第廿弐話 浸湖流廊・ながれ みずうみのみち
盗賊団の指示と偽った上で、乗客を各々の部屋へと誘導する。双羽の容姿に一瞬怪訝な顔をされたが、そこは“脅されて従っている”体でクリア。我ながら驚きの演技力だった。頑張って悲愴な顔をして見せていたとき、横で吹きだし掛けていた華月の向こう脛を小突くのだって忘れてない。
…そんなこんなで、まだ貨物倉庫へたどり着いていなかった乗客含め、とりあえずほぼ全員を上の階へと移動させ終えたのだった。やはり、慣れない仕事は疲れる。階段の一番下の段に腰掛け、うーんと伸びをする双羽。船底部のこの場所に、今人はいない。
一仕事終えてグッタリしている間に、各自部屋への誘導も終わったらしい。こちらも普段より疲労度2割り増し状態な華月が、一段一段踏みしめるように階段を降りてきた。ご苦労様である。
「華月くん、お疲れさん」
「む。把臥之も、な。しかし、慣れないことをするものではない。妙な箇所に疲れが溜まったぞ」
言いつつ、肩をコキコキとまわす華月。こういった類の作業は、えてして使っていない筈の体の部位に効いてくるものだ。双羽にしても、今一番疲れているのは足だったりする。下手に人前で箒を使うわけにもいかなかったのだ。
「とりあえず、あの部屋へ戻るとしようか。一旦集合すべきだろう」
「だね。船員さんも結局一人も来なかったし、お姉ちゃんとカナちゃんが止めてくれてたのかも」
「そもそもここへ来る気からして無かったのかもしれんがな。まあ、そこは俺たちの知るところでもないが」
朝美たち盗賊団がノした上で一纏めに放置して置いたという船員たち。見張りすら付けていないあたり、あの盗賊団の適当さが滲み出ているが、まあそこはいい。
船の運航係であり、同時に船の安全管理者でもある船員たちが、このまま大人しくしているだろうか、と。双羽の見立てでは、十中八九この船には不審者撃退用の武器か何かが配備されているはずだ。無論、それらを使いこなす為の訓練だって行われていると考える方が自然。ここは元の世界と違う、危険と日常とがコンスタントに接近する異世界なのだ。こんな的みたいな船が、狙われることを想定していないなんて考える方が難しいくらいである。
…なんて色々言ってはみたものの、結局は誰も来なかったわけだが。まあ双羽としても出来れば外れていて欲しかった予想だけに、ここは素直に納得しておくこととする。
「んじゃ、早く部屋に戻ろ…ん?」
「どうした把臥之、何か忘れ物でも…む、何だ?」
箒に乗っていざ行かん、という体勢で双羽は停止する。一瞬遅れ、華月もソレに気が付いた。何かこう、廊下を埋めて押し進むような、圧迫感のある振動音。階段を下りてすぐのところで廊下は曲がっているのだが、その向こうを見てみる気がちょっとしない。
「何だ、この重低音は…」
「うーん…なんかどっかで聞いたことあるよーな…」
頭に手を当て、記憶を高速検索に掛けてみる。…一件ヒット。あれだ、昔行った防災科学センターとかいうところで見た、暴風時の高潮模型…
「…華月くん、壁作って!」
「なに…いや、立ち上がれ、“壁”!」
双羽の意を汲み、聞くより先に防壁を展開する華月。“壁”と書き込まれた船底の床が盛り上がり、廊下を下八分目まで隙間無く塞ぐ。
…次の瞬間、廊下の向こうから猛烈な勢いで流れ込んできた水流はその壁にせき止められ、一時その勢いを弱めた。水位はだんだん上がってくるが、あの壁を越えるまではまだ時間があるだろう。
「…狭いとこを水が勢いよく流れてくる音、だったんだよねー…」
「…把臥之が、そんなどうでもいいことを覚えている奴で助かったな」
まさに間一髪、であった。
それにしてもこの大量の水、一体何処から出てきたのだろうか。…いやまあ船において最も身近な大量の水と言えば、答えはほぼひとつなわけだが。とすれば、最も考えられる可能性は“船底に穴が開いた”こと。
ちなみに穴が開いていたとして、その位置は船の横でなく底辺部だろう。もし横っ腹やら喫水線あたりに穴が開いていたならば、この壁なんざあっと言う間に越える勢いで湖水が流れ込むはずだ。そうならないのは、底辺部に開いた穴から少しづつ、空気を押しのけながらの湖水流入が発生しているためだと思われる。
