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【Web版】乙女ゲームのヒロインは婚約破棄を阻止したい  作者: 藤浪保
第一部

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第45話 やりますやらせてください

 準備万端で待ちかまえていたミリアだったが、その日以来大きな事件はなかった。内部犯がいるのは明らかなのだから、ミリアが侍女を呼んだことがわかっているのだろう。鉢合(はちあ)わせリスク承知で実行する気はないらしい。


 抑止力になればとも思っていたので、マーサとアニーが危険な目にあわなくていいのなら断然こっちの方がよかった。


 だが、事件が起きなければこれ以上の調査は無理、とばかりに、寮の責任者(ちょひびけ)からも学園長からも(かんば)しい報告は出てこなかった。ちょび(ひげ)にいたっては調査しているのかも怪しいが、言い分はわかる。指紋やDNAによる鑑識はできないのだ。目撃情報でもなければ難しいだろう。


 その代わり、些細(ささい)な嫌がらせが増えた。


 朝、エドワードと校舎へ向かっている間にスカートを引っ張られる。泥をつけられる。足を蹴られる。振り返っても何食わぬ顔をされているので誰だかはわからない。満員電車で密着している痴漢(ちかん)でもあるまいし、確実に目撃者はいるはずなのに誰も声を上げない。全員がグルなのか。ミリアが聞こうとしないので、なおさら犯人はわからなかった。


 その他にもいろいろある。講義室に移動すれば普段座っているあたりの椅子が濡れていて座れない。庭園のいつものテーブルの椅子がすべて移動されている。校舎の窓から水が降り(そそ)ぐ。知らない間にドレスのすそが切られていることもあった。


 まさにいじめである。


 ミリアはあまりひどいいじめの現場に出くわしたことがない。クラス全員から無視(シカト)されたり悪口を言われたり、という級友がいたことはあるが、物を壊されたり大きな怪我をしたりというのはなかったと思う。ミリアが知らないだけでだったのかもしれないが。


 だが、これはいつか来るものだと覚悟していたし、最初に衝撃的なことをされたのもあって、案外平気だった。ただ、服を汚されるのと切られるのには参った。マーサが父親(フィン)に報告するとわめき立てるからだ。


 階段から突き落とされることだけは念入りに警戒した。奇跡的に軽傷ということになるはずだが、ミリアが意識している分、下手(へた)に力が入って打ち所が悪くなるかもしれない。運が悪ければぽっくり()くし、複雑骨折くらいで済んだところで適切な治療法があるかも怪しい。

 

 そんなことが数日続けば、さすがにエドワード達も気づき始める。


 と、思いきや、急遽(きゅうきょ)王太子(エドワード)が他国からの使者の相手をしなければならなくなり、しばらく学園に来ていない。ジョセフとアルフォンスも同様だ。ギルバート(あにうえ)ですら駆り出されるほど厄介(やっかい)だ、とエドワードからの手紙で知った。


 タイミングが悪かったというよりは、彼らがいない隙を狙って仕掛けてきたのだろう。騒がれなくて逆にありがたかったりする。


 ミリアがちっともへこたれないことに(ごう)を煮やしたのか、いじめは次第に露骨になっていった。


 ある雨の日の昼休み、ミリアはカフェテリアにいた。


 トレーを持って歩いていると、ご一緒しませんか、と声がかかった。何度か一緒に昼食をとった面々だ。学年が入り交じっているが、爵位が物を言う貴族に年齢の上下はあまり関係がない。その点彼女たちは全員男爵令嬢なので、ミリアに話しかけやすいのだろう。


 同意して()いている席に体を向けたとき、どん、と誰かがぶつかってきた。トレーの上の食器ががしゃんと揺れ、スープの中身がこぼれた。


「あら、ごめんあそばせ」


 含み笑いで言ったのは緑色のドレスを着た令嬢だった。伯爵家の娘だ。申し訳なさそうな態度を取り(つくろ)う気さえないようだった。側にいた別の伯爵令嬢と子爵令嬢も同様にいやらしい笑みを浮かべていた。


「いいえ、こちらこそ」


 ミリアは作り笑いをして言った。余裕が見えるようにゆっくりと。


「あの――」


 誘ってくれた男爵令嬢が口を挟んでくれたが、ぶつかってきた緑色の伯爵令嬢がにらみつけて黙らせた。


 何食わぬ顔でミリアが席に座ると、大丈夫ですか、とこそっとささやかれた。彼女たちはミリアがわざと体当たりされたのがわかっているのだ。今までの攻撃を目撃したことがあるのかもしれない。


「大丈夫ですよ」


 ミリアはおかしそうに笑った。


 やっと相手がしっぽを出した。今の三人は、予想通りローズ達と親しい令嬢だった。貴族派で、特にリリエントに対して()びているのをよく見かける。顔がわかればミリアにもやりようがある。他の加害者にもこの調子で正体を現してもらいたい。


 ミリアの笑顔を見た令嬢達は怪訝(けげん)な顔をした。だがミリアが平気でいるのは伝わったようで、それ以上は何も聞かれず、話題は流行しているドレスに転じた。

 

 




 ミリアはこのところ、図書館通いを復活させていた。アルフォンスが学園にいないからである。部屋に戻るとマーサがいてゆっくりできないせいでもある。心配だから早く帰ってこいとは言われるが、一度再開した趣味はやはり楽しかった。

 

