第卅弐話 黒衣棘髪・くろまくの うにあたま
相対する、なんと言えばいいのだろうか…
「…これは…壁?」
「うーん…塗り壁、でいいんじゃない?」
そう、塗り壁。まさに虎柄シャツ(?)の少年が活躍するあのアニメの登場キャラのような、そんな感じの物体が眼前にぬぼーっと突っ立っていた。ただし背丈は大体10メートルほど。デカい。
「でさ、カナちゃん。これも倒しちゃった方がいいのかな?」
「…さあ…」
コイツも確かに魔土偶なのだろうが、妙に大人しいというかなんというか。実のところ、何もしていないわけでもない。こちらが動けば、のしのし移動して前に立ち塞がろうとする。
が、まあそれだけ。特に攻撃しようとするような素振りも見えない。
…実は移動する度に進路上の建物を尽く破壊してたりするのだが、まあそれはこの際見なかったことにしよう。なんだかアレな言い方だが、今さらこの街の瓦礫成分がいくら増えようとこちらには関係の無い話なのである。
しかし、こいつも今余所で騒ぎを起こしている怪物連中のお仲間だ。ここにいる以上、何の目的も無いとは考えづらいだろう。今の動きだって、“この先への進入を阻止する”という意思を持っているように見えなくも無い。ひたすら無意味に感じるのは、あくまでこちらがその頭上を飛び越えて行けるからであって、だ。
「…一応、倒していくわね。…残す意味も、無いから」
「一応、ってヒドいねー。ま、りょーかい、っと」
双羽と頷き合い、塗り壁(仮)へ向けて左側面側へと走り込む。
「…悪夢・ドッペルゲンガー…」
同時に魔法を使用し、双羽と共にこちら側へ走り込んだ、と見せ掛ける。やたらとデカい相手故、適当な狙いの魔法でも簡単に当たるのだ。
…作戦通り塗り壁(仮)はこちらへと向き直り、結果として右側面へと回り込んでいた本物の双羽に背を晒すこととなった。こうなれば、後は簡単。なんたって、この頑丈な魔土偶という土人形のほぼ唯一にして最大の弱点は、“背にある窪み”なのだから。
「はい、これで終わり、っと」
こちらからは塗り壁(仮)本体が邪魔でよく見えないが、どうも双羽がその弱点を捉えたらしい。双羽の声に反応した塗り壁(仮)が振り向こうとするも、時既に遅く。双羽の箒の柄がその弱点を貫…こうとした寸前、一瞬にして敵の姿が掻き消えた。
「…っとと、アレ? まだ攻撃してないんだけど…」
「…?」
双羽の言を聞くに、トドメの一撃はまだ命中していなかったはず。それなのに、消える魔土偶…いや、消えたように見えた、のか。仮に遠隔操作で強制的に待機状態へと戻せば、あの巨大な塗り壁(仮)でさえ手の平サイズなのである。そのサイズ比ならば、消えたように見えても仕方がない。
…しかし、この考察には大きな仮定がある。魔土偶に対して、“遠隔からの強制停止”なんてことできるのは、多分この世界に1人だけ。魔土偶の製作者にして、夕依がこの件の黒幕と睨んでいる、その人物がこの場にいなければ…
「…隠れてないで、出てきて」
「とりあえず顔見てお話しよっか。…聞きたいことも、いっぱいあるし、ね?」
夕依は、自らの知る情報を頼りにその存在を導く。時を同じくし、双羽が恐らく気配とかそういった類のものによって、その人物を感知する。結果、集まる視線。それに晒された建物の陰より、ふらり、と黒衣の青年が姿を現した。
黒い外套にツンツンヘアー、これ以上特に説明する必要も無いであろう。夕依と華月の共通の知人にして変人。白河 貴斗が、そこにいた。
「気配消してたってのに、よく分かったな。もーちょいバレずに様子窺うつもりだったんだが」
「…魔土偶の、遠隔強制停止。そんなこと、できるのは…私の知る限り、貴斗だけだから…」
双羽はともかくとして、ではあるが。少なくとも夕依は、それさえ無ければこの青年の存在に気付くことも無かった。
「いやいや、無駄に手駒壊されんのも癪だろ? こう見ても繊細なハートを持ってるもんで」
「どこが」
この男の、一体どの部位から“繊細”なんて単語が生まれるのか。少なくとも夕依はそんな言葉に合致する貴斗を見たことが無い。
「ツレないなぁ、夕依。そんなんじゃ可愛く無いぜ?」
「…残念ながら、元からよ」
「おっと、そりゃ失敬」
…この男と、こうして憎まれ口を叩き合うのも実に1年半ぶりだ。そして、そこに懐かしさを感じる自分が嫌で堪らない。
「…そーれにしてもアレだな、まさかそっちの少年にまで気付かれるた思ってなかったぜ。魔土偶のこと、そんなに知ってたってワケじゃぁないんだろ?」
「見るの初めて、ってわけでもないけどねー。ま、見ただけだけど」
こちらとのやりとりをさくっと切り上げ、会話の矛先が双羽へと向く。渦中に見知らぬ人間がいる、という向こうの状況を考えれば、まあ当然のことかもしれない。ただ夕依の知る限り、貴斗という人物は興味も目的も無しに警戒すべき初見の相手と言葉を交わすタイプではなかったはずだ。
「私と会ってねぇのに見たって事は…あー、アレか。小屋にいくつか置いてきた警備用のヤツだな」
「それそれ。まあ、色々あって壊しちゃったんだけど。ゴメンね?」
