第拾質話 船上発事・しーじゃっく?
相変わらずメインキャラじゃない人は名前が出てきません。設定としては有るんだけど…なんででしょうかね?
「海っ、海ー!」
「どうした把臥之。海に何か未練でもあるのか」
絶賛ハイテンションな双羽が船上を駆け抜ける。船の端の柵を行き来しては海海叫んでいるその姿、まあ見た目ははしゃいでいる子供そのものだ。
その軽いノリに身を任せ、彼は船上にいくつか置かれたイスのひとつへと狙いを定めた。んでもって全力ダッシュ、そして跳躍。…いや違う、最後跳んだのは何かに躓いたらしい。
「わあぁぁぁ!」
「…え」
咄嗟に体を丸めた双羽は、走ってきた勢いそのままイスへと衝突する。バキガシャドカンとおよそ人間の衝突では出そうもない音を立て、少年とイスは衝突地点から放り出された。無論、そのイスの上で寝ていた人物も一緒に。
頭を押さえながら立ち上がった双羽は、目の前に黒衣の修羅の顕現を見る。
「…双羽」
「ひゃい」
こちらも頭を押さえた夕依が、角とかオーラとか幻視しそうな形相でゆらりと立ち上がった。相当お冠のようだがまあしょうがない。人間食べ物と睡眠の恨みは恐ろしいのだ。
「あんたは、何が楽しくて私の安眠を邪魔するの?」
「え、えーと…」
「言い訳しない」
「ひゃい」
ことここに限り、夕依の言っていることは大分理不尽である。しかしもって華月は双羽を弁護したりしない。この件、完全に彼の自業自得だ。それに見てて楽しい。だから止めない。
「えぇっと、でも…」
「口答えしない」
「ひゃい」
彼らの会話を横手に聞きつつ、華月は空を見上げる。今日で出港から丸3日、変わらぬ快晴だ。時刻は1の刻を少し過ぎた頃。太陽は南方を中心とした左右線対称な位置から海原を照らしている。
この世界に来た当初は見る度違和感しか感じなかった双子の太陽だが、今では見慣れたものだ。むしろ太陽がひとつな状態の方が想像しにくくなっている。この世界に慣れてきたということだろう、それが良いことかどうかは別にして。
因みに余談なのだが、華月はあの太陽を『連星』なのではないかと考えている。季節によって位置関係の複雑に変化するふたつの恒星、一点を中心に双方が公転する連星だとすれば説明がつくかもしれない。別にそんなしっかり観測とかしたわけでもないため、現状ではただの推測でしかないのだが。
「…分かった、双羽?」
「ひゃい、分かりました…」
華月がこの世界の天体へと思いを馳せている間に、あちらの方も収束してきたようだ。いつの間にか双羽は正座、それに対し夕依は腰に手を当て仁王立ち。特に夕依、普段の内向的な彼女の性格からはちと想像し辛い程饒舌である。こちらも、少なからず船旅の空気にあてられ昂揚していたようだ。
「…気楽な旅だな」
他人に便乗する船旅とは、これほどまでに気楽なものだったのか。今までの行程とは全く違うこの感じ。
まず、歩かなくて良い。体力を消費しない旅ほど楽なものも無いだろう。自分で操縦しているわけですらないのだ。疲れる要素が皆無である。毎食食堂を利用できるのも大きい。まあ、これには毎日宿の一泊分ほど金を取られているわけだが。それでも、目的地まで宿屋ごと移動していると思えばそんなものだろう。
また、道中の危険も大きく減る。例え船旅であっても悪天候等のハプニングは付き物だろうが、陸路に比べれば遙かにマシ。どういうわけか、陸地の上だと天災に加え人災が頻発するのだ。野党の襲撃に遭った回数は、キチンと数えてはいないものの恐らく20を超える。なんたって子供2人に青年1人の3人旅。彼らからすれば狙ってくださいと言わんばかりなのだろう。
…まあ、それでも全て逃げ切り事無きを得たわけだが。逃走という点に置いて、無詠唱魔法のアドバンテージは計り知れないのである。
「む?」
