死神騎士と、余命一年の薬師
「ゲホッ、ゴホッ……っ!」
薄暗い裏路地の奥にひっそりと佇む、古びた薬師の店。
その奥の調剤室で、私――エルマは、口元を押さえた古い布に広がる赤黒い染みを見つめ、静かに息を吐き出した。
まただ。最近、血を吐く頻度が日に日に増している。胸の奥には常に氷の塊を飲み込んだような冷たい痛みが居座り、手足の先は夏だというのにひどく冷え切っていた。
「……あと一年、もてばいいほうね」
私は独り言のように呟き、血のついた布を火の入ったかまどへと投げ入れた。
貧民街で孤児たちを引き取り、薬師として彼らを養い始めてから五年。
元々身体が丈夫な方ではなかったが、半年前に高名な医者に診てもらった際、無情にも「原因不明の不治の病」であり、「余命一年」という宣告を受けた。
絶望はしなかった。
スラムで生きるということは、常に死と隣り合わせだということだ。流行り病や飢えで命を落とす子供たちを、嫌というほど見てきた。
私自身の命が尽きるのは構わない。だが、私が死ねば、裏の部屋で身を寄せ合って眠っている五人の孤児たちは、明日から食べるパンにも事欠くことになる。
(私が死ぬ前に、あの子たちが自立できるだけの、あるいはまともな孤児院に入れるだけの『お金』を残さなきゃ……)
それが、余命一年を宣告された私の、唯一にして絶対の目標だった。
しかし、スラムの薬師稼業で稼げるお金などたかが知れている。患者の多くは今日の食事代すら持たない貧民ばかりで、私はツケ払いや現物支給(野菜の切れ端など)で薬を渡してしまうことも多かったからだ。
「エルマお姉ちゃん、起きてる……?」
不意に、調剤室のドアが少しだけ開き、十歳になる孤児の長兄、トマスが顔を覗かせた。
「トマス。どうしたの、こんな夜更けに」
「ごめん、リリィがまた熱を出して……」
「えっ」
私は急いで立ち上がり、子供たちが眠る裏部屋へと向かった。
粗末なベッドの上で、五歳の末っ子リリィが、顔を真っ赤にして苦しそうに荒い息を吐いていた。
私はすぐにリリィの額に手を当てた。火のように熱い。
「大丈夫よ、リリィ。お姉ちゃんがいるからね」
私は彼女の小さな手を両手で包み込み、そっと目を閉じた。
昔から、私には不思議な特技があった。病気や怪我で苦しむ人にこうして触れ、心から「治ってほしい」と強く念じると、不思議と相手の熱が下がり、痛みが引いていくのだ。
今回も同じだった。数分もしないうちに、リリィの荒かった呼吸は穏やかになり、熱も嘘のように引いていった。
「……よかった。もう大丈夫よ」
「エルマお姉ちゃん、すごい! ありがとう!」
トマスがパッと顔を輝かせる。
「いいのよ。トマスも早く寝なさい」
子供たちを寝かしつけた後、私は再び調剤室へと戻った。
その瞬間。
「……う、ぐぁ……ッ!」
激しい目眩と、先ほどまで以上の強烈な寒気が私を襲い、私は床に崩れ落ちた。
リリィの熱を下げた代償のように、私の身体が氷のように冷たくなり、胸の奥を鋭い針で刺されるような痛みが走る。
(まただ……。治療をした後は、いつもこうなる)
人の病気を治すたびに、私の寿命が削り取られているような感覚。
それでも、目の前で苦しむ子供たちを見捨てることなんて、私には絶対にできなかった。
床に這いつくばりながら、私は必死に息を整えた。
「お金……。どこかに、ものすごく高給で、命懸けの仕事はないかしら……」
冗談めかしてそう呟いた、その時だった。
カラン、カラン……。
深夜の薬屋の入り口のベルが、不気味な音を立てて鳴った。
こんな時間に客が来るのは珍しい。急病人だろうか。
「はい、ただいま……」
私は痛む胸を押さえながら立ち上がり、重い足取りで店先へと向かった。
しかし、カウンターの向こう側に立っていた『それ』を見た瞬間、私は全身の血が凍りつくような恐怖に襲われた。
そこにいたのは、天井に届きそうなほどの長身の男だった。
漆黒の甲冑に身を包み、頭からは目元をすっぽりと覆い隠す深い黒のフードを被っている。
だが、恐ろしいのはその出で立ちではない。
彼が店に足を踏み入れただけで、カウンターの端に飾られていた観葉植物が、まるで数百年もの時間を一瞬で経過したかのように、ドロドロに腐り落ち、灰となって崩れ去ったのだ。
「……ッ」
私は声も出せず、後ずさった。
知っている。スラムの人間どころか、王都の人間なら誰もが知っている、恐ろしい噂。
触れたものを全て腐らせる、呪われた最強の騎士。
その歩く後には死の灰しか残らないと恐れられる、王国の忌み子。
人々は彼をこう呼ぶ。――『死神騎士』と。
「……お前が、ここの薬師か」
フードの奥から、低く、地を這うような声が響いた。
その声だけで、私の寿命がさらに数日縮んだ気がした。
しかし、背後には子供たちがいる。私がここで殺されるわけにはいかない。
「は、はい。私が薬師のエルマです。……死神騎士様が、このような貧民街の寂れた薬屋に、一体どのようなご用件でしょうか」
私は震える膝を必死に押さえつけ、なんとか声を絞り出した。
死神騎士は、私から少し距離を取ったまま――おそらく、私を腐らせないための配慮なのだろう――、懐から重そうな革袋を取り出し、カウンターの端にドンッと置いた。
