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第1話


 新米冒険者ルーク・マルギリウスはギルド酒場が大嫌いだった。

 理由を挙げ出せばきりがない。

 ダンジョン帰りやクエスト終わりの冒険者たちが放つ、血と汗の入り混じった強烈な悪臭。

 酔いやすいだけで薄味のエール酒。

 それらを誤魔化すためか、どっぷりかかったタレの味しかしない肉料理の数々。

 店内は冒険者たちが暴れ回ってもいいようにか頑丈な石壁で覆われており、味気ないことこの上なし。テーブルと椅子はいつ壊れてもいいようにとボロボロで——そして、実際に毎晩のように、どこかしらで誰かしらが暴れて壊してしまうのだ。


 なにもかもが粗雑で乱暴。

 いやぁ、それがいいのではないか、とパーティーのリーダーを務めるドワーフのガージェンは豪快に笑い飛ばしてみせる。

 曰く、野性味あふれ、本能のまま飲み食らうのが冒険者というもの。

 いずれ慣れてしまえば、むしろ心地良くなるものだぞ、と彼は主張する。

 信じ難いことに、そうした意見に賛同する冒険者が大半のようだから、もはや恐ろしい。

 ルークのようなものは、むしろきわめて少数のようだ。


 たしかに、ダンジョンで何日も寝泊まりしたり、クエストで遠征に出かけた場合、時には血まみれの服で眠りにつくこともあるし、塩辛い燻製肉と水だけで空腹を凌ぐ夜を過ごさなくてはならないことだってある。

 どんな環境も苦にしない適応能力の高さが、一人前の冒険者になるための素養なのだ、という言い分は、たしかに一理あるかもしれない。

 けれど、それほどの苦労をしてようやくありつける勝利の美酒だからこそ、堪能するのにもっとふさわしい状況があるのではないか——というのが、ルークの持論だった。


「実は、そんなルークさんみたいな人に、オススメしているお店があるんですよ」

 そう言いながらギルドの受付嬢エレナに手渡されたのは、地図の書かれた小さなチラシ。

「紹介性のお店なんで、気軽に他の人には教えないでくださいね」

 と念を押されたその店の名は、〈星の雫亭〉という。

 迷宮都市グランザリアの繁華街からは少し離れた、人目のつかない通りの一角に店を構えていた。



 その日、ルークが店に着いたときには、すでに空は暗くなっていた。

 山の上には双子月が並んで顔を出している。

 淡い月明かりに照らされた店の外観は、青い大理石の壁に、白い宝玉がいくつも埋め込まれており、まるで小さな星空のように光っている。

 美しく神秘的であるが、同時に気安く立ち入ることのできない敷居の高さも感じてしまう。

 わざわざ紹介されていなければ、きっと自分も入店をためらっただろう、とルークも思う。

「失礼します……」

 恐るおそる扉を開いてみると、店内もやはり格調高い雰囲気を放っていた。

 照明は少しばかり明るさを抑えた、温かみのある魔法灯。

 テーブルや椅子は上品な細工の施され、高級感ある材質だ。

 ほのかに柑橘系の香りが漂っており、どこからかゆったりと心地よい打楽器の音色が流れている。


「いらっしゃいませ」

 凛とした美しい声が、店の奥からルークのもとへ届く。

 声の主は、エルフの女性だった。

「当店ははじめてでございましょうか?」

「は、はい」

「ご来店まことにありがとうございます。よろしければ、こちらの席におかけください」

 案内されたのは、エルフの前にある長いカウンター席だった。

 店内には、他にテーブル席が四つ用意されており、今のところ二人組の客がいるのみだ。


「こちらサービスでございます」

 小さく一礼しながら出されたのは、グラスに注がれたミント水と燻した胡桃。

 さらに手際よく、清めの水と手拭いが用意される。

「今宵は、どのようなお酒をご所望でしょうか」

 店内にメニュー表は見当たらない。

 その代わりというわけではないだろうが、店員のエルフの背後には、数え切れないほどの酒樽とボトルが整頓されて並んでいる。


「えっと……」

 思わず口ごもる。

 ルークが冒険者になって、そろそろ一年ほど経つだろうか。

 その間、酒といえば、ほとんどエール酒しか口にしていなかった。

 いちおうギルド酒場にも女性向けに蜂蜜酒と、ドワーフや獣人向けに辛い蒸留酒が置かれていたが、いずれもエール酒以上に口に合わなかった。

 今晩は当然それ以外の酒を飲みたいとは思っていたものの、目の前の膨大な種類の酒に圧倒され、いざどれを選んでいいものかさっぱりわからない。


「よろしければ、おすすめのお酒をご用意いたしましょうか」

「お、お願いします」

「当店、料理はすべてコースメニューとなっていますが、よろしいですか」

「ええ、お任せします」

 店員が微笑んで、ルークの目の前で調理をはじめた。


 エルフは非常に珍しい種族だ。

 迷宮都市グランザリアの千人を超える冒険者のなかで、金級冒険者にエルフの魔法使いが一人知られているが、それ以外の人物はいない。

 町中を歩いていても、まず目にすることはない。

 ルークにとって、これだけの至近距離で対面するというのは、はじめてのことだった。


 噂通り透き通るような白い肌、整えられた白金色の長い髪は、いずれもため息が漏れるほど美しい。

 深緑色の瞳からは、知性と神秘を感じる。

 そして容姿においては最大の特徴である、長く尖った耳。

 膨大な魔力と高い魔法技術は、他の種族がとうてい到達できぬ領域にある。

 さらには老いることを知らず、悠久の年月を生きる生命力まで併せ持つという、神々にもっとも近いとされる亜人である。


「こちらが、本日一杯目の白ワインでございます」

 グラスが置かれた瞬間、芳醇な香りが鼻先をくすぐる。

「頂戴します」

 グラスを持ち上げてみれば、甘酸っぱい香りをより濃厚に感じる。

 そっと一口含んで味わえば、頭の先まで香りが広がり、腹の底にまで葡萄の果汁が通り抜けていった気がした。

 それはルークにとって懐かしい味だった。


「こちらはチーズと大麦のラスクでございます」

 エルフは皿を出すと、そのまま手をかざす。

「〈炎よ《フレイム》〉」

 魔法を唱えると、チーズにほんの一瞬炎が灯り、弾けるように消えた。

 チーズがゆっくりと溶け出し、頃合いを見てルークはラスクを頬張る。

 カリッとした歯応えのあと、やわらかな旨味の塊に舌先が触れる。

 それを飲み込んだあとに、また白ワインを口に含めば、さっぱりとした葡萄がチーズの残り香と混ざり合っていく。


 そう、これだこれ!

 勝利の“美酒”と呼ぶにふさわしいのは、まさにこうした至極の一杯でなくてはならない。

 口の中から全身に多幸感が広がっていくような、そんな瞬間をじっくり堪能するべきなのだ。


「ご満足いただけましたでしょうか?」

 エルフが微笑む。

「ええ、とても」

 ルークはすっかり自分の頬がゆるんでいることに気が付いた。

「でも、どうして僕にこの白ワインを?」

 グラスに残りわずかとなった白ワインに視線を落とし、店主に訊ねる。

「お客様のご様子から、もしやこの辺りの出身の方ではないようにお見受けしまして」

 エルフは白ワインの瓶をテーブルに置き、ラベルを指差した。

「騎士の町で有名なローザン地方の名産品をお出しさせていただきました」

「どうして僕が騎士出身だと?」


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