第41話 これが事件の真相です
「おはよう、ミリア」
「……おはようございます、エドワード様」
ローレンツ王国の王太子様は、陽光に金色の髪を光らせ、輝かんばかりの爽やかな笑顔を浮かべていた。
嫌な予感はしていた。嫌な予感はしていたのだ。そしてそれが当たることもわかっていた。
家に帰ってから、お茶会での出来事を反芻した。
ジョセフとアルフォンスによる相談会&猛特訓の成果は現れていたようである。侯爵令嬢から生粋の貴族同然というお墨付きを頂いた。誰からも嘲笑われることなく、軽蔑の目を向けられることもなかった。
前半の会話もよかったと思う。商会の伝手を使って手に入れたネックレスのダイヤはローズの目に止めてもらったし、リリエントのネックレスもちゃんと褒めた。その前の会話も和やかに進んでいた。
問題は後半だった。なんだか良くわからないうちに、王太子への想いを捨てきれない婚約者と、王太子からの愛を手に身分の差を乗り越え正妃を望む男爵令嬢が出来上がっていた。
壁際でじっと会話を聞いていたマーサは、屋敷に帰るなり感激の余り歌い踊っていた。王妃はない、と納得させるのが大変だった。危うく実家に連絡が行くところだった。父親は流言や妄言のたぐいには慎重になっても、身内からの連絡では信じかねない。エルリックが血相を変えて学園に馬車を乗り付けるところまで想像できた。
そして翌朝のこのエドワードの笑顔である。お茶会の話がどう伝わっているのかは聞かなくてもわかった。結末の部分だけが正確に伝わっているのだろう。なぜ都合の悪いことはねじ曲がらずにまっすぐ広まってしまうのか。
「どうか、エド、と呼んでくれないか、ミリア」
「ご遠慮いたします、エドワード様。それと私、呼び捨てを許した覚えはありませんが」
「それ以上言わなくていいんだ、ミリア。昨日の茶会のことは聞いた」
「はあ、そうですか。ですがエドワード殿下、私、呼び捨てを許した覚えはありません」
「ミリアは私との結婚を望んでいるのだろう?」
「…………どこでお聞きになったのかは存じ上げませんが、そのような事実はございません、エドワード王太子殿下」
エドワードはきょとんと目を瞬かせた。本気で信じていたらしい。
「ローズに遠慮しているのだろう……?」
「いいえ、私は本心から申し上げております、エドワード・ローレンツ王太子殿下」
衆目の前? 知るか。むしろ好都合だ。
ここで否定しておかなければ二度と否定できないかもしれない。ミリアはここが正念場だと読んでいた。後ろは崖っぷちだ。
ミリアの冷ややかな声と、どんどん丁寧になっていく呼び名に本気度を悟ったのだろう、がーん、と音が聞こえそうなほどにエドワードはショックを受けていた。周りでわーきゃーうるさかった令嬢たちも、しーんと静まり返っている。
「……ではどうだったのだ、茶会は」
「というか、エドワード様はローズ様のお茶会のことをご存じだったのですね」
エドワードが歩き始めたので、ミリアもそれに続いた。ご令嬢方は今日は静かに会話を聞いていて、状況把握に専念する構えだ。
「もちろん。ミリアの予定は全て押さえている」
なにそれ気持ち悪い。
あと呼び捨てやめろ。
思ったことが顔に出ていたのかもしれない。エドワードがびくりと肩を揺らし、アルから聞いた、と言い直した。アルフォンスが常日頃から調べ上げているわけではないと信じたい。
アルフォンスの名を聞いて、謝らなくては、礼を言わなくては、という思いがミリアにのしかかってきた。今日言えたらいいのだが、この分だとまた噂に翻弄されてそれどころではなくなりそうだ。時間がたてばたつほど言いにくくなる。
「それで、茶会はどうだった? わたしとのことは――」
ミリアがにらみつけたので、エドワードはそれ以上は口にしなかった。
「マドレーヌがとても美味しかったです。ローズ様のおうちのパティシエさんが作ったそうです。お店で買えないのが本当に残念です」
「では、今度ローズに言って――」
ミリアの不穏な気配を感じ取って、再びエドワードは口をつぐんだ。
「エドワード様」
ミリアはにこりと笑った。
「私たち、結婚の話をするどころか、そもそも何もありませんよね?」
「ミリア、まだはっきりとは言っていなかったが――」
「何も、ありません、よね?」
視線に圧を込める。
ないだろう。何も。一言も好きだと言われていないし既成事実もない。デートをしたこともなければ高価な贈り物ももらったことはない。あるなら言ってみろ。ないだろう。何もないだろう。今ここで告白なんぞしようものなら金輪際一切口をきかないからな覚悟しろ。
ミリアには精神感応の才能があったのかもしれない。ただならなぬ無言の気迫に、エドワードは同意するしかなかった。
「ない……」
言わせた。令嬢たちの前で。はっきりと。