チャリン、と、中から眩いばかりの金貨の音が鳴った。
「俺の、専属医になれ」
「……え?」
「俺は呪われている。だが、この呪いを抑え込むための特殊な薬を作れる者が、王都にはもう誰もいない。……噂で、このスラムに腕の立つ、どんな病も治す『奇跡の薬師』がいると聞いた」
奇跡の薬師。
おそらく、私が子供たちや貧民たちに行ってきた「不思議な治癒」の噂が、尾ひれをつけて広がってしまったのだろう。
「お断り、します……。私には、そんな恐ろしい呪いを解くような知識も技術も……」
「一年だ」
死神騎士は、私の言葉を遮って言った。
「一年間、俺の城で俺の専属医として働き、俺の呪いの進行を抑える薬を作れ。……報酬は、白金貨一万枚。もしお前が途中で死ぬようなことがあっても、その金はお前が指定する者に全額譲渡することを誓おう」
はっきんか、いちまんまい。
その莫大すぎる金額に、私は耳を疑った。
白金貨一万枚もあれば、裏で眠る子供たち五人を、一生遊んで暮らせるほどの最高級の環境で育て上げることができる。立派な孤児院を建てることすら可能だ。
(一年……)
それは、奇しくも私が宣告された余命と同じ期間だった。
私の病気の進行具合からして、一年後には確実に命を落とすだろう。
死神騎士の呪いとやらがどれほど恐ろしいものかは分からない。彼に近づけば、呪いの余波で一年よりも早く死んでしまうかもしれない。
だが、私が死んでもお金が子供たちに渡るのであれば、こんなに割の良い仕事はない。
どうせあと一年の命なのだ。最後に、あの子たちのためにこの命を使い切ってやる。
「……分かりました」
私は、震えの止まった足で一歩前に進み出た。
「その契約、お受けします。ただし、前金として今その革袋にある金貨を置いていってください。あの子たちの、当面の生活費として」
私の言葉に、死神騎士はフードの奥で微かに目を見開いたように見えた。
「……いいだろう。お前、死が怖くないのか?」
「怖いですよ。でも、お金がないことの方が、もっと怖いですから」
私が強がって微笑むと、死神騎士は低く息を吐き、「明日、迎えの馬車を寄越す」とだけ言い残して、静かに店を去っていった。
彼が立ち去った後には、腐り落ちた植物の灰と、子供たちの未来を約束する金貨の山だけが残されていた。
*****
翌日の昼下がり。
私はトマスに金貨の入った革袋を託し、信頼できるシスターのいる教会の孤児院へ行くよう手配を済ませた。
泣いてすがる子供たちを抱きしめ、「絶対に生きて帰ってくるから」と嘘をついて別れを告げた。
胸の奥の冷たい痛みは、今日も絶え間なく私を蝕んでいる。
迎えに来た黒塗りの馬車に揺られること数時間。
辿り着いたのは、王都の郊外、深い森の奥にそびえ立つ、太陽の光すら届かないような薄暗く巨大な古城だった。
「ようこそ、エルマ殿。お待ちしておりました」
城の入り口で出迎えてくれたのは、初老の執事だった。彼もまた、どこか影のある、血の気の引いた顔色をしていた。
「旦那様――レオンハルト様は、奥の塔にいらっしゃいます。……ご自身の呪いで他者を傷つけることを酷く恐れておいでで、基本的にはあちらから出てこられることはありません」
執事に案内されて城の奥へと進むと、次第に空気が重く、息苦しくなっていくのを感じた。
壁のタペストリーは色あせ、絨毯は所々が不自然に朽ち果てている。レオンハルト様――死神騎士の漏れ出た呪いが、この城自体を腐らせているのだ。
「ここです。……エルマ殿、くれぐれも、旦那様には直接お触れになりませんよう。触れれば、貴女の命はありません」
執事はそう忠告し、重厚な扉を開けた。
部屋の中は、昼間だというのに厚いカーテンが引かれ、薄暗かった。
部屋の中央にある巨大なベッドに、昨日見た漆黒の甲冑を脱ぎ、黒いシャツだけを身につけたレオンハルト様が横たわっていた。
フードを外した彼の素顔を初めて見た私は、思わず息を呑んだ。
死神などという恐ろしい異名からは想像もつかないほど、美しく、そしてひどく蒼白な青年だった。
銀色の髪は汗に濡れて額に張り付き、その肌には、まるで黒い茨のような不気味な紋様(呪いの痕)が首筋から頬にかけて這い上がっている。
「……来たか、薬師」
レオンハルト様は苦しげに目を開け、私を見た。
「はい。今日から専属医を務めさせていただきます、エルマです。……お加減が相当悪いようですね」
私は彼のベッドに近づこうとしたが、「来るな!」と鋭い声で制止された。
「それ以上近づけば、お前も腐るぞ。……俺の呪いは、生きとし生けるものの生命力を奪い、死の灰に変える。……そこに用意してある材料で、呪いの進行を遅らせる『中和薬』を作れ」
彼が視線で示した先のテーブルには、見たこともないような奇妙な薬草や、魔獣の角らしきものが無造作に置かれていた。
しかし、彼が渡してきたレシピ(前の薬師が残したものらしい)を見ると、私は首を傾げざるを得なかった。
(これ……ただの強壮剤と、麻痺薬の組み合わせじゃない。こんなもので呪いが抑えられるわけがないわ)
