第廿壱話 得仲流水・うちとけ ながされ
目の前に、黒マントを羽織った小柄な女の子が座っている。正直あまり似合わないと思うのだが、そこは口を閉ざしておいてあげよう。なんせ朝美が指名し残ってもらったのだから。
…それにしても彼女、さっきからなんとなく挙動不審である。
「えーっと、夕依ちゃん、だったっけ?」
「あ…えと、そう、です…」
…確か朝美の記憶が正しければ、彼女は弟のことを呼び捨てていたはず。というか、旅の仲間と思しき2人に対してこんな慇懃な態度を取ってはいなかった。いやまあ当たり前なのだろうが、それにしたって朝美に対しては低姿勢過ぎるのではなかろうか。
そういえば先の相談時、夕依は朝美の言葉にほとんど反応していなかった。双羽の言うことにばかり受け答えしていた様だ。避けられているのか。それにしたって、原因が全く分からない。一応、ついさっきまで魔法を交わしていたという心当たりも有るには有る。しかしもって、それはなんだか違う気がするのだ。
「あのさ、夕依ちゃん」
「…何、ですか…?」
しかし朝美、ここで大人しく悩むタイプの人間ではない。見えている解決手段の中で、最も短絡的経路を選ぶ。そんな彼女の採った手段は、もちろん。
「なんかさ、アタシ夕依ちゃんに避けられてない? いやー、お姉さん傷つくわー」
直接、聞く。ここで、ちょっとした事情を鑑みるとかいう配慮、もしくは選択肢を期待してはいけない。
「え、えぇ…そ、そんなのじゃ、なくて…」
「じゃ、何なのかしらねぇ。もしかして、まだ会ったばかりってことで緊張しちゃったりしてる?」
「それも、違、います…」
「もー、それじゃなんでアタシにはそんな他人行儀なのよー」
遠慮なんぞ一切無く夕依を追いつめてゆく。朝美がじわじわ距離を詰めると、夕依もじりじり後退する。そんな移動は少しばかり続いたが、間も無く部屋の壁にまで到達してしまった。もう逃げ場は無い。
「さーて、なんで逃げるのかしらねぇ」
「…え、それは…朝美さんが、寄ってくるから…」
「だーかーらー、そのご丁寧な態度の理由教えてくれればいいのよ。別にそんな無理言ってるわけじゃないでしょ」
なんか話し相手が余所余所しい、というだけの話題だったはずなのだが。どうしてこうなったのだろうか。まあ、結果として暇つぶしにはなっているので止めないが。
「…えと。私、年上の人には…敬語、使うことにしてて…」
「あらら。それだけ?」
「そ、そうです…」
なんだそんなこと、と納得しそうになったがちょっと待とう。見た感じ、あの華月とかいう白衣の青年も彼女よりは年上に見えたのだが。実は背が高いだけのガキんちょだった、とでもいうのか。それにしたってマセすぎだろう。将来が心配なレベルだ。もしそのままいけば、確実に禿げる。
「あの白衣、帰ってきたら生え際に気を付けるよう言っとこうかしらねぇ」
「…は?」
「やー、なんでもないわよ。気にしない気にしない」
どうも朝美には、頭の中の思考を結論から喋る癖がある。そのために時たま、今のような一見謎の台詞が飛び出すのだ。考即言、ってな感じ。かっこよく言って何がどーなるワケでないが。
とりあえずはあれだ、華月が禿げる云々は置いておいて、本題に移ろう。いや戻ろう。
「ところで夕依ちゃん、なんで年上には敬語使うの?」
「…別に…大した理由は…」
問いに返す夕依の目を見るが、何か裏があるようでもない。実際ただの習慣とかそのあたりだろう。ならば、大丈夫だ。
「それならねぇ。夕依ちゃん、今からアタシに敬語使うの禁止! そんな大して歳離れてないみたいだし、部活の先輩後輩とかでもないんだから」
「え、でも…」
「でも、じゃないの。あのねぇ夕依ちゃん。確かにアタシは年上かも知んないけど、この世界に来たのはつい最近なのよ。つまりここに関しちゃ夕依ちゃんのが先輩ってわけ。分かる?」
「そ、それは…そう、ですけど…」
「夕依ちゃん、この世界来て長いんでしょ? 双羽もねぇ、アンタは頼りになるって言ってたわよ」
「…双羽、が…?」
何故そこに反応する。アレか、青い春過ぎて秋じゃなく春来てる感じなのか。よし、双羽には後で拳一発落としておこう。理由なんて、なんとなく気にくわない、で十分だ。
