第104話 ハッピーエンドです、よね?
「マリアンヌ……? なん、で……」
ジョセフがぽつりとつぶやいた。
「マリアンヌ・コナー、ミリアを突き落としたのも君だね。釈明があれば聞こう」
「ありません。この女が許せなかっただけです」
ミリアの胸が痛んだ。
「どうしてそんなことをしたんだ!」
ジョセフが叫ぶ。
「わたくしからジョセフ様を奪っておきながら、ジョセフ様の想いを受け入れないからです」
マリアンヌがジョセフに訴えるように言った。
婚約解消はコナー家から言い出したものではなかったの、とささやき声が聞こえてきた。
「コナー男爵からの指示だね?」
「そうです」
「他に言いたいことは?」
「ありません」
「連行を」
さっと騎士が駆け寄り、マリアンヌを拘束し、ホールの外へと連れ出した。マリアンヌは大人しくそれに従っていたが、ミリアとすれ違う一瞬、憎悪の視線をぶつけてきた。
殺されそうになるほど人に憎まれるというのは、思った以上にミリアの心をえぐった。倒れそうになるのをなんとかこらえる。
そのとき、拘束されていたはずのアニーが、ばっと駆け出して、ミリアに向かってきた。
エドワード、ギルバート、アルフォンスが前に出てミリアをかばう。一番前に出たジョセフが容易くアニーを拘束した。
「あんたが! あんたが悪いんだ! あんたさえいなければぁっ!!」
「連れ出せ!」
ギルバートの一声で、騎士が抵抗するアニーを引きずっていく。
「あんたがあの子たちを引き離したっ! あの子は風邪をこじらせて死んだ! ヴァンの帰りをずっと待ってて……! あんたのせいだっ!」
ぱたりと扉が静かに閉まった。
名前に聞き覚えがあった。半年前、ミリアがヨートルの孤児院から引き取った子だ。今は王都のスタイン家の別邸に滞在していて、アルフォンスの屋敷に派遣されている。
孤児院で泣きながらヴァンにすがりついていた女の子を思い出す。
あの子が風邪をこじらせて死んだ? この半年の間に? それをどうしてアニーが?
ミリアははっと気がついた。
アニーの赤い髪は、兄妹の髪と同じ色だ。
ミリアは今度こそふらついた。それをアルフォンスがそっと他には見えないように支える。
「スタイン商会はできる限りの支援をしていました。孤児院に医者を呼び、薬を与えました。ですが、急変して、ヴァンとアニーに知らせが行く前に亡くなりました」
アルフォンスがミリアだけに聞こえるようにささやいた。
「そんな……」
ミリアがヴァンを引き離したから、妹は最期に一緒にいることができなかった。
「私の、せいだ……」
「ミリア嬢は悪くありません。誰にも予測できないことです」
「だけど、だけど……」
目の前が暗くなっていく。
だが、ミリアは倒れる訳にはいかなかった。動揺を顔に出してもいけない。
王妃になるのなら、これを孤児がらみのスキャンダルにさせるわけにはいかない。たとえミリアのせいだったとしても。なんのことかしら、と澄ましていなければいけないのだ。
だからミリアは無表情を取り繕った。ぐっとひざに力を入れて、自分の足で立つ。
「エド、これでハロルド家とローズ・ハロルドの嫌疑は晴れたね。これでも婚約を破棄するかい?」
エドワードの目が揺れた。ハロルド家との婚約を明確な理由なく破棄することはできない。
「……ローズ、疑いをかけて悪かった。婚約解消は撤回する」
エドワードはローズに向かって頭を下げた。権力に任せて押し通したりしない。非を認めて謝罪ができる。ミリアはエドワードのそんなところを評価していた。
「わかって頂けたのならよろしいですわ」
ローズは悠然と微笑んだ。侯爵令嬢としての貫禄があった。
ミリアはほっと息をついた。悪役令嬢のターンは終わったのだ。
これでミリアはお役目御免――
「ローズは変わらず正妃候補とする。そして、ミリアとは側妃候補として婚約を結ぶ」
