第拾陸話 嵐港大船・あらし のち みなと
窓からの景観を彩るという大きな時計塔は、今のところ霞んでいてよく見えない。ナウェサのやたらと立派なやつに比べれば流石に見劣りするそうだが、それでも町のどの建物より高く大きい三角屋根の塔。それが霞んで見えるほど、今天より降り注いでいる雨は激しかった。
「今は…ふむ、1の刻か。それにしても暗いな」
「…今日中に、止みそうもないわね…」
「ってことはもう一泊?」
「そういうことだな。暇で死にそうだ」
乾草原地帯を抜け、途中目的地であるユヒナ港まで辿り着いた華月たち一行。あとはここから一週間船の旅をすればベンフィード公国はすぐそこ、だったのだが。
「それにしてもさ、あの河のところ凄かったよねー。僕、雨の壁って初めて見たよ」
「奇遇だな、俺もだ。…雨が降らない、というのも、まさかあのレベルだったとはな…」
丁度乾草原地帯の端には河が流れている。信濃川とかよりは大きいが、アマゾンだとかそのあたりよりは遙かに小さい、そんなサイズの緩やかな河川。曖昧だが、まあ大体そのくらいの流れが草原地帯の北半分を包むように横たわっているのだ。ちなみにその河まで辿り着いたのは、草原地帯に入って8日目の夕方である。
で、その河に何本か架かっている橋を前に、3人は謎の光景を目にした。丁度河のど真ん中を境に、こちらは晴天、あちらは曇天通り越して大雨暴風警報状態。まるで河の形が天に写し取られたかのように、黒雲と青空との境界がそこには出来上がっていたのである。
そこから先は慌ただしかった。華月の魔法“傘”で雨を突破して、港に着いたはいいけど風強すぎて船が出航できなくて、そのために急遽宿を取って一泊して、それでもって今に至る。残念ながら、一晩越した今朝でも変わらずの豪雨暴風フルコンボだ。これはまあ、ほぼ確実に2泊目突入である。
「気は急くけど…船が出ないんじゃ、しょうがないわよね…」
「ま、お金はまだあるしさ。いつまでに着かなくちゃってワケでもないし、今日は一日のんびりしようよ」
「そういうことだな。さて、問題は外にも出ずに何して時間を潰すかということだが…」
「…本でも読んでるわ…」
さて何かしようぜ、という華月の言外の誘いをのっけからぶった切る夕依。なんだか少し悲しくもなるが、これもいつものこと。この程度じゃ華月はメゲない。
「ふむ。…把臥之、少し…」
「あ、この宿ってさ、確か厨房借りれたよね」
「…あ、ああ。確か借りられたと思うぞ。表の看板に書いてあった」
流石に無料というわけでもないが、厨房の貸し出しをしている宿は多い。特に、旅人向けのそこそこ余裕のある宿なんかは大抵やっている。旅銀の少ない旅人などは、ここで半自炊することで食事代を浮かせるのだ。貸出料金も、まあまともに外食するよりはリーズナブルなお値段である。
「じゃあさ、僕久しぶりに料理してくる! この世界の料理教えてもらいたかったんだ!」
「む、そうか」
言うなり、てててと部屋から駆け出していく双羽。置いて行かれた感満載の華月。というか料理などしたのかあの少年は。そこそこ驚愕の新事実だ。
なんとなく横を見るが、夕依は既に本の世界へ入ってしまっている。
それにしても、その大量の本はどこから出てきたのか。明らかに彼女の荷物袋の容積を超えている気がしなくもない。…いや待て、明らかにこの町で発行されたと思しき本すらある。一体いつの間に。
「…ふむ。つまりすることが無いのは俺だけ、と」
なんだか悲しい事実に気づいてしまった華月である。こう見えて元の世界ではアウトドア派だった彼にとって、外出を制限された状況というのは非常に辛いものだ。限られた空間を楽しむ術なんぞ生憎持ち合わせてはいない。
「…しょうがないな」
ここはひとつ、考え方を変えよう。楽しもうと思うから、いけないのだ。何か…そう、何か今後の役に立つ暇つぶしとか、無いだろうか。
「何かを買う…のは無理か、外には出られん。ならば、何か作る、か? いやしかし、旅に役立つものなど…」
まあ少々頭を捻ったからといって、そんなアイデアがすぐ出てくるほど華月は天才でない。というか、まず自作できるお役立ち品という時点でハードルが高過ぎる。なんたって華月はものづくりに関して素人だ。そんな彼が特別作れるものなんて…
「いや、あるぞ」
あった。彼だけに作れる、特別な、それでいて役に立つ品が。
「先ずは…そうだな、白い紙が必要だ。それから、紙の束を纏めておけるような…」
こうしてやることを見つけた華月は、ぶつぶつ言いながら部屋を出ていく。確か宿の一階にちょっとした雑貨店があった筈。目的のものは、そこにあるだろう。無くても、意外となんとかなるかもしれない。
「なるほど、なるほどな。こういうやり方もあったか」
暇つぶし探しの思わぬ収穫“文字魔法の新たな使い道”に、自然頬の緩む華月であった。
