第10話 これがゲーム補正ってやつですか
ギルバートの声で目を覚ますと、肩に上着が掛かっていた。この間から、こうしてたまに掛けてくれるようになった。
部屋が寒くなくても、優しさは素直に嬉しいし、そういう時はギルバートの調子がいいのだとわかって安心できた。連日で図書室に来ないことも減ったので、体調が良くなってきているのかもしれない。
落ち着く香りも好きだった。
上着を掛けてもらったときの方がぐっすり眠れているような気がする。
また香りの正体を聞くのを忘れてしまった。
これではギルバートの匂いが好きな変態のようではないか。
次こそ聞こう。
講義室へ向かう途中、ジョセフが下級生の令嬢と肩を組んでいるのに出くわした。
可哀想に、彼女は顔を真っ赤にしてかちんと固まっている。一緒にいる令嬢はおろおろしていた。他の生徒もどうしていいかわからないといった様子だ。
頭に叩き込んだ学園生徒の情報を引っ張り出す。たしか二人とも男爵令嬢だ。伯爵令息様に強く出ることはできないのだろう。
「やあ、ミリア嬢」
近づいてくるミリアを見つけて、ジョセフが組んだ方の手でひらひらと手を振った。
「ジョセフ様、何をしているのですか」
「何って、平民流の挨拶」
「そういうことを聞いているわけではありません」
首を振りながら近寄り、令嬢の首に回っている手をつかんで払った。身分差はあっても、それくらいは許される仲だと思っている。
「あ、ありがとう、ございますっ」
拘束から逃れた彼女は、涙目で友人の胸に飛び込んだ。
元平民のミリアならまだしも、令嬢方に免疫がないことは先日のローズたちの反応からわかる。男子生徒たちですらざわめいていたのだ。
変な噂が立てば経歴に傷がつくことさえあるのではないか。
どこからが世間体的にアウトなのかは知らないが、助けたミリアに礼を言ったのだから、少なくとも彼女自身は嫌だったのだろう。
入学してからの二年半、こんな無体をする輩を初めて見たミリアは、それがジョセフであることにひどく落胆した。軽薄ではあっても最低限の礼節は守る男だと思っていた。
「以前ローズ様も仰っていたではないですか。むやみに女性に触らないでください。どうしたんですか、ジョセフ様らしくないですよ」
「そう? いつも通りだけど」
何てことのないようにジョセフは言う。
いつもなのか……。
そういえば一人でいるところをあまり見たことがなかった。ひょっとしたら、王太子の前では猫を被っているのかもしれない。
「こんなことはやめて下さい」
「嫉妬? 可愛いなー」
「違います」
顔に伸びてきた手をぴしゃりと振り払う。
内心ひやりとした。
叩いたのはさすがにまずったか。
しかし、ジョセフは傷ついたような顔をしただけで、咎めたりはしなかった。エドワードと同じで、家格を振りかざすような人間ではない。
代わりに別の行動に出た。両手を伸ばしてきて、ミリアをその胸に抱きしめたのだ。
は?
「ごめん、怒らせるつもりはなかった」
「放して下さい!」
ジョセフの胸を本気で押したが、ジョセフはミリアを放そうとはしなかった。それどころか、さらに腕に力を入れてくる。
「もうしないから。ごめん」
「っ!」
切羽詰まったようなかすれた声。
ぞわりと背中に何かが走った。
先日耳元でささやかれたことを思い出し、ミリアの顔が赤くなっていく。
こんなに強く誰かに抱きしめられた経験は前世にもない。
押しつけられた胸は思っていたよりもずっと逞しく、不甲斐なく鼓動が高鳴っていく。
待って。ちょっと待って。
これ、だめなやつだ。
「嫌いにならないで」
「っ!」
ミリアに聞こえるだけの音量でささやかれ、ついにミリアはひざから崩れ落ちそうになった。
体の力が抜け、自分の体重がずしっとジョセフの腕にかかったのがわかる。
だめだ。
だめだめ。
ぐっと足に力を入れた。
ジョセフならミリアを落としたりはしないだろうが、こんなところで腰を抜かすなんて無様な姿をさらすわけにはいかなかった。
身分差とか言っていられない。
「いい加減に――」
「ジェフ!」
ヒールで踏んでやろうと足を上げたとき、どこからともなく現れたエドワードが割って入り、ミリアをジョセフから引き離した。ミリアはたたらを踏み、狙いをはずしてしまう。
突然の登場にびっくりしすぎて、ドキドキはどこかへ飛んでいった。
「お前、自分がやっていることがわかっているのか!? 嫌がる令嬢を無理矢理抱きしめるなど、紳士の風上にも置けぬ!」
いや、殿下、あなた今同じことしてます。
ミリアはエドワードの腕の中にいた。
かばっているつもりなのだろうが、やんわりと拘束から逃れようとしても放してはくれない。
もうどうにでもなれ、とミリアは抵抗するのをやめた。
「……ごめん、ミリア嬢。どうかしてた。ごめん。頭冷やしてくる」
ジョセフは我に返ったのか、意気消沈した声で謝罪した。視界には押しつけられたエドワードの胸しかないが、午後の講義室とは反対の方向へと立ち去ったようである。
「殿下、そろそろ……」
「あ、ああ! すまない」
「いえ、助けて下さって、ありがとうございました」
ようやく放してくれたエドワードを見ると、耳まで真っ赤にしていた。
口を片手で押さえて目をそらしている。
普通逆だろう。
さっきまで顔を赤くしていた自分は棚に上げた。
あれは違う。
何が違うのかはわからないが、とにかく違う。