――とはならなかった。
「さあ、ミリア、わたしの手を」
エドワードがさっとミリアに手を差し出した。それを見たジョセフとギルバートも手を差し出す。
「ミリア、俺の手を取ってくれ」
「ミリア、僕の手を取って欲しい」
急に自分にターンが回ってきて、ミリアは一歩引いた。
エドワードは自信たっぷりに、ジョセフは真剣な顔つきで、ギルバートは微笑みながらミリアの返事を待っていた。
この中から選ばなくてはならないのなら――。
一瞬迷ったあとにミリアは決断した。アルフォンスが横にいる。気持ちに嘘をつかないのなら、ミリアが選べるのはやっぱりエドワードしかいない。
ミリアは再びエドワードへと手を伸ばした。
だが、それを地を這ううなり声のような低い声が遮る。
「エぇ~ドぉ~ワぁ~ドぉ~?」
声の主はなんとローズだった。顔を伏せ、ゆらりとエドワードのすぐ前に歩み寄る。
ローズはぱっと顔を上げると、がしっとエドワードの顔の下半分を片手でつかんだ。
「ろ、ろーず……」
エドワードはひょっとこの顔になり、もごもごとローズの名を呼んだ。
「こちらがしおらしくしていれば……。いい加減にして下さらないかしら? わたくしにも堪忍袋の緒はございますのよ?」
ローズがぐりぐりと手に力を込める。
「わたくしを正妃にと言いながら、婚姻を結ぶ前から側妃ですって? 寝言は寝てからおっしゃって下さらないかしら。殿方のたしなみと思って学園の間くらいはと黙っておりましたけれど、もう卒業ですから文句の一つや二つや三つや四つ、よろしいですわよね?」
ミリアを初めとした、その場にいた全員があっけに取られていた。いつもの楚々としていたローズはどこへ行ったのか。姿形がそっくりな別人かと疑いたくなるくらいだ。
「そう言えば、ローズ嬢は小さい頃はああいう子だった……」
「エドはいつも尻に敷かれていたな……」
ぽつりと呟いたのジョセフとギルバート。幼なじみでもある彼らは、侯爵令嬢の顔に隠れているローズの本性を知っていたのだ。
「ろ、ローズ、悪かった、悪かったって」
「今度ばかりは許せませんわっ! わたくしを疑った事だって!」
「わかればいいと言っていたではないか」
「おだまりっ!」
「あ、わ、悪かった! ああっ、蹴るなっ! 痛いっ!」
ローズはエドワードをぽかぽかと殴り、げしげしと蹴りを入れていた。本気で。
周りの騎士も茫然としていて止めようとしない。完全に痴話喧嘩だ。
悪役令嬢の前では、王太子も形無しだった。
「ミリア嬢、今のうちに退散しましょうか」
アルフォンスがこそっと言って、ミリアに手を出した。
「いいんでしょうか?」
「それとも、ジェフかギルバート殿下を選びますか?」
ミリアはふるふると首を振った。それをジョセフとギルバートが悲しそうに見る。
「選ぶのはミリアだからな」
「悲しいけど仕方ないね」
ごめん、とミリアは二人に視線で訴えて、全員の視線がエドワードとローズに向いている間に、ダンスホールを抜け出した。
アルフォンスは同じ建物の中のサロンの一つにミリアを連れて行った。馬車を呼ぶまでの間、隠れるつもりなのだと思われた。
ぱたりとサロンの扉が閉まる。
「さて」
先導したアルフォンスがミリアの手を離し、ミリアに向き直った。
「これでミリア嬢と私は婚約したわけですが――」
「えぇ!?」
ミリアは大声を上げた。突然何を言い出すのだこの男は。
「だってミリア嬢は私の手を取ったでしょう?」
アルフォンスは、さも当然だというような顔で言った。
「取っ――」
取った。抜け出そうと言って差し出された手を。ここに来るまで手を引かれていた。
「と、取りましたけど! それと婚約は関係ないでしょう!?」
「ジェフとギルバート殿下は承知していましたよ」
ミリアは二人の様子を思い浮かべる。
選ぶのはミリアだからな。
悲しいけど仕方ないね。
いやいやいやいや!