私は薬師としての知識を総動員し、レシピを無視して薬草を調合し始めた。
とはいえ、私に呪いを解く技術などないのは事実だ。私が本当に患者を治してきたのは、薬の力ではなく、私のあの『不思議な治癒能力』なのだから。
(でも、彼に触れることは禁止されている。なら……)
私は、すり鉢で薬草をすり潰しながら、こっそりと自分の指先を少しだけ傷つけ、そこから滲んだ私の血を、薬の中に一滴だけ混ぜ込んだ。
私の治癒能力の源が私の生命力であるなら、血を混ぜた薬にも、何らかの効果があるかもしれないと思ったからだ。
「……できました。レオンハルト様、これを」
私は、真っ黒で泥のように濁った、ひどく苦そうな薬の入った椀を、長い柄のついたお盆に乗せて彼へと差し出した。
レオンハルト様は震える手で椀を受け取ると、訝しげに中身を見た。
「前の薬師が作っていたものより、ずっと色が黒いな……。それに、酷い匂いだ」
「良薬は口に苦し、と言いますから。騙されたと思って、飲んでみてください」
彼は覚悟を決めたように、その真っ黒な薬を一気に飲み干した。
「……ごふっ、げほっ!! 苦っ……なんだこれは、泥か!?」
レオンハルト様が激しく咽せる。
(やっぱり、失敗だったかしら……)と私が青ざめた、その瞬間。
レオンハルト様の首筋を這っていた黒い茨の紋様が、シュルシュルと音を立てて薄くなり、彼の蒼白だった顔に、うっすらと赤みが戻り始めたのだ。
彼の周囲を覆っていた、息苦しいほどの呪いの気配が、嘘のように薄れていく。
「……信じられん。痛みが、引いていく……」
レオンハルト様は、自らの手を見つめ、驚愕に目を見開いた。
「お前……一体、どんな魔法を使ったんだ。これほど劇的に呪いが鎮まったのは、初めてだぞ」
「魔法だなんて。ただ、少し調合を工夫しただけです」
私は誤魔化すように微笑んだ。
私の血を一滴混ぜただけの、泥のような苦い薬。
それが彼に劇的な効果をもたらした理由は、私自身にも分からなかった。
だが、これで首の皮一枚繋がった。彼が私を必要としてくれる限り、私はこの城で高い給金をもらいながら、子供たちのために働き続けることができる。
しかし、この時の私はまだ知らなかったのだ。
彼が私の作った『失敗作のような苦い薬』を劇的に効かせた本当の理由を。
そして、彼が私を専属医として雇った、真の目的に。
*****
死神騎士レオンハルト様の専属医としてこの古城に住み込むようになってから、早くも三ヶ月の月日が流れた。
王都から遠く離れた森の奥深くにあるこの城は、私が来る前は、レオンハルト様から無意識に漏れ出す『死の呪い』の影響で、庭の木々は枯れ果て、城壁の蔦はドロドロに腐り落ちるという、まさに幽霊城のような有様だったという。
しかし、私が専属医となって『特製の薬』を毎日処方するようになってから、城の様子は劇的に変化していた。
「エルマ殿! おはようございます。見てください、中庭の枯れ木に、小さな新芽が吹いたのですよ!」
朝、私が調剤室で薬草を刻んでいると、執事のセバスが弾んだ声で報告にやってきた。
「本当ですか? それは素晴らしいですね」
「ええ! 全てはエルマ殿が作ってくださる、あの不思議な薬のおかげです。旦那様の呪いの気配も、以前とは比べ物にならないほど穏やかになられました。貴女は、まさにこの城の救世主です」
セバスは涙ぐみながら何度も頭を下げて去っていった。
私は、彼が見えなくなってから、手元のすり鉢の中に視線を落とし、小さくため息をついた。
(救世主、なんてとんでもないわ。私がやっているのは、ただの『誤魔化し』でしかないのに)
私は、すり鉢の中の薬草に、今日も自分の指先を小刀で少しだけ傷つけ、そこから滲む血を数滴、ポタポタと混ぜ合わせた。
私の血が混ざった薬は、たちまち泥のように真っ黒に変色し、鼻を突くような強烈な苦みと泥臭さを放ち始める。
私が患者の病を『治す』力。
それは魔法や奇跡などではなく、患者の体内にある病巣や呪いを、私自身の身体の中にそっくりそのまま『吸い取って移動させている』だけだということに、私は昔から薄々気がついていた。
だから、私の血には、今まで私がスラムの人間たちから吸い取ってきた、数え切れないほどの病や呪いの淀みが、どす黒く凝縮されている。
レオンハルト様に飲ませているのは、そんな私の『呪われた血』を薄めただけの、気休めの毒のようなものだ。
なぜこんなものが彼の呪いを抑え込んでいるのか、私にはさっぱり分からない。
ただ、結果として彼が回復に向かい、私が高額な報酬を受け取り続けられるのであれば、それでよかった。
私が死んだ後、子供たちに十分なお金が残る。それが全てだ。
「……っ、ゲホッ、ゴホッ!!」
不意に、胸の奥からせり上がってきた強烈な吐き気に襲われ、私は口元を布で覆った。
咳き込むたびに、肺が刃物で切り裂かれるような激痛が走る。
布を離すと、そこには赤ではなく、墨のように真っ黒な血がべっとりと付着していた。
(……最近、血を吐く量が増えてる。手足の感覚も、時々なくなるし)
私の余命は一年だと宣告されたが、それはあくまで『何もしなかった場合』の話だ。
