第46話 癖といえば癖ですが
やり始めれば集中するのは早い。計算は割と得意だ。単価と数量を掛け合わせて、あとは全部足し算するだけ。速さ優先で二度計算。一度計算されているのだからこれで十分だろう。二人の手で計三回やればまず間違えない。
さらさらとペンを走らせ、時には暗算で。最後まで計算しきって数値が正しいことを確認した。
「アルフォンス様、数字合ってました」
「次はこれを」
「はい」
アルフォンスの手が止まったタイミングで渡された書類を戻すと、アルフォンスはそれを確認することもなく、次の書類を渡してきた。
もちろんミリアに文句があるわけはなく、従順に受け取って次の計算を始める。
そうして、次へ次へと書類をこなしていった。やがて互いに受け渡しするのが面倒になり、どさっとまとめてもらうことになった。
「これ、こことここが間違っていて、合計も合ってません。正しいのはこの数値です」
「そうですか……」
十何枚目かに間違っている書類を発見し、アルフォンスに報告した。アルフォンスは間違えていた数値を大きく丸で囲み、側に正しい数字を書き込むと、書類を他の書類と分けて置いた。
「次から、このように正しい数値を書き込んで下さい」
「わかりました」
「あと……以前確認してもらったときのように、数値に不審な点があったら言ってもらえますか」
以前、というのは、スタイン商会の方が記載されている金額よりも安く石材を仕入れられる、と言ったときのことだろう。
「それでしたら……えっと、確か……これです。シルクの糸が高いように思います。逆に布地は安すぎますね。糸がこの値段で布地がこれだと、織る手間賃が少なすぎます。布地が国産で糸が輸入品というなら納得できますが、国産の糸の質が他国より劣っているわけではないので……わざわざ輸入するとなると、よっぽどこだわりがあるのかな、と思いました」
「ふむ……」
ミリアの説明を聞いて、アルフォンスはあごに手を当てしばらく考えたあと、手元に置いてあった書類をあさり始めた。そこから一枚取り出すと、今指摘したばかりの書類をすっとミリアの前に戻し、シルク糸の部分を長い指でこつこつと叩いた。
「糸はリレリア国からの輸入、となっています」
「リレリア! まあ……それならその値段でもわからなくはないですね」
「何か気になることでも?」
「スタイン商会ではリレリア産のシルクは扱ってないので詳しくはないんですが……リレリアって結構暑いですよね。養蚕には向いてないんですよ。だから高いのは納得なんですけど、質もそこまででもないと言うか……。綿の栽培の方が盛んです」
そこまで聞くと、アルフォンスは書類を取り戻して、糸の部分をぐるぐると囲んだ。その横になにやら書き込んでから、先ほど計算ミスのあった書類の上に重ねた。
「他にも高価なシルク糸の書類がありませんでしたか?」
「ありましたよ。……っと、これですね」
ミリアは一枚を探し出し、アルフォンスの方に向けてテーブルの上に置いた。
「これはですね、ここにテレン小国産と注釈がついています。テレン産のシルクは特別なんです。だから高いのは当たり前です。それにこれ、王族用の衣装の材料費ですよね。ボタンのところに王家の紋章入りってがっつり書いてあります。儀礼用の衣装とかなら、このシルクを使っていても不思議ではありません。刺繍に使うんじゃないでしょうか」
「特別というのは?」
「白じゃなくて、元から金色をしてるんです。すっごい希少なんですよ。テレンはこの輸出で成り立っている国です」
「ああ、東方にあるという……」
「そうです。遠いし流通量がわずかなので滅多に見られませんが、さすが王族は違いますね。スタイン商会ではたぶんコネがなくて取り寄せられません」
アルフォンスは手元の本をぱらぱらとめくり、あるページに目を止めて文字を指で追うと、ミリアの言葉に納得したのか、そのようですね、と言った。
「他にはありますか?」
「今のところ、私が気がついたのはさっきのだけです」
「そうですか。では続きをお願いします」
「わかりました」
アルフォンスは淡々としていたが、役に立てているようでミリアは嬉しかった。商会の仕事以外で自分の知識を使うことは滅多にない。話題の一つにするくらいで、このような、情報を元に分析するようなことは全くなかった。
情報は金になる。
だから、ミリアの頭の中に蓄積したものを無料で教えるのはあまりいいことではない。正式に商会に顧問派遣を依頼すれば結構な額になるだろう。だが誰でも知り得る公開情報であり、一つ一つの事柄は依頼の相談に行けば教えてもらえる程度のことだ。機密事項を流しているわけではない。アルフォンスへの誠意とするならば、許される範疇だと思った。
紙がめくられる音と、カリカリとペンが紙をひっかく音が続く。思わずアラビア数字を書き込んでしまうことはなく、この国の言葉が馴染んでいることを改めて感じた。
ふと視線を感じ顔を上げると、アルフォンスがこちらを見てた。
「それは何です?」
「それ?」
「指で紙を弾く仕草の事です」
「……ああ! これですか」
何のことやらと思ったら、ミリアはいつの間にかペン先を小指の方に向けて握り、人差し指と親指で紙を弾いていた。