ついでにひとつ。この船内洪水事件に夕依や朝美が関与してない、なんてことはまず有り得無い。船底構造部なんて頑丈な物に大穴空けられる存在、正直なとこ朝美くらいしか思いつかないのだ。この世界の船の詳細構造なんざ知らないが、多少岩なんかにぶつけた程度じゃ穴が開いたりはしないようになっているだろう。でなけりゃ危なっかしくて航海なんぞしてられない。
「…さて、どうする? 上の階へ行く、もしくは廊下を完全に塞いでしまうというのも有りだが」
「んー、それもいいんだけど…」
夕依や朝美がこの現象の原因だとすれば、その時に近辺にいた可能性が高い。とすると、2人とも湖水流入の初動に巻き込まれたのではないか。
…ちなみに、だが。残念ながら双羽は姉の心配を余りしていない。なんせ、魔法が無くても色々チート気味だったあの朝美だ。“この世界に来た”彼女が、水流ごときに飲み込まれたところでどうにかなるとも考えづらい。
問題は夕依である。まず、使う魔法がこういった状況に弱いと思われることがひとつ。また、それなりに運動音痴であると思しいことでもうひとつ。旅の途中、盗賊やら猛獣やらから逃げるときにまず疲労を見せるのが彼女だったのだ。無論現代日本のひきこもり界隈に比べれば彼女の運動能力十二分なものだろう。だが残念ながら、現代日本人で船底の浸水に巻き込まれ無事に生還できる人間なんぞそういない。基準の問題である。
とにかく、このはっきり異常と言える事態の渦中にあって、彼女の現状と安否こそが最大の懸案事項なのだ。なんたって、旅の仲間なのだから。
「…ということで、僕向こう側見てくるね」
「何が、ということで、だ。何でもかんでも貴様の脳内完結で終わらせるな。しっかり理由を言え、理由を」
「ん、じゃあ…カナちゃん心配だから見てくるねー」
「姉の名が入っていないあたり気になるが…まあ、アレだからな。…うむ、とりあえず合格だ。行ってこい」
「行ってきまーす」
なんか今、自分の姉に対して地味に失礼な台詞が呟かれた気がする。が、しかし、双羽は気にしない。だって彼も同じ認識だから。朝美の前じゃ絶対言わないけれど。
そんなことを考える間に、箒は無意識を汲み取り高度を上げていた。そのまま、特に意識するでもなく最も入りやすい角度で廊下を塞ぐ壁の上部をすり抜ける。初めの頃に比べれば上達したものだ。これまで意識して箒を使ってきた甲斐あって、今では物理的に許される大抵の動作が可能である。単に飛ぶだけならば、姿勢に関わらずほぼ無意識で行うことだって出来るのだ。バック飛行に悪戦苦闘していたのがまるで嘘のような上達ぶり。自画自賛を嫌う双羽だけれども、こればかりは他に誇れる技である。誇ったって仕方無いけど。
「うーん…これで部屋の中に居るとかだったら、ちょっと見つかんないよね…」
廊下の天井スレスレを比較的ゆっくりと飛行する。一部の小部屋は戸が閉まっており、まだ中に湖水が入り込んだりはしていないようだ。しかし、すでに水圧で扉が動かないところまで湖水が来ているため、もし夕依や朝美がその中にいるとなるとどうしようも無い。双羽としてはしっかり退避してくれたことを願うのみだ。
とりあえず、夕依たちの待っていた部屋へ向かってみる。この廊下から上階へ行く階段は、位置的に双羽たちが居たところとあとひとつだけ。そうなると、彼女たちがそのもうひとつの階段あたりにいる可能性は低くない。んでもって、そこへ行くにはどのみちあの部屋の前を通った方が近いのだ。もしドアが閉まっていれば、その部屋だけは中を見ていこうと思う。
「えっと、こっちがこっちで…うーん、ややこしい」
それにしてもこの船底部、流石本来乗客の降りてこない階層なだけあって、廊下の作りが非常にややこしい。最も外周を船の輪郭に沿って一周する道はいいとしよう。しかしもって、そこから内部に伸びる大小様々の通路は、正直人を迷わそうとしているようにしか見えないヒネクレっぷり。こちらで合流しているかと思えば隣はすれ違ってあちらに伸び、あっちが行き止まりだったとすればこちらはループして枝分かれて一部は結局Uターン。そして道の先を隠すかのように林立する柱群。十中八九、外周以外は後から増築した空間だろう。元々がらんどうだったところに様々な壁材などを組み込んだに違いない。それにしたって設計者の正気を疑う程度にはカオスな構造なわけだが。