毎日こうして自分の血を抜き、呪いの濃度を高めている今の私の寿命は、間違いなく一年よりもずっと短くなっているはずだった。
「……急がないと。私が倒れる前に、レオンハルト様の呪いを完全に治す薬を完成させなきゃ」
私はフラフラとする身体に鞭打ち、真っ黒な薬の入った椀をお盆に乗せて、レオンハルト様の執務室へと向かった。
*****
「失礼いたします。レオンハルト様、お薬の時間です」
私が執務室の重い扉を開けると、窓辺のデスクで書類に目を通していた彼が、弾かれたように顔を上げた。
「エルマ。……待っていたぞ」
銀色の髪を窓からの光に輝かせた彼は、私が初めて出会った時の、あの死神のような恐ろしい気配を完全に潜めていた。
顔色には血の気が戻り、首筋を這っていた不気味な黒い茨の紋様も、今では襟元にわずかに痕跡を残す程度にまで薄くなっている。
なにより、彼が歩いても、周囲のものが腐り落ちるようなことはもう一切なくなっていた。
「体調はいかがですか? 頭痛や、呪いによる息苦しさは……」
「全くない。お前が来てから、俺の身体は嘘のように軽い。この十年、俺を縛り付けていた地獄の苦しみが、幻だったかのようだ」
レオンハルト様はそう言って、私が差し出したお盆の上の、真っ黒で泥のように濁った薬の椀を手に取った。
普通の人間なら、匂いを嗅いだだけで吐き気を催すような代物だ。
しかし彼は、まるで極上のヴィンテージワインでも見るかのような、うっとりとした目でその黒い液体を見つめた。
「……いただきます」
彼は椀に口をつけると、ゴクゴクと喉を鳴らして、その泥のような薬を一息に飲み干した。
「ぷはっ……。ああ……素晴らしい。今日も極上の仕上がりだ、エルマ。この腹の底から満たされるような、深く、痺れるような苦味。……お前の薬を飲むと、魂が歓喜に打ち震えるのが分かる」
「は、はあ……」
私は引き攣った笑いを浮かべるしかなかった。
極上。歓喜。痺れる苦味。
彼は味覚がおかしくなってしまったのだろうか。それとも、呪いの影響で感覚が狂っているのか。
毎日私の血(しかも他人の呪い入り)を、そんなに美味しそうに飲まれると、なんだかひどく罪悪感を覚えてしまう。
「あの、レオンハルト様。一つお伺いしてもよろしいでしょうか」
私は空になった椀を受け取りながら、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「なんだ? お前が俺に個人的な質問をするとは珍しいな」
「その……レオンハルト様の『呪い』というのは、一体どこで、誰から受けたものなのでしょうか。根本的な原因が分かれば、このような誤魔化しの薬ではなく、完全に呪いを解き放つ方法が見つかるかもしれないと思いまして」
私の言葉に、レオンハルト様はわずかに目を伏せ、窓の外の遠くの森を見つめた。
その横顔には、どこか人間離れした、ひどく永い時間を生きている者特有の哀愁が漂っていた。
「……誰から受けたものでもない。これは、生まれつきのものだ」
「生まれつき?」
「俺は、正確には人間ではない。……遠い昔、人間の負の感情や呪いが集まって生まれた『澱み』から派生した、特殊な魔族の末裔だ」
まぞく。
その単語に、私はわずかに息を呑んだ。
神話や御伽話の中でしか聞いたことのない存在。それが、目の前にいる美しい青年だというのか。
「魔族といっても、人間を食い殺したり、世界を滅ぼそうとしたりするわけではない。ただ……俺の種族は、生まれながらにして『他者の呪いや病』という負のエネルギーを喰らわなければ生きていけない体質なんだ」
「……呪いを、喰らう?」
「ああ。人間の普通の食べ物では、俺は飢えを満たすことができない。……だが、この世界は平和になりすぎた。俺の食料となるような強烈な呪いや病は減り、俺は常に『飢餓状態』に陥っていた。……飢えによる苦痛が限界を超えると、俺の身体は無意識に周囲の生命力を奪い、腐らせることで、無理やりエネルギーを補給しようとしてしまう。それが、人間どもが恐れる『死神騎士の呪い』の正体だ」
つまり。
彼が触れたものを腐らせていたのは、呪われているからではなく、極度の『栄養失調(飢餓)』による暴走だったのだ。
「そんな……。では、私が作っているお薬は……」
「お前の薬は、信じられないほどに俺の『飢え』を満たしてくれる。……あの薬の中には、数え切れないほどの人間たちが抱える、病、憎悪、悲しみ、呪いの気配が、まるで極上のフルコースのように凝縮されている。俺の細胞の隅々にまで染み渡る、最高の『食事』だ」
レオンハルト様は、愛おしそうに空の椀を見つめた後、私に向かって優しく微笑んだ。
「エルマ。お前は一体、あの薬にどんな魔法をかけているんだ? お前が来てから、俺は生きていて初めて、『満たされる』という幸福を知った。お前には、どれだけ感謝しても足りない」
ドクン、と。
私の心臓が、恐怖と、別の名状しがたい感情で大きく跳ねた。
彼が求めているのは、薬効などではない。
私の中に溜め込まれた『致死量の呪い』そのものを、彼は美味として喰らっていたのだ。
(なら……私が死ぬまで彼に血を与え続ければ、彼はもう飢えに苦しむことはない……?)
