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【Web版】乙女ゲームのヒロインは婚約破棄を阻止したい  作者: 藤浪保
第一部

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第91話 日常を取り戻しました

 アルフォンスの言った通り、ミリアはその日のうちにマーサと共に寮に戻された。家族を始めとして、スタイン商会の他の従業員も解放されたそうだ。


 次の日からいつもの学園生活が始まった。


 たった二日しか休んでいなかったのに、風邪を引いたときよりも長く休んでいたような感じがする。


 奴隷売買の容疑で勾留されたことは誰しもが知っていて、スタイン商会の業務が再開されたことから片が付いたとわかるはずなのに、以前から人身売買の噂があったこともあって、生徒の視線は冷ややかだった。嫌がらせも変わらず続いていて、ミリアはため息をつくしかなかった。


 幸いなのは、エドワードたち三人がしばらくぶりに学園に来て、そちらにも注目が集まった。また、彼らの目を盗んで大掛かりなことはできないと考えたのか、嫌がらせが些細(ささい)な物になった。


 エドワードは、ミリア嬢、ミリア嬢、と休み時間ごとに話しかけてきて、昼休みはせっかく晴れているのに個室に連れて行かれた。


 まあいい。あと一ヵ月だ。


 ジョセフは少しよそよそしかった。無理もない。ミリアも特別構おうとはしなかった。距離を置いた方がいい。


 エドワードとジョセフは午後の途中でいなくなった。まだ公務があるのだろう。皇子(クリス)は本当にとんでもなく迷惑をかけていたのだな、とミリアまで申し訳ない気持ちになった。


 クリスの方は大丈夫なのだろうか。皇子(おうじ)としての仕事も心配だったが、皇帝(ちちおや)の容体も心配だった。ミリアも数回会ったことがある。歴戦の猛者のような(いか)つい外見をしていたが、優しいおじさんだった。


 クリスはきっとまだ帝国に戻れていない。火急ということで馬を駆って行っていると思うが、二日や三日では無理だろう。落ち着いてからでもいいから手紙が欲しいと思った。





 そうこうしているうちに最後の試験期間に入った。ミリアは真面目に講義を受けているし、だいたい頭に入っていたので、芸術分野のおさらいをするくらいで済む。


 だが、そうではない生徒はたくさんいるようで、試験一週間前から図書館は利用者であふれることになる。ちなみに試験範囲などは特にない。貴族としての教養が身についているかが大事なのだ。


 入学前に家庭教師をつけているだろうし、三年間同じようなこと繰り返し習っているのに、何を今さら勉強するのだろうか。美術や音楽がまるで駄目なミリアが言えることではないが。


「ミリア嬢、今日もいいでしょうか」


 アルフォンスの手伝い――というか正式な依頼に基づくお仕事も再開していた。


「いいですが、今日から図書館はいっぱいですよ」


 きっと一時中断するのだろうからと、図書館で美術の本でも借りて部屋で読む予定だった。本には美術品のデッサンチックな絵が添えられている。模写や細密画が描かれたものもあるが、高価すぎておいそれと持ち出せない。


「執務棟にお連れします」


 ミリアは執務棟という建物が存在していることは知っていた。しかし、王太子(エドワード)やすでに当主となった令息が使う場所のため、縁のない所だと思っていた。


 まだ伯爵になっていないアルフォンスが使えるのか、そしてミリアが入ってもいいのかと疑問に思ったが、手続きは済んでいるとのことだった。


 初めて入る執務棟の廊下は、壁はモスグリーン、絨毯(じゅうたん)は茶色一色の落ち着いた雰囲気で、所々に花瓶や(つぼ)、絵画が飾ってあった。


 執務室は何の変哲もない部屋で、大きな執務机と本棚、その執務机を中心にコの字型になるように二台の一回り小さな机、そしてソファセットがあった。美術品の(たぐい)は一切ない。


 エドワードなどは一室を貸切りにしており、本もそろっているらしいが、今回は一時的に使うだけなので本棚は(から)だった。


 アルフォンスが執務席に向かったので、ミリアは(そで)にある机に座ろうとした。すると、こちらへ、とアルフォンスが執務席の椅子を引いた。


 いやいやアルフォンスが座るべきだろう。ミリアはあくまでも手伝いだ。


「アルフォンス様がどうぞ」

「こちらの方が座り心地がいいですから」


 ならば尚更ミリアが座るわけにはいかない。


 が、アルフォンスが譲りそうになかったので、申し訳ないと思いながらもミリアは執務席に着いた。


 大きなデスクを前に部屋を見渡せる位置に座ると、少し偉くなったような気がする。ミリアもフォーレンの本部には自分専用の執務室を持っているが、ここまで重厚で立派な部屋ではない。袖の机に座った伯爵令息(アルフォンス)を従えているようなのも気分がよかった。


