第7話 あなたは私の友人です
顔の熱が下がると、頭も冷えてきた。
あんなことに翻弄されるなんてどうかしている。
それに、少し変だ。
ジョセフは女性との距離が不必要に近いが、軽々しく淑女に触れるような悪ふざけをする男ではなかった。
女性を大切に扱う男で、こちらが嫌がるようなことはしない。現に、さっきミリアが困惑していると知った途端、ぱっと離れていったではないか。
ミリアと接する時間は長くても、紳士としてぎりぎり節度はあると言える振る舞いをしていた。
ジョセフらしからぬ行動に、ミリアは違和感を持った。
冬休みの間に何かあったのだろうか。
平民流の挨拶を知るような何かとはなんだろう。
考えても仕方ないか、とミリアはそこで思考を打ち切った。
教師が脱線して始めた雑談が興味深かったからである。
ミリアは昼食を食堂でとる。
カフェテリアは利用者数に対して十分に広く、席を待つ必要はなく、相席することもなかった。晴れの日には日光が入ってきて気持ちがいい。
大きなガラスを贅沢に使っているところが、さすが歴史あるこの学園だ。これだけでいくらかかるんだろう、と最初に思ってしまったのは商人の娘の性だ。
学園にはより豪華な内装の個室もあり、そこでは給仕もしてくれるので、特に家格の高いご令息様やご令嬢様方はそちらを利用する傾向が強い。
ミリアは日替わりランチセットをカウンターで受け取り、窓際の六人掛けテーブルの角に座った。頼めばワゴンでテーブルまで運んでくれるが、セルフの方が楽だ。下級生は最初は戸惑うが、上級生が自分で運んでいるのを見て、やがて真似するようになる。
アラカルトにするとつい好物ばかり選んでしまうので、ミリアは日替わりメニューを選ぶようにしていた。王都内で作られた新鮮なサラダが食べられるのが気に入っている。なのに無料だ。すばらしい。
栄養学は発達しておらず、考慮されていない。しかしセットメニューというものは、ある程度バランスよく入っているのだ。肉料理と肉料理と肉料理を組み合わせることはありえない。食べることが好きなミリアにとっては、それで十分だった。
昼休みは食後のお茶の時間も含まれていて結構長い。二日前まで目一杯働かされていたミリアは、ゆっくりと味わって食べられるのが嬉しかった。
ひざの上で手を合わせ、小さく「いただきます」とつぶやいてから食べ始めた。
学園専属の料理人は今日もいい仕事をしている。
美味しいご飯が食べられて、ミリアはご機嫌だった。
程良く酸味のあるドレッシングがかかったシャキシャキとした野菜を堪能していると、同席してもいいだろうか、と声がかかった。
「……殿下」
いいとは言っていないのに、エドワード王太子は勝手に向かいの席に座った。その隣にはアルフォンス、ミリアの隣にはジョセフが座る。
断られるだなんて思ってもいないのだろう。ミリアも断りはしないが。
すかさず寄ってきた給仕にミリアと同じ物を頼んだ。アルフォンスとジョセフも同じだ。
ミリアは食事の手を止めた。王太子の前で一人で食べるわけにはいかない。
隣にいるジョセフに意識を向けないように、エドワードの方をまっすぐ見る。今はもう落ち着いているが、念のためだ。
王太子はテーブルに肘をつき、組んだ手の上に顎を置いてにこにこと笑っている。
「食べていいぞ」
「いえ、殿下をお待ちします」
「料理が冷めるだろう。私はミリア嬢が食べているところを見るのが好きなのだ」
「……お待ちします」
金色の髪が陽光に照らされてきらきらと光っている。同じく金色のまつげはエクステでもしているんじゃないかと思うほどに長く、ほほに影を落としていた。形のよい眉はやや下がっていて、優しい印象を受ける。
イケメンに興味がないミリアですら見とれてしまうくらい綺麗だった。
微笑みよりも深い、心底嬉しそうな笑みが自分だけに向けられているという事実は、ぐっとくるものがある。自分に好意があるとわかっているのだからなおさらだ。
だが、それと恋に落ちるかは別である。
これまでの二年半のミリアがそうであったように、王太子に見とれはするものの、それだけで恋愛感情を持つわけではない。
友人としてなら――王太子殿下に対して恐れ多いことではあるが――割と好きだ。
第二王子であることと母親が側室であることを悪く言われてきたのもあり、身分を絶対視していない。身分をかさに着て偉ぶることもしない。でなければミリアに話しかけることもなかったかもしれない。
王太子に相応しくあるよう、努力をしているのも知っている。学力も剣術も申し分ない。
為政者としてはやや素直すぎるきらいはある。しかし、冷静沈着なアルフォンスが側近になるのであれば、うまくやっていくだろう。度が過ぎればローズだって黙って見過ごすまい。
だが、ミリアがいくら友人だと思っていても、周囲はそう思ってくれない。
さっきから視線が痛い。今日だけで何本刺ささったのか。体に穴があきそうだ。