私が死んだ後、彼に薬を作る人間がいなくなれば、彼はまた飢えに苦しみ、周囲を腐らせる死神に戻ってしまうのだろうか。
それは、なんだかとても悲しいことのように思えた。
「……企業秘密、です」
私は、自分でも驚くほど穏やかな声で答えた。
「でも、私がレオンハルト様の専属医である限り、毎日必ず、あのお薬を作ってお持ちします。……だから、もうご自分が他者を傷つけるなどと、怯えないでください」
私の言葉に、レオンハルト様は少しだけ驚いたように目を見開き、やがて、氷が溶けるような柔らかい笑みを浮かべた。
「ああ。……約束しよう」
彼が笑うと、こんなにも美しいのだと、私は初めて知った。
胸の奥にある冷たい痛みが、一瞬だけ、ほんの少しだけ和らいだような気がした。
*****
しかし、私の身体の限界は、私が想像していたよりも遥かに早く訪れようとしていた。
レオンハルト様との会話から一週間後。
深夜、自室のベッドで眠っていた私は、全身を駆け巡る凄まじい激痛によって目を覚ました。
「あ、ぁぁぁ……ッ!!」
声にならない悲鳴が漏れる。
胸の奥で、今まで吸い取ってきた何百人分もの『呪いと病』が、一斉に牙を剥いて私の内臓を食い破ろうとしているかのような激痛。
「ゲホッ、ガァッ……!」
ベッドの脇に身を乗り出し、私は大量の黒い血を吐き出した。
血はシーツを汚し、床にまで水たまりを作っていく。
手足の感覚は完全に消失し、呼吸をするたびに肺が潰れるような音がした。
(あ……限界、なんだ。私……)
余命一年。
いや、もう半年も経っていない。
無理もない。自分の寿命を削って子供たちを治し、さらに毎日自分の血を抜いてレオンハルト様に与え続けていたのだから。
むしろ、よくここまで持った方だ。
(トマス……リリィ……。ごめんね。お姉ちゃん、もう帰れそうにないや。……でも、お金はちゃんと送ったから。どうか、元気で……)
薄れゆく意識の中で、私は大好きな子供たちの顔を思い浮かべた。
そして、最後に脳裏をよぎったのは。
『お前が来てから、俺は生きていて初めて、満たされるという幸福を知った』
そう言って、美しく微笑んでくれた、レオンハルト様の顔だった。
(……レオンハルト様。私がいなくなったら、また飢えに苦しむのでしょうか。……ごめんなさい、専属医の約束、守れなく……)
「エルマ!!」
意識が暗闇に沈みかけたその瞬間。
私の部屋の扉が乱暴に蹴り開けられ、長身の影が飛び込んでくるのが見えた。
レオンハルト様だ。
彼は就寝着のまま、裸足で部屋に駆け込み、床に倒れ伏して血まみれになっている私を抱き起こした。
「しっかりしろ、エルマ!! 一体どうした、この血はなんだ!?」
彼の蒼白な顔が、かつてないほどの焦燥と恐怖に歪んでいる。
「き、ては……だめ……」
私は、動かない口を必死に動かして、彼を拒絶しようとした。
「私に触れたら……あなたに、病気が、うつって……」
「馬鹿なことを言うな!!」
レオンハルト様は怒鳴り、私を抱きしめる腕にさらに力を込めた。
「お前の身体……なんだ、このおぞましいほどの呪いの塊は! まるで、数百人分の悪意と死の病を、たった一人で背負い込んでいるような……ッ!」
彼は、魔族としての感知能力で、私の身体に隠されていた『真実』に完全に気がついたようだった。
「お前は……薬を作っていたんじゃない。俺に飲ませていたのは、お前自身に溜め込んでいた他人の呪いを凝縮した……お前の『命』だったのか!?」
彼の声が、悲痛に震えている。
私は否定したかったが、声を出す力すら残っていなかった。
「なぜ……なぜこんなになるまで黙っていた! 俺に美味いと言わせて、自分は一人でこんな地獄の苦しみを抱えていたのか! お前は馬鹿か、大馬鹿者か!!」
レオンハルト様の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ち、私の頬を濡らした。
死神騎士と恐れられ、他者に触れることすら拒絶していた彼が、血まみれの私を抱きしめて、子供のように泣いている。
(泣かないで、ください。……私は、あなたに救われたんですから……)
私の方こそ、彼にお金をもらわなければ、子供たちを飢え死にさせていた。
これは等価交換だ。誰も悪くない。
私の瞳の焦点が合いのなくなり、心臓の鼓動がゆっくりと、その動きを止めようとした時。
「……死なせるものか。お前のような底抜けのお人好しを、神が見捨てるというのなら、俺が神からお前を奪い返してやる」
レオンハルト様は、低く、誓うような声で呟いた。
そして、彼は私を抱きかかえたまま、自らの口元の布を乱暴に引きちぎり、その鋭い犬歯を剥き出しにした。
