はいはいストップ、終わり終わり! ゴメンは1回で十分よ。でないと話進まないじゃない」
「…うん。ほんとにゴメンね、カナちゃん、カッちぶぎゃ!」
…油断も隙も無い。この手合い、もう少ししんみりしておいてもらっても良かったのでは無かろうか。
「…と、双羽、大丈夫…?」
「ん、だいじょーぶ」
なんだかんだでケロリとしているあたりもまた恨めしい。
「オーケー? んじゃ、そろそろ本題行くわよ」
「本題…?」
「そ、本題。今日この街で起きたコトについて色々考えてみましょう、の会。元々この話するためにここ来たのよねぇ」
「…ここまで、長かったな。…さて、とりあえずは各々別行動し始めてからの出来事をざっと説明していこうか。まず情報の統合が第一だろう」
「んじゃ、まず僕から話そっかな。カナちゃんとはずっと一緒にいたから、実質2人分だね。えーと、僕たちはニテイフキの図書館に行ってたんだけど…」
双羽を皮切りに、順次個別行動中の出来事を話していく。華月の場合は貴斗に連れ出されただけなのだが、その後の魔土偶との戦闘まで含めれば結構長い話となった。他も、似たり寄ったり。夕依は双羽と話の大部分が被ったため短かったが、朝美などは巡った裏路地の店を端から紹介し始めたため途中で双羽が切り上げさせたほどだ。最後に、今いる場所について華月たちが得た情報を並べる。
「なら、ここは…街の外…?」
「そういうことになるか。もっとも街の外周部は文字通り壊滅しているのでな、どこまでが街だったのかはいまいち判然とせんが」
元々郊外の平野であった場所に大小さまざまなテントが集結し、とりあえずニテイフキの街として最低限の機能はここに移されている。そんな中、病院代わりとなっていた丈夫な居住用テント群の一角で夕依は寝かされていたわけだ。双羽一行はまた個別にひとつの5人用テントを借り受け住まいとしている。
もう外は暗く静かだが、昼間など色とりどりのテントの隙間を縫うように子供たちが走り回っていた。ほとんど計画無く掘っ建てられたテント群は、さながらカラフルな巨大迷路である。
「…気づけば、この暗さか。思っていた以上に時間を掛けたようだな」
「そろそろ寝た方が良いわねぇ。んじゃ、帰るわよ、双羽」
「え、僕カナちゃんの看病…」
「もう目覚ましてるでしょ。いらないわよ、さっさと来なさい」
半ば双羽を引っ張るようにしてテントを出て行く朝美。何か曰っていたが、去り際の大欠伸から察するに自分が眠たかっただけだろう。
「ふむ、ならば俺も戻るとするか」
「私も、もう寝るわ。…おやすみ」
「…良い夢を」
こちらも欠伸ひとつ、病室役のテントを出る。去り際にちらと目をやれば、早くも夕依は夢の世界へと旅立っていた。
……
「双羽」
朝美の呼びかけに、前を行く小さな影が振り向いた。本来こんな真夜中に野外を出歩ける根性は持ち合わせていない弟だが、利便のためあちらこちらに吊されたランプがその行動を助けている。それでもテント間の暗闇などからは極力目を逸らしているらしい。
「なに、お姉ちゃん」
…双羽は、朝美にとって大切な弟だ。そんな弟が心に秘める傷跡なんぞ、流石の彼女でも無為に広げる趣味は持たない。それでも、コレを聞く必要はある、と。よくよく考えた上での結論である、と。
「…?」
珍しく歯切れの悪い姉に双羽は首を傾げる。その無邪気を装う目に、朝美は光を感じなかった。
「双羽。夕依ちゃんって可愛いわよねぇ」
「…はい?」
急に過ぎる問い掛け。答えが返ることなんて期待しちゃいない。単なる朝美流の話術だ。
「こう、ちょっと静かな感じとか。あと黒い服好きだったり、テンションの上下が激しかったり」
「…それ、可愛いの条件かな?」
「可愛いじゃない。まるで」
胸の奥がチクリと痛む。コレは共有するべく痛み。次の台詞で、双羽は同じモノを胸中に抱く。
「まるで、キサ」
「お姉ちゃんっ!?」
いや、同じではないか。チクリ、で済むはずもない。むしろ自分の方がおかしいのだ、と。
「お姉ちゃん、そのことは…!」
「言わない約束、だったかしら? まあ何にも無けりゃ聞かないわよ、んなこと」
「何にも無いよ、むしろあるわけ無い。こんなところで…」
「双羽。相手を見ない、っていうのは、失礼なコトよ。知ってると思うけど」
「……」
「夕依ちゃんに、似てるわよねぇ」
「…!」
ぐっと目をつむり、唇を噛む。双羽のこういった表情を、朝美はこちらの世界で初めて見た。むしろ誰に聞いても答えは同じだろう。
「ぱっと見はそうでもなかったけど。アレねぇ、服装とか髪型とかが大分違うのよねぇ。でも、似てる。髪型や服装が違っててもそう思うんだから、よっぽどなんでしょうねぇ」
気づいたときには、朝美も驚いた。双羽と朝美との共通の知り合いに、夕依は異常なまでに似ていたのだ。意図して似せた格好をさせれば、見分けられるか怪しい。
「…何が、言いたいのさ」
「さっき言ったでしょ。夕依ちゃんを見てあげなさい」
「別に…」
「重ねっぱなしだと、じき辛くなるわよ。ま、年上の言うことはとりあえず聞いておきなさいって。納得できなくても」
「……」
これ以上、双羽が口を開くことは無かった。朝美は足を止め、暗闇と気づかず直進して行く弟の背を見送る。
「夕依ちゃんには、ちょっと悪いことしちゃったかしらねぇ」
朝美の呟きは、誰に聞かれることも無く闇に消えた。