第卅壱話 赤尾甲虫・あかさそり
「マハカアヤニェノノスアリセ! …くそ、効いてない!」
「おい、そっち狙ってるぞ!」
「なに、しまっ…ぐぁっ!!」
「大丈夫か! …誰か、治癒系の魔法使えるヤツいないのか!?」
爆音を聞き、華月の駆けつけたそこは戦場だった。一般人は既に避難し、残るは何かしら戦う術を持った者たちばかり。ぱっと見ただけでも、総勢7名ほどの彼らが相当に戦い慣れていることは分かる。
…がしかし、その集団は赤レンガ色した巨大な蠍の怪物相手に苦戦を強いられていた。原因のひとつとしては、当然と言えば当然だが相手なる蠍怪獣の大きさがあるだろう。なんせ、足の太さが既に人間サイズな規格外の甲虫なのである。その時点で十分な驚異だ。
加えて、自在に伸び縮みする真っ赤な尾。こいつが厄介で、距離に関係無く隙を見せた者に襲いかかる。そちらに気を取られれば、両の手に備わった大バサミが正面から迫ってくるのだから堪ったものではない。大きささえ揃えれば地上最強の生物は甲虫である、といつか誰かが言っていたが、全くそれを体現したような化け物である。
またもうひとつの要因として、連携の取れてなさがあるのではないか。見た感じ、こちらの陣営は出自も別な旅人や戦士の混成部隊となっているらしい。そんなもので巧く集団行動ができればそれは奇跡の類だ。今現在、イザコザも無しにとりあえずの協力体制が敷けてることですら、結構スゴいことなのである。
…さて、戦場分析はこのくらいにして、こちらもあの中へ飛び込むとしよう。もとよりそのつもりで来たのだから。
「…これでも貼っておけ。とりあえず血は止まるはずだ」
「おお! あんた、治癒系の魔法使えるのか」
「…まあ、似たようなものか。俺はあちらへ加勢に行くからな、あとでそいつはしっかり治療してもらえ」
傷つき倒れた者へと“癒”符を手渡し、巨大蠍へと向き直る。今少し目を離したが、それでも相変わらずの無双っぷりだ。足下から放たれる魔法の乱射に少し押されつつ、その尾が今また1人の青年を弾き飛ばした。これで、動ける人間は残り4人といったところか。しかも内半分はどう見たって“戦闘レベルの魔法が使えるだけ”な人たち。アレならまだ華月の方が戦闘経験を持っているだろう。つまり、実質戦闘続行可能なのは今最前線に出張っている2人組だけ。
そんなこちらの状況を見たか知らずか、蠍の両のハサミが天上高く振り上げられる。微かな炎色に輝く、巨大なふたつの刃。瞬間、場の空気にぴしりと緊張が走った。
「…またアレが来る! 防ぐよ、これ以上被害は広げさせない!」
「そ、そんなこと言ったって! アレ完璧に防ぐなんて無理ですよっ!」
「(…大技か? うむ…広域殲滅型クサいな)」
頭の中では冷静な分析を行いながらも、華月は蠍に相対する最前線へと駆ける。最前線では、軽装の少女が騒ぎながらも防御魔法らしきものを唱えていた。見た目はいまいち頼りないが、この位置でこれだけ粘っているのだ、それなりに実力者なのだろう。
隣にいるのは、相対的に大盾を装備した重装備の女性だ。こちらは相方と思しきもう1人に比べ、見た目から頼りになりそうである。
「っ、来た!」
「この…シドハシモアヤニェノジクヒテヤハアミヅソ! どうですか!」
蠍の初動に反応し、前に出た重装備の女性が盾を地面に刺して固定する。そこに風が渦巻き、盾の面積の数倍に見える風の防壁を形作った。
…一瞬の後、振り下ろされる刃、そして巻き上がる爆炎。余波で周囲の建物が吹き飛ばされるのを横目に、華月は走る速度を上げた。なるほど、妙にこの周囲で全壊した建造物が多いと思ったが、アレが原因だったらしい。
しかも、あの破壊力で“片手”とは。
「くっ、まだもう一発…! リアリナ、防御間に合う!?」
「ちょ、ダメ! 無理、間に合わないですよっ!!」
未だ振り上げられたままの右ハサミが、更に輝きを増す。外野から放たれる援護射撃などものともせず、ソレは目下の標的に向かって無慈悲に振り下ろされた。
「わあぁ、もうダメ…」
「どけ」
「ふぎゃう!?」
いやに冷たい空気の中、絶望に目を瞑る少女を少々乱暴に押しのけ、華月は最前線へと飛び出す。それと同時に右手を開き、握り込んでいた十数枚の札をばらまいた。
「…“防”げ、防符…!」
空に投げ出された札は、空間を見えない力で固定する。そこへ、一瞬遅れて叩きつけられる爆発と衝撃。体全体にかなりの負荷が掛かるが、まあ耐えられないほどでもない。更に…
「加えて…“散”らせ、散符! …ぉっと」
ふ、と体を押さえ込んでいた力が霧散し、思わず前方へつんのめりそうになる。“防符”に交ぜておいた“散符”の効力だ。力やエネルギーなんかを“散”らし、結果として無効化。単発の大技相手には非常に相性の良い防御手段だろう。こんなこともあろうかと、事前に準備しておいたのである。
相対する渾身の一撃を止められたであろう蠍は、しかし戦意を喪失したようには見えない。まあ華月の知る限り、アレは“ロボット”に近いものだ。地面にめり込んだハサミを引き抜く作業さえ終了すれば、すぐにでもこちらへ襲いかかってくるに違いない。
「…あの、ありがとうございます!」
「ん? …ああ、いや、こちらこそ、さっきは乱暴に押して済まなかったな」