最後に続いた、まだ、という言葉は知らない。考える必要はないのだ。エドワードとの間に何かがある未来は来ない。
王太子相手に随分な態度だが、誰からも文句は出なかった。潔白はシロだ。クロにされてたまるか。はっきりさせておかなければならない。
ついでにジョセフのことも明確に友達でしかないと知らしめたかったが、情報過多になるのはよくない。ミリアが正妃になるやも、というセンセーショナルな話題が出た今だからこそ、それを盛大にひっくり返すことで、ミリア・スタインは王太子サマとは何にもないのだ、と深く理解させることができる。
ミリアは、とぼとぼと歩くエドワードを連れて、勝ち誇ったように校舎へ向かったのであった。
校舎内は蜂の巣をひっくり返したような大騒ぎ――なのは水面下だけで、貴族の学園らしく表面上は穏やかに、朝の時間はここ数日日課となっていたミリアへの質問責めに終始した。
家格が上のご令嬢方にエドワードにしたような問答無用の否定はできなかったが、朝一番に取った言質が効力を発揮し、次第に何かの間違いだったらしいという空気になっていった。
しかしそれは、目を腫らしたローズの登場によって盛り返される。あのローズがそんなみっともない顔を人前にさらしたのである。やはりあの話は真実らしい、と。
だが侯爵令嬢がいる手前、表だってミリアに堂々と聞くこともできなくなり、質問の嵐からは解放された。
そしてその後、なぜか休み時間も昼休みが始まってからも令嬢に囲まれることはなかった。今までのことが夢か幻だったかのように、唐突にミリアは独りに戻った。廊下のそこかしこで囁かれている言葉を聞くに、お茶会の噂がなくなったわけではないようだったが。
一度だけ、廊下を歩いている時に下級生二人組が近づいてきて、応援していますっ、と激励された。ジョセフ抱擁事件の被害者となった男爵令嬢とその友人だった。ミリアはとっさの返答に困ったが、返事を待たずに、失礼します、と去って行った。応援は嬉しいけれども誤解である。
ランチを庭園で静かに過ごし、図書室へと向かった。人目がないことを確認しながらの移動だ。学園内の人の数が心なしか少ない気がした。
数日ぶりの図書室は、暗闇と古書の香りでもってミリアを歓迎した。ランプの明かりが書架の間を移動している。ギルバートだ。
「ギル! 会いたかった!」
「久しぶりだね」
懐かしい友人との再会が嬉しくて、ミリアはたっと駆けてギルバートに抱きついた。ギルバートがそのミリアの背を軽く叩き、危ないよ、と苦笑する。
そう、これだ。これが友人間での正しい抱擁というものだ。ギルバートの自然な行動に、ミリアはひどく安心した。
「体調はもう大丈夫?」
「うん。すっかり元気。お見舞いありがとう」
「よかった」
ギルバートが目当ての歴史書を探しあてるのを待って、二人でテーブルについた。
「話したいことがたくさんあるの」
「大体は聞いてる。大変だったね」
ギルバートが眉を寄せて首を傾げると、まっすぐな金髪がさらりと揺れた。ランプの光の中で見ると細い髪は絹糸のようだ。
ミリアの身を心から何の他意もなく案じてくれるのは、ギルバートだけだと思われた。ミリアを取り巻く環境は目まぐるしく変化しているが、ギルバートは変わらずミリアの心の支えでいてくれた。
ミリアはギルバートの優しさに甘えて、ここ数日のことを吐き出した。まずは急に令嬢たちがミリアを構いだしたことだ。
「……でね、今日の休み時間から、急に寄って来なくなったの」
「それはきっと、僕が苦情を入れたからだね」
「苦情?」
「そう。学園内がうるさくて迷惑だって」
「ごめんなさい……!」
ギルバートに迷惑がかかっているなど思いもしなかった。
「またそうやって……ミリアのせいじゃないよ。それに、本当は迷惑なんて思ってないんだ。これでミリアの周りが静かになればいいと思ったんだ。効果覿面だったね」
くすくすとギルバートが笑った。
「人が増えていて煩わしいとも言っておいた。連れて来られる使用人や護衛の数には上限があるのに、公然と破っている生徒が多すぎるって。これで見張りも減ると思うよ」
道理で人が少ないと感じたわけだ。
「ギル、ありがとう」
「権力は使うためにあるんだ」
第一王子の文句はさぞかし効いただろう。普段は不満をこぼすことなく静かにしているだけに、学園側も貴族たちも相当慌てたに違いない。
「図書館での出来事は大変だったね。怪我はなかったんだよね? 驚いて雨の中走ったんでしょ? ミリアが風邪をひくなんて珍しいから、すごく心配したよ」
「怪我はしなかったよ。心配かけてごめんなさい……」
ギルバートはミリアがその場にいたことを知っていた。しかし、眉を寄せた顔を見るに、ミリアが責任を放棄して逃げ出したことは知らないようだった。知れば軽蔑されるだろう。だが、ミリアはギルバートに聞いてもらいたかった。懺悔したかったのだ。