船旅の素晴らしさを噛みしめる華月の耳に、軽快な調子の短いメロディーが流れ込んできた。ここ3日で数回耳にした音。船内放送の呼び出し音だ。どこそこに忘れ物があるだとか、もしくは誰かを誰かが呼んでいるだとか。船内放送の用途は大体こんなものであるため、基本華月には関係無い。何処からともなく聞こえてくる音声伝達の仕組みならば知りたいと思うけど。
つまりこういうわけで、華月はこの放送を意識半分に聞いていた。故に内容を聞いた時、他の乗客と同じく理解にワンテンポ必要だったのは致し方無いことと言えるだろう。
『あー、あー、マイクテスマイクテス。聞こえてますね? はい、ありがとうございます。…えー、たった今この船はアーサミー盗賊団が占拠いたしました。命とか色々惜しい方は是非大人しく我々の指示に従ってくださいお願いします。…あー、繰り返します。たった今、この船はアーサミー盗賊が…』
……
3度程同じ内容の放送を流し、一旦スイッチを切る青年。防音性に優れたこの部屋にも、にわかに慌ただしくなった外部の空気がなんとなく伝わってきた。無論船として重要な操舵室と動力室は既にピンポイントで押さえてあるわけだが。まあ、早いとこ次の指示をすべきだろう。パニックに陥った群衆なんて相手にしたくない。
「あら、終わった?」
背後の戸が開き、1人の女性が船内放送室へと入ってくる。髪を無造作に肩まで下ろし、安物のシャツに似たような長ズボンととにかく飾り気の無い人物。彼女こそが、アーサミー盗賊団のボス、通称“姐さん”だ。本人はこの呼称に違和感を訴えているのだが、むしろこれほどこの人を端的に表した言葉は無いと思う。
「終わりましたよ。けれど、早く指示を出しておいた方が良いですね。何も言われないことで不安を強めた乗客が…」
「あー、そのあたりはアンタに任せるわ。アタシはそーいうの苦手だしねぇ」
「…分かりました。というか知ってました」
訳あって彼女をリーダーとするこの盗賊団だが、大体いつもその頭脳役は参謀である青年の役割だ。姐さんは基本的にめんどくさがりなのである。故に頭脳労働もいつもこちらへ丸投げ。彼の心労は溜まる一方だ。
「…船底後方に、大型の貨物倉庫がありましたよね。そこに乗客全員の荷物を集めさせましょう。その上で、乗客の皆さんにはそれぞれの船室で大人しくしておいて貰います。少々無理はありますが、これで乗客の荷物目的の占領だと思わせられるでしょう。我々は仮にも盗賊団なのですから、盗賊団らしくしておかないと余計な疑いを掛けられます」
「そんなもんなの?」
「そんなもんなんです。後ついでですが、ゲィヌシンへ直行するようにさせましょうか。一応寄港無しでもあそこまで辿り着ける程度の燃料は積んでいるようですし、何より姐さんの目的には…」
「んなこといちいち気にしなくて良いわよ。むしろアタシにとっちゃ、その目的っていうの自体モノのついでみたいなもんだしねぇ。無理して下手打つのは最悪よ?」
「まあ、それもそうですね。なら先ほど話した通り、乗客は全員最初の寄港地で下ろす、ということで良いですか」
「だーかーら、そーいう細かいコトはそっちで考えて、ってば。アタシに振られても答えらんないわよ」
「では、そうしておきます」
こんな彼女だが、決して盗賊団の面々は嫌々付き従っているわけではない。むしろ喜んでそこにいる者がほとんど。参謀役の彼にしたって同じである。…彼らは皆、“姐さん”が居なければ今こうしてまともに生きていること叶わなかったであろう境遇なのだ。有り体に言えば、彼女は命の恩人なのである。無論、ただそれだけの理由でその下に付いているわけでもないのだが、そこはまあ話すと長いので省略する。
「ではまた放送しますので、姐さんは貨物倉庫の確保お願いします。恐らく放送と同時に乗客が押し寄せることになるでしょうから、可能な限り迅速にやってくださいね」