 だが、そう思えたのは一瞬だった。


 ノックの後に入ってきた数人のアルフォンスの使用人が、どさどさと書類を積み上げて行ったからだ。


「今日は、多いですね……」


 さすがにミリアの顔も引きつる。


「すみません。調べないといけないことが増えまして。できる所までで構いませんので」


 アルフォンスが眉を下げて申し訳なさそうな顔をした。


 仕方がない。お仕事である。


 ミリアは気合を入れて書類仕事にとりかかった。





「アルフォンス様、これ――」


 途中で見慣れた数値の羅列を発見し、ミリアは手を止めた。例のごとく書き写されたもので、どこの何の書類かはわからないようになっているのだが、さすがにこれはわかる。


 思わずアルフォンスが手を動かしているときに話しかけてしまった。申し訳ない。


スタイン商会(うち)のですよね」

「そうです。孤児院の人身売買の疑いについても改めて調べようということになりまして」


 アルフォンスがしれっと言った。


 いい加減諦めればいいのに。いくらやっても出ないものは出ない。


「私がやっていいんですか」

「精算するだけなので」


 それはそうなのだが。わざと誤り――を(よそお)った不正――を放置するということもできるわけで。


 そんなことはしないけど、と思いながら再開した。が、一向に誤りは見つからない。さすがうちの商会である。誇らしい。




*****


「ミリア嬢」


 アルフォンスは頃合いを見計らって、ミリアに声をかけた。


「なんでしょう?」

「お茶にしませんか?」

「えっ!?」


 休憩を提案すると、ミリアが目を丸くして、ぱちぱちと(まばた)きをした。図書館ではできなかったことだが、ここにはソファセットもあり、部屋の外にはお茶の用意をするための設備もある。


 ミリアは、どうしたものか、とアルフォンスの顔と書類の山を交互に見た。休憩している時間はない、と思っているのだろう。


「私が休憩をしたいのですが、つき合ってもらえませんか?」

「そういうことならご一緒します」


 アルフォンスはすぐさま使用人を呼び、お茶の用意をさせた。早採りの夏の果物を使ったフルーツタルトもつけて。


 タルトが目の前に置かれると、ミリアの顔が嬉しそうに輝いて、わくわくとアルフォンスを見た。


 微笑ましく思いながら、どうぞ、と言うと、ミリアはフォークを片手にケーキを一口。


「美味しいぃ~」


 幸せいっぱいのミリアの笑みを見て、満足感が広がった。


 ああ、これは確かに買い与えたくなる。


 初めてミリアにデザートを食べてもらったアルフォンスは、返された笑顔が嬉しくて仕方がなかった。


 手ずから食べさせてやりたい、と思った。ミリアを膝の上に横抱きにし、その笑顔を眺めながら一口ずつ食べさせられたなら、どれだけ幸せな気持ちになれるだろう。


 と、ミリアがアルフォンスに視線を向けて、ぴたりと固まった。目がこぼれ落ちそうなほど開かれている。


 アルフォンスは自らの口元を手で隠した。まずい。にやけていた。


「どうかしましたか?」

「い、いえ……」


 すぐさま顔を引き締めて、何でもない風を装ったが、ミリアは固まったままだった。その手にはタルトが乗ったフォークが握られている。


 数瞬の後、金縛りから解けたミリアは、何事もなかったようにぱくりとタルトを口にし、フォークを置いて紅茶のカップを口につけた。


 こくりと白い喉が動くさまが(なま)めかしい。


 うなじを撫でた時のミリアの反応を思い出して体が熱くなる。


 アルフォンスは首を振って(よこしま)な気持ちを追い出し、ミリアと雑談を始めた。


 話は次第に試験のことになり、ミリアの苦手な芸術の話へと移っていく。


「画家の名前が覚えられないんです。長ったらしくて」


 ミリアがはぁとため息をついた。


「そればかりは覚えるしかありませんね。ミリア嬢は人の名前を覚えるのは得意だと思っていましたが」

「実在する人物だと覚えられるんです。家族構成や領地のことと関連づけるとあまり忘れません。スタイン商会(うち)の仕事に関わることもあるので、覚えざるを得ないというのもあります」


 そこまで言って、ミリアは、あ、と口を覆った。


「ごめんなさい。商売の事って、あまり話さない方がいいですよね」


 貴族の間では商人はいやしいと思われているため、礼儀にこだわりの強いアルフォンスの前で話題にすべきではなかったか、とミリアは言いたいようだ。


 だが、今までもエドワードの茶会では話を聞いていたし、実際アルフォンスはこうして依頼をしているわけで、今さら何ということはなかった。むしろ、今のミリアを作り上げた商会の仕事に好感を持っているくらいだ。


「いいえ。もっと聞かせて下さい」

「いいんですか!?」


 ミリアは驚きながらも嬉しそうに話し始めた。最近の流行や王都での新しいパン屋の話、はては国外で発明された技術まで。エドワードとの昼食や茶会でも色々と話しているというのに、よくもまあ話題が尽きないものだ。


 新規で見つかった温泉の話までして大丈夫かと思ったが、開発に投資する代わりに利権はすでに確保しているらしい。さすがフィン・スタインだ。


「あ、私、話し過ぎましたね。どうしよう、早く続きやらないと」


 ひとしきり話したあと、ミリアが慌てて言った。


「ああ、そうですね。そろそろ再開しましょうか」


 実は積んである書類のうち、大半はやらなくてもいい仕事だった。


 スタイン商会の帳簿の精算はアルフォンスの仕事ではなかったのだ。裏帳簿事件の調査も担当したのをいいことに、ダブルチェックと称して取ってきたのだった。


 ちょうど試験期間に入って執務棟に連れてくるきっかけができ、少しでも長く二人だけでいられるように仕事を増やしたかった。できる所まで、と言ったが、真面目なミリアはきっとギリギリまでいてくれるだろう。


 だからずっと休憩していてもよかったのだ。しかしそれでは建前が成り立たない。名残惜しいと思いながら会話を切り上げ、書類仕事に戻った。


 ミリアを騙しているのは心苦しい。それでも一緒にいたかった。


 どうにかしてミリアを帝国に連れて行く算段をつけたいが、まだ何の策も浮かんでいない。卒業後に観光で行くと言っていたが、その後どうやって留めればいいのだろうか。


 失敗すれば、ミリアのそばにいられるのはあとひと月ないのだ。それまでに少しでもミリアと過ごしたかった。

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