…丁度その頃壁何枚か向こうでは、件の双羽が頭を押さえつつ2連続でくしゃみをしていた。
「でもねぇ、アタシが夕依ちゃんに敬語使うっていうのもやっぱり落ち着かないでしょ? だからさ、アタシ達は対等。どちらが上ということは無く、見下すことも低頭することも無い。アタシは、夕依ちゃんとそんな関係で話してみたいの。ダメかしら?」
「別に…ダメってことは、無いですけど…」
「それじゃ決定ねぇ。今から敬語は禁止、アタシと夕依ちゃんは同じ目的持った同志、よ」
「…分かったわ。よろしく、朝美さん」
「んー。まあ、いきなり“さん”付けまで止めろってのは難易度高いわよねぇ。そこはしょうがないか。んじゃ改めまして、よろしく、夕依ちゃん」
どちらともなく右手を差し出し、握手を交わす。話し相手約一名確保、である。
「…そういえば…」
「ん、何?」
しかし、やはり今までは多少無理して敬語を使っていたようだ。先ほどまでの詰まり詰まりな喋り方に比べ、今は随分と聞き取り易い。良いことである。
「…なんで、朝美さんは…シージャックとか、してたの…?」
「そりゃま、足が欲しかったからねぇ」
海上の移動において船ほど有効なものも無い。それは当たり前のこと。
「えと、そうじゃなくて…」
しかし、夕依が聞きたかったこととはまた別らしい。
「…ベンフィード公国目指すなら…何もしないで、大人しくしてれば…」
まあ、それは確かにそうだ。そもそもこの船はゲィヌシン行き。元から目的地へ舵をとっているわけで、そこをわざわざ占領することに意味が無い。
…それはあくまで、本来ならばそうだった、というだけのことだが。
「ま、いくつか理由は有るんだけど。実は、アタシの目的って人捜しだったのよねぇ。何処に居るとかさっぱりだから、とりあえずあの国目指してたってだけで。だからある程度自由の効く移動手段が欲しかったのよ」
「探してたのって…双羽?」
「そのとーり。どーもアタシと同じことになってたっぽかったしねぇ」
ある日突然消えた弟。そして、何故かそこに関心を持たない周囲の人間。朝美自身、気を抜けば双羽のことを忘れてしまいそうだった。
そんな中で朝美はこの世界へと呼び出され、この地へ降り立ったのだ。状況から考えるに、双羽の身にも同様の現象が起きたのだろうと予測できる。ならば、ここは草の根分けてでも探し出してやろう。
見つけ出して、そして一緒に元の世界へと帰るのだ。
「ま、双羽は運良く見つけられたわけだし。こっからは来訪者らしく旅するだけねぇ。ってことで、この先付いて行くんでよろしく」
「え、と。別に、良いと思うけど…他の2人にも、聞かないと…」
「ま、無理にとは言わないけど。どうせ目的地は一緒なんだしねぇ」
どのみち、ここからベンフィード公国まではほぼ一本道だ。双羽や華月が同行を許可してくれなければ、今まで通り盗賊団を率いつつあの国を目指すだけ。そうなると、移動速度的に考えて双羽達を追いかける形になるだろう。一緒でなくとも、大して変わらないわけだ。
「あ、そーいえば。夕依ちゃん達に付いてくとなると、アイツらどーするか考えないとねぇ」
「アイツら、って…盗賊団の人たち?」
「そーそ。元々、双羽を見つけるまで、って話で付いて来てもらってたんだけど。流石に何にも無しでほっぽり出すのもアレよねぇ。なんだかんだでいいヤツばっかだし」
初めは力付くで言うことを聞かせていたのだが、気が付けば団員達全員に慕われていた。正直、暴力でもって色々と強いていた記憶しかない。どこでどう転がって今みたく懐かれたのか、いまいち心当たりも無いのだ。分かるのは、彼らがしっかり自らの意志で朝美に付き従ってくれている、ということだけ。まあ実際、それで十分なのだけれど。
「…朝美さんは…なんで、盗賊団のリーダーなんて…やってるの? …女の人なのに」
「別に女性が盗賊率いちゃダメってことも無いでしょ。ま、アレよ。そもそもの切っ掛けはねぇ」
思い出すのは20日程前。朝美がこの世界の地を初めて踏んだ直後だ。そう、右も左も分からなかったあの時…
…朝美の思い出話により、ゆっくりと時間は過ぎていった。
……
「で、この船の船員の人に盗賊だってバレちゃってねぇ。今更シラ切り通すわけにもいかないし、じゃあいっそのこと盗賊らしくこの船占領しようか、ってことになって」