覚えの無い礼を言われ一瞬戸惑ったが、見れば先程蠍の一発目を防いだ少女だ。まあ少なからず彼女らを守るための防御でもあったわけだが、どちらかというと今のは印象を良くするためのデモンストレーションに近かった。そこまで恐縮されるいわれは無い。
「いやいや、そんな! あのとき割り込んでもらえなかったら、私たち…」
「…うむ、ああ、積もる話はひとまず置いておくとして、戦闘続行といこうではないか。そちらの連れもお待ちかねのようだぞ?」
「え…」
大盾の女性はと言えば、一見巨大蠍の挙動に全神経を集中しているように見える。が、実際はこちらに向けて“何のほほんと会話してんだ、今はんな場合じゃねぇだろ、あ゛?”、ってな視線を度々送って寄越していたり。流石の華月といえど、ここまで視線が刺さるとちと痛い。
「ご、ごめんなさい、メリアちゃん」
「いや、まあ今が戦闘中だと思い出してくれればいいよ。…そちらの人も、ね。助太刀してくれるんでしょう?」
「もとよりそのつもりだ。…で、俺は何をすればいい?」
見れば蠍のハサミは地面を離れ、完全に戦闘態勢へと移行したようだ。もう話す間もそれほど無い。
「攻撃ね。さっきの見てれば分かると思うけど、私たちはどちらかというと防御が得意なの。“アレ”以外なら何とかするから、攻撃役をやって欲しい」
「ふむ…心得た」
一応どんな魔土偶も背中に弱点があったはずだが、今のままではどのみち届かない。まずはとにかく、体勢を崩すところからだ。いや、もしくは…
「しっかり援護しますから、安心してください!」
「そいつは心強いな。…さて、あちらさんの準備も完了したようだが」
全身赤っぽい甲殻の中に、一際目立つ青い光眼。今初めて気付いたその視線は、確実に華月を見据えていた。ひゅん、という音と共に、蠍の尾が霞む。
「…はっ!」
同時、見た目に合わぬ俊敏さで華月の右前方に飛び込んできた重装備の女性。その手にある大盾が、何か硬い物を弾く甲高い音をあげて少し軋んだ。
「手は出させないよ?」
「…頼もしいことで」
呟きつつも大盾の陰から飛び出し、緩い円軌道を描くように蠍へと疾走を開始する華月。対して、片側に3本づつある尖った足が迎撃として間断無く振り下ろされる。が、当たらない、当たらない。
「とことん邪魔しますから! …シドアヤニェノキクニクトツケザスアタウィテ!!」
少女の放つ風の渦が、杭打ち機よろしく打ち下ろされる足の軌道を変えているのだ。おかげさまで、華月はわりかし簡単に懐へと潜り込んだ。次は、こちらが魅せる番である。
「…まずは一発、コイツをくらえ!」
足をくぐり抜けた至近距離で、腕を思い切り振り抜く。袖に仕込んであった札が紙吹雪の如く舞うのを確認し、全力で後退。同時に…
「…“灼”けろ、灼符!」
仕掛けてあった文字魔法を起動する。散らばっていた札一枚一枚が小恒星の如き赤熱球と化し、蠍を完全に飲み込んだ。
「やりましたね! これで…」
「…頼むから死亡フラグはやめてくれ。そういうこと言ったときに限って、無傷…」
徐々に熱を失う赤球は、やがて萎み、消滅した。それに伴い、円形に滅されクレーター状になった地面、そして甲殻のあちこち煤けた巨大蠍が姿を現す。幸いノーダメージではなかったらしく、どこか動きがぎこちないのが救いだろう。
「…いや、まあ、無傷、ではないか、流石に。どのみち、こちらとしては渾身の一撃だったわけだがな」
「どれだけ頑丈なんですか!」
「もう一発、今の撃てない? あと一回ぐらいなら援護できるけど」
「悪かったな、残念ながら打ち止めだ。アレより高い火力は流石に無理だぞ」
無論まだ隠し玉くらい持ってはいるが、こんなところで晒すものでもない。見せて問題無い技の中では、今の灼符が最大火力を誇っていたというのも事実ではある。
それに、実はもう決着はついたも同然なのだ。
「さて、貴様、風の魔法使いで間違い無いな?」
「…え、まあ、私一番得意なの風魔法ですけど…」
「なら、まあ使えんということも無いな。ヤツに、“乾燥魔法”でもかましてやれ」
「か、乾燥魔法、ですか…??」
まあ、いぶかしむのも無理は無い。
乾燥魔法、簡単に言えば“魔法でドライヤー”なのである。つまるとこ、日常生活雑貨ならぬ生活雑魔法。もちろん規模を大きくすれば人工空っ風なんてモノ吹かせたりできるが、所詮その程度なのだ。どう転んだって戦闘に使用する類のモノではない。
「まあ納得できんのは重々承知だが、騙されたと思って一度試してみろ。大して体力を使う魔法でもないだろう?」
「…分かりました。…シドノシイシテ」
短い呪文によって、水分を全く含まない空気がその場に渦巻く。それは緩やかに位置を変え、蠍の怪物を包み込んだ。まあそんなもの大してダメージにもなるわけが無く、蠍怪獣はそのままこちらへ尾を伸ばし…
「…一丁上がり、だな」
自重に耐えきれなかった尾は、その場でぼろっと地面に落下。それを皮切りに、体全体がぼろぼろと崩れ落ちてゆく。
華月以外の者が呆けたように見守る中、蠍は端から赤い土山へと変化していった。もう、そこにあの怪物の面影は無い。
「さて、俺は他のヤツも何とかしようかと…と、どうした貴様ら?」
「……」
あれだけ猛威を振るった化け物のなんともな最期に、しばらく現実認識が追いつかない彼らであった。