「エルマ。少し痛むかもしれないが……耐えてくれ」
直後。
彼の冷たい唇が、私の首筋に深く押し当てられた。
チクリとした痛みの後、信じられないほどの『吸引力』が私の身体を襲った。
血を吸われているのではない。
彼が吸い出しているのは、私の細胞の奥深くにまで根を張り、私の命を食い破ろうとしていた『漆黒の呪いと病の泥』だったのだ。
「あ、ぁ……っ!?」
「くっ……! がぁぁぁぁッ!!」
レオンハルト様が苦悶の叫びを上げる。
当然だ。私が今まで彼に少しずつ血に混ぜて与えていたのとはわけが違う。致死量を優に超える何百人分もの呪いの塊を、彼はいま、直接その身に一気に取り込もうとしているのだ。
魔族である彼にとっても、それは許容量を超えた劇毒になりかねない。
「やめ……て……っ! レオンハルト様が、死んじゃう……っ!!」
私は彼を突き飛ばそうとしたが、彼は私を離さなかった。
「お前が死ぬくらいなら……俺の腹が破裂しようが、全て喰らい尽くしてやるッ!! 俺の命の恩人を……俺の、たった一人の光を、誰にも奪わせるものか!!」
彼の首筋に、消えかけていた黒い茨の紋様が再び浮かび上がり、異常な速度で全身へと広がっていく。
彼の背中から、黒い瘴気が翼のように噴き出し、部屋中の家具がその余波を受けてドロドロに腐り落ちていく。
それでも、彼は決して私から口を離さなかった。
私の身体の中から、あの冷たく重い氷の塊が、急速に引き剥がされていくのが分かった。
代わりに流れ込んでくるのは、彼の魔族としての生命力。力強く、そしてどこまでも温かい、純粋な命の炎。
やがて、私の意識は、心地よい温もりの中で、静かに、深く眠りへと落ちていった。
*****
小鳥のさえずりと、窓から差し込む柔らかな光。
私は、ゆっくりと重い瞼を開けた。
「……ここ、は」
見慣れた、城の自室の天井だった。
ふかふかのベッドに横たわっている私の身体には、あの焼け焦げるような胸の痛みも、手足の芯から凍りつくような悪寒も、一切残っていなかった。
息を吸い込む。新鮮な空気が、肺の隅々にまで痛みを伴うことなく広がっていく。
「私……生きてる……?」
ゆっくりと上体を起こす。
昨夜、私が吐き散らした真っ黒な血の海は綺麗に片付けられており、シーツも新しいものに取り替えられていた。
身体が、羽のように軽い。スラムで孤児たちを拾い、彼らの病気を治すために自らの命を削り始めてから、こんなにも健やかで清々しい朝を迎えたのは初めてだった。
ガチャリ、と。
控えめな音を立てて、部屋の扉が開いた。
「エルマ殿……! お目覚めになられましたか!」
入ってきたのは、お盆に水差しとタオルを乗せた執事のセバスだった。
彼の顔を見て、私はハッとしてベッドから飛び降りた。
「セバスさん! レオンハルト様は!? 昨夜、彼が私の呪いを無理やり吸い出して……!」
私がすがりつくように尋ねると、セバスの表情がサッと暗く曇った。
彼は持っていたお盆をサイドテーブルにコトリと置き、深く、深く頭を下げた。
「……旦那様は、地下の『封印牢』におられます」
「地下の……牢?」
「はい。エルマ殿の体内に蓄積されていた呪いと病の泥は、旦那様の想像を遥かに超える凄まじい量でした。……いくら呪いを喰らう魔族の末裔とはいえ、あれだけの猛毒を一度に体内に取り込めば、無事では済みません」
セバスの声が、悲痛に震えている。
「旦那様は、エルマ殿を救い出した直後、ご自身の内側で暴走を始めた『過剰な呪い』を抑えきれなくなり……自らの意思で、地下の封印牢にこもり、内側から厳重な鍵をおかけになりました。俺の飢えが暴走して城の者を腐らせてしまう前に、絶対に誰も近づけるなと……」
「そんな……っ!」
私は絶句した。
私のせいだ。私が、自分の余命を悟りながら、彼に真実を隠して『ごまかしの薬』なんて作っていたから。
彼は私を生かすために、私の背負っていた数百人分の死の運命を、そっくりそのまま被ってくれたのだ。
「案内してください、セバスさん! 今すぐ、レオンハルト様のところへ!」
「なりませぬ! 今の地下牢は、旦那様から溢れ出した呪いの瘴気で満たされております。不用意に近づけば、いくらエルマ殿でも一瞬で腐り落ちてしまいます!」
「それでも行きます!!」
私はセバスの制止を振り切り、裸足のまま部屋を飛び出した。
城の廊下を全力で走り、地下へと続く冷たい石階段を駆け下りる。
下へ行けば行くほど、空気が重く、淀んでいくのが分かった。鼻を突くような、死と腐敗の匂い。
「レオンハルト様……ッ!!」
地下の最奥。
重厚な鉄格子の向こう側に、広大な石造りの牢獄があった。
そこは、この世の地獄だった。
石の壁はドロドロに溶け崩れ、床には黒い泥のような瘴気が沼のように広がっている。