「誰に言ってんの、任せなさいって! で、その貨物倉庫ってどこだっけ?」
「…船底後方です。放送室前の見張り1人2人連れて行って良いですよ」
一瞬沈黙でもって応えそうになるが、そこをぐっと耐える。大風呂敷を広げるだけ広げてど真ん中に穴ぶち空けるのは彼女の得意技だ。こんなことでいちいちメゲてちゃアーサミーの参謀は務まらない。
「んじゃ、行ってくるわねぇ。ここは任せた!」
「任されました」
とうっという掛け声と共に放送室を飛び出していった彼女の背中を見送る。階段を駆け下りる音が聞こえなくなったあたりで、青年は放送機へと振り向いた。
手慣れた様子で機器をイジり、船内全域放送であることを確認。ついで扉が閉まっていることも確認した上でスイッチをオン。ヴン、と、魔動式放送機特有の重低音が響く。次いで放送開始を知らせるアナウンス音が放送され、船内が静まるのを感じた。
『あー、先ほどお伝えしました通り、乗客の皆様に今からいくつか指示を出します。どうぞ騒がず静かに聞いて、静かに従ってください』
我ながら無茶なことを言っていると思う。しかし、ここは姐さんの仕事に期待だ。騒ぐ群衆の鎮圧とか、きっと彼女の得意分野に違いない。
『まずひとつ、船底後方の貨物倉庫へと手持ちの荷物全てを持って来て頂きます。これらは全てこちらでお預かりしますのでどうぞよろしく。次に、荷物の引き渡しが終了した乗客の方は各自の船室で大人しくしておいてください。下手に出たり彷徨いたりすればどうなるかとかは、まあ言わずともご理解なされていると思いますので敢えて言いません。ご協力お願いします。…えー、で、繰り返しますが…』
はじめの放送と同様、3度同じ内容を繰り返す。面倒だが、集団へしっかり意思伝達を行う上では必須の作業だ。これだけで伝達効率は大きく変わってくる。
『…というわけで、重ね重ねご協力お願いします』
数言数句違いはあったものの、概ね同内容の放送3回目を終了。まず最優先でスイッチをオフに、そして放送が切れたことを確認した上で大きく溜息を吐く。
実はこの指示ふたつ、大きな抜け穴がある。まず、荷物を受け渡す必要が無いこと。少し冷静さを残す者ならば、とっとと荷物ごと部屋に引きこもるだろう。どこかの船室に集結されて、そこから反抗とかされるかもしれない。たったこれだけの指示で、確実に荷物を集めるのは難しいのだ。
「…ものの見事なまでに綱渡りですね、ほんと」
まあ、急場凌ぎの作戦としてはこんなものだろう。実は乗客の荷物なんざどうでもいいのだが、それを言ったところで混乱が深まるだけなのは分かり切ったこと。ならば、ありがちなシージャックに見せかけるのが一番。見えない何かよりも、見える脅威にこそ人は冷静な判断を下せるものなのだ。
「さて、これからどうしますかね…」
さっき姐さんは見張りを2人連れて行ったので、今ここには参謀役の彼と見張りが4人。実際もう放送室は要らないのだが、あっさり放置して妙な勘ぐりされるのも鬱陶しい。よってある程度固めておく必要があってこの体制なのだが。
暇なのだ。そもそもここを取り返しに来るような、勇気ある一般乗客がいるとは考えにくい。傭兵だとか騎士だとか、そういう戦闘を生業とする人種が乗っていないことだけは確認済み。あと不確定要素としては素性不明の旅人数グループだが、彼らが急に連携できるとも思わない。単独で攻めるには、盗賊数人の壁は厚いだろう。
「さっぱりやること無いですね。…放送室なんだから、何か音楽を放送できる設備とかないんでしょうか…?」
畜音魔石と呼ばれる棒状の石に音を記憶させ、再生する装置が存在する。なかなかに高級な道具であるため一般人はそう持っていないが、こんな大型客船とかなら置いてありそうなものだ。なんたってあの放送アナウンス音も何かしら音を記憶してあったわけで…
「…ん?」
