第卅質話 降幕近傍・けっちゃくと
独り、崩れた民家の影で息を潜める。限界まで気配を押し殺しているはずなのだが、おそらくはもうすぐ見つかるだろう。さっきまでもそうだった。
ちらと、後ろを見る。後ろと言ってもすぐそばでなく、もっと向こう。戦闘には関われぬほど後方に、華月はいるはずだ。彼は既にこの戦闘からリタイアしている。先程街を揺るがした何かの大爆発。それに気を取られた瞬間、右足を狙い撃ちされたのだ。流石に足を負傷してしまっては、突破戦への参加は断念せざるを得ない。むしろそれ狙いの攻撃だった気もする。あちらとしては、止めれば勝ち、なのだ。
「呪術…」
周囲へと広がる魔法が、体に負荷を加えた。同時に、また少し、力の抜ける感覚。あと1、2発で撃ち止めだろう。もう体力の残り少ないのがひしひしと感じられる。
ペース配分を間違えたわけではない。双羽とまともにぶつかっていればこうなるのだ。未だ何故かは知らないが、あちらはほぼ無尽蔵に魔法を乱発できる。この世界の魔法の常識を知る者ならば、常時空を飛ぶ戦闘スタイルなど狂気の沙汰と言うだろう。そんなものに対応するには、こちらだってそれなりの体力をすり減らすこととなるわけだ。
見上げれば、丁度あちらも夕依を見つけた様子。先程夕依の名を呼んでからこちら、双羽の追撃の執拗さは大きく増している。ある程度退いたところで様子見にはならない。この条件を鑑みても、今回の衝突が最後というのは間違い無いか。
ただ同時に、そのしつこさは深追いに通ずるモノ。そこが、少ない勝機。
「…凶運・頭上注意!」
「…?」
仮に気づかれていなくとも、夕依の魔法は避けられる。しかし、狙いがブレれば回避のそぶりすら見せない。これについては数度実証済みだ。そんな今の双羽相手に夕依独りで立ち向かうなど、無謀。無理、無茶の類。今だって双羽は見当違いな狙いを気にすることは無く、突撃が止まることも無い。
しかし奇遇なことに、夕依はそういった相手との戦闘経験をいくつか持っている。大雑把で良ければ、対処法だって知っている。これまた奇遇、半分は今対峙するその相手に教えてもらったその方法。アリアとの激闘を思い出し、朝美との遭遇戦を脳裏に浮かべ、夕依は走った。
無論、負傷者が徒歩で機動性重視の相手から逃れられるわけもない。夕依の寸前へと容易に迫る双羽、の頭上から屋根が落ちた。崩れかけていた民家が、自重と圧力に耐え切れず崩落したのだ。
「…!!」
石の破片が飛び散り、とっさに腕で防御の姿勢をとる双羽。どういう経緯で起きた現象か、そう想像に難くない。例え地面やら建造物やらが対象だろうと、夕依の魔法はしっかりと発動する。事前に華月より、“遅”符を受け取ったという事実もある。とにもかくにも、これは彼女が全てを賭け得た主導権なのだ。
最低限顔へと飛ぶ石片のみ防ぎ、夕依は低空で一時止まる双羽へと飛びついた。左手で服の裾を掴み、力の入らない右手をも動員して必死にしがみつく。まずは距離を無くすこと。こうやって捕まえることで、機動力を奪う。
もちろん双羽だって大人しく捕まっているわけもない。不気味に慌てず、夕依を振り落とさんと箒を浮かす、が。
「…呪術・実苦の重石!」
戦闘前に仕掛けた魔法を発動。周囲数メートル範囲の空気重量を増加させ、双羽から機動力を完全に奪い去る。この魔法単体では高速飛行を止められずとも、初速ゼロから重量空間を抜け出すのは至難の業だ。
…言うまでもないことだが、大気の重量が増せばそれだけ気圧も上昇する。小さい範囲だけの局所的現象にしたって、それは同じ。空間に対して発動させた魔法なのだ、使用者自身にだって効果は及んでいる。それ故体全体を潰しにかかるかのような重圧が夕依を襲った。肺を圧迫され、呼吸すらままならない。
意識の領域にまで及び始めた圧迫に耐え、双羽を見る。条件は同様のはずだがあちらは顔色ひとつ変えていない。何故かそこに悲哀を感じた夕依は、ぐ、っと歯を食いしばり、最後の一撃を放とうとした。
「…悪夢っ、かはっ!?」
