第44話 自衛するしかありません
ミリアは細切れになったハンカチだったものを持ち上げ、わなわなと口を震わせた。
刺繍部分さえ残っていれば提出が認められたかもしれなかったのに、その部分は真っ二つどころか、念入りに刻まれていた。隙間ができないよう、苦労して密集させていた刺繍糸がはらりと落ちる。
あんなに、あんなに頑張ったのに……!
実物を持って行けば締め切りの猶予はもらえるだろうが、そういう問題ではない。
たかが一日分の成果である。だが自分の落ち度や事故ならともかく、誰とも知らない輩に故意に無為にされるいわれはなかった。
ここでミリアはようやく疑問に思った。誰の仕業なのか、と。
扉の鍵はかけて寝た。だが掃除などのために、学園の使用人には合い鍵が渡されている。ミリアが寝室で眠っている間にこっそり入ることは可能だ。
就寝中に誰かが部屋に進入したという事実に恐怖するよりも、勝手なことをされたという怒りの方が大きかった。合い鍵を悪用しないというのは最低限守るべき約束事ではないか。その辺の宿屋とは違う。王立の学園なのだ。
状況から言って、十中八九、学園の使用人の仕業だった。だが、使用人達にここまでされる理由があるだろうか。部屋をとんでもなく汚したことも、彼女たちに理不尽な扱いをしたこともない。まさかミリアが侍女を連れてこなかったから仕事が増えた、なんてことを恨んだりはしないだろう。
であれば、他の誰かが命じたということだ。お金にしろ権力にしろ、やれと言った人物がいる。鍵を渡せと言ったのかもしれない。
思い当たる節は多々あった。言うまでもなくエドワードとジョセフとのごたごただ。宝飾品など高価な物が無くなっていないことを確認し、動機は怨恨だと確信した。
女子寮ではあるが、犯人が令嬢だけとは限らない。使用人に命じれば令息だってできるし、外部の人間にだって可能だ。
兎にも角にもまずは報告をせねばなるまい。必ず犯人を捕まえてもらわなくては。
ミリアはさっとドレスに着替えると、寮の責任者のもとへと向かった。
ミリアが朝からひどい目にあっても、学園は平和だった。だが、この中に犯人がいるかもしれないと思うと、ミリアの目つきは自然と鋭くなり、心はささくれ立っていた。
朝一番に実物を携えて刺繍の講師に状況を訴え、提出は免除された。断片をつなぎ合わせれば、出来はともかく、形にはしたということが認められたからだ。
だからといってミリアの怒りが収まるはずがない。
朝、エドワードを取り巻いている令嬢たち、廊下で挨拶を交わす生徒、講義室で何食わぬ顔で座っている面々。誰も彼もが怪しく見える。そこかしこで交わされている会話に耳を澄まし、挙動不審な者がいないか観察した。
そして再び事件は起こる。
ミリアが朝頼んでいた庭園に持って行くお弁当が、何者かに盗られたのだ。昼休みにミリアが取りに行くと、先に誰かが取りに来たという。使用人らしき人物がミリアの名前を告げ、頼まれたと言ったそうだ。
カフェテリアの従業員は、いつもミリアが自分で来るからおかしいとは思った、と恐縮していた。おっちゃんのせいではない。頼まれたと言われれば渡すだろう。令嬢には重い荷物だ。自分で運ぶミリアが特殊なのだ。
ミリアはおっちゃんから犯人の詳細な人相と服装を聞き出し、学園の責任者の所へと向かった。すなわち学園長室である。
あいにく学園長は不在だったが、秘書に訴えてきた。寮でのことも伝えておいた。
その後仕方なくカフェテリアに行き、そこで昼食中だった令嬢たちに誘われて同じテーブルに着き、共に昼食を取った。しかめっ面をしているミリアは事情を聞かれたが、ちょっと嫌なことがあって、とだけ言った。
もしかしたらこの中に犯人がいて、ミリアがしょげるの楽しみにしていたのかもしれない、と思い、そんな風に疑う自分が嫌になった。彼女たちはミリアに友好的に接してくる。腹の中で何を考えているのかはわからないが、それが悪い感情とは限らないのだ。
しかし、疑うのをやめることはできなかった。人を疑うのは商人の性なのだ、と自分を納得させるしかなかった。