珠算――つまり算盤の仕草である。子供の頃に習っていて、複数の数字を足したり引いたりするときには、筆算するよりこの方が速いのだ。不慣れなミリアだと電卓を叩くよりも速かったりする。
そろばんを説明するのは難しい。少なくともこの国では見たことがないし、作るつもりもなかった。
「暗算するときの癖、みたいな物です。あ、うるさかったならごめんなさい」
「いいえ、そんなことはありませんが。変わった癖ですね」
うーん。自分で言ったものの、変な癖だと思われるのは複雑な気持ちだ。ひとしきり弾いたあとにペンを持ち直し、かりかりと数字を書くのだ。うん。変だ。なぜそんな癖が身についたのかが気になる。
だが、アルフォンスはそれ以上つっこむことはなく、自分の作業に戻った。気にはならないと言われたものの、一応なるだけ音がしないように、ハンカチを出してその上で弾く事にした。わざわざ癖のためにハンカチを使うって……やっぱり変だ。
しかしアルフォンスが求めているのは速さと正確さだろう。ならば多少変な動きをしたっていいじゃないか! とミリアは自分を納得させた。
頻繁に話しかけるより一度に説明した方がいいだろうと思い、正しい書類、誤っている書類、不審な書類、と三つの山に分けていった。
まとめて渡された書類が終わったら、アルフォンスに声をかけて説明する。数値の誤りはそのまま受け取られ、不審な書類は一つ一つ確認していった。ミリアの指摘が杞憂のこともあったし、怪しいとアルフォンスがチェックをつけていくものもあった。
疲れてきて、ミリアがうーんと伸びをしたとき、アルフォンスが顔を上げ、そろそろ終わりにしましょうか、と言った。
いつの間にか館内は暗くなりつつあった。続けるならランプが必要になってくるし、ランプの揺れる光は苦手だ。
「アルフォンス様がいいのなら」
「十分です」
「なら、この一枚だけ確認してしまって、その後、終わった分の説明をします」
「よろしくお願いします」
ミリアは急いで終わらせた。没頭していたときは平気なのに、暗いと気づいてしまうと途端に文字が見づらくなるから不思議だ。これ以上やると眼精疲労になりそうだった。
確認作業まで終え、書類を全てアルフォンスに返すと、机の上にはミリアが持ってきた本だけが残った。そういえばここには本を読みにきたのだったな、と思い出す。
「助かりました」
「お礼とお詫びになったでしょうか」
「何度も言いますが、気にしなくてよかったんです。私も利用した所はありますし……」
「そんなわけにはいきません」
「気は済みましたか?」
「アルフォンス様の助けになれたなら」
「さっきも言ったように、助かりました。ありがとうございました」
「良かったです」
肩の荷がようやく降りた感じがして、ミリアはにこりと笑った。もういいやと思ったものの、自覚がないままに気になっていたらしい。
アルフォンスは、本を片づけてから帰ると言い、ミリアも本を持ったままだったので、その場で別れることになった。だがすぐに、躊躇いがちなアルフォンスの声がミリアの背中にかかった。
「ミリア嬢」
「何でしょう?」
「大変申し上げにくいのですが……」
アルフォンスが言葉をにごす。目がきょろきょろとさまよった。本当に言いにくそうだ。まさかドレスが汚れているだとか切られているだとかボタンが開いているだとかではないだろうな、とミリアは心配になった。
「……明日も手伝って頂けないでしょうか」
ミリアから視線をそらしたまま、不安そうにアルフォンスは言った。
よかった。嫌がらせが見つかったわけでも殿方が指摘しにくい羞恥をさらしたわけでもなかった。
こっそり胸をなで下ろしていることなど知らず、アルフォンスは決心したようにミリアを見た。
「このところ立て込んでいてとても回しきれないのです、ミリア嬢がいてくれると助かります、もちろんお礼はします、なんなら正式にスタイン商会を通して依頼するのでも構いません」
息継ぎなしの早口だった。言い訳でもしているかのように焦った顔をしていた。人に助けを求めそうにないアルフォンスがミリアに頼みごとをするなんて、今後一生ないのではないだろうか。締め切りまでに仕事が終わらなくて泣きついてきた後輩を思いだした。
「いいですよ。依頼は……そうですね、あまり続くようなら通してもらった方がいいかもしれません。でもしばらくはこのまま手伝いますよ。どうせ暇ですし」
「読書の邪魔をしてしまいますが……」
アルフォンスはミリアが抱えている本を見つめて言った。あまり見ないで欲しい。アルフォンスが抱えている小難しそうな分厚い本と書類の束と比べると、娯楽小説を持っているのが恥ずかしくなる。
「本は後でも読めますから」
「ありがとうございます」
「お礼はしっかりもらいます」
「もちろんです。どこのケーキがいいですか?」
うぐ。
ケーキだとばれている。宝飾品やドレスがいいなどと言うわけがないと確信しているのだ。しかしケーキとは限らないではないか。クッキーやマドレーヌのような焼き菓子だって好きだ。
せめて一個ではなく、二、三個頼んでやろう、と思った。
「考えておきます」
「いくつでもどうぞ」
「……はい」
アルフォンスには全てお見通しだった。