「…!」
「く、ぅぅ…」
そこで、まだ終わらぬとばかり箒による刺突が脇腹へと突き刺さる。夕依は喉の奥に熱いモノを感じた。今ので、温存しておいた最後の一撃を放つべく体力をも消耗した気がする。もう、限界だ。
…しかし、そんなことで終わりはしない。詠唱なんて必要無い魔法だ。締め付けるような重圧、焼け付くような痛み。それら全て意識の外に起き、夕依は心の中で叫んでいた。
「(悪夢・百鬼夜行!!)」
「…!!!」
魔法が発動し、意識を保つのに必要な体力までもがごっそり奪われる。それによって重圧は解除され、しかしもって双羽の体は箒から滑り落ちた。上手く、いったのだ。その事実だけ確認し、夕依はゆっくりと意識の蓋を閉じた。
結果として双羽の“突破阻止”の目的のみが達成されたということなど、今、気にする人間はいない。
……
ある日突如としてニテイフキを襲った大災厄は、原因不明のまま同じく突如として終わりを迎えた。急に静かになった街へと、避難していた者の内有志が偵察を敢行。結果、いつの間にやら怪物の影も形もなくなっていることが判明したのである。
無論、この終幕は誰もが望んだことではあった。しかし、手放しでは喜べない。なんせ被害は甚大、街の大部分が瓦礫に埋まってしまったのだ。
ただ、何故かその割に人的被害は少なかった。街を襲撃した怪物との戦闘で負傷した者は大勢いいるが、一般人はほぼ全員無傷。なんと死者は一人も出ていない。他の最もヒドいもので、逃げる途中ぎっくり腰発動、からの民家崩落のフルコンボで腕の骨に軽いひびの入ったおばあさんぐらいか。これにしたって、“運良く”そのタイミングで襲撃してきた怪物が“上手い具合に”盾となり、大事には至らなかった。年齢を考慮しても、安静にしていれば治る怪我だ。
問題は当面の住民の暮らしだが、これには滞在中の旅人勢が協力することに決まった。元々旅の要所としても栄えていた街だ。心無い一部の旅の者はこの地を去ったが、それでも体力のある人手はいくらでも用意できた。旅人向けの商店も多く存在したので、そういった店跡より発掘されたテント類がしばらくの仮住居となる。こうして、後に“ニテイフキ史上希に見る大災厄”だとか“最長最悪の日”だとか呼ばれることになる長い一日は、規模の割に素早い収束をもって幕を閉じたのであった。
……
…彼は、言った。これは、人殺しではない。魔物退治だ、と。
…彼は、言った。済まないことをした。悪いことをさせてしまった、と。
…彼は、言った。だが、立ち止まれない。どうか、共に…
「なんで…よ…」
まだ目の前は黒いが、夕依は意識の覚醒を感じていた。というか、今見た夢にしたって端から夢だと理解していた。それでも、その夢の登場人物へと問い掛けずにはいられなかった。仮に、それが既に答えを聞いた問いだとしても。
「……」
ゆっくりと目を開け、周囲を認識する。ここで見覚えの無い布地が見えたって、急に動いたりはしない。一度臨死体験したからか、そういったところ冷静に対処できた。…慣れたいことでもないが。
「…テント?」
見覚えは無い、しかし同時にどことなく見慣れた感のある空間。少し考え、答えを導き出す。普段使っているものとは造りが違うようだが、確かにこれはテントだろう。旅具の類というより、むしろ住居用。見慣れた2人用と比べても、布地に囲まれた空間はかなり大きい。家具など置いて一人部屋、といったところか。
続いて、静かに、頭を動かす。幸い、その程度では頭痛が発動したりもしない。代わりにとばかり、右腕の痛覚に刺激が走った。
「…っ」
痛いが、激痛というほどでもない。鈍痛。一瞬堪え、ふ、と息を吐いて紛らわす。…と、そこで夕依は左腕の荷重に気づいた。
どうやら夕依はベッドに寝かされていたらしい。その左脇に置かれた椅子に腰掛け、上体をぐでっと夕依にもたれ掛からせている少年。看病してくれていたのか、その顔には疲れが色濃く残っている。
「…双羽」
