第67話 フォローはあとでし
「ミリア嬢とは知り合いなのか?」
「ああ、言ってなくて悪かった。ミリィとは共に育った仲だ」
「共に!?」
いつの間にか近くに来ていたエドワードが、パッとミリアを見た。
「子供の頃の話です。フォーレンに本部を移す前の。クリスはしばらくうちに預けられていたんです」
「共に風呂に入ったこともあるな」
「風呂!? クリストファー殿と一緒に……」
エドワードは、がーんと衝撃をうけていた。いやだから子供の頃の話だって。
それよりもミリアはエドワードが呼んだ名前が気になった。
「クリストファー……?」
その疑問をクリスが遮った。
「ミリィ、約束通り迎えに来てやったぞ」
「約束?」
「卒業したら迎えに行くと手紙に書いただろう? まさか結婚の約束まで忘れていないだろうな? ボクの嫁になると言ったのはミリアだぞ」
「卒業までまだ二ヶ月あるし、結婚の話は小さい頃の冗談でしょ」
「つれないな。ボクはずっとこの時を待ち焦がれていたというのに。たかが二ヶ月くらい良いだろう。早く連れて帰りたい」
クリスはミリアの手を取り、ちゅっと口づけた。
「待て待て待て! どういうことか、クリス殿! ミリア嬢と結婚!? 婚約者なのか? 帝国に連れて帰るとはどういう意味だ!」
「そのままの意味だ。ミリィを帝国に連れて帰るために王国に来た。すぐに帰るつもりだったが、殊の外楽しくてね。しかしそろそろ失礼しようと思う」
「いや、だから、まだ二ヶ月あるんだってば。帝国に行くのはその後ね」
ミリアはクリスを押しのけた。
「そ、そうだ! 我が王国の貴族の子女は学園に通う義務がある。クリス殿と言えども連れて行くのは許されない!」
「二ヶ月くらい良いではないか。ケチくさい」
「け、ケチくさい……!?」
「クリス、さすがにエドワード様にそれは……これでも王国の王太子サマだから……」
これでも、とはミリアも随分な言い様である。
「失礼。ミリィはボクの嫁になるのだから、王国の法律などに縛られる必要はないだろう?」
「ミリア嬢っ、クリス殿と結婚するつもりなのか!?」
エドワードが泣きそうな顔をした。
「するつもりだ」
「いや、しないし。っていうか、クリスは――」
「駄目だよ、ミリィ」
クリスが後ろからミリアを抱きすくめ、ミリアの唇に立てた人差し指をつけて、しーっ、と言った。
「くくくくクリス殿! 未婚の男女がそのような……!」
「おっと、またまた失礼。王国は色々と制限が多いな。ミリィも面倒だろう? 早くボクの所においで」
「はいはい。面倒なのはその通りだけど、卒業してからね」
ミリアは自分の鎖骨のあたりに回っているクリスの手を、ぽんぽんと叩いた。
「つれないな」
エドワードはミリアが嫌がっていないことにショックを受けていた。どうしてそんなに気安く接触を許すのか。自分も以前抱きしめたことがあるのは棚上げである。
クリスがミリアの首をなで上げ、こめかみのあたりにちゅっと口づけを落とした。それでもミリアは鬱陶しそうにしているだけで、拒絶しない。
エドワードは拳を強く握った。それほどまでに体を許す仲なのか。それとも兄妹のように育ち、ミリアにその気がないだけなのか。
共に風呂に入ったと言っていた。幼いとはいえ男女である。兄妹だってあり得ない。平民はそうなのか……?
婚約者というのは本当なのか。ミリアは否定しているが、実際のところはどうなのだ。相手は貴族か平民かと思い浮かべていたが、帝国の皇子が出てくるとは想定外も想定外だ。
ミリアはエドワードのその様子を見て、あーあ、と思った。
「クリス、ふざけすぎ」
クリスの腕に手を添え、斜め後ろに向かって小声で言う。
「約束は本当だろ」
「とりあえず卒業まで待って。あと迎えに来なくていいから」
「つれないな」
「それとそろそろ帰って。エドワード様たちに迷惑かけすぎ。長居する客は嫌われるよ」
「王国には冗談抜きで結婚相手を探しに来た。まだ戻れない。綺麗どころが多くて目移りしている」
「あっそ。じゃあさっさと見つけて帰りな」
「ミリィが嫁に来れば全て解決する」
「行かない」
ふんっと首を横に向けたミリアの頬をクリスの手がなでた。
「ボクはこんなにミリィが好きなのに」
「はいはい。私もクリスが好きだよ」
耳元で艶っぽい声で言われた言葉を、ミリアは適当にあしらった。
そして正面を見て顔をこわばらせた。
エドワードがものすごい形相でクリスをにらんでいた。今の言葉を聞かれていたのだ。
あー、やっちまった。
「嫌われたか」
「これで戦争とかやめてよほんと」
「王太子の心を射止めるなんてやるな。――さすがボクのミリィだ」
「だからそういう所だけ声を大きくして煽らないで」
ミリアはため息をつき、クリスの腕をほどいた。
「要件が済んだようなので帰ります」
「ミリィ、久しぶりに会ったんだ。まだいいだろう?」
「皇子サマほど暇ではないので」
「ボクにそんな口が利けるのはミリィだけだし、許すのもミリィだけだぞ」
「リックにも許すくせに」
「バレたか」
バレるも何も、ミリア、クリス、エルリック、そしてクリスの弟の四人で一緒に過ごしたのだ。
「じゃあね、本当に帰るから。さっき言ったこと、忘れないでよ」
「ああ。今夜ベッドで」
「……私の話、聞いてた? 投げるよ?」
「ボクを投げ飛ばすのもミリィだけだ」
クリスは笑って言った。まあ、相手がミリアだからこそ投げられてくれるのだろう。
「エドワード様、お招きありがとうございました。失礼します」
「ああ」
これ以上いても状況が悪化するだけだ、とミリアはその場を後にした。
エドワードは返事はしたものの、ミリアに顔を向けることなくクリスをにらみ続けていた。
*****
ミリアが扉の向こうに消えるのを、アルフォンスは呆然と見つめていた。
三人のやり取りに何の言葉も挟めなかった。立ち上がることすらできずにいた。
帝国の第一皇子がミリアの幼なじみ? 婚約者?
