第70話 対価はお金でお願いします
翌日、ミリアは図書館にいた。
約束をしたので、アルフォンスが来ることはわかっていた。待ちかまえているのは緊張する。ミリアは全然本に集中できなかった。
気がそぞろなままページに目を落としていると、視界の上方に、とさりと静かに書類の山が置かれたのが見えた。
ミリアが顔を上げると、アルフォンスは目を丸くした。読書の途中で顔を上げたのは初めてだったからだろう。
――今日もすごく格好いい。
そうは思ったが、胸が高鳴ることはなかった。大丈夫。冷静でいられる。
「邪魔をしましたか?」
わずかに首を傾けると、さらりと流れる銀色の髪。
困ったように寄る形のいい眉。
抑揚の乏しい声は、聞きようによっては冷たく聞こえる。だがミリアは、時折そこに優しさがにじむのを知っている。
「いいえ」
会えたのが嬉しくて、ミリアは満面の笑みを浮かべた。
「ミリア嬢は、卒業後はフォーレンに帰ると言っていましたね?」
アルフォンスが手を動かしながら聞いてきた。
「はい」
「スタイン商会で働くのですか?」
「しばらくはそうなりますね」
「その後は?」
「結婚相手によります」
自分でも何気なく言ったのだが、胸がずきりと痛んだ。
アルフォンスとは一緒にいられないのだ。誰か別の人の所に嫁ぐことになる。そのときまでに、この気持ちはなくなってくれているだろうか。
「ミリア嬢の希望は?」
「そうですねぇ。相手が許してくれるなら、商会で働き続けるか、公務員にでもなれたらと思っていますけど」
うーん、と悩んだふりをしたが、答えは決まっていた。
アルフォンスの手が止まったのを感じ、ミリアも手を止めた。
「王宮に、入る気はありませんか?」
「文官として? 私じゃ国政は無理ですよ。女じゃなかなか試験に通りませんし」
何を言っているのやら、とミリアは首を振って書類に目を戻した。王宮に勤めればアルフォンスと会う機会があるかもしれない、という考えは捨てる。叶わぬ想いを抱えているのはつらいだけだからだ。
「ミリア嬢なら通りますよ。ギルバート殿下が推薦するでしょう」
「ギルが? どうしてですか?」
ミリアは再び顔を上げた。
なぜここでギルバートの名前が出てくるのだろうか。
「ギルバート殿下はミリア嬢の実力を認めています。……私もです」
ミリアの胸にじわりと痛みが広がった。アルフォンスが認めてくれるのは嬉しい。だが、肯定されるともっと欲しくなる。
「どうしてギルが私を買ってくれているのかわかりませんが、ありがたいことですね。でも、私は王宮では働きたくありません」
「なぜですか?」
あなたが居るからですよ。
「フォーレンに――家族の近くにいたいんです」
嘘を吐いた。
家族と一緒にいたいのは本当だが、年に一度会えればいいとも思っていた。田舎から上京したときもそんな気持ちだった。
「スタイン商会が王都に来るというのは?」
ミリアは眉を寄せた。家族といたいなら本部の方を呼べと言うのか。
「今のところの予定はありません。商いをするならフォーレンの方が便利ですから」
「そうですか……。ですが、ミリア嬢、王宮に入ること、本気で考えてもらえませんか?」
アルフォンスは真剣な顔をしていた。
「なぜですか?」
「あなたが、必要なんです」
ミリアがひゅっと息を吸った。
どうしてそんなことを言うのか。
どうして、そんな言い方をするのか。
「私の力が、ですよね。買いかぶりですよ」
「そんなことは。現に私も助けられています。それに……ミリア嬢自身も必要です」
そんな取って付けたように言われても。
ミリアは、アルフォンスに必要だと言ってもらえたことが嬉しかった。と同時に、あくまでもそれは能力であり、ミリア自身――ミリアの心ではないことを強く感じて悲しかった。