「朝美さんって…思い切りいいわよね…」
「あら、誉めたって何も出ないわよ?」
誉めてるのかどうかは正味微妙なラインだが。まあ、プラスに受け取ってもらえたのならそれで良いだろう。
流石に長かった思い出話に聞き疲れを感じたため、壁に背を預ける。巨大な船だけあって、いかにも頑丈そうな材質だ。合金か何かだろうか、金属の冷たさが心地良い。…ついでだが、改めて朝美の魔法の規格外っぷりを認識してみたりする。木造建築とかなら楽々と撃ち抜けるのではなかろうか。
「ん、そういえば。なんかさっきからちょっと騒がしいわねぇ」
「え? …あ、言われてみれば…」
朝美に言われ、耳を澄ませてみる。微かにだが、複数人の話し声っぽいものが聞こえてきた。…あと、なんだろう、少しづつ大きくなっているような。
「近づいて…来てる?」
「みたいねぇ。というか、アタシあの声に聞き覚えあるんだけど」
「…誰?」
「招かれざる客、よ。ホント、忘れてたわ。この船の船員さん」
「…あ、それは…」
朝美の身の上話によれば、シージャック決行当初、手当たり次第船員を叩きのめしては荷物置きに放り込んでおいたらしい。一応出会った船員にはもれなく同様の措置をしておいたのだが、そもそも遭遇していない者も居たのだろう。妙に音声識別能力の高い朝美の聴覚を信じるならば、近づいて来ているのはこの船の乗員全て。仲間に救出された船員達は、船を襲った賊に立ち向かおうとここまでやって来たわけだ。その勇気、もっと別のところで発揮して欲しかった。
更に問題なのは、彼らが恐らくは放送を頼りにここまで来たということ。もちろんその場合、目的地は船後部の貨物倉庫になる。十中八九、通るのはこの部屋の前を抜けていくルートだろう。んでもって、件の貨物倉庫では乗客の誘導に双羽たちが動いているわけで。
「…放っておくと…ものすごく、ややこしいことに…」
「ま、勇んで来たとこ悪いけど、ここ通すわけにはいかないのよねぇ。うん。ってことでアタシはアイツらの足止めするけど、夕依ちゃんどーする?」
「え、と。私は…抜けてきた人、止めてみる」
本来ならば一緒に手伝いたいところなのだが。朝美の魔法の性質上、あまり付近に味方がいると逆に戦い辛いだろう。廊下という密閉された細い空間なら尚更だ。よってこの部屋の辺りに隠れつつ、運良く朝美の弾幕をかい潜れたラッキーな船員の足を止める。これが多分、最も効率の良い配置だろう。
「りょーかい。もちょっと夕依ちゃんと話してたかったんだけどねぇ。ま、良い暇潰しってことで、精々暴れてくるわ」
「…気をつけて」
朝美なら問題無いとは思うが、万々が一ということもある。気をつけるに越したことは無い。
「誰に言ってんの、アタシがそんな柔そーに見える?」
「見えない…」
「その即答、女性として喜ぶべきかどーか微妙なラインねぇ。っと、そろそろ行くわよー」
「…呪術、路傍の石…」
自身に気配薄化の魔法をかけ、部屋を出る朝美の後を追う。ちょうど、部屋を出た位置からギリギリ見える角に一団の人が居た。音だけでどうやったか知らないが、朝美はこのタイミングを狙っていたのだろう。この位置取りならば、夕依は朝美の戦闘を目視しつつ機に乗じて動けるのだ。
「…ん? おい、人がいるぞ!」
「乗客か?」
「いや…ちょっと待て、あいつだ、あの女が盗賊団の首領だ!」
「なに、あの女性が!?」
朝美を発見したことで少し戸惑い、乗員の集団は足を止める。そこに、無造作な足取りで近づく朝美。それを見てもまだオロオロしているあたり、彼らは戦闘に関して素人なのだろう。…まあ、当たり前だが。むしろ乗員が皆戦闘のプロな客船とか何それ恐すぎる。
むしろここで気をつけるべきは彼らでなく、その肩に担がれた円筒形の物体だ。通常業務中の乗員があんな物を持っているところは見たことが無い。それに何となく、元居た世界のバズーカ砲か何かを彷彿とさせる造形である。
これらのことより推測できるひとつの事象。即ち、あの白い長筒は不審者対策の武器か何かなのではないか、と。
「…っ、とにかく、ヤツを拘束する! 全員構えろ!」
「へぇ、やり合うってワケねぇ。面白いじゃない」