「私たちを見ていた生徒もいました。騒ぎが収まれば噂が立つでしょうね。それとも、今から戻って二人のどちらかを選びますか? もしくはエドワード殿下の側妃になりますか?」
うう、とミリアは眉を下げた。どちらも嫌だ。
「でもっ、アルフォンス様は帝国の皇子と婚約したんですよね?」
「……知っていましたか。それは解消されました」
「は?」
さらっと言われた。
「皇帝が回復し、伴侶はしっかりと時間をかけて探せと言われたそうです」
「それならリリエント様と……!」
「リリエント・ミールともう一度婚約? するわけないでしょう」
アルフォンスは吐き捨てる様に言った。
「アルフォンス様はリリエント様を愛していたのではないんですか?」
「まさか」
はっ、とアルフォンスが鼻で笑った。
「あんな傲慢なだけの空っぽな頭の女、親の決めた約束さえなければ結婚なんてしませんよ。婚約解消できて清々しています」
本気で嫌そうだった。
「ですから、障害は何もありません」
「私、幼児体型ではありませんけど……」
ぼんっきゅっぼんっではないが、出ているしへこんでいる。少なくともつるぺたではない。
「何が言いたいんですか?」
「アルフォンス様は、小児趣味なんですよね……?」
アルフォンスが眉間に指を当てた。
「一体何がどうしてそういう結論に達したのかは知りませんが、それは誤解です」
ではミリアが子ども達の身を心配していたのは杞憂だったわけだ。少し安心した。
が、事態は全く好転していない。
「父さんに聞いてみないと……」
「スタイン男爵の許しは得ました」
「えっ!?」
「ミリア嬢が私を選ぶならいいと。もちろん父上の許しも得ています」
「嘘でしょうっ!?」
アルフォンスは満足そうな顔をしている。
「それで、ミリア嬢は卒業後――具体的には明日から、王宮に勤めることになっています」
「えぇ!?」
「ミリア嬢に仕事を手伝って頂いて、財務系の書類の精査が十分でないことが発覚しましたので、監査をする部署が新たに設置されました。私は殿下の側近と監査の責任者を兼任します。ミリア嬢は文官となり、私の部下として働いて頂きます」
何だって? 自分が文官になる? しかもアルフォンスの部下として王宮に入るだって?
「ああ、文官になるための試験ですが、実績があったので免除されました。心配はいりません」
いや、そこ全然心配していないから。
駄目だ。これは逃げるしかない。まずはクリスを頼ろう。せっかく王妃にならなくて済みそうなのに、王宮で働くなんて嫌だ。
「短期間で新部署を設置するのは苦労しました。これでミリア嬢に王国のために働いて頂けます。私の婚約者ですから、他国に逃げたりしてはいけませんよ」
ぎくり、とミリアは体を震わせた。見透かされている。だから婚約したのか。
以前アルフォンスに、王宮に入りませんか、と言われたとき、ミリアは断った。王都に住むかは結婚相手次第だと言った。
両家の当主の許可を得た後で、多くの目のある中、他の求婚者が諦めざるを得ない状況で婚約してミリアを王都に縛り、ミリア用の新しい部署を作って文官として登用する準備を整えた。
ミリア一人を王宮に入れるためだけに、よくもまあここまで大掛かりなことをしたものだ。
カリアード家のお家芸――。
外堀は完全に埋められていた。
「それではミリア嬢、これからよろしくお願いします」
アルフォンスが満足そうに微笑んだ。濃い緑の瞳が細められ、形のいい口が弧を描く。ため息が出そうな程きれいで、ミリアの思考を完全に奪った。
もういいや。婚約の理由がミリアを国政に参加させるためだったとしても。この笑顔を他の誰でもなくミリアに向けてくれるのなら。
婚約破棄は阻止できた。王妃エンドも回避した。想いは通じていなくとも、好きな人と婚約する。これも一つのハッピーエンドと言えるのではないだろうか。
アルフォンスが両腕を広げた。恒例のハグの体勢だ。ミリアは習慣に従ってアルフォンスの腕の中に収まった。
ぎゅっと抱きしめられたあと、ひやっと鎖骨の間に冷たい感触がした。ミリアが顔を上げようとするのを、アルフォンスが押さえる。
「少し動かないで下さいね」
首の後ろでアルフォンスがごそごそと何かをしていた。
離れたあと、ミリアの首についていたのは、薔薇をあしらったネックレスだった。
中央には大粒のダイヤモンド。花びらの部分を小さなダイヤがびっしりと埋めている。葉が一枚ついていて、そこには深い緑色のエメラルドがはまっていた。
乙女ゲーム「白薔薇を君へ」。卒業パーティでのラストイベントにて、攻略キャラ達はヒロインに白薔薇を一輪差し出して求婚する。
その花言葉は――。
私はあなたにふさわしい。
―― 第一部 完 ――
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これにて第一部完結ですが、このあと番外編・第二部が続きます。よろしければ引き続きお付き合い下さい。