「私は、アルフォンス様の駒になる気はありません」
どちらの感情も押し殺すことができず、泣き笑いのような顔になってしまった。
アルフォンスが傷ついたような顔をして、余計に悲しくなった。違う。助けになりたいとは思っている。
「そんなつもりでは――」
「はい。わかっています。嫌な言い方をしました。ごめんなさい」
「こちらこそ、気分を害したのなら申し訳ありません」
「王都で暮らすかは、さっきも言ったようにお相手次第です。なので、王宮に入るかどうかはその後考えます」
「わかりました。勝手を言いました」
ミリアはこれ以上話を続けたくなくて、書類に目を落とした。アルフォンスもそれ以上は話しかけてこなかった。
今日の分の書類が片づき、翌日の約束をした後。
「ミリア嬢、あの、やはり、ご迷惑でしょうか?」
「手伝いでしょうか? いいえ、迷惑ではありませんよ?」
「ですが……」
「ああ、でも、そろそろ商会を通して頂いた方がいいかもしれませんね。今までの分はお試しだったということで、ケーキの約束もなかったことにしましょう。明日の分からお支払い頂いてもいいですか?」
もはやこれはただの善意ではない。好きな気持ちを対価にして続けるのは、無理だと思った。
「え、ええ、支払いは構いません。しかし、ケーキは――」
「いいんです。これからもスタイン商会をご贔屓下さいませ」
泣いてしまう前に、とミリアはアルフォンスの前から去った。
*****
アルフォンスは、王宮に戻りながら、ミリアとの会話を反芻していた。
なぜ、王宮に入ることをあんなに強く言ってしまったのか。ミリアは押せば逃げるとわかっていたのに。
結婚の相手次第だと言われて焦った。相手が許さなければ、家で無為な時間を過ごすのも厭わないというのか。
それだけの能力がありながら、なぜ活かそうとしないのだ。生粋の貴族であり、最善を尽くすのが当然だと育ってきたアルフォンスには理解できない。
――アルフォンス様の駒になる気はありません。
そう言われたことが、頭に強く残っている。
駒にする気などなかった。いや、配下に欲しいと思ったのは確かだ。だが、ミリアの言葉はそういうニュアンスではなかったように思う。ひどく苦しそうだった。
この仕事のこともそう思っているのだろうか、と思い、ミリアに迷惑かと聞いた。
ミリアは否定したが、商会を通した正規の支払いを求めてきた。それは何の問題もない。本来支払うべきものだ。だが、これまでの分のケーキの約束も不要だというのはどういうことなのか。
ミリアが甘味を要らないと言うとは思わなかった。そのような可能性は微塵も想定していなかった。
アルフォンスはよほど悪いことを言ったのだ。ミリアが家族から離れたくないと言っていたのに、王宮に入ることを強く要求してしまった。
ミリア自身も必要だと言ったのがよくなかったのかもしれない。その言葉に、ミリアを取り巻く人間関係を利用しようとしているのが露骨に現れていた。
だが。
スタイン商会会長の娘。エドワード、ギルバート、ジョセフの想い人。帝国の第一皇子の幼なじみ。
利用しようと思うなという方が無理だろう。
どうも上手くいかない。
やはりミリアとの相性は悪いのだ。
「アル……ミリアの返事、どうだった?」
ジョセフに聞かれ、茶会のことを訊ねるのを忘れていたことに気がついた。
「聞くのを忘れていました」
「おいっ」
「自分で確認してください」
「ちょ、時間は作ってくれるんだよな?」
「調整済みです」
「よし。手紙で聞くか。二人きりだな。二人きりだよな。来てくれるかな。……なぁ、アル、なんて誘えばいいと思う?」
「知りませんよ。自分で考えて下さい」
「冷たっ」
アルフォンスはミリアのことで頭が一杯で、ジョセフに構っている余裕はなかった。