…廊下ですれ違った宿泊客の尽くが、そんな彼のマッドな笑みにぎょっとしたというのは余談である。
……
一夜明けた。バケツどころか風呂桶ひっくり返したみたいなあの雨も、今朝方12の刻頃には止んでいたようだ。窓から見える朝日には一片の曇りも無く。それに追随するような雲ひとつ無い晴天。どうにも両極端な天候である。
「ふあぁぁ…あ、おはよ、カナちゃん」
「…おはよう」
窓から入る角度の緩い日の日光に目を射られ、ゆるゆると起き出す双羽。昨日は結局宿の厨房の営業時間いっぱい居座っていたらしく、一行の晩ご飯は彼の実験料理フルコースだった。初めて作ったこの世界の料理と言う割に、そこそこの味を出していたことには驚いたものだ。料理好きというのは本当なのだろう。厨房係の人にも筋が良いと褒められていた。
「…む、朝か。いつの間にか寝てしまったようだな…」
部屋の空気が動き出したためか、華月もごそごそと動き始める。寝不足気味の目を擦り擦り、ベッドの周囲に散らばる紙切れをかき集め始めた。
なんか変な模様が書いてあったり書いてなかったり、長方形だったり菱形だったり丸かったり。とにかく統一性の無いその紙が何なのか、夕依にはさっぱり全く分からない。しかし昨日の晩は遅くまでそれの制作に勤しんでいたようだ。夕依が寝た時点では散らばるばかりだった紙切れだが、今は完成品と思しき長方形の紙がいくつかの輪っかに纏めて留められている。けどやっぱり何なのかは分からない。
ごそごそと身支度を整える2人を待ち、夕依は窓から外を眺める。いつもこの3人の中で最も早起きなのは彼女だ。ひとり旅が長いせいかもしれない、眠りが浅いのである。昨晩も雨の音で何度か起きていた。
「準備完了っ。華月君まだー?」
「うむ、もう少し待て。昨晩は結局片づける間も無く寝てしまったからな」
「そーいえばさ、それって何なの? 昨日から一所懸命書いてたけどさ」
「まあ、俺の新兵器、といったところだ。具体的な内容は見てのお楽しみだな。…よし、こんなものか。終わったぞ」
大量の紙切れを袋に詰め込み、華月が声を掛けてくる。見れば、双羽なんぞは早くも部屋の外へと行ってしまっていた。宿泊票も持たず何しに行くつもりだろうか。
「…鍵は、閉めておくから。先に外出て」
「おう」
華月が出た後、忘れ物が無いか部屋を見渡す。無論他の2人も同じことをして部屋を出ているため、これはただの確認だ。
来たときとほぼ変わらない部屋を一通り確認し、廊下に出て戸を閉める。そこに鍵穴らしきものは無いが、流石魔法が幅を効かせるこの世界。宿泊票である金属板を取っ手に翳す、これでオーケー。宿泊票に掛けられた魔法が扉の魔法と反応し、かちりと小さな音がする。試しに戸を引いてみるがびくともしない。施錠完了だ。
先にカウンターまで来ていた双羽と合流し、宿泊票を渡して料金を精算する。前の宿みたく頭の痛い追加出費こそ無かったものの、2泊したためそこそこの値段だ。地味に双羽の自炊は助かった。3人もいれば、一食分の料金だってバカにならない。華月の手持ち含めてまだ余裕はあるが、この先どんな出費があるか分からないのである。
「…しかし、見事に晴れたものだな。あの暴風雨は一体どこへ行った」
「そーだねー。ま、これだけ晴れてたら船も動くでしょ。波は高いかもだけど」
まだ濡れている石畳を歩き、夕依たちは港へと向かう。流石に海の近傍なだけあって、あちこちで海産物が売られていた。双羽は色々と興味深げに見回しているが、ナマモノ手に入れてもしょうがない。こちとらまともに料理できない旅暮らしなのだ。
途中でたこ焼きっぽいものを購入して3人で分けつつ、海の音がする方へと歩く。
「…なんだこれは」
「鶏皮…じゃないわよね。海の幸って書いてあったし…」
「んー、ま、美味しいからいいんじゃないの?」
なんか蛸でなくてよく分からない具材が入っていたが、双羽の言うとおり美味しいのでまあ良しとする。
丁度12個入りのたこ焼きもどきを食べ終え、さてこのゴミどうするよと入れ物の処分に頭を捻る頃、一行は港に到着した。漁師あたりが個人保有してそうな小舟から、そこそこ豪華な巨大客船まで。様々な船が一様に並んだその景色には、どこか元の世界を思い出させるものがある。
「えーっと、一昨日と同じだから…18番だっけ?」
「そうよ」
「今目の前にあるのが5番、ということは…そうだな、あの底の赤いやつか。思っていたより大きいではないか」
町に着いた日は、そもそも港へ入ることすらできなかった。暴風で波が高くなっていたのだから、まあ一般人立ち入り禁止は当然の措置といえる。その時は乗船受付所で乗るべき船の番号だけ確認したのだ。
