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【Web版】乙女ゲームのヒロインは婚約破棄を阻止したい  作者: 藤浪保
第一部

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第89話 貞操の危機です

 ギルバートが置いていったクッキーの包装を開けてぽりぽりと食べていると、またもノックの音。


 ジョセフだった。


「ミリィ!」

「ジェフ……」


 いきなりの愛称である。もう呼ぶなと言ったのを忘れているのだろうか。


 ジョセフが腕を広げて近づいてきたが、ミリアが飛び込むことはなかった。組んだ両手を胸の辺りに置いて、怯えたふりをした。


「ごめん、そんな顔しないで」


 眉を下げるジョセフ。ミリアの溜飲も下がった。


「どうしたの?」

「会いに来た」


 お前もか。


 入れ替わり立ち代わり。まとめて来ればいいものを。いや無理か。忙しいし、ギルバートの話はみんなの前ではできなかっただろうし。


 まだまだ暇だったので、相手をすることにする。気を使って来てくれるのはありがたいことだ。


「誰か来てたのか?」


 テーブルの上にあった二つのカップを目ざとく見つけて、ジョセフが不機嫌が声を出した。


「ギルが――ギルバート様が来てたの。その前にはエドワード様が」

「そうなんだ」


 ジョセフは口をゆがめた。


 その態度が困るのだ。ジョセフはミリアの彼氏ではないのだから。嫉妬(しっと)はわかるが、この前のように暴走されるのはごめんだった。


 そう、思ったのに、ジョセフはあっという間にミリアとの距離を詰めると、ミリアを胸に抱いた。躊躇(ためら)いのないその早業(はやわざ)にミリアは呆れるしかなかった。


「ジェフ」

「ごめん」


 (とが)める声に謝るも、ジョセフはミリアを放そうとはしない。密着するように抱きしめるのではなく、輪にした腕の中に閉じ込めるような格好だった。


「ギルバート殿下の匂いがする……」

「え? 嘘っ!」


 ミリアは飛び退こうとしたが、ジョセフの拘束に(はば)まれて叶わない。


「ただハグしただけだよ」


 言い訳めいたことを自分で口にするのが釈然としなかった。


「ギルバート殿下はいいのに、どうして俺は駄目なんだ?」

「ギルは友達だから……」

「俺だってそうだよ」

「ジェフは下心があるから嫌」

「それは仕方ないだろう、好きなんだから。ギルバート殿下だってあるに決まってる」

「そんなことは――」


 ない、とは言えなかった。


 一応、好きだと言われたのだ。そういえば先ほども、ここの所やたらハグをしているな、とも思ったのだった。


 混乱が収まってみると、実はすごいことを言われたのではないかと思い始めた。あの、いかにも王子サマなギルバートに、告白――というかプロポーズされたのである。打算が大いに含まれていたとはいえ。


 ミリアは親愛のつもりでハグをしていたのに、あれに下心があったのだろうか。


 ぶわっと顔に熱が集まっていった。


 その様子を見たジョセフの顔が険しくなっていくことに、目をそらしたミリアは気づいていない。


「ギルバート殿下と何かあった?」

「何もにゃいよっ」


 噛んだ。


 ジョセフはミリアの真っ赤な顔に手を添えた。反対側の手はミリアの腰をがっちりととらえている。


「ミリィ、どうして俺じゃ駄目なんだ?」

「ジェフ、また名前」

「ごめん。一生大切にするから、俺を選んで」

「そんなこと言われたって……」


 だってジョセフのことが好きではないのだ。好きであれば、伯爵夫人になるのだって受け入れられるのに。


 ミリアはジョセフを見つめた。黒い髪に黒い目という組み合わせは妙に落ち着く。いつも軽薄な笑みを浮かべているくせに、今は真剣な顔をしているのがずるい。切なそうな声がミリアの心を揺らした。


「ミリア」

「結婚はまだ考えられないの」

「ミリアがここでうなずいてくれたら、ユーフェン伯爵家として守ってやれる。ミリアがこんな目に合っているのに俺には何もできない。俺にもミリアを守らせて」

「でも、もう――」


 解決するんだよ、と言いそうになって口を(つぐ)んだ。むやみに口外しない方がいいと思ったからだ。


「なあ、俺のどこが駄目なんだ。努力するから言って」


 抱きしめたり(こういうことを)するからだ、と言えば放してくれるだろうか。


 いや、誤魔化したりするのは良くない。ミリアは本当の理由を言う事にした。


「ジェフがすぐに他の人を好きになるんじゃないかと思って」

「ならない。ならないよ。ミリアが好きなんだ。ミリアだけが好きだ」

「今までたくさんの人たちと付き合って来たんでしょ」


 そうだけど、とジョセフはうめいた。


 それが恋愛ゲームだったとはミリアには言えない。


「もうミリア以外の人を好きになったりしない」

「そんなのわからないよ」


 他の人を好きになるとも限らないし、ならないとも限らない。それはわからないことだった。だからジョセフがミリアをずっと大事にしてくれる可能性だってある。だけど、ミリアはそれを信じられないでいる。


