第6話 不意打ちは卑怯です
後期初日、ミリアは講義室で教本を読んでいた。
周りでは、ご令嬢やご令息が、二、三人で集まって、冬休み中にどこへ行っただの何をしていただのを話している。
誰からも話しかけられないミリアは、ぺらりとページをめくり、ローレンツ王国の歴史を振り返っていた。学園所有の教本は何年も受け継がれ、使い古されていて、手書きの文字がところどころかすれて読みにくい。
内容は頭に入っているし、他の生徒もほとんど家庭教師に教わっていて、講義と言っても学ぶことはあまりない。学園は勉学のためというより、同世代の貴族の子供が集まり、プチ社交界として階級に応じた礼節やつきあい方を学ぶ場なのだ。
そのためこの学園では、爵位など関係なく生徒はすべからく平等である、なんて建前もなく、男爵令嬢であるミリアは名実共に最底辺だった。
もともとは、周辺の地を征服して王国を築いた初代の王が、各領の貴族の反乱を防ぐために、人質として貴族の子供を王都に集めたのが学園の始まりである。
――と、そのページには書いてある。
「ミリア嬢は、どこかへ行かれまして?」
突然横から話しかけられ、ミリアはびくっと体を震わせた。
顔を上げれば、そこにいたのはローズ・ハロルド。
悪役令嬢にしてエドワード王太子の婚約者その人だった。
その後ろには、アルフォンスの婚約者、リリエント・ミールと、ジョセフ・ユーフェンの婚約者、マリアンヌ・コナーを従えている。マリアンヌは父親の爵位こそ男爵だが、世襲貴族であり、ミリアと同列ではない。
座ったままでは失礼だと思い、立ち上がって礼をする。
「ごきげんよう、ローズ様、リリエント様、マリアンヌ様」
返礼をせずに、ローズが視線で先をうながす。
「私はフォーレンに帰りました」
「フォーレンと言うと、スタイン商会の本部を構えている場所ですわね」
「はい。家業を手伝っていました」
ローズが眉を寄せる。
「不躾なことをお聞きしますが、お手伝いとは具体的にどういったものなのかしら? わたくし、商会のことについてはあまり詳しくありませんの」
「そうですね……店番とか、商品の運び入れとか、帳簿をつけるとか。あとは従業員の教育でしょうか」
まあ、とローズが目を丸くする。
令嬢に相応しくない行為だと言いたいのだろう。
貴族にとって、商売で収入を得ることは品のないことだとされている。
領地を治め、領民から税を取るのが貴族だ。税収が多いということは、よく治め、領地を発展させていることの証拠であり、商売に手を出さざるをえなくなるのは、領地を治められない無能と同義だった。
中には宮廷で役職を持ったり騎士となり、その給料の方が多い貴族もいるが、それも王への忠誠の証として好まれる。
実際のところは、事業で成功を収めている貴族は少なくないのだが、それはあくまで片手間、副業であるという建前だ。下手に手を出して没落する家もあることで、なおさら商売は嫌われていた。
だがスタイン家には領地がない。
税を支払う側だ。仕方がないではないか。
……という事情もあるが、ローズが眉を顰めているのは、令嬢自ら店に立ったり、教育を施したりするところなのだろう。
ミリアに言わせれば、家業を手伝うのは当然のことだ。
実家に帰れば令嬢としての扱いは受けない。昔から会長の娘だということで「お嬢様」と呼ばれ続けており、身なりや食事は良くなっても、相変わらず無給でこき使える労働力だと思われている。
「案外楽しいものですよ」
反論しても意味がないので、にこりと笑ってさらりと流す。
「そう言えば、二日目にヨートルに行きました」
「あら、ヨートルに? わたくしの領にいらしたのなら、家に寄って下さればよかったのに」
食いついたのはリリエントだ。
お前の領じゃなくて侯爵の領だろう、とは顔に出さない。
先ぶれもなくいきなり訪問したところで、無礼だと追い返すくせに。
「アルフォンス様もいらしていたのですよ」
「まあ、カリアード様が?」
「ええ、伯爵と一緒に滞在して下さったの」
「仲睦まじいこと」
ローズやマリアンヌだけではなく、周囲で聞き耳を立てていた他の令嬢も一緒になって、きゃあきゃあと黄色い声を上げる。
日帰りなのに滞在と称していいものなのか。