この町の港はいくつかに区切られ、それぞれ番号が割り振られている。1から20番港までが大型船、それ以降60番港までが小型船用だとか。客船が停まるのは、もちろん20番までのどれか。今回乗る“ゲィヌシン行き”の船は、18番港にその大きな船体をつけている。覚えているだろうか、ゲィヌシン。目的地たるベンフィード公国、その首都だ。
雨の明けた直後な為か、大体の停泊所に船があった。ここでは先と代わり、華月がその目に興味を宿している。放っておけばまた雨で船が出なくなるくらいまで見てそうだ。
「ふむ、なるほど…側面から取り入れた水を、後方へと噴出することで推力を得るわけか。実に興味深い仕組みだな。ただ吹き出すだけならば大して進まんだろうが…魔法で固めているのか? それとも何らかの方法で質量を割り増して…」
「はいはい、それはいいから先行くよー」
しかたがないので、双羽に言って引きずってきてもらった。何故夕依がしないって、んなメンドクサいことしたくないからに決まっている。
乗船受付所で受け取っていた札を係りの人に渡し、3人分の乗船許可証をもらう。これがあれば、対応する船には自由に乗り降りできるのだ。出港自体は昼頃になるらしく、それまでに乗ってさえいればいいとのこと。
ただ、これから一週間ほど居室となるであろう割り当てられた寝室も見ておきたい。あと、後ろに控える男2人がきっちり時間を守るかどうかも疑問だ。双羽は素でうっかりやらかしそうな雰囲気を醸し出しているし、華月も放っておけばふらふらと別の船を見に行くだろう。正味、その点全く持って信用できない彼らである。
「カナちゃんカナちゃん、まだこの船出ないんだよね。じゃあちょっとあっち見てきても…」
「ダメ」
「えー…」
「双羽は…大田宮がどこか行かないように、しっかり見張っておいて。乗り遅れて、置いて行かれました…なんて、冗談にならないんだから」
ゲィヌシン行き、これを逃せば次の出港は4日後だ。本来3日の一度出ている便なのだが、雨による遅れを調整するため時間が開いているのだとか。合計一週間宿暮らしとか、ホント勘弁願いたいものである。主に懐具合的な意味で。
「…ん、分かったよ。万が一、ってこともあるもんね」
双羽の方は納得してくれたらしい。華月は夕依のセリフなんざ聞いてもいなかったようだが、双羽が引きずっていったので良しとする。
ここから一週間、船の旅だ。何事も無ければ、7度日を拝んだ頃にはあのベンフィード公国の地を踏むことになる。そこには、おそらく…
「私も、乗っておかないと…」
…先のことばかり、今考えていてもしょうがない。ともすれば暗く沈みがちな思考を引き上げ、船へと乗り込む夕依であった。
……
「へぇ、大きな船じゃないの」
「そりゃま、数百人乗せますからね。このくらいの大きさは要りますよ」
双羽たちが乗り込んでから大体一刻の後、18番港へと集まる十数人の男たち。総員荒事慣れしてそうな屈強な者ばかりだが、場所が場所だけにそれほど目立っていない。海の男なんてまあ大体そんな感じの人ばっかりだ。
しかしそれ故逆に、そんな集団の中央に立つ人物はかなり浮いていた。女性なのだ。無造作に肩まで下ろした髪と、男集団の中でも埋もれない高身長が特徴か。気の強そうな自信に満ちた目をしている。
「姐さん! 人数分の乗船許可証貰ってきましたぜ!」
「ありがと。あと、“姐さん”はやめてって言ってるでしょーが」
「でもなあ。姐さんほどその言葉似合う女性もいないっしょ」
「そうだよなぁ」
「全く。そー言われて喜ぶ女性いないわよ」
本当に慕われているのだろう、同意を求めた男に数人が真顔で頷いた。いつものことなのか、女性も呆れ半分笑顔半分で男衆にチョップをかましている。
…そんな彼女こそ、この集団、即ち“アーサミー盗賊団”のリーダーに当たる人物だ。一見なんだか和やかな雰囲気溢れる人たちだが、ユヒナ港より北西の地域で最近よく聞く新興盗賊団である。金持ちばかり狙うのと、絶対に殺しはしないということで有名だ。かといって義賊的なものかというとそういうわけでもなく、結局のところちょっと変わった盗賊団といったところである。むしろ、効率主義であるとすら言えるかもしれない。金持ち狙った方が稼ぎは良いし、殺しをしないことで無駄な抵抗を押さえられる。そこまで考えているのなら中々だが、さてどうだろうか。
…分かる人がこの盗賊団の構成員を見れば、驚愕の余りその目を疑っただろう。その昔猛威を振るった、残酷にして悪逆非道、史上希に見る大規模極悪盗賊団。北西の掃討戦で壊滅したはずの彼ら。そんな集団の中でも強者として知られた団員の顔が、そこにはずらりと並んでいた。
「だってなぁ。姐さんじゃなきゃ兄貴とでも呼べば良いんギャッ!」
「姐さんチョップ! あんまそんなことばっか言ってたら、そのうち海に落とすわよ!」
「…自分で姐さん言ってるじゃないですか…」
…とてもそうとは思えないジャレ合いを続けながら、船へと乗り込む盗賊団なのであった。