「まだわかってもらえないか……」


 ジョセフは寂しそうに言った。


「もしエドから求婚されたらどうする?」

「断るよ。前も言ったと思うけど。それにローズ様がいるんだからあり得ない」

「ギルバート殿下から求婚されたら?」


 ドキッとした。


「こ、断るよ。もちろん」


 現に断った。


 だが、ジョセフはミリアの動揺を見逃さなかった。


「やっぱり、ギルバート殿下と何かあったんだ」

「んっ」


 ジョセフが乱暴にミリアの口に自分の口を押しつけた。


「ジェフっ」


 手が後頭部に回っていて、顔を離すことができない。


 アルフォンスとのキスを上書きされていくような気がした。


「やだっ」


 どうしていつもこうなるの……!


 学習しないミリアもミリアだ。警戒しなくてはいけないのに。どうもジョセフには気を許してしまう。自分を傷つけるわけがないという安心感があるのだ。実際はこうやって無体を働かれているのだが。


「え、ちょ、やだっ」


 ジョセフはミリアを片腕で抱き上げると、ソファに押し倒した。


「ミリィ、好きだ。好きなんだ。ミリィ」


 ミリアの両手は頭の上で束ねられ、ジョセフの手がミリアの体をはい回る。


「待っ、ふぅっ」


 胸の膨らみを触られ、声を上げようとしたが、ジョセフの口で塞がれてしまう。


 え、これまずくない?


 嫌だという気持ちよりも、貞操の危機だという焦りの方が大きかった。


 足をばたつかせるが、スカートがめくれるだけだった。というか、ジョセフの体が足の間にあるので、すでにだいぶ捲れ上がっている。


 大声を上げれば騎士が気づいてくれるかもしれない。ちょっととんでもない姿ではあるが、このまま食べられてしまうよりはいいと思った。


 だが、キスが止まない限りは、くぐもった声しか出ない。


 涙を流せば止まってくれるかもとも思ったが、焦るばかりで泣き真似などできそうにない。なんでこんなに冷静でいられるんだ。経験値グッジョブ。


「っ!」


 仕方がなくジョセフの口に噛みつくと、体を起こしたジョセフが血のにじんだ口を手の甲で(ぬぐ)った。目がギラギラとしていた。


「ジェフ、やめて」

「やめない」

「やっ」


 また口を塞がれた。舌を深く入れられて、歯を立てることができない。


 ジョセフがドレスのボタンを素早く外し始めた。


 手慣れすぎだろうがよ!


 ぐっとドレスを引き下ろされ、下着の胸元があらわになった。


 これは従順なふりをして隙をうかがった方がいいのかもしれないと思い始めた時、ノックの音が響いた。


 ジョセフは止まらない。返事をしなければ入って来ないと思っているのだろう。


 逆だ。返事がなければ入って来る。だってミリアは勾留されているのだから。逃げたと思うかもしれない。


 もう一度ためらいがちにノックがあり、しばしの()の後、ドアが開いた。


 そしてすぐにバンッと音を立てて閉まってしまう。


 ちょぉっ!


 余計な気遣いなんて要らないから助けてよぉっっ!