バズーカもどきの先端が、全て朝美へと向けられる。夕依の予想は大体合っていたようだ。まだ爆発物なんかを打ち出す物かどうかは分からないが、あの距離の取り方からして、飛び道具であることは間違いないだろう。対する朝美も腕を引き、完全に戦闘態勢だ。あまり直線上に居座ると流れ弾を受ける可能性があるため、部屋の入り口から体半分だけ中に引っ込んでおく。
「撃てっ!」
「っ、ていやっ!」
バズーカもどきから、真っ白な球状の物体が打ち出される。それらは全て朝美へと殺到するが、ぶつけるように放たれた蒼い閃光がそれらを阻んだ。一瞬にしてバラバラに切り裂かれ、周囲へ飛び散る白い物体の破片。いくつかこちらへも飛んできたため、扉の奥へ頭を引っ込めやり過ごす。
…直後、破片の着弾地点から次々と白い炎が吹き上がった。どうやらあの物体、当たった対象に張り付いたのち高温で燃焼し始めるという性質を持つようだ。一介の客船に装備される個人火器としては、少々やり過ぎな気がしなくもない。しかし実際に盗賊やら怪物やらが彷徨くこの世界。その手の備えに行き過ぎという言葉は無いのかもしれない。
「ふっ、っと、せぃ!」
「がっ!?」
「っく、距離を取れ! 近づかれるな!」
夕依がそんなことを考える間に、朝美は乗員を3人ノックアウトしていた。どうやら怪我をさせるつもりは無いらしく、全員素手で叩きのめしている。魔法は専らあのバズーカもどきによる砲撃を防ぐのに使っているようだ。そうしつつ、巧く位置を取ることで乗員を全て廊下の片側へと留めていた。正直、夕依の出る幕なんぞ全く無い。
…更に2人ほどの乗員が、朝美のハイキックと続く回転蹴りを頭部に受けて昏倒した。すぐ仲間に助け起こされているものの、すぐには動けないだろう。そのお返しとばかり、足を振り抜いた体勢の朝美へとバズーカもどきの一斉砲撃が降り注ぐ。それを、先行数発は魔法で叩き落とし、残りは地面へと大規模な閃光を打ち込む反動で回避。一瞬援護しようと思ったが、まだまだ問題無いようだ。ついさっきまで朝美の立っていた位置には、一瞬遅れで白い球体が次々とぶつかった。
そして、吹き上がる水柱。
「な、何だ!?」
「あらら」
二言話す間も無く朝美と乗員たちは溢れ出した水流にのみ込まれる。強力な攻撃を立て続けに受けた船底がついに破れたのだ。そう理解したときには、夕依の元へも荒れ狂う水は迫ってきていた。
「…っ、呪術・強制リバウンド…!」
体を極限まで重くし、ドアにしがみつくことで鉄砲水のような第一派を何とかしのぐ。しかしすぐに水位は上がり、塩水は容赦なく夕依の顔を叩いた。仕方なくドアを放し、魔法も解除することで夕依は浮き上がる。
初めのような荒れ狂う水の流れはもう無いものの、狭い廊下をまるで川のように水流が巡っているため流れが速い。それでも、ここは何とかして階段のある方面へと泳いでいきたいところ。だんだん水嵩も増してきているため、時が経てばこの船底部に呼吸をできるような場所は無くなるだろう。
しかし…
「…泳げないのよね、私…」
夕依は、カナヅチであった。学校での半強制的な水泳の授業を受けたことだって、もちろんある。むしろ、そうでなければ今頃浮くことさえ出来ずに沈んでいるだろう。なんたって着衣水泳なのだ、浮かんでいられるだけでも彼女は頑張っていると言えるだろう。
…が、それでも多少泳ぐことさえ出来れば、流れを利用して上の階へと向かうことも可能ではあったはず。今この現状では、ただ流されるままだ。そろそろ位置把握も難しくなってきている。それに、気合いと根性八割で保たせていた立ち泳ぎもそろそろ厳しくなってきた。
「…なんとか、壁に…きゃっ!」
塩水が顔にかかり、息が続かなくなってゆく。流される途中で何かにぶつけたのか、右足の感覚が無い。
ゆっくりと、非常にゆっくりと、体が水流へと沈んでいくのを感じる。そろそろ視覚が役目を成さなくなってきた。
…なんともしょうもない終わり方ではないか。生きるため、ただ生き延びるために続けてきた旅の終着点がこんな場所とは。なんだか、罰が当たったような気がしなくもない。自嘲と共に湧き出でた諦念が、夕依の意識を曇らせてゆく。
「…ん! か…ん!」
薄れゆく意識の中、夕依は誰かの呼ぶ声を聞いた。彼女の意識は、一度そこで途切れることとなる。