とはいえ、普段ならそれも笑い話の種で済んだだろう。それらの道は階段部分で全て外周通路に合流しているため、階段から階段までの行き来なら特に迷うことも無いのだ。問題は今みたいな人捜しに限り難易度が急上昇すること。全域を虱潰しとか、んなことしてたら日が暮れる。
「…んー、見あたんないね。やっぱ部屋に…ん?」
…というわけで、双羽がその細い通路に目を遣ったのは、ほんの偶然だった。いや、そこに一瞬注意を向けたこと自体は、人捜し故必然だったかもしれない。しかし、人間ひとりがやっと通れる道の向こう、そこを双羽とは反対方向に横切った物体を、意識の端に捉えたこと。これはもう奇跡とか幸運だとか、そういった言葉で表現するべき稀なる事象だろう。
「…っ、アレは…!」
流れていた物、それは黒くて分厚そうな布で、それはとても見覚えがある物で、それは確か夕依の着ていた…
…そこまで考えたときには既に、双羽の無意識が箒の先をそちらに向けていた。その時点で、もうその物体は見えなくなっている。水の流れが速い。回り込もうにも、こう入り組んでいてはその行く先を予想することも難しく…
「…行くよ!」
考えるより、動け。今はとにかく、流されていったあの黒い物体に追い付くこと。一言声に出すことで、それを自身全体にしっかりと認識させる。
一瞬身を屈め、空気抵抗を減らした姿勢から渾身のスタートダッシュ。すぐに眼前へと迫った柱を掠るようにかわし、眼下の水流を巻き上げ箒は空を切る。
この超常の移動手段を手に入れて初めて、双羽は本気で飛んだ。この世界に来て早々木にぶつかりかけてから、すっと避けていたフルスロットルの全力飛行。人が目で追える速度を超え、物理的な限界すらをも超えた急制動で角を曲がりきる。体に掛かる強烈な慣性を意識から外し、僅かな間に距離を空けた目的物に集中。しっかり捉えたその姿は、もう紛れもなく、夕依だ。
「カナちゃん! …カナちゃんっ!」
名を呼びつつ、流れる湖水を割って夕依のもとへと飛ぶ。一瞬彼女がこちらを見た気もするが、直後その体が沈み始めた。意識を失い、水を吸った衣服に引きずられたのだろう。このままでは、間に合わない。
…焦りを押さえ、身を屈め、他の全てを意識の外へ。流れで底の見通せない水流に、飲み込まれ行く少女を。まさに一筋の銀閃と化した双羽は、間一髪その手を掴むことに成功した。そのまま勢いと力に任せて夕依を引き上げる。気絶した人間の片手を引くのは宜しくないのだそうだが、今そんなこと言ってる場合でない。いつの間にやらすぐそばまで迫っていた壁に驚くが、そこは慌てず騒がず急減速。風圧で湖水を盛大にまき散らしつつも、何とか壁ギリギリで止まりきることに成功。減速ついで、慣性に任せて夕依を抱き上げておいた。俗に言うところのお姫様抱っことかいうやつだが、まあ今この場にそんなことツッコむ余裕のあるヤツなんぞいない。
「カナちゃん! 大丈夫、カナちゃん!?」
とりあえず、息はしている。少し足に痣が見えるのは気になるが、骨が折れているようには見えない。しかし意識が無い。目を開く様子も無く、グッタリとしていて…
「カナちゃん、カナちゃ…ん?」
ふと、箒をまたぐ足に冷たい感触を覚える。帯空位置は、相変わらず天井ギリギリ。つまり、水位が上がってきたのだ。このままここにいては危ない。
「…ふぅ。とりあえず、ここ出なくちゃね」
珍しい双羽の焦りを、足に触れる湖水が洗い流してゆく。まず、今やるべきこと。水で埋まりつつある船底部からの脱出、及び旅の連れとの合流だ。夕依を叩き起こすのは、それからでも遅くないはず。
「一番近いのは…確か、こっち!」
今の位置から最も近いであろう階段へ、双羽は飛行を開始する。夕依に負荷が掛からないよう、今度は安全運転を心がけて。
…数分後、大型客船の底部は、流れ込んだ湖水によって完全に水没することとなる。
双羽視点にすると、地の文が長くなるの法則。だからこいつで書くの嫌なんだ。
…でも、主人公って双羽なのよね、一応…