 と、駆け寄る音がした。出て行ったのではなく、中の様子が外に漏れないようにしてくれたのだった。


 ジョセフが口を(ぬぐ)いながら体を起こしたのと、バキッと嫌な音がしたのは同時だった。


 ジョセフが殴られた音だった。


 ジョセフをミリアの上から吹っ飛ばすほどの威力はなかったが、ジョセフは後ろから襟首をつかまれてソファから引きずり降ろされた。


 両手が自由になったミリアは、手っ取り早く下着を隠すためにソファのクッションを胸に抱いて、口元を手で拭った。唾液でべたべただった。


「一体何をしているんですっ!」


 ジョセフの襟首をつかみ、鬼の形相でにらみつけていたのは、よりにもよってアルフォンスだった。


 第二騎士団の団長だったら大変なことになっていた。エドワードでも大変なことになっていた。恐らくギルバートでも。


 そう考えれば、客観的にはアルフォンスだったのは幸いなのかもしれない。しかし主観的には、推しにこんなところを見られたというのは中々にダメージがでかかった。


「出ていけよ。邪魔するな」

「出て行くのはあなたです!」


 バキッと再び殴る音がした。


「ってぇな、この野郎っ!」


 ジョセフがアルフォンスに殴り返そうとした。


「やめてっ!」


 ミリアは叫んだ。


 こんなきれいな顔に傷をつけようだなんて許せない。


「ミリア……」


 ジョセフはミリアの様子を見て絶句した。


 そりゃそうだろうよ、と思った。髪はぐしゃぐしゃだしドレスは脱げかけているし口紅だってにじんでいるだろう。全部お前のせいだぞ。


「ごめ……俺……」


 何度も見た反応だ。そんな顔をするくらいならやらなければいいのに。


「出てって」


 ミリアはジョセフをにらみつけた。


「ミリア」


 ジョセフがミリアに近づこうとする。


「今すぐ出てって。じゃなきゃ絶交だから」


 ジョセフが返事をする前に、アルフォンスがジョセフの二の腕をつかんで引きずり、ジョセフを扉の外へと蹴り出した。


「この男を絶対に中に入れないように。王子二人の怒りを買いたくなければ」


 アルフォンスは、またもバンッと音を立てて扉を閉じると、ミリアを見てぱっと背を向けた。


「わ、私も出ていますね。支度を整えたら合図をください。使用人を呼んできます」

「お願いします」


 ミリアはクッションに顔をうずめて言った。




*****


 アルフォンスが廊下に出ると、ジョセフが扉のそばでしゃがみ込んでいた。エドワードといい、騎士は何事かと思っているだろう。


「ジェフ」


 怒気のこもった声だった。ジョセフが憔悴(しょうすい)した顔を向ける。


 ここに放置するわけにはいかない、とアルフォンスは隣の部屋にジョセフを引っ張りこんだ。こちらも留置部屋だが今は()いている。


「反省していてください」


 そう言って、アルフォンスは使用人を探しに部屋を出た。途中で通りがかった王宮の使用人に言伝(ことづて)を頼んで、ジョセフの元へと戻った。


 ジョセフはソファに座って項垂(うなだ)れていた。アルフォンスはその正面に座った。


 頬が腫れている。アルフォンスが殴りつけた手もじんじんと痛みを放っていた。


「アル、俺、ミリアのこと、諦めるわ」


 アルフォンスは息を飲んだ。


 二人の様子を見てカッとなって思わず殴りかかってしまったが、あの後のミリアの様子を見る限り、同意ではなかったようだ。


 だがミリアは、出ていかなければ絶交、と言っていた。まだ交流を続ける気だということだ。怒ってはいても決定打にはなっていないように思えた。


「諦めなくてもいいのでは?」

「いや。あれはない。止めてくれてありがとうな。大変なことをしでかすところだった」

「諦められるんですか?」

「諦めるしかないだろう。こんなクズがミリアの隣にいるのは嫌だ」


 ジョセフは顔を覆って、ふぅー、と息を吐いた。


「ですが――」


 アルフォンスは言葉を続けることができなかった。


 ギルバートはジョセフをミリアの伴侶(はんりょ)にと考えている。諦める必要はないのだ。だが、まだそれを伝えるわけにはいかない。


「ミリア嬢と結婚したいですか?」

「したいに決まってるだろ。ミリアを俺の物にしたい。俺だけの物に。ミリアを害する物から守ってやりたい。俺が守ってやりたいんだ」


 ジョセフはミリアが嫌がらせを受けていることを知らないだろう。知っていたら、この調子だと学園に乗り込んで行きかねない。


「なのに、俺がミリアを傷つけてる。もうたくさんだ」


 ジョセフは吐き捨てるように言った。


「……わかりました。しばらく近づかない方がいいですね」

「ああ」


 アルフォンスはこの場は引くことにした。


 どうせ婚姻を結ぶことになるのだ。ジョセフがそう簡単に心変わりすることはないだろう。


 ジョセフ(こんな男)がミリアの隣に立つのかと思うと吐き気がした。


 令嬢(ミリア)にこれ以上ない乱暴を働いたのだ。ジョセフは一線を越えてしまった。このことをギルバートに話せば、ギルバートはジョセフに嫁がせるのを思い直すだろうか。


 アルフォンスはむかむかした気持ちを抱えて部屋を出た。

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