つまり貴斗は、何かしらの理由で双羽に興味を持ったのか。もしくは、何かしらの目的に添った上での行動なのか。
交わされる言葉の表層こそ軽いが、そこにある空気にはひたすら緊張感のみが漂っている。おそらくは双羽も、上記の事象を何となく分かった上でやりとりしているのだろう。腹の底の探り合い、というほど重いものではない気もするが。どのみち、自分を完全放置した会話に割り込む技術なんぞ、生憎と夕依は持ち合わせていない。
「まあ、あそこに置いてあったのは余りもんだからな。別に構わねぇよ。…どっちかっつーと、この街でテメェらに壊されたヤツのが損失としちゃでけぇ」
「それはまた…ゴメンね?」
「ゴメンゴメンついでにやめてくれりゃ助かるんだが」
「街を壊すのやめてくれたら考えてもいいけど?」
「そりゃ無理だな」
「だったら僕も無理だよ」
なんかもう両者共にニコニコしてるのが怖い。まさに一触即発。
当事者のハズなのに置いてけぼり気味な夕依だが、とりあえず戦闘態勢だけはとっておく。多分、この無意味な会話の終わりは近いだろう。
「そうか、テメェとは相容れるかと思ったんだがなぁ」
「目的も話してくれない人のお手伝いはヤだもんね」
「しゃぁねぇな、交渉決裂、と。…で、夕依はどうなんだ? テメェも私の邪魔する気か?」
「…私が、貴斗の…味方を、するとでも…?」
急に話題を振られるが、そんな質問端から答えは定まっている。言い淀むことなど、何も無い。
「ちっ、結局ソロプレイかよ。ちっとくらい手伝ってくれたって…」
「自分が、何をしたのか…忘れたの…!?」
「あーはいはい。確かに手酷く裏切ったりしましたね。…ったく、しつこい女は嫌われんぞ?」
「っ、貴斗、私は…!」
「だー、うるせい。つか、もうそろそろタイムリミットなんだよ。ということで私行くんで、何か言い残すことは?」
すっくと立ち上がり、これで話は終わりだ、と宣言する貴斗。勿論こちらとしては、はいそうですかと行かせるわけにもいかない。
「待ちなさいよ…!」
「もう行くっつってんだろ、聞こえてなかったか? 私ぁ暇じゃないんだよ」
ずずず、という音がしたと思えば、一瞬の後に貴斗の足下へと出現する塗り壁(仮)。
「これで足止めするつもりかな? 僕飛び越えちゃうけど?」
「安心しな、テメェには邪魔させねぇよ。どっちかつうと…手伝ってもらう」
「お手伝いはしない、って言わなかったっけ?」
「残念ながら、テメェの意思は関係ねぇんなよな、これが。…シサアヤニェノツニジコ」
「…!? っつう!? うわあぁぁっ!!」
貴斗が何事か唱え始めた瞬間、先まで不敵な表情を浮かべていた双羽の様子が急変した。頭を抱え、うずくまり。まるで激しい頭痛に襲われたかのような呻き声を上げる。
よく聞けば、貴斗の言葉には呪文詠唱独特のイントネーションがあった。何かしらの魔法を使う気なのだろう。しかし、呪文詠唱中に相手へ影響を与える魔法なんて聞いたことが無い。
…とりあえず、貴斗が何か仕掛けてきていることは確かなのだ。まずは止める事が先決である。
「…呪術・金縛り!」
「…シサアヤニェノ、おっと。…出な、塗り壁2号」
しっかり狙いをつけた夕依の魔法は、しかし突如出現した2つ目の塗り壁(仮)に阻まれる。貴斗の姿はこちらから隠れ、手が出せない。
そんなことをする間に、双羽の呻き声はだんだんと小さくなってきていた。
「…! 双羽、大丈夫!?」
「…うぅ…」
「…シサアヤニェノタハノスアソヌウィト、と」
呪文の完成と同時して、俯いた双羽から漏れていた声が消える。思わず駆け寄る夕依。しかし、反応は無い。
「…ああ、夕依。ひとつ忠告してやるが…そいつからとっとと離れた方が良いぜ?」
「何を言って…っ!?」
本能的に頭を下げた夕依の頭上、先までその頭のあった場所を、一筋の銀閃が通過していた。
「…双羽!?」
横を見れば、箒を振り抜いた姿勢の双羽。彼が今の攻撃を行ったことは疑い無い。しかし、何故。
「言ったろ。離れろ、って」
「…貴斗! 双羽に、何したのよ!?」
「おーおー、そんな本気の顔しちゃって、怖い怖い。…そこの少年にゃ、手伝ってもらってるだけだぜ? 幸い、コイツの効きそうな“経歴”持ってやがったしな」
「…経歴…?」
「おっと、これ以上は企業秘密ってヤツだ。んじゃな、夕依。また会う日まで元気にしとけよ!」
「…だから、待ち…っ!」
言うことだけ言い残し、颯爽と走り去る貴斗。それを追おうとした夕依を遮るように、銀の箒が突き出される。
「…ちょっと、双羽! 目を覚まし…きゃあっ!?」
何をされたのかも分からず、気付いたときには夕依の体は数メートル後方まで吹き飛ばされていた。ロクに受け身すら取れず、そのまま瓦礫の山へと突っ込んでしまう。
「かはっ!! …くぅぅ…」
肺の中の空気が強制的に押し出され、息が詰まる。明滅する視界に、緩く箒を構える双羽が映った。その顔に張り付いた無表情が、何故かとても悲しそうに見える。
「…ごめん、双羽。でも…私は、行かないと」
「……」
…とりあえず、今はこの双羽をどうにかすること。話はそれからだ。
無言の決意を胸中に落とし、夕依は双羽と相対するのであった。