先ほどの様子からして、真実婚約しているかはともかく、相当気安い仲なのは明白だ。それこそ兄妹か姉弟のようだった。なにせあの皇子を組み伏せたのだ。ミリアの首が飛ぶかと思った。
なぜスタイン家に帝国の皇子が預けられることになったのか。そのころ確かに帝国内は少し混乱していた。皇子を安全な場所に匿っていたということなのか。
あの娘はいったいどこまで影響力を高めれば気が済むのだ。
王国の貴族が帝国の第一皇子と婚姻を結べば、王国と帝国との結びつきは強まる。エドワードだって諦めざるを得ない。
だが一方で、スタイン家は帝国と姻戚関係となり、その影響力は国内に留まらなくなる。
王国としても、箔をつけるためにスタイン家の家格を上げざるをえない。一代男爵の娘を嫁がせる訳にはいかないのだ。ミリアを高位貴族の養子にするという手はスタイン家が許さないだろう。
それに、クリスが近衛騎士に向けた、宣戦布告ととる、という言葉。
あの瞬間はさすがに本気でないにしろ、ミリアを家族同然に思っているのなら、国交の悪化くらいは起きてもおかしくない。現在すでにミリアを害している者がいるというのに……。
ミリアがクリスの婚約者だと正式に発表された後、もし故意にミリアに傷をつける者が現れれば、帝国に攻め込まれても文句は言えない。
とにかく、ミリアが帝国に嫁ぐことになれば、スタイン商会が王国を出て行くかもしれない、などというレベルの話ではなくなってしまう。
やはりここは何としてでもユーフェン家に嫁いでもらわなければ。
しかし、隣にいる肝心のジョセフを見れば。
「ミリィ……? ミリィ? ミリィ……?」
クリスがミリアを愛称で呼んだのがよほど堪えたのか、肘をついた両手で顔を覆って唸っていた。
ミリアが退出してすぐに茶会はお開きとなった。エドワードの機嫌が悪すぎてそれ以上続けられなかったというのが本当のところだ。
アルフォンスは再びギルバートの部屋を訪れていた。
「ミリア……君はどこまで……」
アルフォンスの報告を聞いて、ギルバートは片手で目を覆った。アルフォンスと同じ事を考えたのだ。
ミリアと皇子の関係の他にもう一つ、気になることがあった。
「ミリアが帝国語を話していたって?」
「はい」
クリスは王国に来てから帝国語しか話していない。マイナーなローレンツ王国の公用語など皇子が覚える価値はないからだ。対するエドワードたちも帝国語を使っていた。
ミリアがサロンに来てからもずっと。
なのに、ミリアはそれに自然に対応していた。クリスと共に過ごしていたのなら当然なのかもしれないが、大陸の覇者である帝国の言葉を操れるのは大きい。隣国ではないため、日常会話レベルで流ちょうに話せる者はそう多くない。
「欲しいな……」
「ギルバート殿下」
「わかっている。今のは配下としてだよ。その辺の貴族に嫁がせて茶会で遊ばせておくのは惜しい。平民の家で家事と子育てに埋もれさせるのもだ。少なくとも王宮には入れたい。帝国にくれてやるのは以ての外だ」
ギルバートは真剣な顔をしていた。アルフォンスも同感だ。
「ミリア嬢は卒業後はフォーレンに帰ると。帝国の話は聞いたことがありません」
「ああ。帰って商会を手伝うと言っていた。だが、継ぐのはエルリック・スタインだ。ミリアはどうするつもりなんだ? いつまでも商会にいるつもりなのか?」
ギルバートはアルフォンスを見た。
「聞いていません」
「僕もだ。家の中でじっとしていることを望むとは思えないが」
「ミリア嬢なら、堅実な文官になりたいと言いそうではあります」
「それなら王宮に呼べばいいが……」
ギルバートは顎に手を当てて何事か思案していた。
アルフォンスの任務が一つ加わった。ミリアに今後の進路の希望を確認するのだ。
報告が終わったので、アルフォンスは部屋を辞することにした。
部屋を出るとき、一礼したアルフォンスを見てギルバートが口を開いた。
「カリアード、ミリアを娶る気はないか?」
「ありません」
「そうか」
ギルバートは再び思案顔になった。
廊下に出てから、アルフォンスは、ミリアを妻に迎えることを考えた。先ほどは反射的に答えてしまったからだ。
――存外悪くない。
女性としての魅力はともかく、その能力と影響力は計り知れない。茶会や夜会の主催などやらせるものか。領地経営すらもったいない。
カリアード伯爵家に迎えるには家柄がネックだが、ミリアを家に入れる利点を説けば父親は納得するだろう。
図書館で赤面したミリアを思い出し、アルフォンスの口角が知らず上がっていた。
だがそれはアルフォンス自身が気づく間もなく消える。
婚約者の、そしてミール侯爵の存在が、アルフォンスを縛っていた。




