第31話 今である必要ありました?
はぁぁぁぁぁ!!
最高だった。
ありがとう、作者。ありがとう、書き写してくれた人。ありがとう、司書さん。ありがとう、父さん。
ミリアは読み終えた本をぱたりと閉じ、ハンカチで目を押さえた。書いてくれた作者、複写してくれた名もなき人、図書館に入れてくれた司書、爵位を手にしミリアを学園に入れてくれたフィンに深く感謝した。
読んでいる間、間違っても嗚咽など漏らさぬよう、鼻をすする音も最小限に気を使ったが、滂沱の涙でハンカチはぐしゃぐしゃだった。化粧はとうに流れ去っている。目が腫れているだろうから、ここで涙が引くのを待ち、夜陰にまぎれてこっそり帰ろう。
部屋で読めばよかったかな、と思いながら、鏡を見に行くためにハンカチで鼻と口を押さえて立ち上がろうとしたとき、ミリアは目の前の人物に気づいた。
「ひっ」
アルフォンスだった。驚きすぎて涙が引っ込んだ。
いつぞやのように、テーブルの上に腕だけ置いて無表情でミリアを見ていた。
この男は泣いている令嬢をまたずっと観察していたのか。ミリアにはひどい顔で泣いていた自覚があるし、今も絶対ひどい顔をしている。紳士としてどうなのだと羞恥も忘れて物申したかったが、鼻声で責めるのは間抜けだったので黙っていた。
無言でにらみ合い、ミリアが、すん、と鼻をすすると、アルフォンスが口を開いた。
「ジェフの交際の申し込みを断ったと聞きました」
開口一番それかいっ!
以前百面相をしていたと言われたことを根に持ち、また何か言われるのかと身構えていたミリアは、何の前置きもなく切り出されたその言葉に唖然とした。
なんという無神経さ。頭が痛くなってきた。泣きすぎたせいじゃない。絶対。
ジョセフが親友に打ち明けているのはおかしなことではないし、無闇矢鱈に言いふらされるのでなければ別にいい。が、なぜ今ここでアルフォンスに言われなくてはいけないのか。せめてミリアの涙が落ち着くまで正面ではないどこかで待っていて欲しかった。
「そうですが、何か?」
イラッとして、随分嫌な言い方になってしまった。
「なぜですか」
質問に非難の感情が混ざっていた。
「ジョセフ様のことが好きではないからです。私が断ってはいけませんか」
「いや、そういう訳では……」
我ながらきつい物言いに、アルフォンスの目が泳いだ。今日は雪が降るかもしれない。
「ジェフは伯爵家の長男です」
だからなんだ。男爵令嬢風情が断る権利などないと言いたいのだろうか。アルフォンスは貴族主義なところがある。礼儀にうるさいのもそのせいだ。ジョセフが本人に話をしたのだ。貴族の様式を重んじるなら先に父親に伺いを立てろとジョセフに言って欲しい。
「ゆくゆくは爵位を跡を継いで伯爵になります。殿下の近衛騎士になることも決定しています。騎士の入団試験はこれからですが、ジェフの実力なら確実です」
そんなことはミリアも知っている。そしてそれはアルフォンスも知っているはずだ。
「ユーフェン伯爵家は長く続く由緒ある家柄です。伯爵は近衛騎士団の団長で、剣術の腕もさることながら、統率力にも優れています。夫人は面倒見のよい気さくな方で、社交界での評判もよく、伯爵に代わり領地経営を見事に成しています。夫婦仲は良好です。妹の令嬢は来年学園に入学する歳で、夫人と同じ茶色の髪をした大人しい性格です。領地は王国の西方にあり、距離がありますが土地が豊かで財政上の問題も治安その他の問題もありません」
「……」
「ジェフは剣術の成績が際立っていますが、学問教養の成績もまずまずです。特に古典や芸術など文化面の知識が豊富です。口調や仕草がやや乱暴な所はありますが、きちんとした場では礼儀に則った振る舞いができます。見た目も悪くありません。正装した姿はご令嬢方の誰しもがため息をつくほどです。相手の気持ちを考えた行動ができ、女性の扱いにも長けています。少々女性にだらしないところは――」
「何が言いたいんですか?」