 ミリアは冒険小説を持って閲覧席へと向かった。ジャンルは冒険小説となっているが、恋愛要素が絡んできて、今ちょうどいいところなのである。


 本を本棚から取るときはちゃんと適切な高さの踏み台を使った。同じ過ちは繰り返さない。全ての踏み台が一新されたので、腐った部分を踏み抜くなんてことは起こらないのだが。


 どの席に座ろうかと閲覧スペースを見渡していたミリアは、ぴたりと足を止めた。


 視線の先にいたのはアルフォンスだ。後ろを向いているが、(たば)ねてある銀色の髪ですぐにわかった。


 (きびす)を返して立ち去ろうとしたが、思いとどまって向き直った。(はた)から見ればその場で一回転した変人だが、誰も見ていないだろう。


 これはチャンスだ。いつか機会があればと温めていた感謝と謝罪をする時がきた。ここならば逃げられはしまい。さっと言って、さっと去ろう。そうしよう。


 ミリアは静かに、しかし驚かないよう、大きく回って正面からアルフォンスの隣へと向かった。


 アルフォンスは以前と同じように、表組みの書類を前に書類仕事をしていた。真新しい本が二冊広げてあって、各々(おのおの)を参照しながら手元の紙に新しく文字を書き連ねている。


 ミリアは緊張から目をぎゅっと一度つぶってから、声をかけようと口を開いた。


「――」


 だがその名を呼ぶ前に、先にアルフォンスが顔を上げた。ミリアを見て、ぎくりと顔をこわばらせる。


「何の用でしょうか?」


 硬質な声だった。不機嫌そうな表情よりもずっと感情が表れている。


 ミリアの心がずきりと痛んだ。やはり迷惑だったか。近づくのではなかった。


 だがもう後には引けない。ここまできたら言うことだけ言って、早くいなくなるのが最善だ。


「先日のこと、お礼とお()びを――」

「気にしなくていいと伝えましたが?」


 アルフォンスの冷たい物言いに、ミリアはうつむいてしまった。ありがとうもごめんなさいも言わせてもらえない。ここ数日の嫌がらせよりずっと(こた)えた。


 でもこれが直接言える最後かもしれない、とミリアは再び顔を上げる。


「私が気にするんです」


 アルフォンスはさらに顔をしかめたが、ふと目をそらせて(あご)に手を当てたかと思うと、ミリアの目を見直した。


「そんなに言うのでしたら――」


 書類の中から選ばれた一枚が、ぴらりと差し出される。項目と数字が並んでいた。


「――手伝ってもらえませんか?」

「数字を確かめればいいんですか……?」

「ええ。――どうぞ」

 

 正面の席を手のひらで示されて、(うなが)されるままにミリアは椅子に座った。その前に白紙とペンが置かれる。


 状況についていけず目をぱちぱちさせているミリアを置いて、アルフォンスは書類仕事に戻ってしまった。


 つやつやとした銀糸のような前髪の隙間から、形のいい眉と伏せた目がのぞいていた。顔を伏せていても美人だ。どの角度から見ても整っているとはどこぞの彫刻か何かなのか。地面と平行に下に向けた顔を下から見上げると一番不細工に見えると聞いたことがあるが、きっとアルフォンスはそれでも美人なのだろう。

 

 アルフォンスがミリアに視線を向けた。早くやれよ、と目が言っている。


 慌ててミリアは持っていたままだった本をテーブルの上に置き、渡された書類に目を通した。また何かの報告書のようだ。支出だけでなく収入も書いてある。月間の収支報告書だろうか。


 概算では正しそうに見えるが、渡されたペンと紙は正確に計算しろという意味だと解釈したので、筆算しようとペンを手に取った。


 数字を写し取る前に、もう一度ちらりとアルフォンスに目をやる。今度は顔だけでなく上半身全体に視界を広げた。姿勢がよく、ペンを持っている姿が(さま)になっている。実は女神に祝福されたチート転生者なんじゃないか、と馬鹿なことを考えた。


 ここで、ミリアはアルフォンスの服装がいつもと違うことに気がついて目を丸くした。


 普段着ではなく、かなりフォーマルな格好をしている。要するにいつにも増して見目(みめ)(うるわ)しいわけで、それにようやく気がつくあたり、ミリアの男の容姿への興味の少なさがわかる。だが、目を見張ったのは、アルフォンスが格好良すぎた、などというわけではない。


 銀の家紋色のボタンがついていて、刺繍(ししゅう)がしこたま入っている、紺のベストとジャケット。濃紺のマントこそ(まと)っていないが、あのとき――冬の休暇中フィンとヨートルへ行った帰りに馬車で会ったとき――と同じ服装だった。


 ミリアにとっては黒歴史である。この数ヶ月が目の回るような展開だったこともあり、もうだいぶ昔の話のように感じるが、けばけばしい見た目を嫌な目で見られたのを鮮明に思い出した。


 まさかアルフォンスはこの服に腕を通すたびにあのときのミリアを思い出していたりしないだろうか。そんな記憶とっとと忘却して欲しい。この服を着ている間に、何か別の衝撃で上書きを……。


 後頭部を分厚い本で殴ったらどうか、と物騒なことを考えていると、またもアルフォンスが視線を上げた。


「やりたくないならしなくていいです」

「やります!」


 言葉は言わせてもらえなかったが、これはお礼とお詫びの代わりである。ミリアはさっそくペンを走らせた。

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