これらの事件は何としてでもギルバートに聞いてもらいたい、と昼食を一人早めに切り上げて、図書室に向かった。第一王子に訴えて調査してもらおう、という気持ちではなく、単にこの怒りの感情を吐き出したかった。
が、昼休み終了ぎりぎりまで粘っても、ギルバートは現れなかった。
イライラした気持ちのまま午後の講義を終え、自室に戻ったミリアは、髪を留めていたピンを全てはずした。
「んあああああああ!」
怒りに任せて自分の頭をかきむしる。ふわふわのピンクブロンドは絡まり尽くし、ぶつぶつと毛が切れた音がしたが構わなかった。きっと抜けた毛も多かろう。
昼食を盗るとは。無料だとかカフェテリアのご飯も美味しかったとか、そういう問題ではない。お弁当だって楽しみにしていたのだ。お昼のお誘いがなかったから、一人でゆっくり食べるつもりだったのに。刺繍の課題にしろ、ミリアに対する嫌がらせとしては最大限の効果を発揮していた。
そう、これは嫌がらせだ。
最終イベントまで残り三ヶ月というところまできて、ついに始まったのだ。ヒロインへの嫌がらせが。
王太子ルートならば犯人は悪役令嬢だ。だが近衛騎士ルートならばどうなのだろう。やはり婚約者のマリアンヌなのだろうか。いや、悪役令嬢と呼ばれるからには、全てのルートにおいて、ローズがいじめの首謀者となるのかもしれない。
それともシナリオとは全く関係ない第三者か。
誰にせよ、ミリアに犯人探しをするのは無理だった。訴えるべき所には訴えたのだから、調査を待つしかない。
コルセットなんぞつけてられるか! と、ミリアは楽な服装に着替えることにした。誰もいないのをいいことに、ドレスのボタンを外しながら寝室へと向かう。
扉を開けた途端、ミリアはまたも叫び声を上げた。
二度あることは三度あった。
クローゼットが開いており、ドレスが一着床に落ちていて、それには大きな切れ込みがざくりと三つ入っていた。ローズとのお茶会に着て行った空色のバッスルドレスである。
今朝、寮の責任者のところに行ったとき、鍵は全部回収して今日は誰も入室させないと言われていたのだ。ミリアは掃除とベッドメイクがされないことを了承した。現にベッドはミリアが起きたときそのままになっている。
なのにも関わらす、誰かが進入した。
昼用かつシンプルなだけに、それほど高価なドレスではない。とはいえドレスである。シルクである。没落寸前の貴族家では、社交のためのドレス代を捻出するのに四苦八苦するくらいのお値段はする。
ハンカチとは比べものにならない、立派な器物損壊だった。もちろん不法侵入でもある。
クローゼットを外から眺めて他のドレスの被害がないことをざっと確認すると、開けたドレスのボタンを閉め直し、犯行現場をそのままにしてミリアは再び寮の責任者の元へと足を向けた。
ちょび髭を生やした責任者は、女子寮の中を歩ける数少ない男性の一人だ。ミリアは自室まで連れてきて現場を見せた。
「これは不思議ですな」
ちょび髭はでっぷりとした腹を揺らしてそれだけ言った。
「鍵は回収して頂けたんですよね?」
「もちろん」
「であれば、なぜこのようなことか起こるのでしょうか?」
「さて。私には分かりませんな」
ちょび髭は、自分の責任ではない、と言いたそうだった。
部屋の鍵は簡素な作りだ。ディンプルキーなどではもちろんない。針金を突っ込んでカチャカチャやればミリアにも開けられそうではある。
「対策をお願いします。寮内の警備も管轄とされていると伺いました」
「護衛を連れてきてはどうですかな」
ちょび髭はミリアを鼻で笑った。侍女も護衛も連れていない男爵令嬢風情が、と思っているようだ。確か伯爵家の次男だ。いい年をして結婚していないのは、相手がいないのと、伯爵家の一員という称号にしがみついているからだ、という噂だ。
侍女も護衛も本来どちらも不要なはずだ。慣れている者を連れて行きたいという要望があるから人数を限って許されているだけで、寮内の生活の世話も学園内の警備も、学園側が保証することになっている。
なのになんだこの言いぐさは。
自分がミリア・スタインだとわかって言ってるのだろうか。仮にもスタイン商会会長の娘である。雇う資金がないわけではない。