そして、その中央。
太い鎖で自らの四肢を壁に縛り付けたレオンハルト様が、獣のような低い唸り声を上げながら、悶え苦しんでいた。
「……ッ!! エルマか!? なぜここに来た、早く上に戻れッ!!」
私の足音に気づいた彼は、血走った目で私を睨みつけ、怒鳴った。
彼の美しい銀色の髪はどす黒く汚れ、その白い肌は、首から顔の半分に至るまで、びっしりと『黒い茨の紋様』に覆い尽くされていた。
私の身体から吸い取った呪いが、彼を内側から食い破ろうとしているのだ。
「戻りません! あなたを置いていくわけないじゃないですか!!」
私は鉄格子にしがみつき、叫んだ。
「鍵を開けてください! 私が治します! 私なら、あなたの中の呪いをもう一度吸い出すことができるはずです!」
「馬鹿を言うな……ッ! お前は、今まで溜め込んでいた呪いが消えて、ようやく……健康な身体に戻れたんだぞ。……これ以上、お前が誰かのために命を削る必要は、ないんだ……ッ」
レオンハルト様は、苦痛に顔を歪めながらも、私を気遣うように優しく、悲しい声で言った。
「俺は、魔族だ。これくらいの呪い、いずれ俺の腹が消化し尽くす。……だから、お前はもう……俺のことなど忘れて、子供たちの待つスラムへ帰れ」
「嘘つき!!」
私は鉄格子をバンッと強く叩いた。
「消化し尽くすなんて嘘です! あなたの身体が、これ以上持たないことくらい、私にも分かります! このままじゃ、あなたは呪いに食い殺されて死んでしまう!!」
私は、腰のポケットを探った。
いつも薬草を刻むために持ち歩いている、小さな小刀がある。
私はその小刀を引き抜き、ためらうことなく自分の手のひらを深く切り裂いた。
「エルマ!? 何をしているッ!!」
「レオンハルト様。あなたは以前、私にこう言いましたよね。『お前の薬は俺の飢えを満たしてくれる。最高の食事だ』って」
私の手のひらから、真っ赤な、とても綺麗な色の血がポタポタと滴り落ちる。
今までのような、黒く濁った死の血ではない。
彼が私を綺麗にしてくれたおかげで、私の身体には今、純粋で生命力に溢れた『生者の血』が流れていた。
「私は今まで、自分の身体という『器』に、他人の呪いを溜め込むことしかできませんでした。でも、私が病気を吸い取る器なら、あなたは呪いを喰らって消化する者。……私たちは、二人で一つの完全な『循環』を作れるはずなんです」
私は、鉄格子の隙間から手を伸ばした。
「私の中に呪いはもうありません。でも、この純粋な生命力なら、あなたの暴走する飢えを中和し、呪いを消化するための力になれるはずです。……お願い、鍵を開けて。私を、あなたの中に入れて!!」
私の言葉に、レオンハルト様は息を呑んだ。
彼の瞳から、苦痛とは違う、熱い何かがこぼれ落ちるのが見えた。
「……お前は、本当に……底抜けのお人好しだな。……死神の手を取る人間が、どこにいる……」
ガシャンッ!!
レオンハルト様の強い念動力によって、鉄格子の鍵が弾け飛んだ。
私はためらうことなく、黒い瘴気が渦巻く牢獄の中へと足を踏み入れた。
瘴気が私の肌を刺し、服を腐らせようとする。
しかし、私から溢れ出す純粋な生命力(治癒の力)が、その腐敗をギリギリのところで押し留めていた。
私は泥のような床を蹴り、壁に縛り付けられている彼のもとへ一直線に駆け寄った。
「レオンハルト様!!」
私は、彼の黒い茨に覆われた身体を、力強く抱きしめた。
氷のように冷たかった彼から、今は呪いの熱が恐ろしいほどに発せられている。
「……飲んで」
私は、血の流れる自分の手のひらを、彼の口元へと押し当てた。
レオンハルト様は、震える口唇を少しだけ開き、私の手のひらにそっと口付けをするようにして、その血を飲み込んだ。
トクン、と。
私の純粋な生命力が、彼の身体の中に流れ込んでいくのが分かった。
それは、まるで燃え盛る毒の炎に、清らかな冷水を注ぎ込むような感覚だった。
私の『生』の力と、彼の持つ『死』の力が、互いを喰らい合い、そして中和していく。
彼が抱え込んで暴走していた致死量の呪いは、私の純粋な血を触媒にして、急速に彼自身の『力』へと変換・消化されていった。
「あ……ぁぁ……」
レオンハルト様の身体を覆っていた黒い茨の紋様が、シュルシュルと音を立てて薄くなり、消えていく。
地下牢を埋め尽くしていたドロドロの腐敗の瘴気が、朝露のように浄化され、跡形もなく霧散していった。
「……エルマ」
気がつけば、彼を縛り付けていた鎖は外れていた。
レオンハルト様は、私を抱きしめ返し、その美しい銀色の髪を私の首筋にすり寄せた。
「痛みが……飢えが、完全に消えた。俺の魂の底まで、お前の温かい命が満ちている……」