「殿下、急がないと講義が始まります」
「そ、そうだな!」
エドワードの様子には気づかなかった振りをして、講義室まで急いだ。
いつの何か増えていたギャラリーにも、気づかない振りをした。
噂はあっという間に広まった。
例のごとく事実はねじ曲げられ、ミリアはエドワードどころかジョセフまでもを誑かし、二人を弄んだということになっていた。二人がミリアを取り合った結果、ミリアがエドワードを選んだのだそうだ。
下級生を助けた事実はなかったことにされていた。
ジョセフが戻って来なかったのもあって、傷心のジョセフ様をお慰めしなければ、と下心満載のセリフまで聞こえてくる始末。
これがゲーム補正というやつか、とミリアは状況を甘く見過ぎていたことを後悔した。
ジョセフの先ほどの行動は、ヒロインの気持ちを高めるためには効果的だった。
好きでもない男に無理矢理抱きしめられて困っているところを、偶然通りかかったエドワードに助けられる。密かな恋心を抱いている相手なら、きゅんときてもおかしくない。
そして、エドワードの嫉妬心に火を着けることにもなる。
ここから二人の仲は急速に深まっていくのだろう。卒業パーティでの婚約破棄イベントまでまっしぐらというわけだ。
誤算だったのは――誰の誤算かは知らないが――ミリアがエドワードのことをこれっぽっちも好きではないことだ。元から心が揺れていなければ、ちょっとやそっと押されたぐらいでぴくりともしない。
あのジョセフの奇行がゲーム補正のせいだったならば……あまりにも彼が気の毒だった。
「ミリ――」
「急いでいるので!」
放課後、エドワードが声をかけてくる気配を感じたミリアは、つかまる前に脱兎のごとく逃げ出した。
これ以上エドワードの恋心を刺激するわけにはいけない。特に今日の接触は危険だった。
憩いの場所――図書館に駆け込んで、ほっと息をつく。
小説を読んで現実逃避をしなければやっていられない。
「はぁ……」
最後のページを読み終えたミリアはため息をついた。
控えめに言って最高だった。
特にラストが良かった。ヒロインの想い人がさらわれたヒロインを助けに来るところ。普段は冷静な彼がなりふり構わず駆けつけ、悪漢を次々と倒し、ヒロインの無事を知って安堵の笑みを浮かべるのだ。
ぱらぱらとページを戻し、そのシーンを振り返る。
二人の気持ちはまだ通じ合ってはいないが、両想いであることは間違いなかった。
じれったい。
だがそれがいい。
早く続きを読まねば。
「わっ」
続きを取りに行こうとして顔を上げたミリアは、目の前に人がいるのに気がついて驚きの声を上げた。
同時にここが図書館であることを思いだし、ぱっと口を覆う。
向かいの席に座っていたのは、アルフォンス・カリアード。テーブルの上に何を広げるわけでもなく、腕だけ置いてただそこにいた。
「何かご用ですか?」
「いいえ、通りかかっただけです」
昼間のことを責められるのかと緊張したが、そうではないらしい。
「通りかかっただけでそこに?」
「ミリア嬢が百面相をしているのが面白かったので」
かぁっとミリアのほほが染まった。
ずっと観察していたと言うのか。
絶対ニヤニヤしていた。少なくともラストは。
ヒロインがさらわれ殺されそうになる所は手に汗握ってはらはらしていたし、彼に想い人がいると勘違いし苦悩するシーンでは涙ぐんでいたかもしれない。
いつからいたのだろう。
最後だけなら……いや、にやけ顔が一番やばい。
没頭しすぎて気配に気づかなかったのはミリアの油断だが、まさか観察されるだなんて思わないではないか。
悪趣味だ、と睨むが、アルフォンスの無表情は変わらなかった。何を考えているのかわからない。これなら笑われた方がましだ。
用がないならこちらも構うことはない。
ツンと顔をそむけ、ミリアは立ち上がった。無視して続きを取りに行くのである。ここには戻ってこないで他の席に座ろう、と思った。
「そういう地味な服装の方が合っていますよ」
アルフォンスは背を向けるミリアに言った。
何と比べてなのかは言うまでもない。
ミリアは枯れ草色の、シンプルなドレスを着ていた。襟ぐりは狭く、装飾は首回り、手首、裾にあるレースだけだ。ウエストから下は膨らませずドレープがすとんと落ちている。
締めてくれる人はいないが、コルセットをしていないわけではない。自分で前で締められるタイプのものを使用している。平民のときと同じだ。
さすがにパーティのときは侍女を呼ぶが、学園には連れてきていない。普段は着替えも髪も化粧も自分でしていた。
自分で締められる分には限界がかるので、他の令嬢に比べて少し……ほんの少しだけウエストが太かった。それでもいいのだ。締めすぎると肋骨が変形するというではないか。
食べた後にどうしても出てしまう分は、ウエストラインを高くし、ドレープで隠してごまかしている。
アルフォンスの言う通り、かなり地味だった。
そしてそれが似合うということは、顔もそうだと言われているのと同じだ。
「アルフォンス様は何を着ても似合うので羨ましいです」
悪かったな、地味顔で。
という意味を込めてにこりと作り笑顔をすると、ミリアは今度こそ本を取りに行った。
次巻を手にして別の席に座るとき、ちらりと元の席の方を見ると、もうアルフォンスはいなかった。なんだかとても悔しかった。
次の日から、エドワードの猛攻撃が始まった。