「あのね、ギルがどこまで知っているのかわからないけど、本棚を倒したのは私なの。なのに、助けてくれたアルフォンス様を突き飛ばして、逃げちゃった。図書館の人に謝って償いたいのに、私がその場にいなかったことになってて、悪いのは図書館側ってことになってるから何もできない。アルフォンス様にもまだ助けてくれたお礼と、迷惑かけたこと謝れてない。私、最低なの……」
ミリアがうつむくと、ギルバートがきょとんとした顔をした。
「何を言ってるの? ミリアは全然悪くないよ。アルフォンス・カリアードのことは僕はわからないけど、本棚が倒れた件は全面的に図書館が悪いよ」
「そんなことない。私が踏み台から落ちそうになって引っ張って倒したんだもの」
「踏み台が壊れたんだから仕方ない。とっさに目の前の物につかまるのは当然だよ。あんな踏み台を置いておくのが悪い。それに本の並べ方も悪くて重心が高いところにあった。図書館の管理責任が果たされていなかったんだから」
「踏み台が、壊れた……?」
「うん。踏み板が腐ってた。……知らなかったの?」
そう言えば、バランスを崩す前に、ばきりと音がしたような……。
「割れたのは見たけど、倒れた本棚が当たったからじゃないの?」
「ぶつかった痕がなかった。その前に割れてたんだ。僕も直接見たから確かだよ。カリアードがミリアのことはエドに言えないからって、僕が調査することになったんだ」
「そう、なんだ……」
ミリアのせいではなかったのだ。自分の過失ではなかった、という事実に茫然としてしまって、譫言のようになっていた。
「ミリアは大怪我をするところだったんだから、謝るどころか怒っていいはずなんだ。だけど、きっとミリアは大事にしたくないだろうってカリアードが言うから、ミリアはいなかったことにして収めることを許した。勝手にごめん。カリアードがこの件を利用するのも想定してた」
「ううん、いいの。ありがとう。その方が助かる」
「責任者たちは軒並み首を飛ばしておいたから」
物理的に、と注釈がつきそうな声色でギルバートが言った。目が笑っていない。
「……やりすぎじゃない?」
大事故に繋がるところだったとはいえ、欠陥のある踏み台を放置して、書架の上の段に多くの本を並べていたというだけだ。それで複数人の首を飛ばすのはどうなのか。物理的にじゃなくても。
「今回の事故のことだけでじゃないんだ。彼らは国費を横領してた。去年の外壁改修工事の費用を水増ししてた証拠をカリアードが引っ張り出してきてね。石材を高く見積もらせたんだったかな。叩いたら他にもぽろぽろ出てきた」
工事費用。石材の値段。
つい最近そんなキーワードの話をアルフォンスとしなかったか。さすがに偶然の一致だろうが。
「これも本来ならカリアードはエドに報告すべきだけど、事故の件があったから一緒に僕が処理した。全く……彼はいいタイミングで持ってきたよ。あいつらをまとめて処分できて、正直僕もすっきりしてるけどね。ミリアのことは本当に腹が立ったから。あの場にカリアードがいなかったらと思うとぞっとする。本当に無事でよかった」
「それは、うん。そう思う。アルフォンス様が助けてくれなかったらどうなってたかわからない」
「この辺の話はスタイン男爵にも報告が行ってる。ここまでの事情を知ってるのは僕とカリアードと男爵の三者だけ。僕もミリアは男爵かカリアードから話を聞いてると思って説明しなかった。手紙に書いておけばよかったね」
「ううん、いいの。何から何までありがとう」
「僕がしたのは調査と責任追及だけで、事態を収めたのはカリアードだよ」
ギルバートは肩をすくめた。
結局のところ、ミリアはアルフォンスに助けられ、その後の諸々を丸っと片づけてもらったことには変わりなかった。
そろそろ昼休みが終わる。昼寝をすることなく話してしまった。しかし何か大事なことを忘れている気がした。
「そうそう、昨日のローズ・ハロルドとのお茶会でのことだけど――」
そうだそれだ。それが一番話さなければならないことだった。
「エドとハロルド嬢の婚約に変更はない、って正式に王宮から発表されることになったよ」
「そうなの?」
今朝のエドワードからはそんな様子は見て取れなかった。
「王族の正式な婚約を改めて宣言するのは馬鹿馬鹿しいんだけど、騒がれすぎてるから。混乱に乗じて良からぬことを考える奴がいないとも限らない」
「ごめんなさい」
「だからミリアが謝ることはないんだってば。エドが暴走して、周りがそれに踊らされているだけだ」
ミリアもその踊らされている中の一人である。攻略してしまったことを考えれば、踊らせている側でもある。
「ごめんなさい……」
ミリアには謝ることしかできなかった。