居心地が悪くて黙っていられず、何か話そうと会話を探すが、適当な話題がみつからない。
すると先にエドワードが口を開いた。
「これからはカフェテリアで食べることにした」
たまにカフェテリアで見かけてはいたが、だいたいは個室を使っていると聞いた。三人で食べることもあるし、ローズ達と一緒のこともあると。
ミリアも一度招かれたが、仰々しくてマナーに気を使い疲れてしまうので、それからお断りし続けている。お昼くらいゆっくり食べたい。
「これから、ずっと? 卒業までですか?」
「学園を出る前に皆との親交を深めようと思ってな。特に後輩達とはほとんど関わりがなかったから」
ヒロインとしては「それは良い考えですね! 私もエドワード様が来て下さると嬉しいです!」と言うべきだし、友人としては好きだからご一緒するのはやぶさかではない。が、それでは駄目だ。
「そうですか」
ミリアは興味がなさそうに言った。
「ミリア嬢は喜んでくれないのだろうか……」
「そんなことはありません。殿下達が来て下さるのは嬉しいです」
さりげなく「達」を強調しておく。
エドワードの瞳が戸惑いの色に揺れたが、ちょうど三人の料理が運ばれてきて、その話は終わった。
食事中の話題は、主に冬休み中のことだった。
ミリアは聞き役に徹する。
エドワードは王太子の政務として各地の視察に行ってきたそうだ。書類仕事は学園でもできるが、移動を伴う視察は休暇でないと行けない。
ジョセフはエドワードに同行したり、鍛錬をしたり。近衛騎士団の訓練に参加したときは、模擬刀で滅多打ちにされ、全く歯が立たなかったと悔しがっていた。学園一位の剣術の腕を持ってしても、近衛騎士の足下にも及ばないのだとか。
アルフォンスは父親の政務を手伝っていた。機密事項には触れられないが、宰相補佐の仕事を知れたのは、実のある経験だったとのこと。
ミール侯爵邸を訪問した話は出なかった。もちろんミリアと遭遇したことも。
三人とも卒業を前にして、周囲のプレッシャーにさらされたようだ。
成人を迎えるのは十七歳だが、卒業すればほぼ大人として扱われる。十七歳になるまでの数ヶ月、何もせずにぶらぶらできるわけはない。
その点、ミリアは気楽だった。
責任ある仕事を任されるようにはなるだろうが、跡取りはエルリックだ。女が表の仕事をするなんて、という気風があるため、重要な商談には出してもらえないだろう。
結婚相手を見つける方が大変かもしれない。
だが、いざとなればフィンが適当に見繕ってくれるはずだ。商会の誰かがもらってくれるならそれでもいい。
――そのためには婚約破棄回避だ。
どうやってもミリアはそこへ行き着いてしまうのだった。
食事を終えても、エドワードがお茶を飲み終わり席を立つまで、ミリアも離席できない。
話を聞くのは楽しいが、ふと我に返ると、周囲の席がびっしりと埋まり、みな聞き耳を立てていることに気づく。
そわそわしているとアルフォンスが懐中時計を取り出した。エドワードがそれをのぞき込んでため息をついた。
「ミリア嬢、もっと話していたいのだが、そろそろ行かなければならない」
エドワードが立ち上がったので、挨拶のため立ち上がる。
なぜかその横へエドワードが回ってきてミリアの手を取った。
「また一緒に昼食をとってくれるだろうか?」
「……お時間が合うときでしたら」
喜んで、と言わなかったからなのだろうか、エドワードは少しだけ眉を寄せた。そして――
「楽しみにしている」
「っ!」
驚いたミリアが一歩下がる。
どよっと空気が動いた。
エドワードが突然ミリアの手に口づけのだ。
そのまま口を離さずに、上目遣いでミリアを見ている。
「殿下」
アルフォンスが、こんな所で何をやっているのかと、非難のこもった声で呼ぶと、名残惜しそうに目を伏せたエドワードがちゅっと音を立てて口を離した。
目を細めて今一度にこりと笑うと、エドワードは身をひるがえし、二人を連れてカフェテリアを出て行った。
一人残されたミリアは、口づけられた右手を胸の前で左手でにぎり、うつむいて真っ赤になって震えていた。
羞恥心からではない。
怒りからだった。
アルフォンスに全面的に同意する。
こんな所で何をやってくれたのか。
手の甲に口づけるのは夜会などで行われる挨拶の一つだが、真っ昼間のカフェテリアである。友人同士でするものではない。
とっさにに手を引き抜かなかったことを褒めて欲しい。
しかもなんだあの長さは! あの音は!
エドワードの気持ちがミリアにあることを周囲に見せつけるかのようだった。この場に婚約者がいないのは幸いだが、噂は誇張されて伝わるだろう。
頭をかきむしって叫びたい気分だった。
今すぐ寮の自室に戻って枕でベッドを叩きたい。
顔のおかげで様にはなっていたが、これでミリアが友人としての好意すら持っていなければ、気持ち悪いだけの変態野郎だ。
だからイケメンは嫌なのだ。