「よかったです……っ、本当によかった……っ」
私は、彼の胸の中で声を上げて泣いた。
もう彼が死ぬこともない。私も死ぬことはない。
余命一年と宣告された私の命は、死神と呼ばれた心優しい騎士によって救われ、そして私もまた、彼を永遠の飢えと呪縛から救い出したのだ。
「エルマ」
レオンハルト様は、私の涙で濡れた顔を両手で優しく包み込んだ。
彼の蒼白だった肌には、健康的な血の気が戻り、その瞳はどこまでも優しく、私だけを見つめていた。
「俺は、お前をスラムへ帰すと言ったが……前言を撤回する」
「え……?」
「お前は、俺の専属医だろう? 白金貨一万枚の契約期間は一年だが、俺はお前を……一生、手放すつもりはない」
彼は、私の鼻先にそっと自分の鼻をすり寄せ、悪戯っぽく微笑んだ。
「これからは、俺とお前で、この世界中の病や呪いを喰らい尽くしてやろう。お前が病を吸い取り、俺がお前からそれを受け取って消化する。……そうすれば、お前の身体が壊れることもなく、俺が飢えに苦しむこともない。俺たち二人は、互いがいなければ生きていけない、運命の共犯者だ」
その言葉は、私にとって、世界中のどんな愛の告白よりも甘く、そして頼もしいものだった。
一人で全てを背負い込み、死を覚悟していたあの冷たい夜は、もう二度とやってこない。
私には、私の痛みを共に背負い、喰らってくれる、最強の伴侶がいるのだから。
「はい。……よろしくお願いします、私の死神様」
私が最高の笑顔で頷くと、レオンハルト様は私の唇に、誓いを立てるように、深く、甘い口付けを落とした。
*****
それから、半年後。
かつて「死神の棲む呪われた城」と恐れられていた森の奥の古城は、今では信じられないほど明るく、賑やかな場所へと変貌を遂げていた。
「エルマお姉ちゃん! 見て見て、中庭のお花がいっぱい咲いたよ!」
「コラ、リリィ! 廊下を走っちゃダメだってセバスさんに怒られただろ!」
「ふふっ、二人とも元気ね。でもトマスの言う通り、あまり走り回ると危ないわよ」
私の足元に駆け寄ってくるのは、スラムからこの城へと引き取られてきた、トマスやリリィたち五人の孤児だ。
あれから、私はレオンハルト様に頼んで、子供たち全員をこの城の養子として迎え入れてもらったのだ。
白金貨一万枚の報酬はそのまま子供たちの将来の学費や生活費としてプールしつつ、広大すぎるこの城は、彼らにとって最高の遊び場であり、学び舎となっていた。
「エルマ。また子供たちを甘やかしているのか」
背後から、呆れたような、しかしどこか嬉しそうな声がした。
振り返ると、白いシャツに身を包んだレオンハルト様が、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「レオンハルト様! お仕事はもうよろしいのですか?」
「ああ。領地からの報告書の確認は終わった。……お前が作ってくれた、昨日の『薬』のおかげで、すこぶる調子がいいからな」
彼は私の腰にスッと手を回し、私の耳元でわざとらしく囁いた。
「昨日、お前が王都の病院で吸い取ってきた『流行り風邪』の呪い。あれはなかなかにスパイスが効いていて美味だったぞ」
「もぉ、からかわないでください。私だって、患者さんを助けるのに必死なんですから」
私は顔を赤くして彼の胸を軽く叩いた。
今、私は城を拠点にしながら、王都の病院やスラムに定期的に通い、重病の患者たちの治療を行っている。
私が吸い取った病や呪いは、その日の夜のうちに、レオンハルト様が『キス』を通じて私から全て吸い出して、彼自身のエネルギーとして消化してくれる。
私の中に呪いが蓄積して身体を壊すこともなく、彼が飢餓状態に陥って死の瘴気を撒き散らすこともない。
奇跡の薬師と、呪われた死神騎士。
私たち二人が揃うことで、不治の病も、恐ろしい呪いも、全てはただの『彼への極上のフルコース』へと変わってしまうのだ。
「……お前が俺のそばにいてくれるだけで、世界がこんなにも美しく見えるとはな」
レオンハルト様は、中庭で元気に走り回る子供たちを見つめながら、優しく目を細めた。
かつて、他者に触れることを恐れ、孤独と死の影に怯えていた彼の姿は、もうどこにもない。
「私もです。あなたのおかげで、私は今日を生きる喜びを知りました。……私の命は、あなたが繋ぎ止めてくれたものですから」
私は、彼の大きな手に自分の手を重ね、ギュッと握り締めた。
余命一年だった薬師の私の時間は、今、彼と共に永遠にも等しい幸福な未来へと向かって動き出している。
「愛しているよ、エルマ」
「私もです、レオンハルト様」
太陽の光が降り注ぐ温かな城で、私たちは互いの温もりを確かめ合うように、静かに微笑み合った。