アルフォンスの全く要領の得ない話に、ミリアはしびれをきらして割り込んだ。身の程を弁えろでも鏡を見てから出直してこいでもいいからはっきり言って欲しい。
アルフォンスは困ったように眉を寄せた。
「どうして、断ったりしたんですか?」
心底不思議そうな顔だった。
その表情を見て、ミリアは合点がいった。
つまりこの男は、ジョセフの魅力をアピールしていたのだ。母親の評判まで聞かされて何の話かと思った。
「ですから、好きではないからです。それ以外に理由が必要ですか?」
「マリアンヌ嬢との婚約は解消されました」
「知っています」
「……ジェフが嫌いなのですか?」
「嫌いではありませんし、人としては好きです。でも恋愛という意味で好きなわけではありません」
「ジェフはミリア嬢に本気です。これまで数多く浮き名を流してきましたが、ここまで真剣なのは初めてです。結婚相手として申し分ないと思います。何が不足していますか?」
「何がと言われても……」
強いて言うなら、不足ではなく余計だ。爵位が。あと浮気性なのも。
「ユーフェン伯爵嫡男なら、スタイン男爵もお認めになるでしょう。伯爵家と婚姻を結べば商会はますます大きくなります。伯爵は身分にこだわる方ではありませんので、ミリア嬢の出生に問題はありません」
出生に問題はないとはまるで私生児みたいな言い方だった。元平民でいつか平民に戻る予定だというだけなのに。
「父からは商会のために結婚をしろとは言われていません」
結婚についてすら話していない。が、ミリアが誰かを連れて行けば、なんだかんだと認めてくれるとは思う。心配性のエルリックの方が厳しそうだ。
アルフォンスは、理解できない、という顔をした。
生粋の貴族であるアルフォンスには実際理解できないのかもしれない。確かに伯爵令息には――女性関係を除けば――欠点らしい欠点はない。優良物件であることは間違いない。令嬢たちがピラニアのように食いつくのも頷ける。
一方で、ジョセフの恋愛感情も理解しているように見える。ミリアが感情優先にして断ることは疑問なようだが。
かつてアルフォンスはミリアがエドワードに近づくのを嫌っていた節があった。今はそのような態度はとらないから、ミリアを貴族として認めてくれたということなのだろうか。それともミリアにエドワードをどうこうする気がないから脅威に思わなくなったのか。ジョセフを推してくるのは伯爵令息ならいいや、ということか。
「私がジョセフ様と恋人になればエドワード様が諦めると思ってるんですか?」
アルフォンスは目を大きくした。そんなことは考えもしなかった、といった表情だ。雪じゃなくて雹が降るかもしれない。
ジョセフを生け贄にするつもりではないのだとわかって良かった。穿ちすぎだったようだ。その手があったか……と呟いているのは聞かなかったことにする。
「殿下の気持ちを知っているんですね」
「そりゃあ……あれだけ態度に出されれば……」
攻略情報駆使して好感度マックスですから、とは言えない。
「殿下に求婚されたらどうしますか?」
「お断りします」
またも食い気味に答えてしまった。これだけは揺るがない。
「賢明ですね」
「恐縮です」
王太子妃は絶対に嫌だ。
「どちらの答えも今後変わりませんか?」
「殿下への気持ちは変わらないと思いますが、ジョセフ様への気持ちはわかりません。これから自分を知って欲しいと言われました」
「そうですか……」
アルフォンスは複雑な顔をした。婚約が破談にまでなったのだから、ジョセフには報われて欲しいと思っているのかもしれない。これを機に少しでも品行方正に近づいてくれれば、くらいの気持ちかもしれないが。
ミリアの気持ちを確かめるのが目的だったのか、アルフォンスは、邪魔したことを詫びて去っていった。
ぽつんと一人になったところで、すっ飛んでいった最終巻の感動は戻ってこなかった。本当にタイミングが最悪だった。内心、ああぁぁぁぁ、と嘆きながら、ミリアはもう一度本を開いた。