少し顔色は悪いが、なんだか幸せそうな寝顔である。なんで起こしてしまうのは少々躊躇われたのだが、どうにも左腕が痛い。位置的に腕枕をしている状態なのだ。痛いといったが、むしろ感覚が無くなってきている気もする。
「…ごめん…」
誰が聞くともなく謝り、そっと、そぉっと、双羽の頭の下から左腕を引き抜く。支えを失った頭部は重力に従い、落下する…ことも、無かった。
「むにゃ…」
夕依の体の上まで伸ばされていた両腕を引き込み、双羽はさらなる睡眠体勢へと移行する。丁度、授業態度のよろしくない学生が授業中居眠りする格好だ。違いとしては、腕の下にあるのが机か人のお腹かといったことくらい。…腕を引き込む過程で、双羽の頭はずるずると夕依の上にまで移動してしまったのである。
「双羽…ちょっと、双羽。重い…」
どかそうと手を伸ばしたが、いかんせん非利き腕一本。しかも体全体を使うわけにもいかない。未だ起きる気配の無い少年の頭部は、思った以上に頑固だった。しばらくあれこれやってみたが、どうにも無理なようである。結果、この手法については諦めることが決定した。
代わりに、双羽を起こす方向でちょっと頑張ってみる。
「…双羽、朝よ、起きて。双羽、朝…無理、ね。流石に」
なんか言ってて恥ずかしくなってきたので、この作戦は中止。そもそも大声を出すのが苦手な夕依にとっては無理がある。それなら残るは…
「……」
物理攻撃。まあ流石に殴るわけにもいかないので、丁度良い塩梅にこちらへ向いていた頬を摘んでみる。んで、引っ張る。
「……」
「…むひゃ」
「……」
僅かに反応があった。ならばこの方向で続けてみよう。…にしても、よく伸びる頬だことで。
「……」
「…みひゅ」
「……」
「…むひゅぅ」
「……」
なんだか段々と面白くなり、いろんな方向へと頬を引っ張ってみる。それだけされても双羽が起きる気配は無い。ただ頬の引っ張られる角度によってよく分からない反応を返すのみ。しかしそれが面白い。
「…みにゅ」
「……」
「…みゃぎゅ」
「……」
「ふむ、実にお楽しみのところ非常に申し訳ないのだが、少し時間を…」
「…!!??!?、く、口パッチン!」
いつの間にやら、主旨を忘れて双羽の頬イジリにのめり込んでしまっていたようだ。不意に視界の外より飛んできた声は、完全に夕依の不意をついた。故に、とっさの行動で発声者の口を封じてしまったのはまあしょうがなかったと言える。
「…! …(“喋”れ)…いきなりの魔法とはなかなか非道いな」
「…いつから…見て…」
「うーん、腕枕外しちゃったところからだったかしらねぇ」
「あ、朝美さん…! それ、って…全部…」
顔を上げれば、左前方にいつの間にやら立っていた朝美と華月。全く気づいていなかった。間の悪い不意打ちを糾弾しようかとも思ったが、残念このテントの入り口は夕依の前方。気づかなかった彼女が悪い。
「いやぁ、あんまり二人がイチャイ」
「してない!」
「チャしてたから話しかけるのよそうって言ってたのに、この白衣がねぇ。って、夕依ちゃんどうかした?」
「……」
こんな鋭い声を上げたのはいつ以来だろう。…が、それをもってしても朝美が止まることは一寸も無かった。
「…むしろ、あそこで割って入った俺は優しかったと思うのだがな」
「怪我人驚かせるのは体に良くないでしょ?」
「ずっとニヤニヤしながら眺めてたヤツの口から出た言葉でさえなければ、少しは納得したかもしれんが」
「それならアンタも同罪じゃない」
「…まあ、すぐ止めてしまうに惜しい光景ではあったな」
何やら横で好き勝手言ってるのが2名ほどいるのだが、夕依の口からは止める言葉のひとつも出ることは無い。それどころか、会話のほとんどは彼女の耳をすり抜けていた。結局、華月が顔を真っ赤にして俯く夕依に気づいて口を閉じ、朝美が本題をすっかり忘れていたことに気づいて双羽を起こすまで。この妙な状況は継続されたのであった。
やっとニテイフキ(のメイン部分)終わったー。 作中でも言ってるけどニテイフキ編の経過時間は約1日。長い1日だった…!