そして王太子と恋仲であるとの噂も立っていた。それを傘に着る気は全くないが、告げ口されたら、と露ほども思っていないのだろうか。思っていないのだろうな。もしくは男爵令嬢ごときのことで王太子が動くわけないと見ているか。
「改善して頂けないのでしょうか?」
「やるべきことはやっていますから」
何もする気がないらしい。
取り合ってくれないのならその上に言うまでだ。
「わかりました。では学園長に報告します」
ちょび髭は慌てる様子もなく、肩をすくめただけだった。
ミリアはすぐさま侍女の手配をした。また寝ている間に侵入されてはたまらない。夜もいてもらわなくてはならないから二人必要だ。刃物を使われている以上、本当は腕の立つ護衛を入れたいところだが、寮に男は入れられない。
入園許可証を取る手続きをして、王都の別邸に連絡した。
理由は、侍女の一人も連れていないと格好がつかないから、と今さらすぎる事を書いた。先日マーサが来てくれたときに助かった、とも。まだ実家には知られたくなかった。エスカレートするようなら女性の護衛を寄越してもらい、正式な抗議も入れてもらうが。
準備に時間がかかるだろうけど、今急ぎで来て欲しいから取りあえず一人寄越せと書き、正門前で待ち合わせることにした。
寮を出てすぐさま学園長室へと向かう。また不在だったので秘書に伝えた。本人がいないのは仕方ないとしても、秘書が同行していないとはどういうことだ、と意味のないことにまで腹が立った。
正門へ行くと、すでにマーサが待っていた。小さな鞄を下げただけの身軽な格好だ。
「マーサ!」
「お嬢様、先日ぶりです」
広げた両手に飛び込むと、ふくよかな感触が気持ちよかった。
「急にどうしたんです?」
「事情は部屋で話す」
自室に戻れば、そのままにしていたドレスの惨状を見てマーサは絶句した。何も言えないマーサに、しまってあったハンカチも見せる。
「一体何があったんです!?」
「見ての通り。誰かがこの部屋に入ってやってった」
「一体何があったんです!?」
マーサは全く同じセリフを言った。ミリアも今の説明で納得してもらえるとは思っていない。
今日起こった三件の事件を説明した。何度も、なぜそんなことになるのか、と口調荒く聞かれたが、ミリアが聞きたいくらいだった。
「旦那様に報告すべきです」
「まだ言いたくないの」
「どうしてですか!」
「大事にしたくないから」
「充分大事です!」
それはそうなのだが、ミリアは目立ちたくなかった。ようやく落ち着いてきたのだ。父親が出てくればまた渦中に放り込まれることになる。
何よりエドワードに知られたくなかった。いじめは王太子ルートの重要な要素だからだ。ギルバートにも言わないことにした。
学園側はわざわざ騒ぎ立てたりはするまい。つい先日図書館が第一王子にしこたま怒られたばかりなのだから。
「お願い。もう少しだけ。危なくなったら絶対言うから!」
うんと言うまで絶対引かない、という気迫で迫ると、マーサは渋々了解した。
「絶対ですよ! お嬢様にかすり傷でもついたら私が報告しますからね」
「うん。わかってる」
続けばいずれ発覚するだろう。でも黙っていられるなら黙っていたい。ミリアが黙っていても真っ先にギルバートが把握しそうなので、相談しなかったことを怒られるだろうな、と思った。一番怒りを露わにするのはエドワードだろうが……知るのは遅そうだ。情報収集をしているイメージが湧かなかった。
夜、遅れてきたのはアニーという赤毛の若い侍女だった。普段は別邸で働いていて、ミリアは面識がある程度だったが、武術の心得も多少あるらしい。
アニーにもしっかり口止めをし、三人で相談して、昼間はマーサに部屋にいてもらい、夜間はアニーにいてもらうことにした。昼間は何かあれば誰かが駆けつけるだろうが、夜に部屋にいてもらうなら護身ができる方がいい。
昼夜逆転の上、何もせずただぼーっと居間にいてもらうだけなのは申し訳なかったが、特別手当を出すと言うと喜んで引き受けてくれた。何もせずに給金が増えるのが嬉しいらしい。フィンには黙っているのでミリアの貯金から出すことになる。
とりあえずではあるが、自衛できる環境は整った。あとは学園側の対応を待つだけだ。