お茶くらい飲んだんだろうから、嘘ではないのだろうが。
ミリアがアルフォンスに偶然出会ったことなど知らないリリエントは、見目麗しい婚約者との仲をもてはやされて得意になっている。何日宿泊したのだろうか、という話になっているが、彼女は明言しない。
悪役令嬢ならば「日帰りとお聞きしましたわ。わざわざ送って下さるなんて、お優しい婚約者様なのですね」と皮肉を言う所だろうが、ヒロインであるミリアはあえて波風を立てる気はない。
ミリアは話題の中心が自分から外れたことに安堵し、座り直そうと椅子を引いた。
が、腰を落ち着ける前に肩に腕が回り、座ることはできなかった。
肩を抱かれたのではない。肩を組まれたのだ。首にがしっと腕を回すやつである。
「久しぶりだね、ミリア嬢」
「ジョセフ様!?」
振り向くと、ジョセフ・ユーフェンがいた。
きゃあ! と令嬢たちが悲鳴を上げる。
頭二つ分は高いジョセフの顔がミリアを見下ろしていた。黒い瞳の目が細められ、にこやかに笑っている。黒い短髪の爽やかな体育会系の見た目のくせに、甘い言葉で女をたぶらかす軽薄な男だ、というのがミリアの印象だ。
「いきなり何するんですか」
肘でぐいっと胸を押しやるが、近衛騎士団団長の息子という肩書は伊達ではない。警備が行き届いた学園ではあるが、一応エドワードの護衛という役割も担っている。鍛えてがっしりとした腕はびくともしなかった。
「何をしているのだ」
声を上げたのはエドワード王太子。その隣にはアルフォンスもいる。
「平民はこうやって挨拶するんだよなー?」
「しません」
「えー?」
男同士で肩を組むことはあっても、男女で組むことはない。
「エドもしたらいい」
「い、いいのか?」
おい王太子。乗っかるんじゃない。
いいわけないだろ。
「だめです」
「じゃあ、ハグ?」
「えっ?」
つかまれた肩を引かれ、ジョセフにくるりと体を半回転された。
そのまま抱きしめらるところだったが、アルフォンスがジョセフの腕を掴んで止めた。
「いい加減にしてください。ミリア嬢が困っているでしょう」
「え、そうなの? ごめん、ミリア嬢」
ぱっとジョセフが両手を挙げて離れた。
「もうしないでください」
「えー」
えー、じゃない。二度とするな。
失礼にならない程度にジョセフをにらみつけると、そばにいたローズが一歩前に出た。
「み、未婚の男女がそんなに体を寄せるなんて、恥を知りなさい! それにジョセフ様には婚約者がいるのですよ」
真っ赤になったローズがキッとミリアを睨んだ。
周囲を取り囲んでいる令嬢からも非難の視線を浴びる。
とばっちりだ。
ミリアからは何もしていない。
婚約者であるマリアンヌを見ると、泣きそうな顔でうつむいていた。
ミリアは全く悪くないのだが、申し訳ないという気持ちになる。彼氏が他の女とべたべたしたら自分だって嫌だ。
しかし、謝ると非を認めたことになるので、謝罪はできない。
どうしてくれるんだよこの空気、と当の加害者を見ると、悪びれた様子もなく、今度はエドワードと肩を組んでいた。乳母兄弟とはいえ、王太子に対して慣れ慣れしすぎやしないか。いつものことだが。
誰か助けて、と意識を飛ばしていると、ちょうど教師が講義室に入ってきた。
ささっと生徒たちが席に移動していく。
助かった……。
今度こそ椅子に座ると、ジョセフが通り過ぎざまに後ろから顔を寄せてきた。
「ドキドキした?」
「っ!」
突然耳元で低い声に囁かれ、どくんっと心臓が跳ねた。
肩を組んでいる時はなんとも思わなかった。抱きしめられても動じない自信がある。
この程度の触れ合いを見ただけで顔を赤くするなんて、貴族のご令嬢様方は本当に箱入りなんだな、と余裕があったくらいだ。
なのに――
かあぁっと顔に熱が集まっているのが自分でもわかる。
ちょっと近くで話されだけじゃない!
なに動揺してるの!
ばくばくとうるさい心臓を落ち着けようとするが、甘く掠れた声が耳の中に残っている。
ドキドキなんて、してない。
言われた言葉に反論した心の声は間違っていないのに、説得力が全然なかった。
あああ、もう、早く落ち着いて!
ミリアは、講義が始まってからも、片耳を覆う手をしばらく離せなかった。