放送機器の裏をごそごそと漁っていた参謀な彼だが、ふと気づいて耳を澄ませる。がた、どか、という何かと何かをぶつけ合うような音、そして怒声。あれはそこで見張りに立っている団員の声だ。防音設備のせいで聞き取りづらいが、間違い無い。
「まさか、襲撃してくる人がいるなんて、ね…」
油断はあった。まず防音機能付きのドアを閉めっぱなしというのがマズい。目の前でドンパチやってくれたから良かったものの、下手すればそのまま奇襲受けるところだったわけで。
そう思考を回しながらも得物を回収してドアの取っ手に手を伸ばし、ふと考えを改める。放送室の手前は細い廊下。仮にそんな地形に彼が加勢したところで、盗賊団側の戦力の増加はほとんど無いに等しい。襲撃者側が突破できなかった場合、特に問題無し。もし見張りが突破される戦力だった場合、青年の加勢に意味は無し。つまり、今彼に取れる最善の一手は、ここ入り口の手前死角で息を潜めること。
ここまでを数瞬で考え、実行。彼の手に馴染む大降りのダガーナイフを脇に寄せ、気配を殺して壁に寄り添う。気配に関しては今更な気がしなくもないが、まあそこは気分の問題だ。
そうこうする内に、扉の外での戦闘の気配が静まる。直後、自然に開けられる扉。そこから覗いたのが青年のよく知る顔でないことを判断、素早くダガーナイフを突きつけた。…が、あっさり棒で払われる。あの木棒、見張りの1人が持っていた得物だ。
「…やっぱり、部屋の中にもまだ居ると思ったんだー」
「ご明察をどうも」
軽いバックステップで距離をとったのは、少年。まだ10と少しぐらいか。ただ、纏う雰囲気はもう少し上。驚いたことに、彼以外に人の気配は無い。たった1人で4人の盗賊を無力化してのけたというのだろうか。
「さて、しかしこちらとしても、この部屋を明け渡すわけには…」
「うん、それはどーでもいいんだよ。君が逃げ出そうとしてることも含めてね」
「…どういうことですか?」
確かに青年は逃走を第一に考えていた。目の前の少年の容姿に騙され、盗賊4人が敗れ去った事実を忘れるほど彼は耄碌していない。…が、それで良いとはどういうことか。別に、これ以上の増援を呼ばれてもどうにかする自信があると。そういうことなのか。
「んー、どーういことって言われると困るんだけど。とりあえず僕が聞きたいのは、アサミ、って人について、なんだよね」
「…姐さんに、何か?」
「あ、やっぱり居たんだここに。名前からしてそーじゃないかとは思ったんだけど」
…これは、思っていたよりずっと悪い方向へと事態が転がっているらしい。素性の知れない旅人が、姐さんを探す理由。十中八九、来訪者がらみだろう。
盗賊団の面々は、皆彼女が異世界からの来訪者であることを知っている。そしてそんな来訪者に懸賞金が掛けられていることも、もちろん。むしろ、それ故に彼女を守ろうとわざわざ盗賊団を結成したりという経緯があるのだが今それは関係無いので置いておく。
「端的に聞きますが…あなたが彼女を捜す理由は、来訪者、という言葉に関係有りますか?」
「んー…まあ、関係はあるね」
確定か。こうなれば、意地でもここでこの少年を足止めするしかない。賞金目当ての人物の汚い手に、姐さんを触れさせてたまるか、と。
「…ならば、あなたをここから移動させるわけにはいきません」
「…え」
「良くて足止めでしょうが…その身削らせて頂きます!」
「え、ちょ!?」
ダガーナイフを構え、素早く接近。牽制に突き出した左腕、その死角からナイフを振り上げ…
「がっ…!?」
「あ…えーと、ごめん。つい…」
側頭部に強い衝撃を受けた彼は、そのまま昏倒してしまう。時間にして、僅か一瞬の出来事。
時間稼ぎさえ無理だったか。ブラックアウトしていく意識の片隅で、青年はそう自嘲した。
「…で、さ。一体どーいうことなの…?」
…独り、残された少年の疑問に答える者は、いない。